月の無い空に世界蛇は哭く 肆詞“最凶の悪夢”
闇の中に陥るのは何回目であろうか?
数度となく、死ぬ瀬戸際で闇に沈んでいた気がする。
そこは親しみやすく、意識を手放すには心地好い場所にすら思えて来た。
しかし、今回は違う。
希望では無く、絶望と言う名の光りが心に突き刺さっていく。
混濁した意識の中、カナンの魔剣に刺し貫かれるパリキスの姿が浮かぶ。
(これは現実な分けがない! まやかしだ)
心の中の絶叫。
なんとかチャクラを使って意識を安定させたいが、チャクラを使用する為の精神力が分散してしまっている。
鋼の精神を持つガルンの、現在唯一のウィークポイントに絶妙にフィットした悪夢。
それがガルンの本来の力を抑え込んでしまっている。
闇の中で足掻く姿を見ながら、ナギョクは満足そうに笑う。
ガルン以外のうめき声が聞こえないのは、既に他の人間は術中に陥った為であろう。
「無駄じゃよ。いかに強固な意志を持とうと、“腐海の歌姫”の呪縛は破れわせんわい。どんなに切り捨てたと思う感情も、記憶という大海の中には沈んでいるものよ。記憶に刷り込まれた、強烈な思い出には感情が付き従う。人として生きてきた以上、どう足掻いても切り捨てる事は出来ない。それを揺り動かし、そこから最悪の悪夢を幻想させるわしの力に足掻う事は不可能じゃ。無駄なのだよ。無駄無駄!」
ナギョクの勝ち誇った笑い声が闇に広がる。
「そうでも無いぞ?」
真後ろから聞こえた声に、ナギョクの思考は停止した。
この幻惑の闇の中で、動ける人間はいる筈がない。
胸を灼熱の痛みが襲う。
「……!?」
ナギョクは自分の胸から出ているモノを、マジマジと見つめた。
闇の結界内でも、術者にはそれなりに中の様子は伺える。
突き出ているのは剣の切っ先だった。
何やらぬめって光っているのは、自身の血だ。
「なっ……、なんじゃとぉ?!」
ナギョクは無理矢理首を動かし、背後で剣を突き立てている青年を見つけた。
そこには無名がいた。
特に術中に嵌まった様子も無い無名が。
「悪いが、何やら幻術だったようだが俺には効かなかったようだな?」
微動だにしない表情を見て、ナギョクの顔は怒りに歪んだ。
「ばっ……馬鹿な?! 我が能力を常人が破れる筈が無い! 知性がある以上感情は直結する。この術にかからないのは、理性の無い、本能で生きる獣のような畜生だけだ」
「ご高説痛み入るが、この頭にちらほら浮かぶビジョンが、老体の能力と言う事か?」
「……?!」
ナギョクは大きく目を剥いた。
どうやら、無名には“腐海の歌姫”の力は効いている様である。
「どっ……どう言う事……じゃ?」
老人はそう呟くと、いきなり大量に吐血した。
どうやら無名の剣は致命傷を与えたらしい。
「“貴様の声”は始めから聞こえていた。だいたいの山勘で剣を突いたが、存外何とかなるものだな」
ナギョクはガルンの事を注視するあまり、無名とカムイをまともに見ていなかったのだ。
完全なる慢心。
カナンと言うジョーカーを手に入れた為に、欲が出た結果だ。
本来、ナギョクの戦術は“腐海の歌姫”で相手を困惑し、幽冥獣の波紋の呪縛で相手を拘束。そして、冥法で止めである。
心身ともに能力でロックされた標的を殺すのは、赤子を殺すように容易な作業の筈だ。
しかし、新たにガルンを操り人形にし、手駒を増やそうとばかり考えていた為に隙が生まれた。
「貴様……既に誰かに操られていたのか?」
「いいや」
「では、感情を抑制されたホムンクルスか何かか……」
「……違う。俺は人間だ」
あまりの言いように無名の顔が曇る。
そこで、漸くナギョクは起こっている現象を理解した。
人間でありながら、能力に抗う可能性。
「貴様……記憶が無いな……?」
その言葉に無名は苦笑した。
あっさり看破されるとは思わなかったのだ。
「ああ……。俺は何かの被験者だったらしくてな。その後遺症で記憶が無い。頭に浮かんだヴィジョンは本来知っている人物なのだろう? 俺にしてみれば、過去に繋がる人物が見えたのは有り難いばかりだ。例えそれが凄惨な現場でもな」
「ぬうぅぅ……抜かったわ。だが、わしはただでは……死なんぞ」
ナギョクの瞳が輝く。
無名はいきなり身体が硬直したのに気づいた。
幽冥獣の呪縛波紋だ。
「貴様も死……ね」
闇の中に声が上がる。
「一つい出て、突けよチョアンシエ(穿蠍)」
闇を走る音は至極空虚な響きだった。
背中を貫く灼熱の痛みに、無名の顔が歪む。
ナギョクは不気味に笑うと頭を落とした。
それと共に、闇が硝子細工のように砕け散る。
世界は一瞬で赤い空の大地に移り変わった。
マスターを失った幽冥獣の慟哭の雄叫びが上がる。
そこでガルンは、はたと目を見開いた。
頭に纏わり付く鈍痛が、記憶の再生を疎外する。
「何が……?」
戦闘中だったことを思いだし身構える。
目の前にはいつの間にか、天三輝が浮いている。
何かしらの防御運動をしていたようだが、何が行われていたのかは理解できない。
ただ、次に目に入ったのは空中で暴れ回る幽冥獣の姿であった。
ガルンは訳が分からないまま、ダークブレイズに精神を集中させる。
素早く回転したのは第八のチャクラだ。
「とりあえず死んどけ!」
燃え上がる焔は、闇よりなお暗い黒色。
放たれた純黒の焔は、幽冥獣を意図もあっさりと飲み込んだ。
空中でのたうち廻る化け物を無視して、ガルンは辺りを見回す。
「!?」
少し離れた場所に、折り重なるように倒れる無名とナギョクの姿が見えた。
無名の背には、何かの触手のようなものが刺さっている。
触手の先に目を這わせると、尾だけがまるで釣り糸のように長い奇っ怪な蠍の姿があった。
その後には、茫と立ち尽くすカムイの姿が。
どう見ても、無名を襲ったのはカムイの呼び出した獣妖だ。
「なっ?! 何をしているんだカムイ!」
ガルンの声が虚しく大気に伝播する。
しかし、カムイはそこで茫然と立ち尽くすばかりだ。
「何かしらの術を喰らった影響か?」
ガルンは舌打ちして無名の元に駆け寄ると、炎を消した魔剣で尾を斬り飛ばす。
傷口の出血量を確認して尾を引き抜くと、無造作に横に投げ捨てた。
「無名?!」
ガルンは名を連呼するが反応が無い。
仕方なく無名を揺り動かすと、ようやく無名の瞳が動いた。
「ガルン……か? どうやら俺は……此処までだ」
「何を弱気な事を言ってやがる?! たかが背中を刺されただけだろうが!」
「……無駄だな。手足が全く動かない……視力ももうない。強力な神経毒だろう」
ガルンはその場で固まった。
強力な致死毒だ。
生半可なヒーラー(治癒術師)では対処出来ない、あり余る毒素だろう。
「テメェーは、ラインフォートと攣るんでカナンを苦しめる片棒を担いでいただろうが! 死ぬならカナンに斬られて死ね! それまで簡単に死ぬな!」
ガルンはそこで遠巻きにしている兵士を見つけた。
解毒の出来る僧侶を連れて来いと怒鳴り散らす。
無名は苦笑いを浮かべようとして、顔の筋肉すらままならない事に気づいて瞳を閉じた。
「お前はよく泣くな」
「はぁ? 何言ってんだあんた」
「罪人の塔で、少女の姿を見た時も泣いていた」
「……走馬灯には早いぞ」
ガルンの声に微かに諦めがこびりつく。
「お前は竜人を……地下に残す時も泣いていたよ。心は嘘をつかない」
ガルンはそのまま沈黙した。無名が読心術が使えると言う話を微かに思い出す。
「お前は本当は泣き虫だ。ただ、幼いときに……泣いて過ごす事を許されなかったようだからな。
泣き方が分からない……だけだ。それでは、本当に泣きたい時に……上手く泣けんぞ?」
無名は精一杯の力で、皮肉った笑みを浮かべた。実際、表情が作れたかどうかは分からない。
「あんたの為に、俺が泣くかよ」
ガルンは冷ややかな目線を向けたが、もとより無名にはその姿が見えない。
「今も半泣きさ。それより……お前は今、救わなければならない人間が……いるのだろう?」
そこでガルンは拳を握りしめた。
確かにカナンの事を一瞬失念していた。
だが、今の一大事はカナンだ。
「ここで足を止めて、また泣くのか?」
無名の言葉に、ガルンは顔を強張らせる。
肝心な時に護りたい人を守れないのは、滅びの剣の業か。
それを繰り返す訳にはいかない。
「さっさと行け。あそこで……敵の術中に陥った馬鹿も、そのうち意識を取り戻す筈だ」
ガルンはチラリとカムイを見た。
ナギョクの力に操られ、無名に致命傷を与えた人物は人形のように固まったままだ。
「……すまない」
ガルンは瞳を閉じると、無名を大地に寝かせてから走り出した。
走り去る足音を聞きながら、無名は瞳を閉じた。
瞼の裏には、ナギョクの見せた幻影に映し出された、人影が思い出せる。
若い夫婦らしき姿と、幼い少女。家族だろうか?
