月の無い空に世界蛇は哭く 参詞“英雄騎士”
洞窟には爆音が響いていた。
突き進む一団が、暴風さながらに巻き起こす騒音。
入り組んでいるが、洞窟の内部は鍾乳洞のように開けている。
実際、空間としては快適だが、罠をしかけるなど、防衛拠点と考えると余り優れた構造では無いと言えよう。
実際、潜んでいた冥魔族は一瞬でその存在を看破された。
待ち伏せをするにしても適した地形とは言えないが、的確に所在を見つけられたのは別の理由だ。
それは、精霊の眼と呼ばれる反則技のお陰である。
「十時方向に三組。二時方向に二組!」
洞窟に声が響く。
言い放ったガルンはダークブレイズを振り下ろした。
放たれた轟炎が洞窟を照らす。
左方向で冥法による防御壁がニ層展開され、炎を遮った。
それを皮切りに、餓鬼が
顕れる。
しかし、それを予測していたように、人影達は一瞬で対応を始めていた。
アズマリアが地面に手を着く。
正確には自身の影であり、その中に腕が消える。
それと同時に餓鬼達の足元から、影の触手が現れた。
一瞬で影の網が餓鬼をその場に縫い付ける。
「大気に普く風の精霊。我が鉾となりて、立ち塞がる壁を突き崩せ! バースト・プレッシャー!!」
グレイの風の魔術が中央の餓鬼を大地に叩き付けると、その隙間を縫う様に無名が飛び込んだ。
冥魔族は眼の前に滑り込む敵を見つけて、直ぐさま冥法を唱える。
しかし、その視界はいきなり真っ赤に染まった。
固まる冥魔族の耳に声だけが響く。
「立ち止まったな。 その隙を打ち砕く!!」
「心意象合拳・裏門頂肘!」
「滅陽神流剣法・無式三十六型“月穿ち”」
餓鬼の間に滑り込んだのは無名だけではなかった。アカイとガルンもだ。
三人の連携技が冥魔族を見事に切り崩す。
左側に潜んでいた仲間が瞬殺されて、慌てて右側の冥魔族が姿を現した。
「冥法水咒“走る津波”!!」
最速の妖術は、しかし、同じく最速の力が迎え撃つ。
洞窟に鳴り響く美声。
エンジェルハウリング。
天詞神紋と呼ばれる高速神聖魔法が、五芒星の魔法障壁を三層作りだし、それを無効果する。
得意満面のレッドレイの背には、世にも美しい天使のソロが奏でられていた。
その横で、クライハルトの構えた天獄剣が姿を変える。
“翼命剣”
翼に酷似した剣を構えた眼前に、餓鬼が迫る。
しかし――
「天地・転」
クライハルトの呟きの後には、餓鬼達は揃って右側の洞窟の壁に減り込んでいた。
軸空間移動。
呆気に取られる冥魔族に、部隊の中央に陣取るライザックがシールドソーサーを撃ち放つ。
神聖魔法が付与されているらしく、盾には数層の立体魔法陣が備わっていた。
「冥法空咒“逸脱の壁”」
冥魔族の眼前に大気の壁が生まれ、シールドソーサーがそれに捕まる。
だが、それは予想の内だ。
ライザックはハリイツ達の戦いで、その力が呪術に近いことを身を持って知った。
腕の蘇生にも、メルテシオンの司祭の力を借りなければ呪いが解けなかった程である。
普通の人間ならば、その恐怖から心が折れても不思議ではない。
しかし――彼は信者である。
自身の信じる神の為に、命を捧げる覚悟は出来ているのだ。
ならばこそ、ライザックの信念は揺るがない。
そして、今回持ち出したシールドソーサーは特別製だ。
パリキスに聖別して貰った特注品である。
「シャルシャッハ・クゥオル・ツレイツェン! 我望むは聖なる鍵。戦神国の門を開きて、眠りし勇士を解き放つ! そは戦極の刃。スパーダ・アルミリテッツェ!」
ライザックの呪文が完成した。
シールドソーサーから青い光が放たれる。
端から見れば、それが巨大な矛に見えるだろう。
戦律神アレスマキアの固有魔術。
神性武装具現化魔法。
戦律神アレスマキアの眷属が持つとされる武器を、この世界に召喚、もしくは具現化させる特殊魔法である。
ライザックの神霊力では、槍の矛先を数秒具現化させるのが限界だが、数秒あれば事が足りる。
神属性の武器がこの世界に顕れた時に発生する、膨大な事象エネルギーこそが目的だったからだ。
矛先が顕れたのは一瞬だが、その具現化現象によって発生した膨大な存在エネルギーが、冥法で生まれた大気の壁を霧散させる。
シールドブレイク。
相手の魔法障壁を打ち破る為だけの戦法だったのだ。
防壁が消え去った隙に、クライハルトが一瞬で肉薄する。
慌てて次の冥法を唱えるが、それは既に後の祭りだった。
翼命剣が羽ばたく。
洞窟の側面に、濡れ雑巾を叩き付けたような妙な音が響いた。広範囲に血煙が飛び散っている。
「脆いな」
クライハルトがそう呟いた時には、冥魔族二名の上半身は綺麗に消失していた。
「ヘッドハントは終了だ。先を急ぐぞ!」
洞窟に響いたのはアズマリアの号令だ。
それに直ぐさま反応して、彼等は残された餓鬼を無視して直ぐさま走り出した。
ガルン達突入部隊の対冥魔族戦術は実にシンプルである。
索敵能力の高いガルンが、敵位置を報告しながら牽制攻撃。
続いて第二陣の中距離攻撃班が、餓鬼の足止め。
その隙に前衛が冥魔族に突撃し、アカイのレッドインパルスで目くらましをかけて瞬殺である。
後衛はそれでも取りこぼせば追撃。基本は他の敵の牽制、防御だ。
敵数が少なければ、後衛のみの各個撃破も計算内である。
餓鬼は主たる冥魔族を失うと暴走状態に陥る。
不死性が高く物理攻撃に強い厄介な相手だが、暴走すればその場で暴れ回るだけだ。
主がいなければ追撃も無い。
後軍には邪魔だが、無視が一番効率が良いのだ。
ガルン達一行は冥魔族を瞬殺、餓鬼は無視。
このパターンで最速で先を進んでいた。
本来、まともに戦うと驚異の冥魔族も、これだけのメンバーが部隊として機能すれば勝てない相手ではない。
問題となるならば、それは確実に冥魔黎明衆であろう。
洞窟を走りながらライザックが疑問を口にした。
「質問ですが、ガルンが戦った冥魔黎明衆は脅威ではあれ、今は弱体化しているので戦いようがあると判断します。しかし、問題はブルースフィアを倒した方。テレポーターなど、どうやって相手をすればいいのでしょうか?」
それを聞いて、アズマリアがライザックに顔を向ける。
「テレポートや転移能力は確かに強力だ。まともに戦うのは分が悪い。だが、対抗出来ない訳ではない。そうであろうクライハルト?」
いきなり、問われてクライハルトは目を細めた。
空間移動能力を持つクライハルトは、確かに擬似テレポートが可能であり、そのメリット、デメリットには気付いている。
それを伝えるのは吝かではないが、敵対意識のあるガルンがいるのが気に食わないのだ。
「瞬間移動は空間操作能力の中では、タイムラグゼロで使えるから、かなり使い勝手の良い部類にカテゴライズされるが、完璧って分けじゃない」
と、答えたのはクライハルトではなく、グレイだった。
少し驚いた表情で、右前方を走る青年にクライハルトは視線を向けた。
全員の耳もそれに集中する。
「瞬間移動は、本来は物体転移にカテゴライズされる能力だ。物体を別座標に飛ばす訳だが、いくつか条件がある。先ず記憶にある場所か、見える範囲にしか転移出来ない。千里眼でもあれば話は別だが、知らない、見えない場所には跳べない。物体の押し出し作用はあるが、適当にテレポートして岩盤の中にでも入ったら、作用で逆に潰れるのは本人だからだ」
物体の押し出し作用とは、転移先に質量がある場合、それより外側に座標がズレる現象である。
だが、転移先の質量があまりに膨大な場合は、ズレる距離は取れずに、硬い方が座標位置を占領するのだ。
人間と岩では結果は明らかである。
「それにテレポート自体はタイムラグゼロだが、使用者自身の時間はゼロじゃない。視界変更による状況確認、座標のズレ、重心と足場の把握、転移先で捉えなければならない情報は膨大だ。瞬間移動や加速能力は優位だが、それに頭の処理速度が間に合わなければ、完全に使いこなしているとは言えない」
「……グレイの回答は正しい。テレポーターは移動後に認識時間が存在する。その瞬間に索敵は可能だ」
クライハルトの声には疑問の口調が張り付いていた。
この事実は、テレポートかスペース・トランジション能力を経験していないと理解出来ない事実の筈である。
となれば、結論は一つしかないのだが……。
「“気”や魔力などで、相手を広範囲で索敵可能ならば、後手ではあるが対応は不可能では無い。それに空いた空間に質量が現れるには、必ず重力振動が起こる。地属性専用の結界でもあれば、テレポートは看破可能なのだがな……」
話しに割って入ったアズマリアは、小さく舌打ちした。
後述の能力ならば、地属性魔法か精霊使いが必要となる。だが、この場にはそれを使える程の熟練したメンバーがいない。
(感知は可能……。そう言う事か)
ガルンはクライハルトとの戦いを思い出した。
存在の光が二つに思えた事を思い出す。
クライハルトの場合は、空間移動した残像の様なモノだが、テレポートも似たような現象になるのは予想が出来るだろう。
いきなり現れた気配がテレポーターと言う事になるのだが、相手の認識タイムラグは数秒しかない。
相手が熟練になればなるほど、そのタイムラグは限りなくゼロに近づき、隙が無くなっていく。
その認識時間に対応が出来なければ、限りなく勝利は遠退くと言える。
「先に、我が今までテレポーターと戦った経験から、対応策を伝えておく」
アズマリアはさらりと告げるが、テレポーターの数はかなり希少だ。
戦闘経験が有るのは年の功と言うしかない。
「第一にテレポーターは死角に回る癖がある。当然ながら、容易に相手の背後を取れるのだから当然の動きだ。第二に常に動き回ること。動き続けていれば、相手の状況把握時間の分、距離を取れる。第三に持続時間の長い攻撃を空間に垂れ流しにしておけ。出来れば広範囲、全周囲攻撃が可能ならば、わざと隙を作って“置いて”おけ。接近してくれれば、勝手に相手が当たってくれる」
