月の無い空に世界蛇は哭く 弍詞“星光は夢の終わり”
赤い空に恐怖をかり立てる雄叫びが響き、大地には人をかみ砕く嫌な音が氾濫していた。
餓鬼の猛威に中央の部隊は完全に崩壊しており、組織としての機能は失いつつある。
そんな中、場を引き締める怒号が響き渡った。
「うろたえるな!! 奴らは不死性が高いだけだ。能力的に鬼種だと思え! 一度に殺せると思うな」
颯爽と現れた白い騎士は、餓鬼に向かって悠然と向かっていく。
それに気付いて餓鬼はゆっくりと顔を向けると、騎士目掛けて触手を伸ばす。
しかし、騎士には全く焦った様子はない。
おもむろにマントから両腕を出すと、両手に握られていた鋭利に尖った十字架のようなものを投げ付けた。
計六本。
それが触手を貫いて大地に突き刺さる。
すると大地には六芒星の魔法陣が浮かび上がった。
餓鬼はまるで金縛りにあったかのように、身動き一つとれない。
騎士は腰から剣を抜き放つと、糸も簡単に身動き出来ない餓鬼を一刀両断した。
餓鬼は見る見るうちに、干からびた玉葱のように変化すると、ばらばらと崩れ落ちる。
聖成封剣レグホート。
切り付けた相手の力を封殺していく、サクラメントの中でも最高峰の武器だ。
餓鬼が吸収した命を完全に封印していく。
廻りの騎士達から歓喜の声が上がる。
すると、今度は天空から流星が舞い降りた。
銀色の極細のジャベリン。
それが次々に餓鬼を串刺しにしていく。
超遠距離からのダイナミックアプローチ。
それを成し得たツインテールの少女は、顔色一つ変えずに後方でガッツポーズをしている頃であろう。
「先ずは動きを封じろ!
魔術師は氷結魔法に絞れ。一撃で殺せると思うな。奴らの体から削ぎ崩せ!」
テキパキと指示を出しながら、王宮近衛騎士団、マグリネスはその悠然たるカリスマ性で部隊を整える。
「これは私の出番はなさそうだな」
後方で、剣も抜いてもいないデュランダークにマグリネスは批難の目を向けた。
まるで戦う意思を感じない。
「何故貴様がここに来ている。姫の直衛が貴様の任務であろう?」
それを聞いてデュランダークは肩をすくめた。
「その姫の勅命では出るしかあるまいよ。中盤の巻き返しをしろとの事だ」
「ならば、貴様も英雄騎士としての仕事をして見せろ」
「……了解した。密集戦は俺の不得意な場所だが、騎士として恥じぬ戦いを見せよう」
そう呟くとデュランダークは腰の剣を、鮮やかに抜き放つ。
まさに英雄譚の勇者のような華麗な佇まい。
「中央、騎士達よ下がれ!」
凛とした声が戦場に響く。
その声に導かれるように、騎士達は後退した。
戦場には四匹の餓鬼が残る。
「まともに戦うは時間の無駄と見る。刃は氷で出来ている。昏迷の海よりい出て荒ぶる魂と共に、凍てつく空より舞い落ちる。それは全ての脅威を打ち砕き、あらゆる悪意に打ち勝つ一陣の刃。そは世界が伝える白き静寂」
握った聖剣が光り輝く。
聖剣エグゼス・カリバーン。
妖精界で手に入れたとされる星造兵装。
延びたツバの左右は半円のハンドガードがつき、ツバの中心から妙な棒状の筒が、前後に二つずつ飛び出ている。
刀等はびっしりと神代文字が刻まれた、重圧な両刃剣だ。
「静寂と共に、闇の帳が空を覆う」
デュランダークの言葉の後に、聖剣の周りに黒と白、そして薄靄のような光球が生まれる。
「闇に抱かれ、とこしえに眠れ。ダークロック・コキュートス」
三つの光りが放電するように剣を包む。
まばゆい光りと共に振るわれた聖剣は、四匹の餓鬼を一瞬で凍りづけにした。
まるで、地中から生えた氷柱に封じられたような有様だ。
周りから感嘆の声が上がる。
「永久凍結だ。何千年経とうが、外部から余程の力を受けない限りこの氷の檻はとけはしないだろう」
デュランダークは軽く剣を振ると、軽やかに鞘に納めた。
「流石、デュランダーク様だ!」
「これが英雄騎士の力!」
「英雄騎士!」
周りから喝采が起こる。
英雄騎士の名の連呼に、デュランダークは苦笑いを浮かべた。
その情景を見てマグリネスは鼻を鳴らす。
騎士達の士気を上げるには申し分ない人材だ。
そこまで考慮してデュランダークを寄越したのならば、パリキス王女の評価を改める必要があると本気で考える。
「混沌の聖剣“エグゼス・カリバーン”か……。流石と言うべき威力だな」
デュランダークの腰に下げた剣を見つめる。
“勝利を実現させる剣”と言う名を持つ、伝説級の武器。
神造兵装と並ぶ最強武装の一つだ。
一つの世界を内包していると言われ、剣の中には
原始の海があるとされる。
その海には始まりの可能性がつまっており、全ての力を実現出来ると謳われていた。
世界を見回しても数少ない星造兵器であるが、実はガルンの持つ魔剣ダークブレイズは、魔性側が生み出した最強武器の一つであり、カテゴリー的には神造兵装に位置する。
それに匹敵するのは、後は天翼騎士団の天獄剣ぐらいなものだろう。
王宮近衛騎士団のサクラメントも強力ではあるが、ランク的には一段階下に位置する。
この戦場に存在する武器の中では、トップクラスの武器と言うのは間違いない。
しかし、デュランダークを英雄騎士と言わしめるものは他にもある。
それは身につけている鎧と盾の存在だ。
元々、王宮近衛騎士団としてメルテシオンの現王デフォン・クライズ・メルテシオンからサクラメント“成聖燿凱サンライズ”と呼ばれる防御に優れた鎧を持っていた。
それにプラスし姫救出の功を労われ、女王リネンディア・クロファ・メルテシオンからも、新たなサクラメント“成聖月盾ムーンレイズ”をも授与されている。
すなわち、伝説級の武器に二つの防御サクラメントを持つ、攻守とも破格に突出した存在なのだ。
かつて、ゲイルデュアー包囲戦と呼ばれる戦争のおり、王の退路を確保するためにたった一人で3千の兵の足止めをした実績がある。