それが深層心理下に埋没した記憶の断片だったのか?
(これが……俺の家族だったのか?)
感慨深い感情は何も沸いて来ない。
記憶が無いと言う事は、味わってきた感情も無いと言うことだ。
しかし、何か暖かいモノを感じた気がする。
頬を伝うものがあったが、無名にはそれを感じる触覚はもう生きてはいなかった。
大地には至る所から、濛々と煙りが立ち上っていた。
ハリイツの呼び出した魔神の破壊痕なのだが、それを知らないガルンには理解不能な惨状である。
まるで隕石が無数に落下したような、すり鉢状態の穴を幾つも越えて先を進む。
唐突にガルンは脚を止めた。
空高く上る白銀の光芒が見えたからだ。
圧倒的な破壊の奔流。
粉塵で曇った先から放たれた光りは、天を穿つ勢いで瞬き、赤い空を打ち砕く。
上空の積乱雲が真っ二つに裂けていく様は、まるで朱天に出来た地割れのようだ。
冥夢の幻域に彩られた世界の一部を、根こそぎ光が切り裂いていく。
「霊威力?! カナンか!」
ガルンは逸る気持ちを抑えられずに、チャクラを発動させて走り出す。
ハリイツからの連戦と冥夢の幻域の力で、ガルンの体力は六割辺りまで落ちていた。
完全なるハイペースの力の消費だが、ガルンには後先を考えている程の余裕は有りはしない。
この先に待つ、兇気の悪夢はこうして幕を開けた。
先に待つは混沌の聖剣を携えた、最強の剣士。
世界屈指の伝説級の武器同士の戦いは、数ある大戦の中でも例を見ない。
一つの世界が内包された星造兵装、混沌の聖剣エグゼスカリバーン。
神を切り裂く為に生まれた神造兵器、黒炎の魔剣ダークブレイズ。
光りの武器と闇の武器の激突は、されど光対闇の分かりやすい図式にはならなかった。
ガルンがたどり着いた先は、綺麗に開けた大地が広がっていた。
妖刀と聖剣による戦いの爪痕である。
そこには倒れ伏した人間を見つめる、剣士の姿があった。
その手には、ガルンが初めて見る荘厳華麗な剣が見える。
その剣の柄にはどこかで見覚えがあった。
(確かアレは……パリキスの護衛騎士の?! どう言う事だ)
状況が飲み込めずに、ガルンは棒立ちになった。
ガルンの登場に気づいたのか、軽々しく剣を肩に乗せながら聖剣の主は振り向いた。
「あれ? なんでガルンが此処にいるのかな? 幻?」
振り向いた“少女”の頬には、返り血らしきものがこびりついていた。
「……正気なのか? “カナン”? それとも……」
ガルンの問いに、カナンはにこやかに微笑む。
太陽のような笑みには、何故か妖しい光が滲み出ていた。
足元には“切り伏せられた黄金の騎士”が転がっている。
パリキスを守る要となる騎士が。
「正気? 何を言っているのかな? 至って私は正気だよ?」
「……そこに倒れている騎士は、カナンがやったのか?」
ガルンの険しい顔を、金髪の少女は不思議そうに眺める。
「そうだよ? この英雄騎士さんは私の邪魔をするって剣を向けるんだもの。仕方がないから退場してもらったよ」
「……邪魔?」
「そう。私がパリキス王女を殺しに行く邪魔を。邪魔するんだから倒すのは仕方がないかな? 排除執行?」
「……」
笑顔のカナンには何の悪びれもない。
普通に朝に朝食を作るのは当然と言うような、さも当たり前だと告げる語り方だ。
それが、既におかしい事に本人が気づいていない。
(……何だこの違和感は? カナンを操っている術者がいない?)
ガルンはプラーナ感知では飽きたらず、精霊の眼に切り替える。
しかし、辺りには死にかけた兵士達の気配しか存在しない。後は既に死亡した幽体ばかりだ。
精霊の眼から見ても、カナンの存在の光りは酷くいびつだ。
今まで知っていた光りではない。
急激に別の何かに変質している。
まるで魔王殺しを行って、存在が勇者に変質してしまった戦士のように。
実際、カナンの精神を汚染したナギョクは死んでいる。
カナンを操っている敵を
倒す。
それがガルンの考える唯一の解決策と思っていた。
しかし--その対象がいない。
「正気に戻れカナン! パリキスを狙う理由はない筈だ! 敵の術中に嵌まるな!」
「理由? 理由ならあるよ? 彼女は私の居場所を奪うんだよ? 後からノコノコ現れて。私は自分の居場所を取り戻す。それにはあの姫に消えて貰うしかないんだよ」
カナンの言葉にガルンは固まった。
言葉が意味する所が理解出来ない。
不可解な言動は、何かしらの力に操られているからと結論づける。
だが、対応策が思いつかない。
「それじゃ、ちょっとお姫様を排除してくるかな? ガルンはここで待っていて。こんな戦争は全て私が終わらせる。全て終わらせる」
カナンは洞窟入口跡に身体を向けると、聖剣を正眼に構える。
「刃は風で出来ている。昏迷の海よりい出て荒ぶる魂と共に、天を遍く大気となりて吹きすさぶ。それは全ての脅威を打ち砕き、あらゆる悪意に打ち勝つ一陣の刃。そは空を翔る無色の風。ストーム・ペネトレイト!」
その言霊の後に、刃から猛烈な突風が吹き出す。
カナンが剣を振り下ろすと、大地を穿つ暴風が大地をえぐる。
岩盤が砕け散り、風化した岩の末路の様に天に吹き出した。
粉塵爆発のごとき状況の跡には、くっきりと地下への穴が浮き彫りになっていく。
「……!!」
ガルンはその威力に目を細める。
実際、吹き飛んできた粉塵を防ぐ意味も含まれた行為だ。
「その剣は……」
ガルンの視線に気づいて、カナンは聖剣をかざす。
「これはね。混沌の聖剣エグゼスカリバーン。内包した世界からあらゆる力を抽出する星の剣。親父の書庫に載っていたのを思い出したかな? 最近の武勇伝もあるから覚えていたよ?」
「……俺は覚えてないが、それはそいつのだろ?」
倒れている黄金の騎士を目の端に捉える。
軽い出血しか見て取れないが、微動だにしない事から息があるのか、死んでいるのかは判断つかない。
「私の妖刀は折られちゃったからね。変わりにこれを貰うことにしたかな? 」
「そいつ……結構強いって聞いたぞ」
アズマリアに、自分と同じぐらいの強さだ言われた事を思い出す。
戦いを拝んだ事は無いが、アズマリアの眼力がそれ程間違っているとは考えづらい。
「うん? 強かったよ。多分デュアルアビリティーホルダー。それにチャクラ持ち出し」
「デュアル……?」
「そ。二重能力者。確かシグナル・ロストって能力と、多分シックスセンス(超直感)。特殊能力者でもレアな部類かな? いまいち能力は分からなかったけど、それ以上に彼は油断してたかな。いや、読み間違えたかな?」
カナンは少し首を傾げた。
決着の瞬間を思いだそうと試みる。
勝敗の差を些細な差と取るか、当然の既決と取るかは第三者次第であろう。
朱い空から降るように、光りの刃が振り下ろされた。
しかし、その剣がピタリと止まる。
ちょうどその時、ナギョクを無名が剣で貫き、ナギョクの幽冥獣が呪縛の波紋を空間に打ち出した直後であった。
全方位呪縛波紋。
放たれた波紋はその時、無名だけを縛った訳ではなかったのだ。
幽冥獣を中心に、数キロ全てが射程だったのである。
戦場にいた兵士や他の幽冥獣はもちろん、近くにいたガルン、カムイ、カナンやデュランダークもその射程範囲に入っていた。
その為、カムイはあの場で効果を受けて、“身体自体”は固まっていたのだ。
あの時、影響を受けながら束縛されなかったのは三人だけだった。
天三輝に護られたガルン。
霊威力を構成していたカナン。
サクラメント、成聖耀凱“サンライズ”を身につけていたデュランダークである。
しかし、その三人が呪縛を無効化した時間にはタイムラグがあった。
圧倒的な防御力を誇る天三輝はフラット。
霊威力が波紋を切り裂いたのは、刹那もかかっていない。
そして、デュランダークのサンライズが呪縛の状態解除にかかった時間はニ秒。
それが運命の分かれ道だった。
カナンが霊威力を練り上げるのには、一秒あればおつりがつく。
カナンが小太刀を下から切り上げる。
デュランダークはその行為に疑問を感じて、一瞬躊躇した。
第六感が危険を告げるが、小太刀は先程へし折ったばかりである。刃は無い。それでエグゼスカリバーンを防げる筈がないのだ。
しかし、小太刀には刃が付いていた。白銀に光り輝く神殺しの刃が。
「滅陽神流剣法……参の裁ち・業紡 (ごうほう)!」
カナンが刀を振り上げた時には、再びあの違和感が纏わり付いていた。
いつまにか、剣を振り下ろしていたデュランダークの姿は無い。
白銀の剣閃は空を切った。
再び天が悲鳴を上げるかと思われたが、剣閃はまるで天に吸い込まれる様に消えていく。
光が呆気なく蜃気楼のように消え去ると、カナンは何事もなかったように立ち上がった。
数メートル先に、いつの間にか移動したデュランダークが片膝を着いている。
「うーん。あの一瞬じゃ霊威力の練り込みが足らなかったかな? やっぱり出力不足? それともその防具のせいかな?」
「……これは、参ったな。何だ今の剣……技は? 完全に避けた筈が……喰らっていた?」
デュランダークは訳が分からないと言いたげに、カナンを睨む。
鎧の間から滴り落ちる血は、カナンの剣を受けたダメージか?