とんでもない難度の回答をサラリと告げる。
「置いておくとは、どう言う意味だ?」
アカイが素直に疑問を聞く。
理解出来ない事を、直ぐに聞くのはアカイのスタイルだ。
「簡単な話だ。回りが火の海だとして、自らそこに飛び込む馬鹿はいるか?」
「なるほど。牽制だな」
「そう言う事だ。危険な場所には流石にテレポートは出来ない。地形効果も有効だ」
アズマリアのアドバイスに全員納得する。
煮えたぎる熔岩の上に、好んで飛び降りる馬鹿はいない。
理屈はそう言う事なのだろう。
「ちょっと休憩希望」
唐突に声を上げたのはグレイだ。
「出来れば私も」
釣られて弱音が出たのはライザックである。
そこで全員が足を止めた。
ガルンは露骨に苛立った顔をする。
「止まっている時間はない!」
「まあ、まてガルン。ここでの疲労は尾を引く。無理は禁物だ」
真横の無名が荒い息を整えながら呟いた。
確かに全員息が上がりつつある。
冥夢の幻域の虚脱感は半端ではない。
突入してから半刻程しかたっていないが、既に登山後のようなけだるさだ。
ライザックの体力増幅魔法と対魔術を使っているが、それも気休め程度でしかない。
それなりに平然としているのは、チャクラで状態維持に努めているガルンと、元々の能力値が高いアズマリア。
そして、天使の加護があるクライハルトとレッドレイだけだ。
他の人間の生命吸収状態よりはマシだが、先の四人も刻一刻と力を奪われ続けているのには違いが無い。
休んで体力がどれだけ回復出来るかも、冥夢の幻域内では謎である。
全員が息をつく中、急にアズマリアが洞窟奥を振り向いた。
神妙な顔付きに変わるのを見て、全員が直ぐに戦闘態勢に移る。
「血の臭いだ……。これは人間だ」
アズマリアが向かう薄暗い先には、幾人もの死体が転がっていた。
先行した部隊のどれかと判断出来るが、死亡している連合軍の数が多すぎる。
辺りを警戒しながら、ガルンは精霊の眼を発動させた。
「!?」
茫然と固まるガルンに、横にいた無名が眉を寄せる。
瞬間、無名の顔色も変わった。
いきなり走り出したガルンに、他のメンバーが目を見張る。
「どうしたガルン?!」
グレイの声が掛かるが、それを無視してガルンは奥に向かった。
百メートル程先で、ガルンは奥歯を噛み締めて足を止める。
そこには血まみれの竜人が壁にもたれ掛かっていた。
「なん……とか、もった……な」
口を開くと、竜人は軽く嘔吐した。
血痕が地面に広がる。
「喋るな白き銀嶺! ライザック! レッドレイでもクライハルトでも良い! 直ぐに来てくれ!!」
ガルンは慌てて叫ぶと、竜人――白き銀嶺の傷を確かめる。
袈裟斬りの刀傷と、右腕の肘から先と右足首切断が酷い。辺り一面血の海だが、それよりガルンが顔を強張らせる、1番の理由があった。
魂が砕けかけている。
竜人の耐久性ならば、この傷でも十分回復可能であろう。
しかし――それが霊体ダメージとなると話は別だ。
どうやら無理やりチャクラを使って、瀕死の状態の生命活動の維持と、霧散するエーテル体を固定していたようだ。
「気にするなガルン。どのみち我は……もう持たない」
「喋るなと言った。あいつらは神聖魔法の使い手だ。なんとか……させる」
ガルンはマントの端を引きち切ると、体の傷口を覆う。
白い王宮近衛騎士の生地は、一瞬で真紅に染まる。
ガルンの言葉に、白き銀嶺は苦笑いを浮かべた。
自分の深刻なダメージは、目の前の少年が1番理解出来ている筈なのだから。
「無理だな……。分かっている……筈だ。神を屠る剣の威力は絶大だと」
「……?!」
ガルンの手が止まる。
考えたくない答えは、始めから出ていたのだ。
白き銀嶺の刀傷には、余りに見覚えがある。
まるで自分の太刀筋と瓜二つの傷痕に。
沈黙するガルンに、白き銀嶺は優しく笑いかけた。
「この惨状……は彼女のせいでは無い……。カナンは操られている」
「……?!!」
目を見開くガルンの横に、ようやくライザック達が駆け付けた。
辺りを警戒して、アカイとクライハルトは前後の道に備えている。
「これは……酷い」
ライザックは顔をしかめてから神聖魔法を唱え出した。
「無駄な力を使うな。こいつは助からん」
死神の宣告に全員が顔を向けた。
停滞なくそう告げたのは、腕組みしたアズマリアだ。
「なっ、んだとぉ?!」
立ち上がろうしたガルンの腕を、白き銀嶺の手が掴む。
何か言いたそうなガルンに、白き銀嶺は首を振って制した。
「聡明だな竜人。今は情報が最優先だ。死ぬ前に言いたい事は、告げて逝け」
流石に今の台詞は看過出来なかったのか、数人の目付きが変わる。
「それはあんまりではないか?」
「同感だぜ。あんた鬼か」
「……戦士への礼は無いのか?」
複数の視線が射るようにアズマリアに突き刺さるが、何の感慨も沸かないのか無表情のままだ。
「貴様らこそ、戦士の誇りを汚すな。白き銀嶺は我らに現状の情報を伝えるために、魂が砕けるような痛みに耐え抜いて存命を選んだ。その意味を無駄にするな」
吸血鬼の瞳が鈍く光る。
その瞳には絶大な威圧感が伴っていた。
上に立つ者には資質が必要だ。
例えそれが非道と取られようと、勝利のためには血塗られた英断を下せる資質が。
「彼女の判断は正しい。死ぬ相手に無駄な力を使うのは愚かな行為だ。ただでさえ、この地下では魔力が足らない……」
見張りに立つクライハルトは、白き銀嶺を見もしないで淡々と賛同する。
「二人の……意見は正しい。助からない者に、無駄な労力を……使う必要も無い」
白き銀嶺はそう呟くとガルンを見つめた。
瞳に力が無い。
見えているのかも疑わしいイメージだ。
「冥魔黎明衆が三人いた。一人は例の……ハリイツと名乗った者だ。残りの二人は既知外の冥魔族……邪悪な笑みの老人と……赤い髪の女だ」
白き銀嶺は地上戦でブルースフィアを屠った冥魔族を知らない。
赤毛の冥魔族とは、その女であろう。
「この惨状は、老人の冥魔族の力……だろう。全員が発狂したよう……に殺しあった。我はその精神攻撃に打ち勝ったが……残念ながら、カナンは敵の術中に嵌まった……ようだ」
「精神……支配系の能力か」
ガルンは先に戦った妖彗王と呼ばれた妖魔を思い出す。
初見でアレを防ぐのは不可能に近い。
「奴らはカナンを連れて地上に向かったようだ。巨大な……生命炉を見つけたと言っていた」
「生命炉?」
不可思議な言葉に全員首を捻る。
だが、直ぐにその意味に気付いた。
ガルンの顔色が変わる。
珍しくアズマリアの顔も歪んだ。
冥魔族は生命力を吸収する稀有な一族だ。
彼等にして見れば、人間など粗末な食事程度であろう。
しかし、地上には極上のメインディッシュが存在する。
まるで月が地上にあるかのような、莫大な神聖力の塊が。
「奴らの目的はパリキスか!!」
ガルンは地面に拳を叩き付けた。
全ての歯車が最悪な方向に回り出したような、嫌な予感が走る。
「今から……戻りますか?」
ライザックが不安そうにアズマリアを伺う。
アズマリアは渋い顔をしたまま、地面を睨み付けていた。
最悪の選択がいきなり出現したようなものだ。
アズマリアの天秤が珍しく揺れる。
冷徹な吸血鬼の、唯一のウィークポイントなのだから仕方がない。
悩む矢先、行きなり横揺れの振動が走った。
全員、器用にバランスを取る。
「何だ今の揺れは?」
「……邪悪な妖気が充満しだした」
グレイの呟きに、クライハルトが答える。
「始まっちまったようですね。闇染作戦の第二フェーズ」
レッドレイは赤い髪を、ワサワサと掻きむしった。
露骨に顔に嫌気が出ている。
天使の加護を持つものには、邪悪な気配は察知しやすいのだろう。
「予定より早過ぎるな?」
「進まない進軍に、ごうを煮やした馬鹿がいたのだろう。これで撤収も容易には出来なくなった」
アカイにそう答えると、アズマリアは洞窟の奥を睨む。
「我らは霊脈中枢を目指すぞ」
アズマリアの決定に、流石にガルンが異を唱えた。
「待てよ! 冥魔黎明衆に、奴らに操られたカナンが向かったんだぞ! 半端な戦力では対抗できない!!」
「……姫の周りは王宮近衛騎士団が固めている。彼らを信じるしかない」
「……!!」
アズマリアの判断にガルンは凍りついた。
向かったのはハリイツに、精神支配系の能力者にテレポーターらしき冥魔族。
それにカナンだ。
現在、パリキスの直衛の王宮近衛騎士は三人しかいない。
噂の英雄騎士がいるとは言え、既に四対三で不利な状態だ。
これにハリイツの幽冥獣がいないとしても、残り二人の凶悪な幽冥獣が付属されるのは間違いない。
闇染作戦のパリキスを囮に使うと言う作戦は、労せずとも成功した形になってしまった。
これでは飴に群がる蟻のように、パリキスに冥魔族が集中する恐れもある。
固まっているガルンに、アズマリアは決定事項のように言葉を続けた。
「どのみち闇染作戦の第二フェーズは発動してしまった。このまま引き返しても、暴走状態の餓鬼と、千眼の魔神の一部と戦う事になる……それではまるで時間が足らん」
「だが! これでパリキスが死んだら、この強襲作戦自体意味が無い! パリキスの援護に人間を回すべきだ!」
ガルンの言葉に苛立ちを感じたのか、アズマリアはガルンの胸倉を掴むと吸血鬼の膂力で、軽々と持ち上げた。
「救援に行けるものなら、等の昔に向かっている!! 無駄な事に人員は避けないのが分からないのか!」
アズマリアの顔には苦渋の表情が浮かんでいた。
珍しく乱杭歯を剥き出しにしている事から、心底憤りを感じているのだろう。