他国から“動く要塞”と言う、あだ名を付けられるのも納得の由縁だ。
デュランダークの登場は、部隊に勢いを付ける点火剤となった。
次々に餓鬼の動きを封じる戦法が行われ、倒すのではなくその場に足止めをする戦いが進む。
こうして一部の部隊の活躍により、全軍は“餓鬼を置いて”進軍し始めた。
前線のカナンの活躍も合わさり、ようやく突入作戦はスムーズに動き出す。
突入第一陣が洞窟内に侵入するのは、それから僅か五分後である。
これが凄惨な冥夢の幻域の戦いの始まりであり、冥魔大戦と呼ばれる戦い
が悪夢とされる意味を知ることになる第一歩であった。
闇が広がっていた。
自身がその中を漂うような奇妙な感覚。
死後の世界がこのような闇一色の世界ならば、常人なら数時間で発狂するだろう。
このまま何もかも手放せば楽になれる気がする。
しかし、何かが引っ掛かった。
このまま居心地の良い闇に沈むには、気掛かりな一点が。
闇の中に光が見えた。
暖かい光は、されど月明かりのように静かで優しい光を放つ。
そこには寂しそうに微笑む少女の姿が浮かんだ。
自分が闇に沈めば、彼女もまた同じように闇に沈む事になるだろう。
それだけは許せない。
例え自身が闇に沈もうと、彼女を闇に沈ますわけにはいかない。
その想いが、心に光を生んだ。
新たな光が輝くのが分かる。
その光輪が、生者が踏み込めない第八の世界に足を踏み込ませた。
「さて……と、流石に冥夢の幻域に引くしかねぇな」
ハリイツは地響きと共に進行する軍隊の姿を見て、呆れながら頭をかいた。
人海戦術。
幾ら破格の妖異を連れているとはいえ、あの数全てと戦うのは無理がある。
どのみち、燃費の悪い守護神を具現化させたままでは、妖力の消費が激し過ぎて、命を取り込みながらでも割に合わない。
「仕方ねぇーな。つまみ食いもここまでだ……な?」
そこでハリイツは妖虎が低く唸っている事に気がついた。
小さなうめき声と、微かに動いている人間が目に入る。
倒れ伏したハオロンだ。
片腕で何とか立ち上がろうとあがいているが、出血が多過ぎて力が入らない。
「あーーまだ、息があるのか。虫の息過ぎてターゲットにカウントされなかったのか」
つまらなそうに眺めていた目が、いきなり見開かれた。
慌てて目の隅に入ったものに目を移す。
黒い炎。
全く光の反射が無い純粋な漆黒。
まるで光の無い世界を、そこだけが構築したような異質な焔が立ち上っている。
その出火先は、黒い魔剣だ。
倒れ伏したガルンが持つ、ダークブレイズから漏れ出している。
「何だ? あの炎は? 以前見た黒い炎じゃ……ない?」
ハリイツは数歩下がってから気がついた。
身体が無意識に後退しようとしている事に。
「全く……情けない限りだが、お陰で八つ目のチャクラに開眼出来たようだ」
ゆらりとガルンが立ち上がるのを、ハリイツは唖然と見送るしか出来なかった。
目の前で有り得ない現象が起こっている。
死んだ筈の人間が立ち上がって来たのだ。
棒立ちになるのも仕方が無い。
「なっ、何だ……そりゃ?! 妖彗王カリシリスの力を受けて、どうして生きているんだテメェ……」
「さぁー、何故かな? 俺は存在が変質しているからか……。それが原因で、能力が効かなかった可能性はあるかもな」
唸るハリイツを見てガルンはそう答えたが、理由はさっぱり分からない。
上位存在である、星狼の血のおかげかとボンヤリと考える。
それならば、ガルンはまたクフルに助けられた事になるのだろう。
しかし、当事者の彼等が気付かない真の要因は、この後も誰も知る事もなく、闇に埋もれて消える事になる。
ガルンが助かったのは、呪いと呪いが相殺したお陰だったのだ。
王宮近衛騎士団の入団時期に、ガルンはアズマリアに危険視されて深淵眼による死の呪いを受けている。
ガルンが己が死ぬと危惧したときに発動する、終焉の呪い。
それが発動し、妖彗王カリシリスの呪いと組み合わされ、二つの呪いは力を相殺しあったのだ。
まさか生存争いの戦場に出向く者が、死の呪いを受けていると思う者はほぼいないであろう。
仮死状態になっていたのは、僅かに妖彗王カリシリスの力が上回っていたからである。
本来、ガルンはそのまま死に絶えていたのだが、サクラメント“天三輝”にはリジェネーション(再生促進能力)がある事をガルンは知らない。
天三輝にはパリキスの形見の勾玉に宿した、三つの力が備わっていた。
一つはヤタに宿った力。
神霊力による万能神聖障壁。
あらゆる術式、力に反応し、神霊力による防御神域を形成する。
もう一つはアメノムラクムに宿った力。
物理攻撃に反ベクトルを与え、あらゆる攻撃を共振相殺する絶対防御。
最後にヤサカニに宿った力。
保有者の生命力を活性化させ、常に万全の状態に保とうとする再生促進能力である。
この破格の能力は、ある呪い(まじない)によりパリキスの命と盾とを共有しているからこその力であり、パリキスの膨大な神霊力に支えられた奇跡に近いモノであった。
その事実を知るのは製作者であるパリキスのみで、渡されたガルンも知らない事実である。
この二つの奇跡が合わさり、ガルンは九死に一生を得たのだ。
ガルンは自然体から、ゆったりとまるで釣竿を振るようにダークブレイズを振った。
黒い焔が解き放たれる。
棒立ちのハリイツを庇うように、その前に妖虎が立ち塞がった。
吸収能力がある幽冥獣に飛び道具は意味をなさない。
案の定、妖虎は焔を飲み込んだ。
それを見て、ハリイツはようやく冷静さを取り戻した。
いかに不自然な存在であろうと、今までの餌と何等代わる存在では無い。
即死出来なかったのは、何かの偶然であろう。
しかし――その思いは一瞬で瓦解した。
目の前で不死を誇る妖虎の身体から、黒い焔が漏れ出す。