だが、デュランダークは先の時と同様に、剣筋を完全に回避していた筈である。
「今使ったのは神斬りの御技だよ。君の能力が分からなかったからね。時間停止に近い見たいだけど……そうじゃない。能力は不明でも、だからと言って対抗策が無い訳じゃない」
カナンの言葉に、デュランダークの眉がわずかに動く。
自分の能力が相手に看破された訳ではない。
しかし、同じように、こちらも相手の能力が分からない。
ただ、傷を負った以上、相手の力は自分より上だと言うことになる。
「滅陽神流剣法はね、神を斬るために生まれた魔性の技なんだ。でもね、知っての通り神性存在って言うのはどいつもこいつも半端なく強力無比で、物理領域を軽く超越している常識外の存在なんだよ。魔神と戦った勇者さんなら分かるかな? 既に経験済み?」
「……確かに常識はずれと言う意見には……賛同する」
その言葉に満足したのか、カナンはにっこり笑った。
それとは正反対に、デュランダークの顔は蒼白である。
まるで幽霊に取り付かれて、衰弱死を持つだけの人間のように。
「相手は時間や空間に干渉するのは当然の化け物だよ? それと戦うことが想定された剣技が、たかが人間の能力に追いつけないと思うかな? 追いつけない訳が無い」
そこで漸くデュランダークは得心がいったようだった。
「空間……跳躍の秘剣か?」
「似ているけど全く効果は違うかな? これは因果を遡る魔剣。これ以上は教えて上げない」
カナンは微笑みながら、そう呟くと刃の無い小太刀を構える。
霊妙法の発露。
カナンの身体から青白いオーラが立ち上る。
刃無き刀身に白銀の刃が点る。
「さて、終わりにしようか英雄騎士さん? 教えといて上げるけど、さっきの能力を使っても無駄だよ? 滅陽神流剣法、参の裁ちは、斬った結果だけを相手に叩き込むもの。霊威力の攻撃は霊体を打ち砕く。霊殻防御能力が無い君じゃ、その鎧と盾に頼るしかないし。それも二度は持たないかな?」
滅陽神流剣法、参の裁ち・業紡。
それは本来、上位次元に渡って存在し得る神に届かせる為の秘中の秘技である。
相手が攻撃してきたと言うカルマ(業子力)を利用して、空間、時間、距離を完全に無視して、因果律を遡り相手に力を叩き込む。
相手が干渉してくる事が可能ならば、例え何十次元離れていようが力が届く。正しく神殺しの真骨頂と言える技だ。
しかし、この技の難度は高すぎる。
この世界で起動可能な最低限の基本値すら、超常レベルなのだ。
この技は教えたグラハトすら使用出来なかった、概念でしか理解していないモノだった。
何故ならば、この技には有り余る霊威力と針を通すようなチャクラコントロールが必要不可欠だからである。
本来この奥義を使用するには、ガルンクラスのチャクラ数を持ち、カナンレベルのチャクラコントロールが必要だ。
グラハトのチャクラはガルン程多くなく、カナン程コントロールが効かなかった。使用出来なかったのも頷ける。
元々、人の身で滅陽神流の技法を操るのには無理があるのだ。
本来、カナンのチャクラ数ではこの技は未完成も甚だしい。
カナンの霊威力では高次元にまで刃が届かないからである。
圧倒的な出力不足。
良くて二割の能力しか出せない代物であるが、それだけあれば十分であった。
何せ相手は神ではなく、只の人間なのだ。
未完成の技でも十分過ぎる威力がある。
相手には神が纏う多重層神域防壁など存在せず、霊的防御手段も無い。ただの精神防壁のみだ。
それしか対抗手段は無い。
当たれば魂が砕けるレベルなのだ。
「君が負ける一番の理由は何だか分かるかな?」
「負けると決め付けられるのは心外だが……その考え方には興味を引く。答えを聞かせて貰おう」
「答えは簡単。認識の間違い」
「認識の間違い?」
カナンの回答にデュランダークは難色を示した。
そんなもので勝敗が決しては堪らない。
「君は魔神を倒して勇者と言う存在になった。人類にあだなす強大な魔性を倒す為に生まれた抗体存在。まあ、魔王殺しの属性を持つって事かな? でも、私達は違う。始めから対神、対聖性側に牙を剥く力を磨いて来た闇主側の代行者の力を持っている。始めからこの世界に干渉する神、もしくは聖主側の代行者を滅ぼす事を想定されていた存在なんだよ?」
カナンの冷淡な瞳に、デュランダークは漸く言いたい事を理解した。
皮肉を込めて、渇いた笑みを浮かべる。
「そう……か、“そう言う意味”か。君の属性は神殺し……そして」
「“勇者殺し”」
そう呟くと、カナンは白銀の刃を振り下ろした。
滅陽神流剣法。
それは初めから神を、そして、神の代行者たる者を討ち伏せる事を指標にした剣。
人類を救う勇者も当て嵌まるのだ。
そう、グラハトは“勇者殺し”を失敗した魔剣士であるが、その本来のスタンスは何ら変わりはしない。
その技を引き継ぐ後継者も、同じ宿業を引き継いでいる。
即ち“勇者殺し”の力を。
「そう……か、私は人の姿をした魔王と戦うが如しの、意識が必要だったのか……」
デュランダークの言葉は白銀の光に飲み込まれた。
グラハトの成し得なかった悲願を、その娘は見事成し遂げたのである。
「まあ、英雄騎士さんも、始めから魔性と戦う気迫があったらよかったのかな? あくまで人を護る勇者として戦っていたのが敗因。人である私を救う意識があった状態じゃ、勇者を殺す気の私には勝てなかったんだよ」
そう答えながら、カナンは白銀の一撃を放った直後に、颯爽とガルンが現れた事を思い出した。
“勇者殺し”の魔剣士。
その誕生の現場にガルンは対峙していたのだ。
ガルンはそのまま茫然と立ち尽くした。
人類対冥魔族。
世界の命運を賭けた戦いの、人類側最強カードの一つはこうして失われた。
そして、それはそのままパリキスの危険度が跳ね上がった事に他ならない。
「それじゃ、ちょこっと行って来るね」
カナンはまるで慣れ親しんだ武器のように、聖剣を一回転させながら歩き出す。
まるで近所に散歩に行くような快活さだ。
それを見てガルンは拳を握りしめた。
現状を打破する方法が何も浮かばない。
しかし、このまま立ち尽くしていても、時間が最悪の未来を用意するだけだ。
何も出来ずに姉を亡くした事が何故か頭に過ぎった。
力が足らずに、グラハトを救えなかった事も頭に過ぎる。
白き銀嶺も、無名も置き去りにして先を進んで来た。
ガルンはゆっくりと天を仰いだ。
朱い空の隙間からは、青い空が覗いている。霊威力によって切り裂かれた天は、その本当の姿を見せていた。
(そうだ。あれはカナンの本当の姿じゃない。今は敵に操られているだけだ)
ガルンの瞳に決意の光が宿る。
進んで来たのは修羅の道。
今更引き返す事など出来はしない。
(カナンを……止める。行動不能まで叩き伏せても。今は……それしか無い)
総てのチャクラを回転させる。最悪の展開を考えて、最低“三つ”のチャクラは確保しなければならない。