「あっ、実は戻れますよ」
横合いからサラリと声をかけたのはレッドレイだった。
全員の視線がレッドレイに向く。
「……!! 貴様!」
クライハルトが何故か渋い顔をしているのは、その事実を知っていたからだろう。
「どう言う事だ?」
アズマリアは瞳でクライハルトを牽制しながら、レッドレイに答えを求めた。
全員、同じ疑問だろう。
「パリキス殿下の元には無理ですが、天翼騎士団の元になら転移が可能って事ですよ。天使同士の共鳴を利用して、位置を特定。かなり神霊力を消費しますが、天翼騎士団のいる地上に転移魔法を使用は可能です」
アズマリアは顎に手を当てて俯いた。
転移魔法。
空間と空間を置き換えて、内在物質を移動する最高位の移動手段である。
アズマリアも転移魔法を実は使えるのだが、それは決まった座標の儀式処理した場所にのみだ。
それだけ転移魔法は繊細で難易度が高く、莫大な魔力を必要とする。
高等魔術にカテゴライズされる由縁もそこにあった。
本来、霊脈の力を利用しなければならない程、並外れた魔力量が必要なのは、語る必要も無い魔術の常識である。
実はクライハルト達が、この潜入部隊に派遣された真の理由はこれにあった。
地下深くに進入し、ガルンたち先行部隊が困難に陥ったら、天翼騎士団をその場に呼び寄せる。
地下進攻の無駄な力をカットし、時間と距離をショートカット。
十分な余力を持った天翼騎士団が後を引き継ぐ。
地上に冥魔黎明衆が向かったのならば、尚更作戦は成功に近づいたと言えよう。
そこでガルンは彼らに神誓王国メルテシオンのある西方大陸に、拉致されて連れて来られた事を思い出した。
あの時も、転移魔法で常識はずれの距離を移動したのだろう。
そう考えれば、彼らが転移魔法が使える事は当然と言える。
「あの狸が……」
アズマリアは何故か不敵な笑みを浮かべた。
やり方は気に食わないが、十分有効な作戦だ。
自分達しかいないと思っているガルン達が、死に物狂いで進攻するためにも、事情を話さない方が効果的なのも頷ける。
後に天翼騎士団が控えていると意識してしまっては、その進攻速度と距離は大きく変わるだろう。
ロイドルーク・アルダーク。
天翼騎士団団長に任命されているのは伊達ではないのだ。
クライハルトとレッドレイのツーマンセルも、いざと言う時のバックアップだ。
どちらか一人が健在ならば、転移ゲートは開けると言う寸法である。
「どう言うつもりだレッドレイ?」
クライハルトの詰問に、レッドレイは軽く肩をすくめた。
「この戦いに勝っても、パリキス殿下を失ったらメルテシオンの損失は計り知れない……って判断さ。まあ、団長にも、そこら辺は言い含められていてね」
アルダークのお墨付きのせいか、レッドレイには悪びれた所は無い。
「それ……なら、カナンと……姫を助けにいけるな……ガルン?」
白き銀嶺の切れ切れの声を聞いて、ガルンはアズマリアの手を振り払った。
「そうだ! 地上に行けばパリキスがいる! パリキスなら白き銀嶺の怪我も治せるかも知れない!」
「確かに……我々では無理でも、姫ならば治癒可能かもしれない……」
ライザックは希望の光を見つけた医師のように、アズマリアに顔を向ける。
視線を向けられた少女は、白き銀嶺を見つめたまま弾かれた腕をゆっくり下ろした。
「転移の往復は可能なのか?」
アズマリアの問いにレッドレイは首を横に振る。
「無理ですね。天使の力は膨大ですが、この地形効果のせいで減衰した俺の神霊力では二回は難しい」
「クライハルトは?」
いきなり言葉を投げかけられたが、クライハルトは即答する。
「可能だが、私の知ったことでは無い。与えられた任務が最優先事項であって、貴様らのプランなど眼中には無いからだ」
断言に全員が言葉を失った。
確かに作戦としては間違っていないうえ、クライハルトの意思は揺らぎそうも無い。
となれば――
「片道切符か……」
アズマリアは眉を寄せて呟いた。
引き継ぎに天翼騎士団が来るならば、戦略は自ずと違ってくる。
本来、イレギュラーを作戦に組み込むのは、指揮官としては無能な部類に入るが、アズマリアは合えてその戦略をとることに決めた。
「最低人数だ。レッドレイはガルン、無名、白き銀嶺を連れて地上に帰還。姫を護衛しろ! こちらはファイブマンセルで進撃する。一点集中のストライクマーチ陣形だ。トップフロントをアカイ、セカンドフロントを我が、センターをクライハルト、バックウイングはグレイとライザックだ。これからは時間との戦いだ。停滞は無い。常に思考し、先の先を取れ! いいな!」
「了解」
と、全員がハモって了承する。
「姫は頼むぞ」
アズマリアはガルンにそう告げると、侵攻部隊の陣形を引き始めた。
「さあって、ささっと戻りますか」
そう呟きながら、レッドレイは魔法円を地面に築く。
それと共に、レッドレイの背に天使が浮かぶ。
口を開くと、低いが澄んだ歌声が洞窟内に響いた。
これで地上の天使と共鳴しているのだろう。
それが出発の合図のように、アズマリア達先行部隊が走り出した。
目指すは深部、霊脈の集約地。
それがどのような魔術的神殿か祭壇になっているのかは、ガルン達には分からない。
だが、それを壊さなければ、冥魔族のこの世界への侵攻は止まらない。
「とりあえず魔法円に入ってくれ、質量と座標軸を固定する」
レッドレイの指示に従い、大地に画かれた幾何学的な円の内部に、まずは無名が入る。続いて、白き銀嶺に肩を貸してガルンが向かう。
その時だった。
洞窟を揺らす振動が走ったのは。
「!?」
四人が同時に後方の天井が崩れるのを見た。
ゆったりと見たくも無いのものが、ボトボトと落ちてくる。
それらは妙な奇声を発して、ガルン達に幾つもの視線を向けた。
「なっ……!? 餓鬼だと」
愕然と次々に現れる餓鬼を見つめる。
明らかに狂っている。
マスターを倒して暴走した筈の餓鬼達だ。
暴走しても、生命体としての本能は失ってはいなかったのだ。
近くに高純度のエネルギーの塊がいれば、引き寄せられるのは当然と言えよう。
「天使の声に惹かれて集まったのか……」
無名がチラリと天使を見上げた。
地上まで届かせる事を前提とした歌声は、地下にも響き過ぎたのだ。
「まずいぜ、こりゃ……もう転移魔術の実行フェイズは始まっている。これを崩されると……、次に魔術を使うには時間がかかる」
レッドレイが苦虫を潰したような声を上げる。餓鬼を集める結果となったのは、流石に想定外だったらしい。
「ここは……我が引き受ける」
その声と共に、ガルンは魔法円の中に突き飛ばされていた。
「白き銀嶺……?!」
ガルンは直ぐさまバランスを整えると、直ぐに外に出ようとした。
しかし、その腕をいきなレッドレイに掴まれる。
訝しげにガルンは腕の主を睨み付けた。
「何のつもりだ、離せレッドレイ」
「駄目だ。一度入った質量を変えると、座標先に誤差が生じる。地上には出るだろうが、急いでいる今は命取りだ」
ガルンの目に怒りの色が浮かぶ。
それを見て、腰の低い男は珍しく舌打ちした。
目に怒りの色が浮かんだのは、こちらも同様だ。
「甘えるな糞ガキ、テメェーは死にかけの命と、パリキス姫の命とどっちを優先するきだ」
「っ……!!」
ガルンは掴まれた腕を払えなかった。
その場で固まる顔には、葛藤が浮き彫りになっている。
「竜人、十五秒は稼げ」
レッドレイは周りに展開する餓鬼を冷ややかに眺める。
「了解……した」
白き銀嶺はそう呟くと、その場に失った足首の先を大地に突き刺した。
そのまま腰を落として、拳を引く。
まるで大地に根を張った巨木のようだ。
それを見て、餓鬼は白き銀嶺を邪魔な障害と判断したのか一斉に飛び掛かった。
豪声。
白き銀嶺の雄叫びが世界を埋める。
ドラゴンフィアーを引き起こすには、十分な咆哮が洞窟に響き渡る。
むろんハウリングマジックによる、ドラゴンロアーだ。
巻き起こった爆風が、飛び掛かった餓鬼を全て吹き飛ばす。
まるで洞窟内部を洗い流す、洪水のような勢いだ。
しかし、後方の餓鬼はそれを見計らっていたように背中の針を地面に突き刺すと、針の一部を竜人に向ける。
その切っ先は完全に白き銀嶺を捉えていた。
それに気付いてガルンが声を上げる。
「避けろ白き銀嶺!!」
張り上げた声は、虚しく空気に溶けた。
突撃槍の様に、数体の餓鬼から針が伸びる。
それは、いともたやすく白き銀嶺を貫いた。
幾重もの針に突かれながら、白き銀嶺は吐血しながらも小さくほくそ笑む。
「龍勁機甲・虚空震功!!」
白き銀嶺の左腕が唸る。針を上から叩き割ると、その亀裂はまるで蛇の様に根本に遡り、餓鬼達の身体はそのまま真っ二つに切り裂いた。
始めから白き銀嶺は防御を捨て、残った左腕で攻撃する事だけを考えていたのだ。
だが、本来即死の一撃も、不死の餓鬼には通じない。
真っ二つになった身体が、まるで何事もなかったように、ゆっくりとくっついていく。
流石にガルンは我慢の限界を迎えたのか、レッドレイの腕を振り払うとダークブレイズを構える。
しかし――その姿は淡い輝きと共に一瞬で消え去ってしまった。
洞窟内部を照らしていた魔法円が消えると、辺りの明度は一気に下がる。
かなり薄暗くなった中で、白き銀嶺は満足そうな笑みを浮かべた。
ガルン達が転移したのを、振り返らないでも確認出来たのは有り難い事だ。
(さて……、世界の命運を彼らだけに任せるのは忍びないが……)
洞窟内部には獲物を失った狩人たちが、うごめく音が響いてくる。
(ガルン達ならば、必ず勝利すると信じるのみ)
白き銀嶺は再び雄叫びを上げた。
それは、ごく普通の咆哮であった。