妖虎の穴と言う穴から、漏れ出した焔は、体を崩すように全てを飲み込んでしまった。
後には何も無い。
再び棒立ちになったハリイツの目の前で、妖虎は跡形なく消失したのだった。
「消えた……? 空間転移か? いや……違う」
ハリイツは妖虎と繋がっていたライフラインが消えている事に気がついた。
存在が完全に消失している。
魂の共有が消えている。
この力が因果率まで影響を与えていれば、生きていた痕跡すら無くなってしまう程の威力。
「第八のチャクラは他のチャクラとは一線を画しているようだな。今の状態なら“純黒のダークブレイズ”をまだまだ使えそうだ」
ガルンが下げている魔剣から、再び黒い焔が立ち上る。
全てを飲み込むような、深淵なる闇。
全てを拒絶するような、漆黒よりなお暗い黒色。
真に魔剣が、そのリミッターを解除した姿がそこにあった。
「ありえねぇ! ありえねぇありえねぇ!! 幽冥獣ファン・フーの内包した命は千を越えていた筈だ! それが一撃?! 一撃で滅ぼされたって言うのか!」
ハリイツが頭を押さえるのも仕方が無い。
全てが出鱈目だ。
本来なら倒し切っているガルンを守る浮遊物体。
既に死んでいる人間の復活。
力を吸収する能力を上回る、異常な焔。
本来殺し切れない幽冥獣の消失。
ハリイツにとっては寝耳に水だ。
「純黒の焔は存在ごと全てを焼き尽くす。貴様らの不死性は、取り込んだ命を自分の死の肩代わりに使っているようだが、基になる存在が消えれば意味は無い」
「はっ? 馬鹿な! それではアカシックレコードに作用する程の……」
そこでハリイツの顔は強張った。
それならば合点が行く。
それならば消え去る可能性はある。
“世界から削除されてしまえば、それは存在しない”のと同意だ。
「流石に存在率が高い高次元存在には、一撃で倒すとかは行かないらしいがな……」
ガルンはグラハトの言葉を思い出して、小さく微笑した。
懐かしい記憶も、時間と共に色褪せていく。
人間とは不出来な生き物だ。
薄れ行く面影を寂しく感じる。
「そうか……そう言う事かぁ……。テメェーの装備は存在変動兵器――対神兵装!! 糞が! どこで、そんなレアアイテムゲットしやがった」
「それは内緒だ」
「ふ……ふざけやがって!! なら、御望み通り相手は高位存在だ! 今度こそ死ね!」
妖彗王カリシリスがガルンに視線を向けた時には、黒炎は放たれていた。
カリシリスの腰骨から生えた、枝の翼が広がる。
翼が輝くと、前方の空間に虹色の膜が広がった。
オーロラの様に輝くのは、高速プラズマによる電磁気障壁だ。
電界内にハリイツから吸い上げ続けている霊子力を利用し、反物質プラズマを構築する。
本来ならほとんどの攻撃を対消滅させる力を持つ、高次元の術式障壁と言えよう。
しかし、黒炎が炸裂するとそのプラズマ障壁は呆気なく霧散した。
余りにあっさりと消し飛ばされたバリアーを見た為か、妖異の女王の動きは数瞬停滞する。
そこに水の渦が、ツイスターのようにカリシリスに激突した。
蝶白夢による水流攻撃。
あっという間の怒涛の攻撃は、ハリイツが何の援護も出来ないうちに終わりを告げようとしていた。
水流に乗るように、ガルンが飛び上がってくる。
魔剣には純黒の炎を纏ったままだ。
カリシリスの瞳が輝く。
続いた歌は、されど何の意味も成さなかった。
何故ならば、“ガルンはまだ跳び上がってなどいなかった”からだ。
「貰った! 滅陽神剣法、無式九十九型“亢龍裂吼”!!」
真下からガルンの一撃が天を穿つ。
世界を裂くような咆哮が、真上にいたカリシリスを真っ二つに切り裂いた。
纏った純黒の炎が、傷口を焼き尽くすように燃え上がる。
ハリイツが元いた世界において、彗星にただ一柱存在した怪異は、星の王とは思えない程呆気なく最期を迎えた。
枯れ木が燃え上がるように、渇いた音と共に分解していく。
空に咲いた奇妙な花は、塵一つ残らずに赤い空に消え去ってしまった。
蝶白夢の攻撃を受ける事は、そのまま、精神汚染を受けたに等しい結果を生む。
上位存在であるカリシリスにはたいして効き目は薄いが、数瞬の錯覚だけでガルンには十分だったのだ。
即死さえ免れれば、逆に致死攻撃を与える自信が
今のガルンにはある。
次のターゲットに移るべく、ガルンは素早く振り返った。
しかし、ターゲットたるハリイツの姿が無い。
「逃げた……のか?」
プラーナ感知の索敵範囲には気配を感じず、直ぐさま精霊の眼に切り替える。
しかし、それでも周囲にハリイツらしき存在の気配を感じない。
「何だ……?」
違和感を感じて辺りを注視するが、それより先に、存在の光が薄くなる者に眼を向ける。
素早く二刀をしまうと、ガルンは瀕死のハオロンに駆け寄った。
「たいした生命力だな」
「う……るせぇ、ボケなす……が」
「それだけ悪態がつければ平気だな」
ガルンはハオロンを素早く抱き上げると、左肩に乗せて走り出した。
淡く青白く光る壁は、地脈を使った術式のなせる技だった。
その光が、地下深くにある神殿を煌々と照らす。
それは冥魔族が作り上げた、地脈を吸収、展開、運用するための窯の様な物である。
その空間に舌打ちが響いた。
薄暗い神殿前に人影が三つ見える。
「ムボウか……。余計な事をしやがって」
そこには地上にいたはずのハリイツが立っていた。
「やられそうだった癖に? 自分の能力規模がでかいからって、天狗になっているから痛い目に遭うのよ」
横に立つ赤髪の美女が、呆れ気味に呟く。
「はっ、これから、オレ直々に仕留める所だったんだよ!」
唾を吐き捨てる様子を見て、真後ろにいた老人は首を振った。
「やれやれ……。我らが決死の思いで調伏したカリシリスを失いおって……。それに幽冥獣だ。夜叉の花弁にも、“赤銅巨人”と“念動能力者”しか残ってはいまい。その様でよく言ったものよ……」