ガルンは瞳を閉じて俯くと、小さく深呼吸をした。
その選択がベストだと自分に言い聞かせる。
顔を上げた時には、覚悟が表情に浮き出ていた。
一瞬でカナンの前に回り込む。
チャクラ強化した移動は、数ある歩法術に退けを取らない。
「先には行かせない」
そう宣言するガルンを、カナンはキョトンとした表情で見つめた。
「パリキスは殺させない」
「……? 何を言っているのかな? これはガルンの為でもあるんだよ? あの女がいるから、ガルンはこんな国に縛られてる。あの王女さえ死ねば、ガルンは自由の身なんだよ? 後は、親父の仇の天翼騎士団を皆殺しにすればいい。それで全てが終わる」
「カナン……どれだけ支離滅裂な事を言っているのか理解しているのか? 今はそんな事を言っている場合じゃないだろ! 世界の命運を賭けた戦いより、私事を優先してどうする! それに俺はこの国に縛られてなどいない!」
ガルンの叫びに、カナンは後ずさりしながら首を振った。
理解できないと言いたげに目を見開く。
「ガルンは……何を言っているのかな?! こんないびつな神の国に、好きで居るって言うのかな?!」
カナンの顔つきが変わる。
怒りを抑えるかのように、目が据わっていく。
それを見てガルンは顔を歪めた。
罪人の塔で、最も凄惨な目にあったのはカナンだ。
そして、父であるグラハトの命を奪ったのも神誓王国メルテシオンの業と言える。
「この国の理不尽さを、私達は痛みと共に理解してるんじゃないかな! 親父を殺したのも、この国の腐った正義じゃないかな! こんな滅ぶべきイカレタ国に、居るだけで吐き気がする!! 」
ガルンは沈黙した。
カナンの言葉は、鋭利なナイフのように心に突き刺さる。
それは、心の奥底に押し込んだ怒りの炎と同じ気持ちだ。
常に心に燻っていた感情の奔流が甦る。
“こんな糞溜めのような国は滅んでしまえばいい”
ガルンの中の、黒い炎が燃え上がる。
だが--
そこで一人の少女の姿が頭に浮かんだ。
寂しそうな瞳で、健気に微笑む少女の顔が。
ガルンは奥歯を噛み締めた。
この国の身勝手な世界はぶち壊したくなる。
出来ることなら、魔王と呼ばれる存在になってでも、この国を滅ぼしたい。
しかし、ガルンにはたった一人救いたい少女がいた。
この国の為に、命を捧げている少女を。
「それでも……駄目だ。 パリキスは……。パリキスだけは殺させない」
ガルンの苦渋に満ちた声に、カナンは唇を噛み締めた。
歯を喰いしばり過ぎて血が滲み出す。
わなわなと震える手は、握った聖剣を細かく鳴らしていた。
「やっぱり……駄目かな。あの女は生きていたらいけない。あの女はガルンを狂わす。あの女は私の居場所を奪う。あの女は世界のバランスを崩す。 あんな、神に呪われた女は、生きているだけで世界に災いを撒き散らすんだ。世界の為にも死ぬべきなんだよ!」
「確かに……、確かにパリキスの神降ろしの力は世界のバランスを崩す程の力だ。もしかしたら……マクロ的に見たら、それが世界の秩序を守るためなら正解かもしれない……」
その言葉にカナンの顔がパッと明るくなった。まるで賛同者を得た宗教家のように、嬉々とした表情を作る。しかし、その後の言葉でそれは一瞬で凍りつく。
「だが、“そんなものは糞食らえだ”! 第三者の勝手な押し付けなんて俺には関係ない。例え世界全てが敵に廻ろうと、俺はパリキスを護ると誓った。それは何も変わらない」
ガルンの瞳には、揺るがない決意の光が宿っている。
それを感じたのか、カナンは空いている手で顔を覆った。
「やっぱり……そうじゃないか。ガルンを縛っているのは国じゃない。あの女じゃないか……」
カナンの眼光が凄烈に輝く。
それと共に吹き出した殺気に、ガルンは一歩後退した。
明確なる殺意。
チャクラも回転し始めたのを感じる。
(退いて……どうする!!)
ガルンは真っ向からカナンを見つめた。
「冷静になれカナン! 今は冥魔族の侵攻を止めるのが急務だろ? 召喚システムの核たる霊脈を崩す。それが俺達の戦いだった筈だ!」
「冥魔族……? 冥魔ぞ……く?」
カナンは眉間にシワを寄せて、微かによろめいた。
ナギョクの力には、冥魔族への何かしらのプロテクトが掛かっているらしい。
当然の使用ではあるが。
「冥MA……ゾく……。うん。メイまぞく。霊脈を壊そう。壊さなきゃ。後は行き掛けの駄賃で……姫を殺せばいいかな?」
カナンは自問自答を呟きながら小さく頷く。
焦点が合っていない、虚ろな瞳に見えるは如何なる幻想か?
それを見て、ガルンは奥歯を噛み締めた。
ここで押し問答をしてカナンを引き止めていたい所だが、それではパリキスの護りが薄くなる。
デュランダークの穴は、自分が埋めなければならない。
それに、時間が経てば新たな冥魔族達が、この地に現れかねない。
時間は完全に人類の敵に廻っているのだ。
ガルンはゆっくりと蝶白夢を引き抜いた。
「此処より先には行かせない。例え……カナンを打ち据える事になろうと……だ」
向けられた刃を見て、カナンは目を見開いて硬直した。
立ちばだかる姿は悪夢の化身に近い。
恐怖と困惑が重なったかのような表情で、ジリジリと後退していく。
「そっ……そんな? ガルンが……私に刃を向ける? 私に……剣を?」
「力ずくは不本意に決まっているだろ? 止まってくれカナン! 此処に居てくれればいい! それだけでいいんだ。後は俺が何とかする」
ガルンの叫び声を、カナンはまるでヒステリー患者のように聴いた。
首を左右に振りながら頭を抑える。
「ガルンが私に剣を向ける訳がないかな! そんな事をガルンがするはずがないかな!」
「カナン……」
その動揺ぶりに、妖刀の切っ先が下がっていく。
しかし、カナンの狂乱は
いきなりピタリと止まった。
姿勢を整えると、何事もなかったようにガルンに向き直る。
その豹変ぶりに、ガルンは何か嫌な予感が走った。
「うん。そうだよ。ガルンが私に剣を向ける筈がないかな? 向けるなんて有り得ないかな?」
「カナン?」
「そうだよ。ガルンが私に敵意を向ける訳がない。 “お前はガルンのニセモノだ”」
カナンの瞳に怪しい光が生まれる。
殺意が自分に向けられたのを感じて、ガルンは鳥肌が立った。
「酷いかな? こんな悪夢を見せるなんて許せない。こんな悪夢は、根こそぎ全て打ち砕くかな!!」
聖剣から突風が吹き荒れる。
舞う土煙にガルンは目を細めた。
その刹那だった。
(なっ?!)
一瞬。左視界に金色の残像が入り込む。
カナンの金髪と気付いた時には、聖剣の大気を切り裂く音が聞こえた。
反射的に妖刀を翳す。
受け止めた刃先に、尋常ならざる衝撃が襲う。
大地を削りながら爆風がガルンを吹き飛ばした。
風の聖剣の猛威。
乱気流に巻き込まれた、哀れな鳥のようにガルンが舞う。
(まずい! 体勢を整えられな……!!)