自身を喚起させる魂の咆哮。
「我は白銀候シルバーレイの一の下臣、白き銀嶺!! 我が拳に全てを乗せ、推して参る!!!」
それが、白い竜人の放つ、最期の咆哮だった。
世界がいきなり光に包まれた。
目に入る光源の強さに瞳孔が追い付かない。
そして、いきなり失った平行感覚と存在の位置情報の狂いが吐き気を催す。
ガルンは目を細めて、深呼吸する。
洞窟の薄暗さに馴れた瞳は、ようやく天の光にピントを合わせる事が出来た。
「大丈夫かガルン?」
無名の声が認識を覚醒する。
目を見開いたガルンの前には、メルテシオンの大部隊が広がっていた。
「……!!」
空間転移は成功し、ガルン達は天翼騎士団の在籍する、メルテシオン後方部隊本陣に存在していた。
ガルンの様に、相手のプラーナや存在の光を感知するタイプには、このような瞬間移動に近いものをすると混乱を引き起こす。
把握していた個体の位置情報が、全く入れ代わってしまうために起こるフラッシュバックだ。
洞窟でグレイが語った、瞬間移動の空間再認識の時間とはこの事であろう。
混乱していた頭が快復して、ようやくガルンは周りを見渡した。
「し……白き……銀嶺は?」
ガルンの質問に、無名は目をつぶって首を横に振った。
それを見て、ガルンは腰砕け気味に膝を地につける。
「あの戦場に……おいて来た……のか」
奥歯をかみ砕く勢いで、歯を食いしばる。
躊躇した自分自身を呪う。
パリキスを天秤に賭けられ、ガルンは完全に思考が止まってしまった。
あの場での決断の放棄は、そのまま白き銀嶺を見捨てたのと同意だ。
「悔やんでいる時間はないぞ。今度は姫を見捨てる気か?」
「……!!」
レッドレイの言葉に反論しようとして、ガルンは言葉を飲み込んだ。
レッドレイの言っている事は間違っていない。
憤りを感じるのは気持ちだけだ。
「……戦場で迷えば死ぬ。一瞬の判断も誤れば死ぬ。戦場の鉄則を忘れるな。助けたい命があるならば尚更だ」
無名の言葉が耳に響く。
それは心にゆっくりと染み渡った。
ここで立ち止まってしまっては、白き銀嶺の行為が全て無駄になる。
それだけは許せない。
ガルンは自分の頬を叩くと、ゆっくりと立ち上がった。
「……直ぐにパリキスの元に向かう」
ガルンの瞳に光が戻っているのを見て、無名は満足そうに表情を緩めた。
「俺は大丈夫だ。読心術を使って情報を統合して、行き先を見極める。そのために俺が地上に上がらされた筈だ」
「それはいい。俺が見つけた方が早い」
そう呟くとガルンは精霊の眼に切り替える。
パリキスを探すのは簡単だ。
1番巨大な存在の光を目指せば良い。後はそこに全力で向かうだけだ。
「行くぞ」
ガルンはそう呟くと走り出した。
空は相変わらず赤く焼けていた。
夕焼け雲が浮かぶように、赤々とした影を持つ積雲が流れていく。
それを真似するように、大地も赤い血潮を垂れ流していた。
まるで生卵のように、砕けた人間が大地に叩き付けられると、大地に朱い華を咲かせる。
砕け散る人間のエネルギー純度の低さに、ハリイツは苛立ちを募らせていた。
ガルンとの戦いで、失った痛手は余りにも大きい。
「くっそ! こんな雑魚どもじゃ、失った力の補充にならねぇ!」
「まあ、そうせくな。“先程手に入れた力”は使えそうであろう?」
「まあな、だが、あれも基本エネルギーは馬鹿食いだ。命のストックが腐る程欲しい所だ」
ハリイツの後を歩く、歳老いた冥魔族が好々爺のように笑う。
「なあーに、あの馬鹿でかい生命炉を吸収すれば、我らの力は一瞬で数十倍に跳ね上がるじゃろうよ。そうすれば幾らでも使役が可能じゃて」
「そうだな……。それなら、あの女喰っとくか?」
ハリイツはチラリと最後尾を見た。
戦場の中央を、悠々と歩いている集団は三人と一匹だ。
先頭をハリイツ。
続いて老人。
その真上には、老人の幽冥獣らしき妙な物体が浮かんでいる。
そして、最後尾を歩くのが、ゆらゆら歩いているカナンだ。
「……あれは……止めておけ。あの力は余りに危うい。簡単に自滅に巻き込まれて滅びかねんぞ? 強力過ぎる劇薬は、毒と一緒じゃ。あれは使い棄てが一番の案配じゃろうて」
「へいへい。ナギョク老のおっしゃる事には異論は挟まねぇーよ。それよりムボウの奴は?」
ナギョクが老人の名ならば、ムボウは女の冥魔族
の名と言う事だろう。
洞窟内部から地上に移動した後は、どこかに姿をくらましたままだ。
「フム。あやつの事、独断先行して生命炉を独り占めにしに行ったのだろうて」
「……ありえるな。わざと遠目に降ろした可能性は高いぜ」
「失礼ねハリイツ? あんたの体ばらばらにして、運んであげましょうか?」
ハリイツの真横で、妖艶な女の声がした。
空間がぱっくり開くと、やたら長い影のような腕が伸びる。その上にちょこんと赤髪の冥魔族は座っていた。
「どうやら抜け駆けは失敗したようだな?」
「失礼するわね。相手の懐にいきなり入るのはリスクが高いから、一度違う場所に落ち着いて。それから、相手の戦力を探りに行ってあげたのに」
「まあ、そう言う事にしてやるぜ?」
ハリイツの冷めた言い方に、ムボウは端正な顔を歪ませる。
「せっかくのスペシャルディナーの前じゃ。無駄な喧嘩はするんじゃないぞ?」
ナギョクの言葉を聞いて、二人は別方向に顔を向けた。
「して、生命炉の周辺はどうじゃった?」
「まあ、予想通りね。向こうにとっても重要らしくて、ガッチガチにガードされてるわ。特に欝とおしいのがあの白いマントの連中。あいつらちょっと厄介だわ」
「例の黒い炎の剣使いはいたか?」
「そいつはいないけど、妙な剣を持った、金ぴか鎧は居たわね」
「人数は何人じゃ?」
「三人よ」
「フム。それならば排除は簡単か」
ナギョクの言葉に、ムボウは何故か固い表情になった。
「甘く見ない方が良いわよ。さっき言った金ぴかはかなり上玉だったし。白マントの連中を三人同時に相手をするのはかなりシビアよ。もうすぐ奴らは地下に入る。素直に冥夢の幻域に招き入れるのが吉ね」
ムボウの言葉に、ハリイツは嘲るように鼻を鳴らす。
「まるで“天道空洞のムボウ”の言葉とは思えんね。手を出して“逃げ帰って来た”ように聞こえるぜ?」
「……あんたこそ、私が助けなければ死んでいた癖に」
「テメェ……」
二人の間に見えない火花が散る。
ナギョクは小さく溜息をついた。
この二人は馬が合う時はとことん合うが、合わない時にはとことん合わない、妙な関係だ。
「とにかく、奴らが冥夢の幻域に入ったらワシの術をかける。後は各個撃破だ。いいな」
その言葉は、半ば諦め気味に呟かれた。
「ついてねぇ……」
ネーブルは眼下に広がる洞窟を眺めて、ボソリと呟いた。
地上戦の先陣を切ったおかげで、洞窟口制圧後は拠点防衛をするだけと言う、美味しい部隊に配属された筈だったが……
思うように地下侵入が進まないために、急遽侵入路警護部隊にもお鉢が回って来たのだ。
それも攻撃中枢たるパリキス部隊の直衛である。
「危険度マックス……だな」
「どうしました隊長?」
「いんや、何でもない」
副隊長の声に考えを中断する。
ちょうどパリキス部隊のお出ましだ。
周りを固める戦力はそうそうたる面子である。
王宮近衛騎士団三人を筆頭に、名うての騎士団と僧兵団、虎の子の魔術師団が囲む。
本来ならこれだけで小国を落とせる戦力だ。
流石に洞窟進行を踏まえて、小隊規模でパーティー編成を始めている。
(あれだけ居れば十分だろうに)
ネーブルは腰に手を当てて、大きく嘆息した。
そこでビクリと身体を震わせる。
(まっ……ずい)
頭に過ぎるビジョンに、ネーブルの顔色が変わる。
「どうしたんですか隊長?」
再び副隊長が疑問に首を捻る。
ネーブルは明らかに顔色が悪い。まるで、丘に上げられた魚のようだ。
「……姫が向かう先の安全確保に、我が部隊は先行する。先発隊が道を切り開いているだろうが、奴らがどこに隠れているか分からないからな。警戒は必要だ。総括のマグリネスにそう伝令を出しておけ」
ネーブルはそう“らしく”説明して、洞窟内部にそそくさと向かう。
妙な雰囲気に、副隊長は再び首を傾げた。
「オレらは姫の通路確保に向かう! 準備出来た小隊から付いてこい!」
そう叫びながら、ネーブルの心臓は早鐘のように
動悸していた。
(悪いね……。死中に活とはよく言ったもんだよ。残るより、先に潜った方がマシとはね。あーやだやだ)
ネーブルは心の中で毒づくと、洞窟入口に足を踏み入れた。
ひんやりした空気に、血臭が微かに混じる。
地下での地獄のビジョンが微かに頭に走った。
「やだやだ……。まあ、確実に死ぬよりはマシか」
その呟きは誰の耳にも届かず、洞窟に吸い込まれるように消えていった。
「まずいぞ……、くそ!」
ガルンは言葉を吐き捨てるように呟いた。
パリキスの存在の光は感知したのだが、問題が生じたのだ。
距離である。
遠すぎるのだ。
横にいる無名も渋い顔である。
「こちらの情報も統合すると、姫一行は既に洞窟入口付近だ。後方に転移したのが仇となったな……」
洞窟を突っ切るよりは、転移魔法は遥かに早い。
しかし、後方部隊に属する天翼騎士団の位置に転移してしまったガルン達は、洞窟入口からかなり離れてしまっているのだ。
「一先ず召喚魔術師を当たるが、最悪を考えてガルンは馬を調達しておいてくれ!」
無名の声が耳に届くが、頭に入らない。
ガルンはその場から走り出した。
「おいガルン?! まさか走って行く気か!」
「足が見つかって、俺を拾えそうなら拾ってくれ! とにかく先を急ぐ!」
そう叫んでチャクラを回す。
状態維持に一つ。
警戒用にストック一つ。
残り全てのチャクラは脚力強化に回す。
(間に合ってくれ!!)