体の何もかもが細い老人は、皺くちゃな顔をさらに歪めた。
ハリイツはそれを無視して歩き出す。
「二つアレば奴を倒すには十分だ。後は冥法を織り交ぜてぶっ倒す」
「全く……。それで倒せぬから、ムボウに連れて来られたものを。ファン・フーがいなければ、戦闘中には能力を増やせんぞ? 今は、先に残りの空いた花に水をやる事だな」
「今から食えるような上物がいんのかよ?」
ハリイツの言葉に、老人は無気味に笑う。
まるで邪悪な好々爺のようだ。
「“上”で面白いモノを見つけた。奴らは自分で自分の首を絞める事になろうぞ」
老人の笑い声が神殿に響く。
それが悪夢の一つを確実に引き寄せる、呼び水となっていた。
「彼等は運が良い。ここに殿下がいなかったら確実に死んでいただろう」
そう呟いた壮年の僧兵は、テントの外にいるガルンにそう声を掛けた。
「パリキスがここにいるのか?」
ガルンは不思議そうに仮設テントを眺めた。
怪我人を収容するために、拠点防御陣形を取った軍隊中央に布陣されたテント群だ。
第三フェイズの戦略であるパリキスの神降ろし作戦はまだ先の話しではあるが、王女自ら怪我人の治療など前代未聞である。
「殿下の心遣いには心底感服する。冥魔族の攻撃は、呪術と妖術の二段式だからな。一人の治療に治療術士が二人必要だ。その為、治療に時間が掛かる。本来なら死人が増える一方だ。だが、そのフォローを殿下自らが行ってくれている。そのおかげで助かる人間の数は膨大だろう」
それを聞いてガルンは顔を綻ばした。
あわてふためく王宮近衛騎士達に、それをいましめるパリキスの姿も容易に想像出来る事柄だ。
「それじゃ、アビスとハオロンは一安心だな。治ったら、さっさと手伝いに来いと伝えといてくれ」
その言葉に僧兵は微妙に難色を示した。
その表情にガルンは片眉を上げる。
「少年の方は体調が回復すれば、直ぐにでも戦線に復帰出来るだろうが……。スキンヘッドの方は……無理だな」
「どう言う事だ?」
「何故か腕だけが蘇生出来なくてな。あれでは、もう戦いは無理だろう」
「……」
ガルンは沈黙した。
相手の肉体、能力を吸収する幽冥獣に腕を喰われた後遺症なのか、その幽冥獣を“純黒の炎”で、内包した腕ごと抹消してしまった為なのかは定かではない。
しかし、パリキスが居て治らないとなると、尋常な方法での再生は望めないだろう。
苦い顔のガルンを見て、僧兵はバシンと背中を叩いた。
「これは生存争いを賭けた戦争だ。こんな所で立ち止まってる暇はないぞ!」
壮年の僧兵の顔には、歳を重ねただけの貫禄がある。
こう言う人間達のおかげで、前戦の兵士達は奮起させられるのだろう。
「そう……だな。オレがあいつらの分も敵をぶっ飛ばすよ」
ガルンはそう言うと、ゆっくりと踵を返した。
今は立ち止まってる時ではない。
正しくその通りだ。
パリキスの出番など、訪れる前に決着をつける。
ガルンはそれを再認識して歩き出した。
半刻後。
洞窟の入口付近は完全に四国に制圧されていた。
ゲリラ的に現れていた冥魔族の姿も、今は見えない。
突入部隊のメンバーも、その前にようやく揃った所だった。
メンバーが揃うのが遅れたのは、勿論ハオロンを収容所に送るために引き返したガルンのせいである。
「ふむ。ハオロンは離脱か……」
「ハオロンの分はオレがカバーする! 俺達もさっさと突入しよう」
息巻くガルンを、アズマリアが手で制する。
「まあ、待て。地表での戦いで既に予定が狂っている。欠けたメンバーはハオロンだけではない」
その言葉で、遅れて来たガルンはようやく足らないメンバーに気付いた。
カナン、白き銀嶺、ブルースフィアがいない。
「どう言う……事だ?」
「ばらばらに向かったのが仇になった。カナンと白き銀嶺は先行し過ぎたな。入口付近の冥魔族を排除した後、なかなか先遣隊が敵に阻まれて中に入れなかったそうだ。それを見兼ねてカナンが切り込み、仕方なく白き銀嶺も付き合った後は消息は不明だ」
ガルンは軽く頭を押さえた。
戦争は個人では出来ない。
いくら強くても、カナンは先走り過ぎだ。
「問題はブルースフィアの方だ。地表戦で既に戦死した」
「……戦死?! あいつかなり凄腕だったんだろ?」
ガルンは周りの反応を見た。
今まで部隊の都合上、共に戦った事はほぼないからだ。
それでも隊長クラスなのだから、それなりの能力の持ち主の筈である。
その問いにたいして、口を開いたのはグレイだった。
「ブルースフィアは結構やるぜ? 昔、ネーブルと黒鍵騎士団の強い奴の話をした事を覚えてるか? あの中に入っていただろう」
そう言われてガルンは何と無く、そんな会話をした事を思い出す。
そうなれば、少なくともアビスやアカイ、無名クラスの実力者と言う事になる。
「ブルースフィアは、俺らと一緒に騎馬を駆って前線に向かっていた。そこに現れた赤毛の女冥魔族にやられちまった」
そう呟いたのはレッドレイだ。横にいるクライハルトが仏頂面な所を見ると、彼もいたようだ。
「あんたらが援護出来なかったのか?」
「そいつが厄介な奴でな。多分テレポーターに近い能力者だ。魔法を使おうとしていたブルースフィアの間合いに一瞬で現れやがった。後は一撃。馬ごとえぐられた。残ったのは馬の体半分と、ブルースフィアの足のみさ。こっちが戦闘態勢を取ると、さっさと逃げる潔さも厄介極まりない」
レッドレイの投げやりな喋り方から判断しても、本当に一瞬の出来事だったのだろう。
クライハルトの憮然とした態度は、対応すら出来なかった事への憤りか。
「話を統合すると。能力から言って、ただの冥魔族ではないと思うが?」
無名の言葉に全員が頷く。
冥法以外に特殊能力持ちならば、相手の分類は結論がつく。
「冥魔黎明衆か……」