死角に回り込むカナンの動きを感じる。
完全なる死角。
今から身体を捻ろうが、刀を回そうが、関節の稼動範囲の外。
避ける事も、防ぐ事も出来ない位置からの攻撃が迫る。
天賦の才ならではの峻烈な戦闘勘。
「滅陽神流剣法、無式二十八型・羽飛沫!!」
ガルンの背後、下段から突き上げるような剣が放たれる。
ガルンは覚悟を決めて、チャクラ五つを身体強化に回す。
それでも、滅陽神の剣では致命傷を避けられないと、軽い絶望感がこびりつく。
貴金属に猫が爪を立てたような、不快な高音が鳴った。
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げたのはカナンだった。
目の前にいきなり現れたのは菱形の物体だ。それが聖剣の一撃を完全に弾き返す。
サクラメント“天三輝”。その加護はそれだけでは終わらない。
ガルンを縛っていた気流の波も消える。
それを肌で感じてガルンは身体を回転させると、その勢いを使って大地に着地した。
素早く振り返りながら、妖刀から水泡を出す。
「待てカナン!!」
その叫びは突風が掻き消した。吹き出した水泡も流される。
既に聖剣から真空の刃が飛び立っていた。
妖刀で防ぐ前に、前面に浮かぶ聖なる盾がそれを阻む。
強烈なソニックブームは、ガルン以外の物を吹き飛ばしながら後方に消えていった。
それを見て、カナンは柳眉を逆立てる。
「何かなそれは?! ちょっと鬱陶しいんだけど!」
カナンの癇癪を見てから、ガルンは目の前の聖なる盾に焦点を合わした。
パリキスの加護で何度危険を救われたのかは分からない。
知らずに口元に笑みが浮かんでいたのを、カナンは苛々しながらも目敏く見つける。
「気に食わない。例え偽者でも、何か気に食わないかな!!」
叫びながらエグゼス・カリバーンを一回転させてから大地に突き刺す。
身体から吹き出すプラーナは、チャクラからの量にはとても思えない。
(そうか! カナンの奴、聖剣から力を吸い上げているのか)
聖剣に内在する大陸規模の膨大なエナジーを、カナンはチャクラに取り込んで力に還元しているのだ。
元々、妖刀に吸われ続けていた精神力などの枷がない今、集中力も抜群に上がっている。
「刃は鋼で出来ている。昏迷の海よりい出て荒ぶる魂と共に、大地に眠る血潮と共に揺れ動く。それは全ての脅威を打ち砕き、あらゆる悪意に打ち勝つ一陣の刃。そは大地に息づく細胞の輝き。アース・スティーラー!」
地面を砕きながら剣閃が走った。
地割れが指向性を持ったようにガルンに迫り来る。
直下型の地震が起こったかのような、大地を震わす揺れが地上を席巻した。
ガルンは歯を食いしばって刀を構える。
その先で、地割れ所かカナンの剣撃すら止めている盾の姿が見えた。
響き渡る地鳴りは洞窟内部にいる人間には、崩落を連想させる恐怖の音に他ならなかった。
歴戦の勇士たちも、自分の力ではどうにもならない現象には恐怖するしかない。
とくに重傷患者ならばなおさらだ。
「くそっ……、俺はこんな処で死ぬのか」
そう愚痴を零したのは内臓のいくつかと、腰骨から両脚を餓鬼に粉砕された若い騎士だった。
「諦めるな、我等は国の為に立ち上がった神兵だぞ! 例え腕一本になろうと戦う気概を持て!」
壮年の神官戦士が治癒魔術をかけながら叫ぶ。
だが、思うように治療は進まない。
“冥夢の幻域”。
その広大な吸収領域下では、治癒に回す魔力どころか生命力すら吸われていく。
これに冥魔族の冥法の呪いが合わされば、お手上げだろう。
(駄目か……)
神官戦士は内心諦めながらも、精神を集中させる。
無駄と感じながらも、やれることに最善を尽くす。
それにより自身の信じる神が、慈悲なる奇跡を起こしてくれる事を信じて。
しかし、その奇跡を神に頼る必要はなかった。
急に暖かな光が世界を埋める。
横から翳された包帯だらけの右腕は、その姿からは想像出来ない奇跡を起こした。
見る見る完治していく傷を、唖然と神官戦士は見つめる。
完全完治した若き騎士と、それを目撃した神官戦士は包帯の主を見上げた。
そこには現存する女神が微笑んでいる。
「大丈夫かや? これで回復したはずじゃが?」
若き騎士はコクコクと頷く。
「もっ、勿論です殿下! あっ、ありがとうございます」
恐縮しながら騎士は素早く立ち上がる。
それを見ながら、神官戦士は顔を綻ばせた。
「今は世界の困窮の時、そなた達の力をわらわに貸してたもれ」
「はっ!」
パリキスの言葉に、二人はメルテシオン式の騎士礼である心臓に拳を当てるポーズを片腕でとった。
直ぐに若き騎士は、畏敬の念からか逃げるように前線に向かう。
残った治療班である神官戦士にパリキスは視線を向けた。
疲労困憊の体ではあるが、瞳に意志の光が窺える。
「そなたはこの現状をどう捉えるかえ?」
辺りには治療を待つ怪我人が溢れている。
圧倒的に治療術師が足らない。
「如何なる窮地であれ、我等は世界の命運を担う神の尖兵です。例え一兵になろうと殿下を守り通してみせましょう!」
神官戦士はさも信徒としての模範的な回答を述べた。だが、パリキスの静かな瞳が無言の圧力を放つ。
神官戦士は生唾を飲み込んだ。
「……正直、かなり芳しくありません。このような地下深くで戦う経験も少なく、尚且つ相手が相手です。一番気掛かりなのはこの異様な結界です。この中では、皆半分も実力が出せません。せめて、この戦場でも戦い抜く士気が上がれば良いのですが……」
その呟きを聞いて、パリキスは洞窟の奥に視線を向けた。
パリキス護衛部隊の最前線はそこである。
幾つもの先行部隊が通った道程のはずだが、そこに餓鬼が集中しているのだから致し方ない。
そちらを向いてパリキスは深呼吸すると、口を開いた。
玲瓏快活なる歌声が紡ぎ出される。
洞窟内部に声が反響し、あたかも一つの楽器のように天然の坑道を震わせた。
誰しもが一瞬その美声に耳をそばたせる。
聖歌魔法“アレスマキアの騎行”。
士気高揚のソング・マジックが兵士達の心に火を入れる。
「我はメルテシオンの剣なり! 我が御霊は国の礎。我が信念は不変なり!」
最前線のマグリネスの声が高らかに上がる。
それに呼応するように、兵士達の鼓舞する雄叫びが上がった。
騎士達が活気づくのが伝わって来る。
それを満足そうに感じながら、パリキスは新たな歌を奏でて行く。
聖歌魔法“清浄なる世界へ”。
領域浄化魔術。
パリキスを中心に光の波動が洞窟を伝わって行く。
汚染された土地や、張り巡らされた結界を打ち破る高位解呪魔法だ。
異質に捩曲げられた世界が、正常な状態に塗り返られていく。
「す……凄い」
神官戦士は見たこともない、大規模魔術に本心からそう漏らした。
本来ならマジック・シンガー(歌聖魔術師)と呼ばれる、ソングマジックの使い手が何十人もいなければ成立しない魔術である。
天使や竜族のハウリング・マジックと同列系統の音声魔術だ。
流石に咆哮魔術のようにワンフレーズで起動はしないが、人間が扱うには魔力と共に声量や声質が必要になる難しい魔術に位置する。
最も優れている点は、一度に軍隊規模にかけられる魔法と言う事だ。
これにはカリスマ性や心に浸透する美声などの付加要素が精度を左右するが、パリキスはその全てを完全にクリアーしている。
ソング・マジックの使い手としては、大陸で一位、二位の実力者と言えよう。
歌が終わる頃には兵士達に纏わり付く倦怠感、不快感は消えていた。
「これは気休め程度。時間が経てば元に戻ってしまうじゃろう。早う治療を行おうぞ」
パリキスの言葉に神官戦士は頷くと、直ぐに次の怪我人に向かう。
パリキスも同じように足を運ぼうとして、グラリとバランスを崩した。
それを横から差し出された腕が支える。
「姫様……頑張り……すぎ。もう何百人治療したか、分からない。さっきの連続魔法も、魔力を消費……しすぎ」
スピカの言葉に、パリキスは疲れた表情を浮かべながらも微笑む。
「大丈夫じゃ。わらわはこのくらいの事ではバテはせぬ。問題は……」
真上を見上げた眼が細まる。
次の瞬間、再び振動が洞窟を揺らす。
今はパリキスの魔術のおかげで誰も怯みもしないが、振動の大きさは並ではない。
大地を震わす程の戦いが、何処かで行われているのは確実だ。それが、どれだけ凄絶な戦いかは想像も出来ない。
(この莫大な魔力消費量は天三輝のもの……)
パリキスはガルンの顔を思い出して、唇を引き締めた。
共有魔法“コモン・ソウル”。
術者の魂のかけらを他者やモノに宿らせる事により、対象との魔力ラインのバイパスを築く難易度の非常に高い魔法である。
本来は術者のブースターとするために、遠方の魔術師団や、膨大な魔力を内包する秘宝などとジョイントして効果を発揮するものだ。
それをパリキスは事もあろうか、自身を天三輝のブースターとして逆使用しているのである。
天三輝の驚異的な防衛能力は、パリキスの超常的な魔力量あってのものであった。
(これはガルンが命懸けで戦っている証じゃ。わらわも負けられぬ)
パリキスの顔に生気が宿る。
煌めく黒瞳を見て、スピカは眉を寄せた。
「姫様。無理は……良くない。この後に、姫の一人舞台が……待ってる」
心配そうなスピカの胸を、軽くパリキスは叩く。
「大丈夫じゃ。皆が世界のために戦っておるのだ。一国の王女が尻込みなどしてはおれぬ」
凛と立ち上がる姿には王族の誇りが見える。
この暗い洞窟内部を照らす、淡い月のような煌めき。
そのまま、何事もなかったように怪我人の元に向かうパリキスを見て、
「あの……馬鹿兄弟とは……本当に月とスッポン……だね。仕方がないから……スピカが死んでも……守ってあげよう」
と、コクコク一人で頷くと、早足でパリキスを追った。
巻き起こる粉塵と轟音が、次々に地形を変えていく合図のようだった。
次々に塗り替えられていく地図を、測量する技師のようにガルンは足場を確認する。
躓き一つが死に繋がる窮地。
相手の一撃は、ほぼ人間なら即死の威力なのだから仕方がない。
「信じられないかな? 物理強化した聖剣で、それも滅陽神流剣法で砕けない盾なんて、俄には信じられないかな」
少し疲れたのか、荒い息を整えながらカナンは攻撃の手を緩めて立ち止まった。
ガルンは逃げ回ってばかりだが、チャクラのおかげで息一つ乱れていない。
この点は完全なチャクラ数の差であろう。
「カナン! 正気を取り戻せ! 敵の術中に嵌まるな! 俺はガルンだ!」
「嘘かな! ガルンが私の邪魔をする訳がない! ガルンが私に剣を向ける訳がない!」
癇癪を起こすカナンを見て、ガルンは歯ぎしりした。
埒外があかない。
説得は無駄だと理解する。
(このままじゃ……駄目だ。カナンを正気に戻す前に、俺が殺られる)
腕の痺れに、じっとりと焦りを感じる。
蝶白夢の精神汚染で、カナンにかかった術を相殺出来るかと考えたが、そう甘いものではない。
カナンは妖刀の能力を熟知している。
精神汚染にかかるような隙は皆無だ。
それに、あの聖剣の力は魔神殺しに相応しい威力である。
このまま、まともに打ち合っていたら、腕が駄目になる前に刀が折れてしまう。
ガルンは舌打ちして妖刀をしまうとダークブレイズを引き抜いた。
炎の魔剣では殺傷能力が格段に上がってしまう。
カナンを傷つける可能性は極力下げたかったが、もう理想的な展開は望めない。
まともに戦う方法は限られているのだ。
ダークブレイズを向けられて、カナンは怒りに顔を引き攣らせた。
「そんなまがい物まで用意するなんて、本当にいらつくかな? 許せないかな?」
カナンは聖剣を一回転させると中段に構えた。
新たな属性を付加させるための祝詞を唱える始める。
それを聞きながらも、ガルンは剣よりカナンの姿に注目した。
白き銀嶺の時のような、精神支配系の秘宝具の姿は見えない。
となれば、確実に何らかの術か能力の影響化にあるとガルンは判断する。
(俺には魔術師のような解呪魔術は使えないし、僧侶のような浄化魔術も使えない。出来る事は限られる)
冷静にカナンを注視する。
精霊の眼では姿を捉えられても、細部は無理だ。
カナンの異常箇所を探すには、チャクラ感知。
そして、そこからカナンのエーテル体を把握する。
やはり、頭付近に黒い靄の様なものを感じる。
それが、マインドコントロールを導く何かなのであろう。
(あれが元凶か! アレを取り除きさえすれば……!)