ガルンは今だ徘徊する餓鬼を意に介さずに、最短ルートを選んだ。
その先に待つ、最悪の悪夢は刻一刻と近づきつつあった。
洞窟内部はやけに静かであった。
地上の争いも響かず、
地下の攻防はより深い所で行われているようだ。
しかし、その静寂を爆音が破る。
大きな振動と轟音は地上からだ。
大地が揺れて頭上から砂が零れ出す。
地下に入ったパリキス一行は天を仰いだ。
そこに見えるのは青白い苔がぎっしり生えた、みすぼらしい天井でしかない。
思わず見上げてしまうのは、洞窟が崩落するかもと言う心理的な危惧の為であろう。
「まずいな……」
そう呟いたのはアレス・デュランダーク――英雄騎士と呼ばれる男だ。
「どう判断する?」
声をかけたマグリネスには振り向かず、デュランダークは天を仰いだまま呟く。
「上に強力な敵がいると見た。やっている行動は退路と援軍潰しと言うあたりだろう」
「同感……。多分……前後挟撃作戦」
のほほんと相槌を打つのはスピカだ。
「上には……身に覚えのある気配を感じる。下からも同じ気配を……」
そう呟いたのは、純白の騎士甲冑を着たパリキスだった。
パリキス特注の甲冑は、身体のラインが見てとれるしなやかな物だ。
防御うんぬんよりシンボルとしての意味合いが強い服装なのであろう。
見た目が妙な話しだが、パリキスは赤い絨毯の上に座っている。洞窟進行に合わせて取り寄せた、空中浮遊のマジックアイテムだ。
流石に洞窟内部と言え、城育ちのパリキスが行軍するのは無理がある。
そのために用意された一品だ。
「この気配は魔神……千眼の魔神バロール・フェロスのものじゃ」
それを聞いて三人は顔を見合わせた。
下から感じる気配は間違いなく、バロール・フェロスのものだろう。
闇染作戦も第二フェーズだ。地下では魔人を使った攻防が始まっている筈である。
しかし、上から、地上から感じるのはおかしな話しだ。
「何かきな臭いな……。放置するのは凶と出ると見た」
デュランダークの呟きに、マグリネスは首を振る。
「上には連合の戦力がある。総合的には我らより遥かに強大だ。地上戦に負ける事はないだろう」
「伏兵がもしいたとしたら、入口付近奪還には時間がかかる可能性がある」
「……だからと言って、戦力を割くのは愚策だ」
「なら、俺一人で行ってこよう。地上を片付けたら直ぐに取って帰る。これならば停滞はないだろう?」
デュランダークのさも決定事項とした言い草に、マグリネスは眉を寄せた。
これが、この英雄騎士の悪い癖だとマグリネスは考える。
質実剛健、騎士精神も高く、強さもセンスも備えている。やはり、騎士としては理想的なのであろう。
しかし、彼は自分の考えを一切曲げない融通の利かない悪癖がある。
これを黙らせられるのは、王族と階級が上な統轄将軍、そして王宮近衛騎士団の団長と副団長だけだ。
「何故、上が気になるのかや?」
パリキスが覗き込むようにデュランダークを見つめる。
「勘と言っておきましょう」
デュランダークは何の悪びれもなく、そう答えた。
精悍な顔には微塵も迷いもない。
「いいであろう。わらわが許可する。存分に暴れて参れ」
「姫?!」
パリキスの決定に、マグリネスは眼を向いた。
唯一止められる存在がその答えでは、デュランダークの手綱は握れない。
「わらわも嫌な予感がする。上には……何か、この戦局を左右する何かがあるように感じてならない」
「流石は殿下、話が早い。直ぐに直上の敵を屠って見せましょう!」
そう告げると、デュランダークは颯爽と洞窟を駆け出した。
それを見ながら、スピカが間が抜けた声で、
「が~ん~ば~れ~よ~」
と声も張り上げずに言いながら、ちょこちょこと胸元で手を振っている。
この選択が吉と出るか、凶と出るかは直ぐに分かる事であった。
舞い散る粉塵が、赤い空に黄色い風を起こす。
吹き飛ぶ岩盤と共に、洞窟守護隊の兵士は粉みじんに吹き飛んだ。
地上の至る所で苦痛の鳴咽が漏れる。
地上を席巻していたのは黒い柱だった。
高さ十メートル程の円柱と呼ぶのが相応しい。
ただ、その円柱には眼がついていた。
その眼は瞼を閉じると消え、別の場所に出現する。
そして、瞳に捉えた敵を問答無用で吹き飛ばす。
瞳が輝くと走る一条の閃光。
それが土砂を巻き上げながら、あらゆるものを溶解して行く。
後には大気を焼く軽い焦げ臭さと、イオンの燻った光の残滓だけが空間に残った。
「くそっ! やはり大食らいじゃねぇか!」
愚痴を零したのは、不機嫌そうなハリイツだった。
その左右には、ナギョク老とカナンが並ぶ。
「仕方あるまい。あの魔道書自体がイミテーションだ。完全なる魔性を呼び寄せた訳ではない」
「ったく、中途半端な奴らだなぁ。まあ、夜叉の花弁の補填が出来た事で良しとするかぁ」
ハリイツは使役している魔神を、つまらなそうに眺めた。
彼等は洞窟から移動する際に、召喚中のバロール・フェロスの分身を見つけたのだ。
敵の奥の手らしいそれを、ハリイツ達は調伏。それをハリイツが取り込んだのだ。
冥魔族を倒すために呼び寄せた魔神を、逆に相手に使われてしまうとは滑稽な話しである。
「それより、ムボウの奴は何処に行った? 一度入口を封鎖して、中の生命炉の退路を無くしてから、全員で頂く算段だったじゃねぇか?」
「地上の封鎖が完了するまで、足止めに行っておる。ゼンルーを連れてな」
「はぁ? ゼンルーは召喚神殿の最後の守りだろ? あいつを連れて着ちまったら、神殿ががら空きになっちまうじゃねぇか?幾ら羽虫相手でも、今居る冥魔黎明衆を全員担ぎ出すのはどうよ?」
あからさまに不服そうなハリイツを、ナギョクは孫を見るような目で見つめた。
「心配はいらん。奴の“幽鬼境界”は冥夢の幻域全体を網羅できる。それに、後は時間が解決してくれよう」
顎髭を摩る仕草は高名な軍師のようだが、その目の奥には残酷な光りの輝きが見える。
どちらかと言えば、死刑しか告げない裁判官のようだ。
ハリイツはそれを感じて、肩を竦めて納得した様だった。
「しゃーないな。さっさと終わらせて、俺達も御馳走を食いに行くか」
暴れ回る黒い柱に、どこからか炎の魔法が放たれた。
しかし、その火球は柱に届く前に見えない壁に当たって霧散する。何処からか驚きの声があがると、そこに、お礼とばかりに閃光が放たれた。
ついでと言った風体で火球を放った地点も焦土に変える。
千眼の魔神バロール・フェロスの分身は、イミテーションでもこのような怪異を生んでいた。
黒い柱は大地を薙ぎ払いながら、雄弁に大地を進む。
その前に新たな標的が現れた。
黒い柱は新たな的に瞳を向けると、今まで通り光りの洗礼を放つ。
しかし、今回の標的は今までとはひと味違った。
手にした銀色の盾を掲げる。
放たれた光りは盾の前でぐにゃりと変形した。
光りはそのまま盾の眼前で拡がると、魔法陣に変貌。
そして、“完全に光りを跳ね返していた”。
金属がへこむような小気味良い音が響く。
黒い柱は自ら放った光りに貫かれていた。
貫通した箇所の背後の柱が爆散する。
障壁を意図も簡単に貫いた所から、跳ね返された光の威力は倍増されているようだ。
「なっんだとぉ?!」
その様子に気付いて冥魔族二人は目を剥いた。
「やれやれ、どうやら私の感は当たっていたようだな。寛大な配慮は当たりですよ殿下」
黒い柱の先に現れた人影は、雄大に腰の聖剣を引き抜いた。
白いマントの下には、黄金の鎧が輝いている。
黒い柱は身の毛もよだつ咆哮を上げると、新たな瞳を生んだ。
「残念ながら、私は魔性を葬る事には慣れている。あがいても無駄と知りたまえ」
そう呟くと手にした聖剣を掲げる。
「刃は闇で出来ている。
昏迷の海よりい出て、荒ぶる魂と共に、希望の荒野を突き進む。それは全ての脅威を打ち砕き、あらゆる悪意に打ち勝つ一陣の刃。そは闇を彩る黒き誘い。シャイニング・イン・ザ・ダーク!」
刃が黒く変色すると、剣を振り下ろした。
黒い斬撃。
闇色の剣閃はあっさり障壁を切り裂き、黒い柱を綺麗に縦に分断した。
後は巨大なモニュメントが倒れるように、大地にその重量を預けるように横転する。
周りから歓喜の声が上がった。
「脆いな。それでは私を遮れんぞ」
剣を一振りし、聖剣の保持者アレス・デュランダークは冥魔黎明衆に向き直る。
「あの野郎ー!! 折角補充した力を! ぶっ殺す」
ハリイツの夜叉の瞳に炎が燈ると、赤銅色に肉体が変色した。
「あれがムボウが言っていた、金ピカのようじゃな……」
ナギョクは髭を摩る手を止めると、まじまじとデュランダークを眺める。
厚顔不遜な青年はそれに気付いて、剣を二人に向けると不敵に笑う。
「来るが良い暴食の徒よ。我が聖剣が貴様らの野望を打ち砕く!」
「言うじゃねぇーか青二才! なら、俺がテメェ自体をブチ砕いてやんよ!」
ハリイツは雄叫びを上げながら走り出した。
身体強化の力でみるみるデュランダークに近付く。
「せっかちな奴め。しかし……あの魔神を一撃とはのぉ。あの剣、危険なようじゃな。様子見にはちょうどいい」
ナギョクはちらりとカナンを見ると何かを呟く。
それが聞こえたのかカナンはコクリと頷いた。
「黒い魔剣使いと白黒着ける前に、余り力を消費したくねぇーんだよ! 悪いが一気に片をつけるぜ!」
夜叉の花弁に異なる色の炎が燈っていく。
まるで色とりどりの華を乗せて動く水車のように。
ハリイツの左腕がデュランダークに向く。
それを見てデュランダークは目を細めた。
ハリイツの顔には、勝ち誇った笑みが張り付いている。
聞きたくもない、耳障りな鈍い音が響いた。
デュランダークの後方の岩が、まるで見えない巨大な手に握り潰されたように砕け散る。
それを唖然と見送ったのは――ハリイツだった。
背後の岩など狙う訳がない。
“初撃のテレキネシスを避けられた”のだ。
回り込むように動くデュランダークの剣が唸る。
ハリイツは舌打ちして、体を捻った。
紙一重でかわした筈の間合い。だが、ハリイツの左肩から血飛沫が舞う。
「……!?」
「むっ、踏み込みが浅いか?」
デュランダークの返し刃を、ハリイツは後方に大きく飛んでかわすと、今度は右腕を向ける。
その手の平には一つ目が付いていた。
千眼の魔神の魔眼が。
ハリイツが洞窟内部で手に入れた魔神は、一体だけではない。
自身の身体に憑衣させた魔眼。
その威力は?しかし、それを発動する事はなかった。
何故ならば、“敵が既に射程外に抜けかかっていた”からだ。
(こいつ?!)