「十中八九ま違いないな。まだ冥魔黎明衆は他にもいると言う事だ」
誰かの呟きに、アズマリアは相槌を打った。
確かにたった二人に、そんな大層な名前がつく筈もない。
「流石に四人も欠けては、先行作戦のフォーメーションは取れない。チームを一編成にして、いざとなったら足止め班と分けるぞ?」
アズマリアのプランに誰も反論は無い。
どちらにしろ知謀術数にかけては、アズマリアに並ぶ逸材がここにはいないのだ。
「鏃陣形で速度を優先させる。敵に冥魔黎明衆がいる以上、足止めにもエース級を当てるぞ。前衛ツートップにガルン、無名。前衛下にアカイ。中盤を我とライザック、グレイ。後衛にクライハルトとレッドレイだ。敵に冥魔黎明衆が現れた場合は、最小人数で敵を抑えこむ。ワン・オン・ワンだ。一人目ならガルン、二人目ならクライハルト、三人目なら我が抑える。考えたくも無いが……それ以上現れた場合はパーティーで相手をしろ。それ以上分散したら各個撃破されかねない。いいな!」
アズマリアの戦術に、全員が了解と答える。
状勢は、今だ洞窟内上層部攻略途中であった。
洞窟内部――冥夢の幻域は最悪の戦場だった。
内部にいるだけで、生命体の精神力、体力どころか、魔力、霊力すら吸われていく。
ここは巨大な胃袋だ。
その中に入った生き物はじわじわとそこで溶かされていく。
「これは……まずいな」
呟いた白き銀嶺の顔にも疲労感が漂う。
絶大な体力を誇る竜種が怯む程の虚脱感。
脆弱な人間が此処で戦うのは、自殺行為に近い。
元々持ち得ている体力や魔力量の限界値が、全く足らないのだ。
「ここは……善くないかな」
カナンは周りの情況を見て、渋い顔をした。
現れた冥魔族と餓鬼に、次々に兵士達が喰われていく。
兵士は満足に動けずに餓鬼に潰され、噛み砕かれるばかりだ。
魔術師達は魔力を込めた先から魔力を吸収されて、満足に魔法を使う事が出来ない。
冥魔族の冥法の前に次々と倒されていく。
逆に、倒した人間が増えれば増える程、生命吸収能力のある冥魔族の力は増大するばかりだ。
それを見兼ねて、白き銀嶺の咆哮が響く。
暴風の魔術が餓鬼を数体弾き飛ばすが、冥魔族達は軽く障壁でそれを防いだ。
「……!!」
白き銀嶺の竜語魔術の速度をもってしても、冥魔族の冥法のスピードを凌駕する事は出来ない。
魔術で対抗出来るのが白き銀嶺のみでは、魔術で戦う結果は火を見るより明らかだ。
その中、カナンは目を閉じて不動の姿勢をとっていた。
「……だいたい、分かった……かな」
ぽつりと呟くと、手にした小太刀を大地に突き刺す。
その瞬間、全員の虚脱感が薄らいだ。
驚きの歓喜が広がる。
滅陽神流剣法で、冥夢の幻域の一部を“破壊してのけた”事実を理解できる人間はいまい。
「魔術師は対術防御に専心! 餓鬼は牽制だけで深追いしなくていいよ! 白き銀嶺、援護よろしく~」
カナンが叫びながら前に出る。
餓鬼の一体に狙いをつけると、小太刀を振りかぶった。
「行ってみようか~!」
振り抜いた衡狐月が、まるで大鎚のように餓鬼を弾き飛ばす。
吹き飛んだ餓鬼は、まるで計算されたように綺麗に冥魔族達に向かった。
一人の冥魔族が仕方なく障壁を張る。
餓鬼を弾いた時に、ようやく彼等は致命的なミスをした事に気がついた。
餓鬼の背中に少女が張り付いていたのだ。
あっという間に間合いに入った少女が小太刀を振るう。
近場の冥魔族二人は、綺麗に胴体が二分されていた。
三人目は、流石に冥法で岩の壁を突出させる。
しかし――岩を突き破り、ソニックブームの爆音が掻き鳴らされる。
瞬間的に質量を変えられる妖刀は、壁に当たった時には隕石のような突進力を持っていたのだ。
力任せ。
カナンは無骨な戦法を選択した。
大地の壁を突き破り、軽く頭を砕き飛ばす。
その時に発生した衝撃波が、周りの冥魔族をも弾き飛ばした。
後方の冥魔族が冥法を唱えるが、白き銀嶺の魔術がそれを遮る。
それだけの牽制時間があればカナンには十分だ。
チャクラを肉体強化に回し、一瞬で間合いに侵入する。
直ぐさま大気の壁を形勢するが――
「滅陽神流剣法、無式弐型・袈裟斬り!」
――大気の壁はあっさり切り裂かれた。
斬れないものすら斬りさく、それが神屠りの剣の真骨頂である。
障壁ごと冥魔族はあっさり、袈裟斬りに両断された。
「次行ってみよう!」
再び少女の形をした暴風が動き出す。
その場にいた冥魔族を全滅させるのは、それから僅か五分の時間だった。
「しかし……ここの吸収結界の威力は、個人の冥魔族の結界とは比べものにならないな」
白き銀嶺は洞窟の奥側の道を見ながら呟いた。
洞窟内は軽く整地され、巨大な道が続いている。
開けた場所で陣を引いたカナン達の周りには、休憩している兵士達が百人近くいた。
それぞれの顔は疲労困憊だ。
既に全力で山岳走破したような疲れ具合である。
「ここは本当に邪気が酷いよ……。白き銀嶺もチャクラ一つを完全に状態維持に回した方がいい」
「確かに。ここでの戦いは、いかにコンディションを保つかが鍵のようだな」
白き銀嶺もチャクラを状態維持に回す。
それでもゆっくりと、プラーナと魔力が流れ出ていくのが分かる。
チャクラでエーテル体を強化している白き銀嶺でもこれだ。
能力者でもない一般兵士では、体力の回復は見込めないと言えよう。
兵士の何人かは、着ている鎧を脱ぎ出した。
鎧を装備しているだけでも、苦痛に感じる疲労なのだろう。
「これは一端引くべきだな。長期戦闘を踏まえて、突入部隊を入れ代えて踏破するか、駐屯基地を要所要所に構築しなければ全滅は必至だ」
「……でも、それだと時間がかかりすぎるよ。あっち側の住人は、時間が経つほど強くなる」
「嫌なジレンマだな。確実に勝つには長期戦しか見込め無いが……長期戦を挑めば勝つ確率が下がっていく。地脈の力が貯まれば、奴らが別世界から援軍を喚ぶのも避けられない」