ガルンは頭をフル回転させて、解決策を模索する。
しかし、そんな暇はガルンにはなかった。
目の前にカナンが迫る。
下段からの鋭い一撃。それを寸前で魔剣で受け止める。
「ぐっ!!」
その瞬間、ガルンは顔を歪めた。
身体全体に骨を軋ませるような衝撃が走る。
軽々しく吹き飛ぶガルンに、カナンは追い打ちをかけるために更に突き進む。
追随を阻止するためか、その前に天三輝が割って入った。
それを見て、カナンはニッコリ微笑んだ。
その場で一回転すると、再び下段からの剣を振り上げる。
何気ない一撃は、されど天三輝を遠くに弾き飛ばした。
「なっ?!」
今まで無敵を誇る盾が、呆気なく弾き飛ばされるのをガルンは唖然と見送る。
それを気にもしないでカナンは肉薄してきた。
「滅陽神流剣法、無式五十三型・鉄鬼崩し!」
「滅陽神流剣法、無式三十型・乱れ煉華!」
聖剣と魔剣がぶつかり合う。皮肉な事に、真逆の意味で生まれた剣たちは、同じ剣技の使い手同士の走狗となっていた。
同じ剣技を身につけた者同士。型の性質も、技も熟知している。
そうなれば、後は基本的なポテンシャルがものを言う。
スピード、パワー、センス、テクニック、タクティクス、インテリジェンス、そしてメンタル。
相手を凌駕している方が優位だ。
しかし、ガルンには圧倒的なチャクラがある。
本来ならば、その差はそのまま戦いに反映されるはずだ。
だが、それにプラスする外的要因がある。
混沌の聖剣“エグゼス・カリバーン”。
精神力を吸いとる、炎の魔剣ダークブレイズとは真逆の性質だ。
有り余る力を持ち主に供給する。
カナンがチャクラを二つしか使えなくても、ガルンと対等に戦えるのはそのおかげだ。
所有者の力を削って絶大なる力を得る魔剣と、所有者に力を与えながらも、絶大なる力を内包している聖剣。
このアドバンテージの差は大きい。
案の定、ガルンは同質の攻撃の打ち合いのつもりが、後方に押し出された。
しかし、これはフィジカルやチャクラの問題では無い。
聖剣の力だ。
(そうか! この力は……!!)
ガルンは体勢を立て直しながら間合いを計る。
天三輝が申し訳なさそうに、ふよふよとガルンの元に戻ってきた。
「その聖剣……、今は地属性、重力を操ってるな……」
ガルンの言葉に、カナンは面白くもなさそうに剣を向けた。
「ご名答。その盾のウィークポイントには絶妙かな? その盾は重力制御で浮遊している。真下に対して反重力を放っていると仮定すれば、下段の同質の重力攻撃を相殺するには、同質量の反重力を当てるしかない。そうなれば……」
「攻撃は防げても、反重力を放っている盾は“異常に軽くなる”」
ガルンは小さく舌打ちした。
そんな些細な欠点に気づき、尚且つそこをついて来る技量に舌を巻く。
カナンの戦闘センスには脱帽するばかりだ。
重力を纏う剣と打ち合うには、殆どのチャクラを身体強化に回すしかない。
重力圏内で戦うには、並外れた筋力が必要になる。
(本来ならダークブレイズの炎を使った、中距離戦闘にするしかない。しかし……カナンに……殺傷能力の高い炎を撃つ……のか?)
ガルンは歯を食いしばった。
力を入れすぎて奥歯が悲鳴を上げる。
ガルンの葛藤に気づいているのか気づいていないのか、カナンは迷わず飛び込んで来る。
振り下ろされる聖剣を魔剣で受け流す。
重力で強化された剣と、まともに打ち合うのは自殺行為に等しい。
受け流すだけで、腕が悲鳴を上げる。
全ての攻撃を躱して戦いたい所だが、カナンのスピードではそれは叶いそうにない。
打ち合いを始めて、どれだけの時間がたったであろうか?
時間としてはたいして経過してはいない。
だが、その少ない時間の中で、もう何百と剣を打ち合わせていた。
ガルンの筋肉と関節が悲鳴を上げている。
二人とも荒い息を吐きながら、少し距離をとった。
「こんなに、打ち合ったのは……初めてかな?」」
「……カナンとは、ティリティースの家で打ち合ったきりだからな」
ガルンは体中の痛みより、関節の負荷に焦りを感じていた。
重力圏での戦いは、自身の体重を何倍にもする。
その上、重さを何十倍にもした聖剣と打ち合っているのだ。
斬られる前に、身体が壊れてしまう。
(チャクラを状態維持に回して、騙し騙し戦うしかない……か)
ガルンはチャクラの一つを関節保護の状態維持に回す。
そこで、ガルンは目を見開いた。
「そう……か。その可能性があった」
頭に閃いた可能性。
それはチャクラである。
チャクラとは身体に存在する構成要素の一つ、エーテル体にあるエネルギー・センターをさす。
肉体、精神体、アストラル体などを、エーテル体とリンクさせる核にもなっている。
身体を巡るプラーナの調整と活性化を司り、意識の中枢と各構成体の中継点としての役割もはたす。
チャクラを認識出来るものは、その繋がりであるエーテル体を認識出来るようになる。
エーテル体は魔術回路や精神回路と密接にリンクし、全ての構成体の影響を受けるものだ。
身体が怪我を負えばエーテル体も同箇所を傷め、精神を病めばエーテル体も病む。
しかし、逆に“エーテル体が健全な状態”ならば、身体がいかに傷んでいようと“エーテル体と同質な状態”になるのだ。
ガルンがチャクラを使い、毒や麻痺を中和していたのは、この仕組みによるものである。
毒や麻痺を受けたエーテル体を、チャクラの力で浄化していく。そうなれば影響下にある肉体の毒や麻痺も中和されるのだ。
身体強化も等しく、エーテル体を強化することにより肉体機能を飛躍的にパワーアップさせる。
これは“気”による肉体強化とは、全く意味を異にする能力だ。
(カナンのエーテル体を治せれば、カナンの精神汚染も治せるはずだ!)
ガルンはカナンの動きを警戒しながらも、カナンの稼動しているチャクラに意識を向ける。
稼動しているチャクラは二つだけだ。
喉と腹部。
それを見極めてから、ガルンは大きく深呼吸する。
汚染されたエーテル体を治すには、本来自身のチャクラでそれを浄化するのが最
も効果的だ。
それにはやはり蝶白夢でカナンを汚染し、自身にエーテル治療を行わせるのがベストな選択と思える。
だが、それが至極困難なのは立証済みだ。
しかし、その難関を突破しなくてもたった一つだけ、無理矢理エーテル体に干渉可能な方法がある。
それは--
(カナンのチャクラに直接プラーナを流し込む!)