右腕の死角になるように、英雄騎士は左回りに加速する。
肉体強化したハリイツについていけるのは、天性のチャクラによるものだろう。
「冥法空咒“逸脱の壁”!」
聖剣を警戒したハリイツ
は、直ぐさま術で壁を形成した。
これだけ接近していては、逆にこの大気の壁の直撃を喰らうに等しい。
だが、デュランダークは盾を全面にその大気の壁に臆さず飛び込む。
「シールドラッシュ!」
手にした盾が大気の壁に激突する。
強力な盾は、強力な武器に等しい強度を持つ。
デュランダークの手にした盾は、妖精界でパリキス奪還の褒美に貰ったとされる盾である。
メルテシオン王妃によって造られた成聖月盾“ムーンレイズ”と呼ばれるサクラメントだ。
この盾は妖精界でデュランダークが功績として与えられた、月の要石が封入されている。
その絶大的な強度と聖霊の守りは、要塞に等しい防衛能力を持っていた。
大岩が水面に落ちたような、重苦しい音が響く。
あっさり突き破られた大気の壁を、ハリイツは顔を引き攣らせて見送った。
デュランダークの聖剣が閃く。
ハリイツは一撃を喰らう覚悟で、左腕を騎士に向けた。
右腕を切り裂かれる変わりにテレキネシスで、動きを停める――そのつもりの体捌き。
しかし、デュランダークの太刀筋は、いきなり斜めに変化した。
「?!」
あっさり突き出された左腕を切り飛ばす。
ハリイツは歯を食いしばって、右腕の魔眼に攻撃手段を切り替える。
だが、その時は既にデュランダークは再び左回りの高速移動に移行していた。
「てっ、テメェ?! 予知能力者か!」
ハリイツの怒りの絶叫が響く。
それを見てデュランダークは少し嘆息した。
「あえて敵に塩を送るのも吝かではないが、敵に能力を教える甘い相手とばかりと戦って来たと見える」
「このぉ羽虫が大きく鳴くじゃねぇーか!!」
ハリイツはおもむろに右手を右目にあてがうと、
そのまま引き抜く。
神経を付けたままの眼球を取り出して、赤褐色の冥魔族は笑い出した。
いきなりの奇行にデュランダークの眉が寄る。
「我が右目を贄に、顕れよ魔神の断片!!」
残った左目の夜叉眼に炎が灯る。
すると、手の中の眼球が黒く変色し、跡形も残らずに綺麗に消え去ってしまう。
それを確認すると、ハリイツの顔に薄気味悪い嘲笑がへばり付いた。
「さあて……羽虫は羽虫らしく駆除してやんよぉ~!」
ハリイツの無くなった筈の右眼が、ゆっくりと開く。
そこには虚空に吸い込まれるような、深い黒瞳が存在していた。
デュランダークの顔が険しく変わる。
(あれは危険だと……血が騒ぐ)
ハリイツの黒眼が、デュランダークの姿を捉えた。
「闇に抱かれて死ね!!」
黒瞳が収縮すると、赤い輪光が瞬いた。
目の中で月蝕が起こったような、リングラインから漏れる光。
デュランダークのいた空間に黒い点が穿かれた。
黒い点。
そう見えるのも仕方がない。
それは空間が捻れ落ち込んだ、穴だと理解出来るものは少ない。
極小擬似重力孔。
一度囚われれば、光すら脱出不可能な外世界への門。
周りの空間ごと、対象を忘却の彼方に消し去る禁忌の力である。
空間の復元作用か、世界の復元法則かは理解不能だが、その黒い穴が空間に開いている時間は僅か一秒。
しかし、それの有効範囲内に入った全ての物体は、常識はずれの高重力により別世界に墜ち込む前に圧壊して死滅する。
ハリイツは勝利を確信した高笑いを発しようとして、騎士がいない事に首を捻った。
飲み込むスピードが早過ぎて、それを認識出来なかったのかと考えを走らせる。
その推測が間違いだと気付いたのは、背中を貫いた聖剣の感触からだった。
「なっ?! なんだとぉ!」
右肺を貫いて切っ先が見える。
ハリイツは吐血しながら、背後のデュランダークに右手の平を向けた。
手の平の魔眼が輝く。
魔眼から溢れ出た黒い霧が大地を覆った。
一瞬で大地が風化する。
腐食圏。
あらゆるモノを腐食させる死の霧吹き。
霧と言う特性上、いかな強固な防具を身につけようと生身が触れれば腐り落ちる。
触れればの話しだが。
デュランダークは既に背後には存在しなかった。
いつの間にか、ハリイツの九時方向に移動している。
まるで瞬間移動のような早さには面食らうしかない。
「なっ……んだ貴様の力は? テレキネシスも、穿孔眼、腐蒸眼も一度も見せていない能力を……全て完全に躱すだと?」
ハリイツは右胸を押さえてよろめいた。
致命傷だ。
今は幽冥獣ファン・フーは存在しない。
不死身ではないのだ。
「悪いな。俺の能力はたいしたものでは実際なくてな。それを貴公のような魔王のごとき力の持ち主に教える愚は犯せんよ」
「ふざけ……やがって」
ハリイツはゆっくりと右腕を向ける。
その掌の中の、腐蒸眼と呼ばれる魔眼が瞬いた。
死の霧が溢れ出る。
「その力は見たぞ――刃は炎で出来ている。昏迷の海よりい出て荒ぶる魂と共に、揺らめく陽炎となりて突き進む。それは全ての脅威を打ち砕き、あらゆる悪意に打ち勝つ一陣の刃。そは炎が彩る赤き熱。コロナ・サンシャイン!」
デュランダークの持つ剣から炎が溢れ出す。
放れた一撃は、黒い霧を蒸発させながらハリイツを切り裂いた。
左肩から右脇腹に抜けた斬撃から、ゆっくりと炎が漏れ出す。
「炎の……剣だと? さっきは闇の力を……使っ……」
ハリイツはそう呟きながら倒れ伏した。
傷口から溢れた炎が全身を包んでいく。
まるで炎に引き寄せられた蛾を見つめるように、デュランダークは憐れみを含んだ瞳で、火だるまの姿を見た。
「我が聖剣エグゼス・カリバーンは、あらゆる属性を付加する力を持つ。どんな敵にも対応可能な万能武器だ。これくらいは手向けに教えておこう」
一振りすると、聖剣から炎が消え去る。
その姿を見て、周りから歓喜の勝鬨が上がった。
倒れ伏した兵士、遠巻きにしていた兵士達が剣を掲げる。
「英雄騎士!!」
「キング・オブ・ナイト!」
「勇者デュランダーク!」
沸き上がる声援に、デュランダークは慣れた感じで手を振る。
カリスマ騎士の活躍で、騎士達の士気はうなぎ登りに上がっていくだろう。
それを見ながら、ナギョクは小さく唸った。
「これは……また、規格外の輩がいるのぉ……。縛れアデーハイデン」
その声に反応して、老人の真上に浮かんでいた幽冥獣が震えた。
空中に浮かんだ巨大なアメンボ。
それが、この幽冥獣の形容に一番近いものだろう。
その脚が空間を叩くと妙な波紋が浮かんだ。
そのまま空間に波紋が拡がっていく。
それがデュランダークに届くと、身体の回りに波紋がこびりついた。
「面白い能力を使うな御老人? 大気を伝播する呪縛と見た」
「これはこやつの能力よ。こやつが立っている場所はこことは位相が違う。水源に満ちた平行世界じゃ。そこでの呪縛が貴様を縛っておる」
ナギョクは真上の幽冥獣を見てから、能面の様に口元を歪めた。
「ふむ。かなり自信があるようだが、このようなモノは私にはきかんな」
デュランダークはそう言いながら腕を動かすと、身体の周りの波紋はあっさりと砕け散った。
流石にナギョクの顔付きが変わる。
幽冥獣の力に手加減などは存在しない。
その力をあっさり破ると言う事は、敵対者の力は常軌を逸したレベルと判断出来る。
「俺の装着している成聖燿凱サンライズは、あらゆる身体異常を解除する。俺に呪術や呪縛はきかんよ」
「……伝説級の秘宝具かの。それはまずい。身体異常のキャンセルはわしとの相性は最悪じゃ……」
ナギョクはさして焦った様子もなく、デュランダークを見た。
余裕すらある風貌に、デュランダークは不可解な違和感を感じた。
第六感が警笛を鳴らす。
振り向いた先には金髪の少女がいた。
手にした小太刀はすでに振りかぶられている。
剣戟の間合いだ。
金属同士がぶつかる甲高い音が大気を震わせる。
その後には、デュランダークが綺麗に後方に吹き飛ばされている姿があった。
ハリイツの魔神によって粉々に砕けている、洞窟入口付近の残骸に突っ込む。
吹き飛ばされた勢いは止まらず、軽い土煙を巻き上げながら岩の残骸を砕いて行く。
それをつまらなそうに見ながら、小太刀の主――カナンは刀の平をポンポンと手で叩いた。
「つまらないかな君は? 隙があったら殺せと言われたけど、君、全然隙がないよね? そんなに自然体なのに変な感じ」
土煙を上げる瓦礫の山から、カナンは全く視線を外さない。
まるで、直ぐにでもそこから起き上がってくる姿が当然だと言わんが如く。
「やってくれたなフロイライン」
瓦礫の中から光りが溢れる。
それと共に瓦礫の山が吹き飛んでいく。
その中心には、聖なる盾を掲げた英雄騎士の姿があった。
しかし、デュランダークはその場でぐらつく。
マントを切り裂き、黄金の鎧の左肩には裂け目が出来上がっていた。
じわりと滲み出てきた血が大地に落ちる。
「君は確か……アズマリア副団長の部隊に居たはずの人間だな? 何故ここにいる?」
その質問にカナンはにっこり微笑んだ。
「パリキス王女を殺しに来ただけだよ? 大地を照らすのは太陽だけでいいかな? 月なんて無くても同じかな?」
「……それは看過できない発言だな。私は姫を守る盾であり剣だ。姫に弓引くならば、老若男女等しく廃除せねばならない。君は敵だと宣言するのかね?」
「もう宣言してるかな? 念押し?」
「……ならば、全力でお相手する」
デュランダークが聖剣を構える。
カナンもゆっくり小太刀を構えた。
聖なる騎士に、相対するは闇の剣技を身につけた魔剣士。
奇しくも過去にあったとされる、聖魔大戦の焼き回しが再現されようとしていた。
聖主側対闇主側。
前回は闇の先兵たるグラハトを破り、聖の選ばれし者が勝利をおさめた。
果たして今回は?