「……どっちにしろ、闇染作戦の第二フェーズが始まっちゃうかな? 地獄絵図開始だよ」
カナンと白き銀嶺は苦笑いを浮かべた。
まともに戦う程、冥魔族との戦いは不利になるばかりだ。
洞窟に入ったばかりの場所は拓けていたが、その先は迷路の様に入り組んでいる。
突入した部隊もバラバラに進軍中だ。
これでは幾ら人数がいようと、じわじわと殺され続ける可能性は高い。
「ガルン達と合流して、ある程度の部隊でローテーションして進むしかあるまい」
白き銀嶺の諦めに似た言葉に、カナンは首を振った。
「悠長な事は、言ってられなくなったかな……」
ゆっくりと小太刀を引き抜く。
それに気付いて、直ぐさま白き銀嶺は周りに注意を促した。
プラーナ感知をかけるが、冥夢の幻域は真下に力が流れていくため、上手く感知が出来ない。
それでもカナンが敵に気付いたのならば、何処かに敵がいるのだろう。
白き銀嶺はそう判断して身構えた。
この手の“勘”は、ガルン同様、カナンはずば抜けていると実感している。
実際、ガルンは精霊の眼を使ったイカサマのようなモノだが、カナンのそれは純粋な第六感であろう。
すると、いきなり周りが朱く染まり出した。
洞窟の壁が朱く赤く。
大気すら紅く濁るように。
全員がざわめく頃には、そこは“赤い月の浮く雪原”に換わっていた。
「……!! 空間結界か」
白き銀嶺の声に苦渋の色が見える。
この狭い洞窟内では、領域結界などの広域魔術は防ぎ様がない。
どちらにしろ、此処は相手の本拠地だ。
何の仕掛けも無い方が不自然であろう。
空に浮かぶ赤い月がゆっくり裂けて、中から紐人形と人影が現れた。
カナンと白き銀嶺には、その姿に見覚えがある。
赤い雪のアロン。
初めて姿を現した冥魔黎明衆の一人だ。
地上に降り立ったアロンは、不思議そうにカナンと白き銀嶺を眺めた。
「また会ったな? 戦場で二度も会うとは、貴様らは運が悪い」
「それはこっちの台詞かな? 既にそっちの糸人形のタネは分かってるよ」
「タネが分かった所で、対応策が無ければ解決にはなるまい? それに、今は我がタレント“月蝕灼雪クリムゾン・エクリプス”が発現中だ。貴様らに退路は無く、生き残る術もあるまい」
「凄い自信だね。過信は命取りになるかな?」
アロンは口の端を吊り上げると、右腕をゆっくりと上げた。
それが合図だったのか、辺りには朱い雪がしんしんと降り始める。
「ぎゃあっ?!」
ぶさまな牛蛙のような声が上がった。
起こった異変に、全員が直ぐに気が付いた。
いや、気付かない訳がない。
至る所で悲鳴と白煙が上がった。
朱い雪に触れた箇所が、溶け始めたからだ。
それは肌だろうが、鉄だろうが、等しく熔かしていく。
「……!!」
カナンの巫女服の端々も煙りを上げ出した。それは白き銀嶺も同様である。
「溶解する雪! なんと面妖な!」
白き銀嶺は直ぐさま、空に向かって雄叫びを上げた。
ドラゴンロアーが炎の塊を生む。
放たれた炎熱波が上空の雪を蒸発させた。
兵士達から歓喜の声が上がる。
しかし――その声は直ぐに落胆に変わった。
当然だ。
雪を一時的に廃除しようと、雪が降り止むわけではない。
赤い雪は再び降り始めたのだ。
「無駄だ。天候規模の術を使えたとしても、ここは我が世界の中だ。決して雪が止む事はない」
それを聞いて全員の顔色が変わる。
直ぐに魔法が使える者は、防御魔術を展開させ始めた。
「白き銀嶺! プラーナを放出して、雪の付着を阻むよ!」
カナンは身体の周りにプラーナを纏わり付かせ、雪が降り積もるのを防ぐ。
白き銀嶺もそれに倣ってプラーナの防護服を構築した。
だが――
(これは……まずい)
白き銀嶺は眼を細めた。
プラーナを放出し続ければ、世界を埋める吸奪結界に力を膨大に奪われていく。
とは言え、防御に力を割かなければ雪に触れ続けて溶け死ぬだけだ。
「さっさと能力者を倒すしかないかな? 速攻瞬殺?」
カナンが身構えると、アロンの前に紐人形が出る。
冥魔族の基本戦術だ。
不死の壁を前面に、後方から冥法でじわじわと削り殺す。
既に見飽きた戦闘スタイルだが、今はそれにプラスして死の雪も降る。
短期決戦しか術は無いが、それが非常に難しい。
「くっそぉが!!」
兵士の一人が槍を振りかざして走り出した。
僧侶の防御魔術内にいれば、雪を防ぐ事は可能であろう。
しかし、それでは案山子に過ぎない。
紐人形になぶり殺しにされるのは、時間の問題であろう。
それを悟った行動だ。
他の戦士達も、死の雪を抜けて躍りかかる姿を見て、倣うように飛び出した。
玉砕覚悟だ。
能力者を倒せば、能力は解除される。
それを予期していたように、紐人形の腕が閃く。
躍りかかる兵士達の身体は、綺麗に持った武器ごと両断された。
異なる位相に“ズレた”腕が、身体を透過した時点で元に戻る。
結合分断。
実質、物理防御が不可能な攻撃だ。
「冥法・炎咒“砕く焔塵”(くだくえんじん)」
紐人形の射程外には、容赦なくアロンの冥法が火を吹く。
襲い掛かった残りの人間は、一瞬で火だるまになった。
無謀な特攻をアロンは嘲笑う。
しかし――その意味は十分あった。
カナンと白き銀嶺の姿が無い。
はっとなるアロンの左右に、カナンと白き銀嶺が回り込んでいた。
流石の紐人形も、兵士達の相手をしている瞬間を狙って動かれては、対処が間に合わない。
「冥法・空咒“逸脱の壁”!」
アロンは直ぐさま大気の壁を形勢して牽制する。
数秒時間を稼げば、幽冥獣が直ぐにも援護に来る筈だ。
だが、それが裏目に出た。
彼女達の目標は、始めから彼ではなかったのだ。
挟撃からの攻撃モーションはフェイントであり、端から狙いは――アロンではなく、紐人形の方であった。