カナンが聖剣から享受している力は膨大だ。
それを取り込む為に、チャクラは外界からのプラーナを取り込み続けている。
その流れに乗せて、浄化作用を促すプラーナを叩き込む。
可能かどうかも謎の賭けだが、可能性があるとすればこれしか方法は無い。
(上等! 分が悪い戦いは慣れっこだ!)
ガルンの魔剣に炎が燃え上がる。
本気で戦う振りをしなければ、カナンに隙など生まれない。
元より、本気で戦ってもカナンに届くかも分からないのだ。
どのみち最終手段はカナンを行動不能にして、治療術師にカムイのように任せるしかない。
「出せる手札は決まった。後は俺の命をベットするのみ!」
ガルンは全てのチャクラを励起させる。
溢れるプラーナが大地を震わせていく。
「何、独り言を言ってるのかな?! 意味分からないよ!」
カナンが正面から肉薄する。
ガルンは躊躇わずにダークブレイズを振り下ろした。
炎が剣先から解き放たれる。
カナンなら防げると信じての戦術だ。
それをカナンは面倒そうに剣で撃ち落とす。
そこにガルンが飛び込んだ。
第八のチャクラが輝く。
ダークブレイズに純黒の炎が燃え上がった。
狙いは武器破壊。
聖剣の一撃は天三輝に任せる事にした。
一撃ならば盾が防いでくれる。
盾を排除する攻撃を放った直後、そこならば確実に聖剣のみに攻撃出来る自信がガルンにはあった。
純黒の炎ならば、聖剣すら一撃で抹消できる可能性は高い。
最悪、剣を弾き飛ばすか、カナンを吹き飛ばせるはずだ。
だが、純黒の炎は危険過ぎる。カナンに当てる訳には絶対にいかない。
細心の注意が必要だ。
それを理想的に熟すには、この手順しか無いと判断する。
聖剣を破壊した瞬間の隙を付き、カナンのチャクラに掌打を打ち込みプラーナを流し込む。
それがガルンの出した最善の戦略だった。
しかし--その策略は一瞬で水泡に帰す事になる。
「なっ?!」
間合いに入った一瞬。
刹那の間に聖剣から白銀の光りが溢れ出す。
(馬鹿な?!)
ガルンが驚愕するより先に、天三輝が動く。
「無駄だよ! 滅陽神流剣法に物理防御は意味を成さないかな!」
カナンはサクラメントなどお構い無しに斬り掛かる。
瞬間的な霊妙法だ。
十分に霊威力を練れたとは思えない瞬間芸だが、人間一人殺すには有り余る殺傷能力と言える。
「滅陽神流剣法、一の裁ち・霊劫!」
白銀の剣閃が振り下りる。
完全に避けられる間合いにはない。
ダークブレイズも聖剣を打ち砕く為に、刃先を振り上げてしまっている。
神を斬る魔剣は、あっさり天三輝とガルンを突き抜けた。
地面が粉みじんに砕け散る。
吹き飛ぶガルンの跡には、大地に打ち付けられた天三輝があった。
重力剣の威力も健在だ。
目の眩む燐光のように、明滅した後の世界でカナンは渋い表情を浮かべていた。
何か納得いかなさそうな顔は、吹き飛んだ先のガルンに向いている。
そこにはカナンには予想通りだったのか、よろよろと身体を立て直すガルンの姿があった。
「さっきの妙な手応えは、霊威力だったのかな?」
カナンが感じた異質な手応え。
それは実は二つあった。
一つは天三輝に宿ったヤタの神域障壁だ。
これは天使や神族が使うのと同質の神霊力で構成されており、強力な霊的防衛能力を誇る。
そして、もう一つはガルンが精製した霊威力の壁であった。
ガルンは始めから最悪の状況を想定して、チャクラ三つを霊妙法使用が可能な状態で維持していたのだ。
相手は同じ神屠りの技を持つ剣士。対人戦闘でも使用しないとは限らない。
大多数の存在は等しく神にすら届く刃を、人間が持つとは思わない為にこの初撃で致命傷を負う事になる。
しかし、知っていれば対処は不可能ではなく、同じ霊威力ならば防御が可能なのだ。
だが、ただの霊威力と滅陽神流の技が組み込まれたモノでは質も意味も全く違う。
天三輝の神域防御は切り裂かれ、ガルンの霊威力での防御もほぼ大破していた。
「偽者の癖に霊妙法が使えるのは驚きかな? 霊威力同士の衝突は初めてだから、変な手応えだよ」
ゆっくりと近づくカナンのチャクラは、霊威力を着々と精製している。
対してガルンが霊威力精製に使用した三つのチャクラは、今の一撃で負荷がかかりすぎて止まりつつあった。
(ま……ずい)
ガルンは身体が思うように動かない事に、顔を歪める。
霊威力の防御は叶ったが、その時に受けたダメージは霊体にも及んでいた。
直ぐさま残りのチャクラで状態回復と霊威力精製を始めるが、カナンとの霊妙法使用スピードには雲泥の差がある。
そして、最も致命的な事は、ガルンにはカナンに対して真の滅陽神流の剣を放てないと言う事だ。
純黒の炎と滅陽神流剣法は致死率が高すぎる。
この二つのカードを欠いた状態での戦闘は、明らかに不利だ。
(くそ! くそくそくそ!! 駄目だ!)
全てが手詰まりに近づいていく。
始めからカナンを救うつもりで戦っていなければ、結果は違うものになっていたであろう。
拮抗した技量同士でも、必殺の一撃さえ持ち得なかったのならば引き分けにも出来たかも知れない。
今、ガルンが即応可能な反撃手段は一つしか思い浮かばなかった。
滅陽神流剣法を受ける前に、第八のチャクラを使った純黒のダークブレイズを撃ち放つ。
これならば、一撃で逆転可能な威力なのは間違いない。
(だ……めだ、不意打ちで純黒の炎を使ったら、カナンが避けきれないかもしれない……)
全ての存在を否定する黒き炎は、防ぐ事が叶わない史上最高の一撃の一つだ。
滅陽神流剣法と競り合ったとしても、もしかしたら技自体を打ち殺す事が可能なのかもしれない。
例え霊威力と言えど、この世界で使う以上はこの世界の法則に捕われるからだ。
ガルンの葛藤が、尚更チャクラの回転率を下げていく。
それを気遣うように、天三輝がガルンを守るように浮かび上がった。
その様が何か気に食わなかったのか、カナンの眉が微妙に釣り上がる。
「この盾は……本当に邪魔かな……。邪魔だよね? そうだ、ガルンの知らない技を一つ見せてあげようかな?」
カナンの顔には、面白い事を思いついたような笑みが浮かんだ。
それはまるで、蟻を潰して遊ぶ無邪気な子供のような微笑である。
聖剣から白銀の光りが零れていく。
ガルンは歯軋りしながら、ダークブレイズを握りしめた。
霊威力精製が間に合わない。
今一度、滅陽神流剣法を受ければ、即死は免れない。
「見せてあげるよ! 滅陽神の第四の剣を!」
聖剣が纏う白銀の光が、虹色に変化していく。
見慣れない光を目の当たりにして、ガルンの表情は固まった。
ガルンがグラハトから習っていた滅陽神流剣法は第三までである。
それも理論と型だけだ。
その後の秘奥は、グラハトの死によって永遠に失われたと思っていた。
だが、その次の秘剣が目の前に現れるとは。
「滅陽神流剣法……四の裁ち“无劈”(むへき)!」
聖剣の光彩が、歪んだ輝きとなって天三輝に炸裂した。
圧倒的な光芒が世界を埋める。
放たれた剣圧か、はたまた劈開した霊威力の力の余波か、ガルンは光に押し出されるように後方に吹き飛ばされた。
ダークブレイズで防御体勢を取ったのは、長年の癖に近い。
轟音と視界を焼くような光。足場が分からないぐらい回転した後には、落下した痛みより身体全身を襲う火傷のような痛みが、脳を焼くように走る。
「……!! くっ……そったれ」
意識が飛びそうになるのを気力で繋ぎ止める。
ここで倒れたら全てが終わってしまう。
それでは、パリキスも--カナンも守れない。
無理やり鋼の意志で、痛む身体をゆり起こす。
そこで目にしたものをガルンは茫然と眺めた。
天三輝が大地に転がっている。
中央に右上から斜めにひびが走り、そこから下だけが残っていた。
そして、蒸発した左方向--その先の大地は綺麗に拓けている。
跡形無く。
地平線まで遮蔽物が何もない。
率先して地下に向かったネーブルが見たのは、この未来予知ビジョンだったのだろう。
洞窟入口守備に当たっていた部隊は、どれだけの規模だったのか?