唐突に、その戦いを拒むような声が上がった。
「カナンー!!!」
叫ばれた声に、その場の全員が反応する。
声の主はナギョクより遥か後方の大地にあった。
大地を縫うように進むのは巨大な蟒蛇。
その背に乗る影が三つ。
その先頭にいるのはガルンである。
背後にいるのは無名と、大蛇を操っているらしい術士だ。
事態は少し前に遡る。
後方陣営で無名は召喚能力者を探していると、ちょうどそこには連合軍の連携報告の使者が来ていたのだ。
海星王国ジェネルレインの使者は、移動様の使い魔らしきモノを連れていたのである。
事情を話すと、その使者は快く移動の足としての協力を了承してくれたのだ。
その力をかりて、先に進んでいたガルンを拾って駆け付けたのだ。
「全く、お前は相変わらず無茶をしているな?」
召喚能力者に声をかけられて、ガルンは肩眉を上げた。
「誰だお前?」
その言葉に召喚能力者は酷く傷ついた顔をする。
「お前……こっちは一発で思い出したのに、そっちは忘れているとは……。俺だよカムイ・タカツバサだ!」
「かむい・たかつばさ?」
不思議そうな顔のガルンに、カムイは落胆した表情を見せた。
「相変わらずマイペースな奴だな。昔、アーゼーイールの港町、シクシャの闘技場であったろう?」
「港町シクシャ……」
ガルンは霞の掛かったような記憶をまさぐる。
あそこは姉の仇を討った場所だ。
それは思い出せるが、目の前の青年の名前は思い出せない。
首を捻るガルンを見て、カムイは諦めたようだった。
「やれやれだぜ。こっちは馬鹿正直にアクア・ペンタグラムを、元いた湖に戻したって言うのに……まあ、お陰で獣魔とチャネリングする能力を身につけられたけどな』
水源古代種、アクア・ペンタグラム。
亀に似た、聖獣に位置する魔物の一種だ。
闘技場で魔物と闘う大会に出た事を、ガルンは何となく思い出した。
「思い出した。あの亀は元気か?」
「思い出したのは亀かよ!」
カムイは軽く頭を押さえた。
それを見て無名は苦笑いを浮かべた。
「知り合いのようだが……、すまんな。ガルンはかなり直情傾向でな。余分に思える事はかなりアバウトなのだ」
それを聞いて、カムイは両手を上げてお手上げのポーズをする。
「昔も自分勝手な奴だったよ。頑固者でさ。ほんの半日程度の出会いだったが、インパクトは相当なものだった」
それを聞いても、いまいちガルンはカムイを思い出せないでいた。
その様子を見て、カムイは完全に自分を思い出して貰う事は、放棄する事にした。
「しかし……、お前えらく遠方で出世したな? その服、神誓王国メルテシオンの王宮近衛騎士団のものだろう? アーゼーイールからだと、海を越えてジェネルレイン本土を越えて、ラ=フランカ聖公国を越えた先じゃないか? すげぇーチャレンジしたな?」
「………」
ガルンはそのまま言葉を詰まらせた。
天翼騎士団に拉致られた出来事は、話せば長くなる。
今はそんな話をしている場合では無い。
「まあ、色々あったんだよ。話しはこの戦争が終わった後だ」
そうガルンは前を見据えて呟いた。
「例の炎の魔剣士かの……まだ地上におるとわ。しかし、邪魔はさせんよ。貴様の相手はわしがしてしんぜよう」
そう呟くとナギョクは指を弾いた。
頭上の幽冥獣が脚を鳴らせる。
空中を漂う波紋は、迫り来る大蛇を束縛した。
「!?」
いきなり制動が掛かり、慣性力でガルン達は大蛇から投げ出される。
三人とも泡を食らいながらも、一回転して着地した。
ガルン達の前方には、幽冥獣を携えたナギョクがいる。
ガルンは頭上の幽冥獣を観察する。
明らかに通常の餓鬼とは違うフォルムだ。
「貴様……冥魔黎明衆か」
その言葉にナギョクは薄く笑みを浮かべる。
「当たりじゃ。大層な武力を持つようだが……。それではわしには勝てんのう?」
再び指を弾く。
同じく幽冥獣が脚を上げる。
「よく分からんが、上の餓鬼はやばいんだろう? 邪魔するぜ。五つい出よヤァホウ(牙蜂)!」
カムイが腕を掲げると、掌から五つの蜂が飛び出した。
飛び上がった蜂は身体から全面に、牙のようなモノを多数突出させた妙な姿をしていた。
「行け!」
カムイの号令で蜂たちは大気を伝う、波紋の波に突撃する。
波紋は蜂を捕らえると、全てを金縛りにした。
しかし--波紋はそこで止まっている。
「ほう? その早さ。インセクトテイマー……いや、虫使いでもないな。後ろの大蛇を操っていたのも貴様であろう? ならば獣妖術師か」
ナギョクの言葉にカムイは顔をしかめた。
獣妖術師は召喚師と似て非なる存在だ。
召喚ゲートと呪文により魔獣などを呼び出す召喚魔術とは違い、獣妖術は肉体のマジックサーキットをゲートに、精力共有した獣妖と呼ばれる妖獣種を召喚する。
規模は召喚魔法には及ばないが、スピードにかけては遥かにそれを凌駕する術式だ。
獣妖術自体レアな術式だが、それを異世界人が知っているのは些か疑問に残る。
「奴らは倒した人間の記憶を読み取る力があるらしい。知識は豊富だ。油断するなよ?」
無名の言葉にカムイは頷く。
それから、まるで心が読まれたような回答だった気がして首を傾けた。
「さて、一筋縄では行かない厄介な連中じゃが……。ワシのタレントに対抗出来るかのう?」
老人の腕がすっと上がる。
ガルンは大きく舌打ちした。
目と鼻の先にはカナンの姿が見える。
こんな所で足止めをされているのは腹が立つばかりだ。
その焦りからか、ガルンはナギョクの腕の動きを軽んじていた。再び幽冥獣の波紋が来るだけだと。
弾かれた指の間から闇が拡がる。
それはあっという間に世界を覆った。
「空間結界?!」
敵のテリトリーに簡単に踏み行ってしまった事に、ガルンは歯ぎしりする。
相手は冥魔黎明衆だ。
それなのに、視野はカナンしか捉らえていなかったのだ。
「さて、この夢病のナギョクの“腐海の歌姫”の力。どこまで耐えられるかのう?」
暗闇の中に声だけが響く。
五感の幾つかが封じられた状態は、常人の思考に恐怖を生む。
そして、この能力は認識封印だけではないのだ。
(くだらねぇ……。こんな力は俺には無意味だ)
ガルンは精霊の眼に視覚を切り替える--直前に光りが見えた。
ビクリと身体が硬直する。
闇の中に見える人影は、酷くはかなげに見えた。
「パリキス……?」
現れた少女の姿にガルンは目を見張る。
靡く美しい黒髪と、優しく微笑む艶姿。
この場に居るはずの無い人間だと頭は理解している。
しかし--感情がそれを疎外していく。
(こっ……これは、まずい……!)
意識に流入する闇。
その中に現れる光明。
そして、そこに現れる悪夢。
パリキスの背後にカナンの姿が見えた。
まるで太陽に寄り添う月のように。
その手に持つのはダークブレイズだ。
魔剣から炎が上がる。
赤々と揺れる炎は、ゆっくりと変色していく。
赤から青に、そして、ゆっくりと黒く。
「カナン!!」
ガルンの絶叫が虚しく上がる。
それと時同じく上がる叫び声。
これはカムイのものだろう。
彼も等しく悪夢に苛まれているらしい。
五感失調からの幻覚による精神汚染。
もっとも大切と思う人間を浮き上がらせ、それを
喪失させた瞬間に精神操作の刷り込みを行う。
これは頭では違うと理解していても、感情が術の発動を喚起させてしまう能力だ。
深層心理下から抽出される存在情報を、うやむやにする術は無いに等しい。
精神の空白。
感情の隙をついて力は侵食するのだ。
「くっくっくっ……これは良いコマが揃うのぉ? あの小娘にこの黒炎の魔剣士が揃えば、生命炉の周りの戦力など恐るるに足らん。全て一掃出来ようぞ」
闇の中にナギョクの笑い声が拡がっていく。
まるで蜘蛛の巣に搦め捕られた蝶を、どう料理するか値踏みする蜘蛛の如く。
「えーい、デュランダークの奴め! 何をやっている」
洞窟内部にマグリネスの声が響く。
舌打ちしながらマントをはためかせると、その中から無数のクルス型の短剣が地面に落ちる。
それがゆっくり空中に浮かぶと、切っ先は目の前をうようよとうごめく、新型の餓鬼に向いた。
それが目にも留まらぬ速さで飛び立つ。
目標には事欠かないのか、放たれた短剣は餓鬼に次々刺さっていく。
「我求めるは黄昏の静寂。生命は統べからず止まり、その軌跡を大地に刻まん」
マグリネスが印を結ぶと、クルスナイフが光り輝く。
すると、短剣を中心に積層型魔法陣が餓鬼を包んでいく。
まるでいびつな棺桶に飲み込まれたように、餓鬼の姿は光りの中に飲み込まれていった。
「ホルツェツ・レゲメット(封魔棺殺陣)」
その言葉と共に、魔法陣は一瞬で収縮し元のクルスに戻る。
消え去った後には、渇いた音を立てて落ちた短刀だけが残った。それは何故か黒く変色している。
パリキス護衛軍の進行は、立ちはだかる餓鬼の為に停滞していた。
何故かうようよと這い出て来る餓鬼の群れに、遅々として足が進まない。
「マスター堕ちにしては数が多過ぎる……。何か居るな?」
マグリネスは周りの騎士達の奮闘を見ながら、餓鬼の動きに違和感を感じていた。
先発隊が排除しているのは冥魔族だけだ。
餓鬼が残っているのは仕方がない。
しかし、各所で起動している偽典の魔人との戦いで数は減っている筈であり、そちらに引き寄せられている筈だ。
それが、一箇所に集まるのは不自然極まりない。
姫直属の部隊は手練れが揃っており、パーティー編成での餓鬼との戦闘は可能だ。しかし、それでも戦力としては心許ない。
スピカを前線で使いたいが、パリキスの側には一人は近衛を配さなければ安心が出来ない。
本来なら前線はデュランダークに任せるはずのポジションだ。
マグリネスは口惜しそうに拳を握り込む。
本来、王族の出兵ならば王宮近衛騎士団が最低でも四人は付く。
このような大規模遠征ならば、八人は同行する所だ。
それが三人と言うのは、余りに少ない。
この原因がただの兄弟の諍いだとすれば、嘆かわしい事だ。
アルセリア直属のマグリネスが此処にいるのも、間違えれば二人に成るところを、無理矢理アルセリアが捩込んだ結果である。
(哀しいかな、血が名君の資質とは限らないものだな)
マグリネスは背中のクレイモアを引き抜くと、腰を低くして剣を構える。
洞窟奥からは、ゆっくりと餓鬼達がその姿を表す。
まるで地獄の窯から溢れ出た、本当の餓鬼のようだった。
「まどろっこしい手を使うなムボウ?」
洞窟の奥、パリキス護衛軍から離れた闇の中で、大柄の冥魔族は呟いた。
その横にはムボウと呼ばれた、赤毛の女が立っている。
「ゼンルーの“幽鬼境界”は使えるけど、生命炉まで殺し兼ねないからね」
「生かして捕らえるつもりか? 殺して吸収する方が手っ取り早いだろうに」
「あれだけの上玉を、ただ殺すのは勿体ないわ。生かさず殺さず長く生かして、力を吸えるだけ吸いつづけるのが得策ってね」
「確かにな。あれは神性存在に近い……。良い食いぶちにはなろうぞ」
ゼンルーと呼ばれた屈強そうな冥魔族は、顎に手を当てて納得したように頷いた。