「龍勁機甲・破山湟擂!」
白き銀嶺の脚が地面を踏み抜き、軸足の振動と共に大地を吹き飛ばしながら無色の力が紐人形に放たれた。
気功法。
大気を伝播する気の波濤が紐人形を襲う。いくら位相をずらそうが、そんなものはお構い無しだ。
何故ならば、始めから二人の狙いは紐人形をアロンから引き離す、ただその一点だったからである。
それにアロンが気付いた時には遅かった。
自らが作り上げた大気が邪魔して、安易な冥法が唱えられない。
「滅陽神剣法、無式二十七型“波紋響”!」
カナンの突きが紐人形の中心に炸裂する。
チャクラ三つを投入した威力は、紐人形の胴体に風穴を開けて、吹き飛ばすには十分な破壊力を持っていた。
位相を戻した瞬間を狙ったのか、“ズレた位相”を狙ったのかは謎だ。
ただ、斬れないモノを斬る、神斬りの剣は見事にその力を披露したと言えよう。
直ぐさま、カナンと白き銀嶺は振り返った。
吹き飛んだ紐人形は二の次である。
あれは不死身なので、まともに相手はしていられない。
先に使い手を倒す選択をとったのだ。
しかし、振り向いた先の、アロンの姿がうっすらと消えていく。
まるで空間に溶け込むような、色褪せた景色のように。
それに直ぐに反応したのは白き銀嶺だ。
間を置かずに咆哮魔術を放つ。だが、放たれた凍りのブレスは虚しく宙を通り抜けた。
「インビジブル……姿隠しの魔術か?」
「……ちょっと違うかな。あいつは、“この世界から”離脱した気がする」
「ご名答。私は結界外に抜けた」
二人の疑問にアロンの声だけが答える。
反響する声だけが世界に充満した。
後方で悲鳴が上がる。
振り返ると、蘇った紐人形が兵士達を薙ぎ払い始めた所だ。
「……速いな」
白き銀嶺の声には、珍しく苛立ちの雰囲気があった。
即死のダメージを受けた化け物が、易々と蘇られては堪ったものではない。
「この閉じた赤い雪の世界で、我が幽冥獣と死ぬまで踊り続けるがいい」
アロンの不敵な声が世界に響く。
「自分は“外に”ひきこもって、高見の見物なんて卑怯じゃないかな?」
「どうとでも言うが良い。所詮、敗者の言い訳なぞ、犬も食わんよ」
「まだ、負けてないかな」
呟きながら、カナンは辺りを見回した。
しかし、当然ながら声の方向には本体はいない。
「貴様らはここで大人しく溶け死ね。こちらには大掃除が残っているからな。手段は選んではおれんよ」
「大掃除?」
「上には群がる様に羽虫がいるからな。害虫は即刻駆除に限る」
その言葉に、珍しく白き銀嶺が声を荒げる。
「貴様達の方が害虫であろう! 我らが世界を食いつぶしに来た外来種めが! おのが世界と共存出来ない時点で、貴様らに活きる資格は無い!」
その声を聞いて、アロンは微かに鼻で笑ったようだった。
「吠えるな爬虫類。世界も満足に護れない屑は、それ以下だ。こちらはこれから上の黒いのも潰しに行かねばならん。貴様らに割く時間はここまでだ」
その言葉に、ピクリとカナンが反応した。
「……その黒いのって、何かな?」
低い声に、横の白き銀嶺が眉根を寄せた。
常に明るい少女には、似つかわしく声だ。
「以前、お前らと共にいた奴だ。ハリイツの奴が取り零したらしいからな。尻拭いとは迷惑な話しだ」
「ふーん。そう……そうなんだ。ガルンを潰すって言いたかったのかな?」
「いちいち、潰しに行くダニの名など知らんな」
「今度はダニ呼ばわり……へぇ~、よくカナンちゃんの前で吠えたね?」
ザワリとした殺気が世界を埋めた。
背筋を凍り尽くすような、尋常ならざぬ殺意の波動。
その世界にいた全員。
いや、幽冥獣どころか、外に居るアロンすら凍り付く。
「な……んだ、この気配は?」
横にいた白き銀嶺は思わず後ずさった。
温和な少女からは、思いもしない威圧感が漂ってくる。
恐怖に似た感情が、胃から喉元に競り上がってくるような違和感。
これでは幽宮の塔で感じた、千眼の魔神のプレッシャーに引けを取らない。
いや、それ以上か。
「滅殺決定~。うん。もう、め・ん・ど・く・さ・い・かな?」
そう呟くと、カナンは衡狐月を正眼に構えた。
身体全体から膨大な霊気が放たれるのを、白き銀嶺だけは理解する。そして、小太刀に集まる常識外の力を。
結界の外で、アロンは息を飲んだ。
圧倒的な力の集約。
一段階上の超越した力の波動。
あれではまるで、自分達より上位存在の様ではないか。
アロンは奥歯を噛み締めた。
「フン! いくら強力な攻撃能力を持とうと、そこと此処とでは世界が違う。届かなければ意味が無い。無駄に力を使い尽くして死ぬがいい」
その言葉を聞いて、カナンの口元が歪む。
「何勝手に決め付けてるかな? 世界を一つ跨いだだけで安全だと、何で思えるのかな?」
淡々とした口調には、嘲りの色が見える。
無知な子供を窘めるのではなく、小ばかにするような大人気無い返答。
しかし、それはイコールで相手の推論が的外れだと回答しているようなモノだ。
案の定、世界は悲鳴を上げ始めた。
世界が異様な音を立てながら揺れる。
まるで恐怖に泣き叫ぶように。
カナンの小太刀から昇る霊威力が、アロンの生み出した空間結界に負荷をかけ始めたのだ。
風船の中で台風が発生したと思うのが打倒なイメージであろう。
空間が砕け散るのは時間の問題だ。
だが、カナンはそんなものを待つつもりは毛頭なかった。
「魂もろともすり潰してあげるかな!!」
カナンが小太刀を頭上に掲げると、白銀の光りが天を貫いた。
世界が崩れるような振動の中、カナンは小太刀を振り下ろす。
「滅陽神流剣法……参の裁ち・業紡 (ごうほう)!!」
降り抜いた小太刀が纏っていた白銀の光は、まるで陽炎のように大気に溶けた。
すると、世界の外側から天をつんざくような唸る怒号と悲鳴が鳴り響く。
絶叫が合図のように赤い月にヒビが走ると、赤い雪の世界はまるで霧が晴れるように消え去った。