「これはね。霊威力を物理エネルギーに変換する技なんだよ? 魂を物質化する相手も存在するからね。威力は……説明はいらないかな?」
天三輝を破壊した事に上機嫌なのか、カナンの笑みには屈託がない。
神域にすら届く、膨大な霊的エネルギーの相転移変換。
物理法則を完全に凌駕する一撃は、戦争開始時に四王国全ての魔術師による一斉攻撃に匹敵する力があるだろう。
しかし、ガルンはそれを見ながらも、小さく微笑んだ。
それに気づいてカナンは少し頭を傾ける。
ガルンは大きく息を吐くと、ダークブレイズをゆっくり構える。
何故かカナンはガルンを狙わずに、天三輝を狙った。
本来の霊的攻撃技を使っていれば、勝敗は決していたであろう。
第四の秘剣を披露している間に、全身の傷みは酷いが身動き出来る程には回復する時間を得たのだ。
そして、霊威力を練り上げる時間も。
(これで……こちらも滅陽神流剣法が使える……だが……)
魔剣の剣先が僅かに下がる。
滅陽神の剣同士が衝突した場合、防御も出来ずに両者の魂が砕ける可能性も高い。
それでは意味がない。
どちらにしろ、滅陽神流剣法では一撃の威力が有りすぎるのだ。
元々、対上位存在用の技を、対人戦闘に用いる事自体、完全なオーバーキルである。
此処までの威力で殺し合をする必要性など無いのだ。
(駄目だ……。これでは……。これでは誰も救えない)
ガルンの顔に苦悩の色が広がる。
どちらにしろガルンの霊威力精製スピードでは、一撃を放つのが関の山だ。
カナンの一撃を相殺出来たとしても、次が無い。
戦うならば、先に一撃を与えて勝しかないのだ。
そこで漸くガルンは勝機に気づいた。
至極簡単な単純な戦闘手段。
始めから、対人戦闘に真の滅陽神流剣法などと言う、“オーバーキル能力を使う必要が無い”ことに。
ガルンの瞳が強く自分を見据えている事に気づいて、カナンはムッとした表情になった。
窮鼠猫を噛む気が満々なのは理解出来るが、その瞳には勝利を核心したような気迫を感じる。
(何か……する気かな? でも……させない!)
カナンが先に動いた。
機先を制するのは戦術の基本だ。
しかし、その動きは予想外のガルンの行動で硬直する。
「っ!?」
カナンは唖然と目を見開いた。
ガルンはこの場で、何と霊妙法を解いたのである。
それどころか、ダークブレイズをカナン目掛けて投げつけたのだ。
疑問でカナンの思考が占領される。
ただ、反射的に自分に投擲されたダークブレイズを聖剣で斬り落とす。
無意識に反応してしまったのは滅陽神流剣法。霊威力を纏っているのだから仕方が無い。
聖剣は迫りくる魔剣を呆気なく両断した。
使用者のいないダークブレイズは、伝説級の硬さの剣でしかない。
霊威力使用の滅陽神流剣法と、重力付与状態の聖剣の前では儚い存在だ。
だが、カナンの迎撃モーション。
ただ、それだけを引き出すのがガルンの目的だった。
カナンの眼前にガルンがいた。今度こそ疑問も挟まぬ驚愕に目を見開く。
それは至極単純な話であった。
ガルンがカナンに勝っているものはたった一つだ。
それはグラハトがガルンを後継者に選んだ理由でもある。
単純かつ明確な差。
それは--圧倒的なチャクラ数だ。
低下中の三つを含めなくとも、霊妙法を捨てたガルンの今使えるチャクラは五つ。
対してカナンの現在使用出来るチャクラは二つ。
それも、一つは霊妙法で占有してしまっている。
となれば実質のエーテル強化に使えるチャクラは一つしかない。
聖剣の加護があっても、その差は歴然。
ガルンは霊妙法を捨てて、全てのチャクラをエーテル強化に回したのである。
接近して掌打を打ち込む。
たったそれだけに、全てのチャクラを投入したのだ。
ただ一撃に賭ける修羅。
強固な魔剣を打ち払うために、聖剣を振り下ろしてしまったカナンには迎撃不可能な速度。
ガルンの掌低は綺麗にカナンの臍、外気を取り込んでいるチャクラにクリーンヒットした。
「目覚めろカナァァン!!!」
裂帛の気合いと共に、有りったけのプラーナを流し込む。
ガルンの渾身の一撃は、そのままカナンを遥かに後方に吹き飛ばしてしまった。
実際は音速越えの超移動の後に起こった、衝撃波の波が吹き飛ばしたと言っても過言ではないが。
確かな手応えを感じながら、ガルンは荒い息を吐きながらその場に片膝をつく。
カナンの行方を追おうとして、視界が真っ暗で何も見えない事に気がついた。目に妙な圧迫感を感じる。
チャクラ八つでの脚力強化は初めてだ。
身体にかかった強烈なGの為か、目が光を認識していない。
身体の関節もガタがきている。
音速越えの超スピードを行うには、人間の身体では脆過ぎると言えよう。
「くっ……。カナン?」
音で情報を得ようとするが、どちらかの鼓膜が破れている為かよく分からない。
とにかく状態復帰にチャクラを総動員する。
しかし、今は天三輝のリジェネーションも無い。
全体のチャクラの回転率も半分に落ちてしまっている。
今、敵に襲われたらガルンにはなす術が無いだろう。
「ガルン……?」
微かに遠くにカナンの声が聞こえたような気がした。
おかしくなった耳では、全く距離感が把握出来ない。
「大丈夫かカナン!」
「なんか、身体全身が痛いかな? 特に腹部?」
「はっ、俺なんかカナン以上に満身創痍だぜ。それぐらい我慢しろ」
「何が……どうなってるのかな? 意味分からないかな?」
不思議そうな返答に満足したのか、ガルンの顔に皮肉な笑みが見える。
正気に戻ったと言う、心からの安堵からか全身に酷い虚脱感を感じた。
満身創痍は冗談ではないのだ。
五感どころか殆どの戦闘感が鈍った中では、接近する足音を理解出来なかった。
ゆっくりと近づくカナンの足音を。
その手の中の聖剣からは、白銀の光が漏れだしている。
空気を震わす、肌寒い霊気も感じ取れない。
「大丈夫かなガルン? そんな身体じゃ辛いよね? 今からカナンちゃんが楽にしてあげるよ。楽に」
振り上げられる聖剣。
しかし、今のガルンには何も感知出来ない。
唸る白銀の光も、振り下ろされる聖剣も。
世界を凍てつかせる莫大な霊威力が、一際輝いた事も。
薄暗い洞窟内部に、動揺したどよめきが巻き起こった。
理由は単純明快。
パリキスが倒れた為である。
「大丈夫ですか殿下!」
「早く司祭様を呼べ!」」
「直ぐに移動用の獣魔を呼び出せ!」
ざわつく真っ只中で、パリキスは腕を上げてそのざわめきを制する。
「大丈夫じゃ。この騒ぎを前線には伝えないように徹底してたもれ」
そう呟くパリキスの顔は蒼白だ。脂汗も浮き出ている。
とても普通には見えない。
「姫様……、やっぱり無茶し過ぎ」
真横で支えるスピカの顔には、心底心配そうな表情が張り付いている。
胸を手で押さえながらも、パリキスはニッコリ笑みを浮かべた。
「本当に大丈夫。わらわは平気じゃ。しかし……少し無理をしたようだな。少々、休むことに……しよう」
激しく動機する鼓動を感じながら、パリキスはその場に腰を降ろした。
(天三輝が……哭いている。この膨大な力の損失は……ガルン?)
ざわめく周りの声が、心地好い眠り唄のように聞こえる。
気丈に張っていた意識が、いきなり失った膨大な神霊力に引きずられるように消えていった。
(これは参った……)
薄暗い闇を抜けて、ようやく見つけた光は魔術の炎だった。
騎士たちと餓鬼たちとの壮絶な戦いが見える。
危険な場所をひたすら回避し、命を脅かす状況を避け続けてきた。
一緒に来た兵士を捨て、最善の選択を選び続ける。
しかし--それも限界を向かえていた。
未来を予測し最善の道を歩み続けるには、少なからず選ぶべきルートが必要である。
その選択する未来事象が激減していく。
すぼめられた未来の世界樹には、腐り落ちていく終焉しか残ってはいないのだ。
最善を進んでも、迫りつつある最悪の未来。
それを回避するには今いる世界を棄てるか、新たなファクターによる新世界を構築するしかない。
もしくは--今いる世界自体を破壊するか--。
パリキス護衛軍に合流したネーブルは、絶滅仕掛かった部隊にいる時よりも、最悪の未来が近づいたような予感に苛まれた。
(私は……、私は死なない! こんな穴蔵で死ぬものか!)
通り抜けてきた、背後の道から悲鳴が聞こえてくる。
ネーブルは舌打ちすると、仕方なく残された道に足を踏み出した。