洞窟内では餓鬼とパリキス護衛軍との熾烈な戦いが行われている。
戦い慣れて来たのか餓鬼の損耗率も早い。
「主人無しとは言え、餓鬼を倒すまで殺し続けるとは、見上げた人海戦術だな」
「確かにやるわね」
パリキス護衛軍の対餓鬼戦術の基本は単純だ。
全面に重武装した兵が防御魔法の支援を受けて壁となり、後方の魔術師が氷結や束縛系の魔術で餓鬼の動きを止める。
動きが鈍った所に、前衛の後ろに控えた部隊が突撃を慣行。
大打撃を与えたら後退し、魔術の一斉攻撃で追い撃ちをかける。
後は、餓鬼が死ぬまでループした戦術を行うだけだ。
それでも餓鬼の一撃は凶悪であり、まともに受ければ即死する破壊力を誇る。
損失率で言えば、二、三人兵士が死ぬ間に、餓鬼に致命傷を三、四回与えるのが御の字の戦法だ。
死んだ人間の命を餓鬼が喰らうため、実際は内包した命を一、二個潰すのがやっとの現状ではある。
「まあ、時間が全てを解決してくれるわ。ここは冥夢の幻域。私達のテリトリーなのだから」
ムボウは静かに薄く笑う。
洞窟には様々な音がひしめき合い、じっとりと死者の山が増えつつあった。
「妙だな……」
薄暗い洞窟を疾駆しながら、アズマリアはボソリとそう零した。
最深部を目指すアズマリアたち選抜隊は、かなりの下層に到達している自信があった。
しかし、そこまでの道程が容易過ぎるのだ。
「確かに不可解だ。襲ってくるのは餓鬼と普通の冥魔族のみ。冥魔黎明衆が一人も阻みに来ない」
「同感だ! いくらなんでも歯ごたえがなさすぎる。これが拠点防衛の最終ラインとは思えん!」
クライハルトとアカイは辺りを警戒しながら同意する。
冥夢の幻域の地形効果の威力で、アズマリア達の能力は降下する一方だ。
しかし、それでもただの冥魔族に遅れを取るレベルまでは陥っていない。
このまま強力な敵が現れなければ、地下の召喚神殿に辿り着くのは時間の問題だ。
(罠か、それとも相手方の戦略ミスか? どちらにしろ時間短縮にはなる)
「早々に龍脈集約点を破壊して、残存冥魔族の掃討に入るぞ!」
「了解!」
号令に全員が続く。
その時、地下で小さな振動が起こった。
それがこの戦局を左右する重大な出来事の一つだったが、それを理解しているのは地上付近に移動した冥魔黎明衆だけであった。
天を劈くような剣戟が、周りの人間を震撼させていた。
集まった兵士達が息を飲む攻防が、残骸の中心で行われている。
(こいつは参った)
黄金の騎士は防戦一方の戦いを強いられていた。
目の前で剣を振るう少女はまるで暴風--いや、小規模の流星のようだ。
彼女の振るう小太刀は、岩盤を軽くバターの様に切り裂いていく。
掠った程度でも、粉砕して吹き飛ばす破格の威力。
それも少女はまるで舞踏を舞うように華やかだ。
円運動を基本にした遠心力を活かした剣筋は、腕力を補強するためのものと言うよりは、とてつもなく重たいモノを自重を活かして振るうために見える。
それを証明するように、彼女の斬戟は異常に重たい。
一撃一撃がまるで攻城破砕兵器並に重たいのだ。
デュランダークは今までに様々な敵と戦った経験がある。
自分より遥かに巨大な魔獣や魔人もいた。
一撃一撃が同じように致死クラスの猛打も経験している。
しかし、今回の相手は今まで戦闘した経験にない、嫌な要素を兼ね備えていた。
自分より小兵だが攻撃力は高く、スピードも速い。
そして、明らかに自分より剣術が上だと分かってしまったからである。
その上、一撃の重さは異常だ。
数回まともに小太刀を盾で受けたために、左腕は痺れてきている。
奇襲で喰らった肩の傷も
開く一方だ。
そのために相手の剣は受け止めるのではなく、受け流さなくてはならない。
「その小太刀、かなりの名刀と見受ける。名前を聞かせて貰えるかな?」
デュランダークの言葉に、カナンは一息つくように小太刀を引いた。
「これは衡狐月。妖刀だよ? 力は教えて上げないかな? 君は結構強いし」
「それには及ばん。能力はもう概ね理解している。叩き折る刀の名を知りたいと思っただけだ」
「へえー。理解……しているのかな?」
カナンがいきなり動き出す。
目の前に急接近する、瞬間移動のようなスピードはチャクラによるものだろう。
カナンの猛攻が始まる。
先程とは打って変わって、直線的な攻撃。
(更に速い?!)
デュランダークの鎧に火花が散る。
捌く体捌きでは、カナンの今の太刀筋には追いつかない。
仕方なく、手にしたムーンレイズと名の付いた盾で受け止める。
「……?!」
そこでデュランダークは眉根を寄せた。
軽い。
先程と打って変わった軽い斬撃。
しかし--その剣がいきなり重くなる。
「滅陽神流剣法、無式三十五型・翳羽」
その声の後に、デュランダークは遥か後方に吹き飛ばされていた。
まるで、小石を弾くような簡単さである。
吹き飛んだ先を見ながら、カナンは不思議そうに首を傾けた。
手応えが在りすぎる。
本来なら完全に切断した手応えの筈だ。
それがまるで銅鑼を叩いたような感覚である。
案の定、吹き飛んだ先でデュランダークは軽やかに立ち上がっていた。
「凄いねその盾? 滅陽神の剣で断てないなんてハイランクの秘宝?」
「そっちの小太刀こそハイランクと見た。重さを自由に変えられるとは伝説級のようだな」
立ち上がりながらも、デュランダークは内心舌を巻いていた。
ムーンレイズ、サンライズと強力なサクラメントにひびが入っている。
巨人族の一撃すら防ぐ盾や鎧が、少女の一撃でこのざまだ。
受けつづけた左腕の反応も鈍い。
鈍痛が腕にへばり付いてる。
(これは殺さないで済ませると言うのは、虫の良い話だったな……)
デュランダークは右腕の聖剣をゆっくりと持ち上げると、カナンを睨み据えながら剣先を向けた。
「女性を手に掛けるのは騎士として本意ではない。しかし、例え操られていようと、姫に仇なす者を見過ごす分けにはいかん。ここで潰させてもらおう」
「ふーん。まるで本気を出していなかった見たいな、物言いかな?」
「それは見て判断したまえ」
聖剣から淡い光りが浮かび上がる。
まるで鼓動するように瞬く様は、剣自体が生きているようだ。
「刃は土で出来ている。昏迷の海よりい出て荒ぶる魂と共に、世界の礎となりて抱擁する。それは全ての脅威を打ち砕き、あらゆる悪意に打ち勝つ一陣の刃。そは大地が担う重き束縛。グラビトロン・ザンパー!」
茶色オーラが剣からほとばしる。
剣から立ち上る威圧感に、カナンの表情が険しくなった。
魔法剣に見えるそれは、明らかに別物の何かに思える。
始めてデュランダークから先に動いた。
無意識で使っているチャクラも、数が違えば十分強力だ。
一瞬で接近して剣を真横に薙ぎ払う。
目にも留まらぬ剣筋を、カナンはしっかり見て小太刀で受け止めた。
「!?」
しかし、今度はカナンが大きく弾き飛ばされる。
剣を振るったデュランダークは、そのままフムと呟いた。
あらかた満足したといった表情である。
吹き飛んだカナンは空中で猫の様に三回転して、軽やかに着地した。
「どうなってるのかな?
剣がいきなり重くなったかな? 魔法剣?」
「まあ、似たようなものだ。重量のある武器は存外扱いづらいものだな」
「……」
カナンはそのまま、少し黙り込む。
理由はいたって簡単だ。
衡狐月は重量を変化させる妖刀である。
その質量を持って、いかなるものも押し潰し切る。
しかし、重量と言うアドバンテージが無くなれば、後は強度とパワーがモノを言う。
天性の才でチャクラを大量に持つデュランダークと違い、今のカナンが使えるチャクラは二つだけだ。
一つは過去、ダラックのペインミラーで失い、残りは先のアロンとの戦いで止まってしまっている。
まともに切り合えば、体力と体格の差で分はデュランダークに傾くだろう。
「仕方が無いかな……。こっちもちょっと本気を出すかな?」
カナンの表情がすっと変わる。
目が座ったのを見て、デュランダークの顔付きも変わった。
カナンが小太刀を掲げる。
その身体から青白い光りが漏れ出した。
それを見て、デュランダークの心臓の鼓動が跳ね上がる。
「この光りは……まさか霊気術か?」
カナンの小太刀に光りが集約していく。
その光りが銀色に変わるのを見て、デュランダークは生唾を飲み込んだ。
(こいつは……!!)
恐怖が身体の奥底からせり上がってくる。
「悪いけど、この一撃ならご自慢の鎧も盾も関係ないよ」
唖然とデュランダークは硬直していた。
まさか、人間から神域クラスの攻撃が来るなど、誰が予想できよう。
「さようなら、英雄騎士」
冷え切った眼差しが、英雄騎士を捉えた。
「これは……まずいようだな」
デュランダークの第六感が、あの銀色の光りは危険だと警笛を鳴らす。
それを嘲笑うかのように、カナンは小太刀を振りかぶった。
「滅陽神流剣法…一の裁ち・霊劫」
「受けるのは止めて、避けるとしよう」
「?!」
カナンの認識外の右方向から唐突に声が聞こえた。
しかし、振り下ろした剣は止まらない。
白銀の閃光が天と大地を割る。
赤い空が割れ青い空が開けた。
大地は断層がかいま見える程の亀裂が走る。
神なる一撃。
あらゆる生命を滅ぼし、否定し尽くす最凶の魔剣。
だが--“当たらなければ意味が無い”。
「さらばだ。妖刀の剣士よ」
愕然とカナンは、右方向から迫る剣を見た。
白く光る聖剣は新たな力を宿しているのだろう。
理解出来ない速さ。
しかし、これはスピードの速さとは思えない。
何故ならば、デュランダークは“カナンが剣を振り下ろす前に”、既に避けていたからだ。
まるで瞬間移動か転移魔法並のタイムラグゼロの移動。
だが、それではこの切り返しの速さの説明が出来ない。
テレポートならばガルンが転移現象で生じたような、再認識時間が発生するためだ。
それを無くすならば、一か八か敵がいるかを確認もせずに剣を振るう手段しか無い。
空振りするリスクを背負った攻撃手段。
しかし、カナンの戦士としての勘が否と告げる。
金属が奏でる甲高い音が空に響いた。
空に空気を切るような音を立てながら、飛んだ物体は放物線を描いて大地に突き刺さる。
「驚くべき反射神経だな」
デュランダークは少々呆れ気味に、大地に倒れているカナンを見た。
聖剣の一撃を、あの刹那で小太刀で防御した動きは驚嘆に値する。
しかし--その強力な一撃は、小太刀を根本付近からへし折っていた。
大地に突き刺さったのは、へし折れた小太刀の刀身である。
「何か力を使ったよね?
テレポートじゃない。でも、一瞬で視界の外に移動してた。まるで……」
カナンはそこで言葉を切った。
(まるで……時間が止まったような違和感)
思い詰めたようなカナンの考えが読めたのか、デュランダークは苦笑いを浮かべる。
「私の能力“シグナル・ロスト”を受けた敵は、大半その能力の意味が分からずに、混乱して自滅していたな」
「……」
「悪いがこちらも急ぐ身。終わりにさせてもらおう」
聖剣が振り上がる。
それは、まるで死刑執行を行う断頭台のように、鈍い光りを携えていた。