後には、元々いた洞窟が広がるだけである。
少し先に、真っ二つに“砕け散った”肉片が飛び散っていた。
それがアロンと呼ばれた冥魔族の、成れの果てと理解出来たのはカナンと白き銀嶺だけであろう。
滅陽神流剣法――それは三千世界に届く滅びの刃。
初めから高次元に存在する、“神”に届かせる事を想定した剣なのだ。
第参の剣は、敵対者が攻撃をしたと言う業を起点とし、因果律を遡って相手に霊威力を叩き込む技である。実質回避は不可能な技だ。
しかし、高度な技にはリスクが伴う。
今の技を精製したカナンのチャクラの一つは、ほぼ稼動が停まりつつあった。
以前、幽宮の塔でガルンが幽境の迷い人に使った技と同じだが、練り込んだ霊威力は桁違いだ。
ガルンは未だ理解していない事だが、この技はチャクラに甚大な負荷を与える。
ガルンが幸運だったのは、霊威力精製が不得意な為にチャクラを三つ使って霊妙法を練り上げていた事だ。
結果的にそれがチャクラ一つ一つの負荷を軽減していたのだが、そんな真似が出来るのもチャクラ数が破格なガルンならではであろう。
グラハトがガルンに滅陽神流剣法を伝授しようとした、真の理由がそこにあった。
チャクラを開眼する才気。それがガルンにはあったのだ。
剣の天賦の才は明らかにカナンの方が上である。
しかし――霊妙法を運用する才は、明らかにガルンの方が上だったのだ。
滅陽神流剣法に最も必要な基礎となり、土台となるチャクラ。それがガルンの才能だったと言えよう。
唐突に、洞窟内に鉄を擦る様な音が鳴り響いた。
それが主を無くした幽冥獣の叫び声だと理解出来る者はいない。
紐人形は、糸の切れた凧のように、不自然な動きで暴れ始めた。
振るう腕が、周りの兵士達を意図もたやすく撫で斬りにして行く。
「五月蝿いかな……」
上がる絶叫を気いて、カナンはゆっくりと身体をふらふらさせながら振り向いた。
その顔は、まるで幽鬼の様に青白い。
これが強大な力を使ったツケなであろう。明らかに体調に不備が出始めている。
しかし、そんなモノは歯牙にも止めないのか、手にした小太刀が再び白銀の輝きを放ち始めた。
その光に、ぎょっとしたのは白き銀嶺だ。
まさか、再び霊威力を練り始めるとは思わなかったのである。
「まてカナン! そいつは暴走している! わざわざその力を使う必要はー―」
その叫びは白銀の閃光に
遮られた。
紐人形は白銀の刃を受けて、不気味な繰り人形のように、小刻みに震えながら後退する。
それが霊威力によって、位相をズラす肉体を軽く透過して、内包していた命を“全て根こそぎ殺し尽くされた”と、誰が理解出来よう。
紐人形はゆっくりと身体が崩れ落ち、まるで砂で出来ていたように綺麗に風化していった。
「滅陽神流剣法……弐の裁ち・浸刄」
カナンはぽつりと呟くと片膝をつく。
顔色はさらに悪化していた。明らかなオーバーワークの現れである。
慌てて白き銀嶺が走り寄るのは、当然と言えよう。
「無茶をする。その技は連発出来るモノではないのであろう?」
「ちょっと……飛ばしすぎたかな? ここで使うと倍疲れるよ」
顔色は最悪だが、何時ものような快活な笑顔が戻っていて、白き銀嶺は安堵した。
先程のカナンはまるで別人のように見えて、生きた心地がしなかったからである。
『これは驚いた……。こんな世界に、これほどの上玉が燻っておるとはなぁ……。カリシリスより使い勝手が良さそうじゃ』
不意に何処からか声が響いた。
呆気にとられながら、カナンと白き銀嶺が戦いの構えを取った時には、世界は暗闇に囚われていた。
視界ゼロ。
完全無音の闇。
「……!!」
新たな空間結界が展開されている。
冥魔黎明衆はもう一人いたのだ。
カナンと白き銀嶺は直ぐさまプラーナ感知で索敵に入る。
辺りには兵士達のざわめき声もしない。
真横にいる筈のお互いの顔すら認識不能だ。
ただプラーナのお陰で、仲間の位置は把握できる。
索敵能力の無い、兵士達は今頃恐怖の真っ只中であろう。
カナンは直ぐにチャクラを回転させはじめた。
稼動率が悪い。
今の二発の霊威力精製でチャクラの一つはほぼ停止してしまった。
残り三つのチャクラも、本来の力の八割が良いところである。
何処からか不気味な笑い声が響いた。
『くっくく……。貴様らの焦りの鼓動が聞こえるぞ。さあ、見せて貰おう。貴様らの心の奥底に眠る負の息吹を……。邪悪な本性をさらけ出すが良い』
頭の隅々まで広がる、波紋のような声がこだまする。
「こんなチンケなマインドブラスト(精神攻撃)なんて、喰らわないかな?」
カナンは不敵に闇の中で声を発したが、それは闇に吸収されるように消え去っている。
『それはどうかな? 我がタレント“腐海の歌姫”の能力で、浮上しない情念は無い。さて、貴様を照らす光は聖か邪か?』
不可思議な詰問が頭を過ぎる。
暗闇の中に一条の光が見えた。
闇の中で、なお暗い炎のように立つ少年の姿が見える。
一番安堵する顔を見て、カナンは何故かほっとする。
いや、“ほっとしてしまった”のだ。
その為か、その隙か――その横に、寄り添うような少女の姿が見える。
心臓の鼓動が大きく跳ね上がった。
見たくない少女がいた。
月のように辺りを静謐に包む、少女の顔をカナンは最近知ったばかりだ。
少年とテントで過ごした時に、呟いた名を思い出す。
本来、少年の傍らに寄り添う自分の場所に、いつの間にか侵入してきた邪魔な存在。
『かかったな』
闇に響く声は、酷く淫靡な笑いを伴っていた。
(しまっ……!!)
カナンの意識に闇が流入する。
闇の耐性を持つ少女には、本来、この手の力は意味を成さない。
しかし、一条の光が逆に少女の足枷となった。
世界が漆黒に染まる。
一条の光もそれに呑まれて消え去った。




