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黒閾のダークブレイズ  Re.FIRE  作者: 星住宙希
第二十章
27/31

月の無い空に世界蛇は哭く 壱詞“ユガリウス直上決戦”

「1本の矢では簡単に折れる。しかし、3本に纏めると容易に折れるものではない。よって、3人共々結束し、その力を固めて強固な力とせよ」


という有名な三本の矢の逸話は、三子教訓状がもとになって作られたと言われている。しかし、三本の矢の逸話は三子教訓状に記載がない。


何故ならば、それは力を束ねる為の方便であり、三本の矢など青龍刀の一太刀で意図も簡単に絶たれる代物だからだ。


即席の団結力などに意味は無い。


それは他者を利用し、自己の損害を軽減するための、気の利いた甘い奸計でしかないのだから。







地上に太陽が堕ちたようなまばゆい光の後に、大地は焦土と化していた。


超絶的質量による、多重魔術の合わせ掛け。


魔法の絨毯爆撃を受けた後は、細切れのクレーターだらけだ。


まるで、地球に無理矢理月の地表を表現しようとした、下手くそなアーティストの作品の様で在る。


「全軍突撃!」


マグリネスの声が、魔術師の音響魔術に乗って大気に響く。


大地が震えるような集団の雄叫びが、それに答えた。


しかし、その雄叫びは一瞬で沈黙する事になる。


目の前に現れた狂気の体言者達によって。


勢いよく進む軍隊が、一瞬で烏合の衆に変わるのは簡単であった。


魔法円。


間延びした軍列のあちらこちらの足元に、突如魔法円が浮き上がったのである。


ざわめく兵士達の間に、それらは意図もたやすく現れた。


表現しにくい異形の塊。


針鼠に鮫の頭を乗せて、身体全体から烏賊の脚を触手のように無数に出したような怪物。


触手の先端は気持ち悪いぐらい、リアルな人の手が付いていた。


「手だ……。まさか」


ポツリと呟いた兵士の答えは当たっている。


手をイメージする奴らの傀儡となれば、“一つしか知らない”。


餓鬼――彼等が勝手に命名した、冥魔族の召喚獣。


それは、いつの間にか進化していた。





「奴らに命を与える前に倒せ!! そうしなければ……」


一分隊長の叫び声が上がる。


しかし、それは遅すぎた。


餓鬼の背の刺が無数に伸びる。


それはあっさりと回りの兵士達を鎧ごと貫通した。


伸びた針を元のサイズに縮めると、貫かれた瀕死の兵士を触手腕が器用に掴んで口に運ぶ。


鮫のようなアギトは、鎧ごと兵士を喰らい始めた。


金属と肉体がヘシ切れる異常な音と、苦痛の絶叫が咀嚼する口から漏れる。


「馬鹿な?! 大地があれだけえぐられているのに、何故、仕込み呪術圏が発動するんだ!」


魔道書を携えた、魔術師の一人が青ざめた声を上げる。


敵の本拠地である。


罠の一つや二つあるのは当然だ。


それも考慮して大地を焼き払ったのである。


地上進行には何ら障害は残らない予定であった。


「気をつけろよ! 餓鬼が現れたのなら術者もいるぞ!」


珍しく余裕の無いフィン・アビスの声が上がる。


その予想は的中していた。


遥か先、洞窟入口付近に魔法円が光り輝く。


現れる無数の冥魔族。


距離が余りに遠すぎる。


しかし、彼等は一斉に冥法と呼ばれる呪術を発動した。


空に現れる無数の骸骨の首。


青い炎を纏ったそれが、一斉に軍隊に降り注ぐ。





「僧兵隊、即応防御!」


訓練された声が響く。


対物理防御と対呪術防御。


想定された攻撃を、彼等は二層の防禦陣で迎え撃つ。


上空に展開する魔法障壁の絢爛さを見て、僧兵師団長はにんまりと笑った。


対冥魔族戦の想定は済んでいる。


彼等の基本戦術は不死身の餓鬼を前面に出し、餓鬼ごと攻撃魔術で敵を掃討するパターンだ。


不死身を傘にした有り得ない戦術だが、分かっていれば対処出来ないレベルでは無い――筈であった。


硝子の割れるような、小気味よい音が響く。


上空の魔法障壁が次々に貫通されて砕け散る。


襲い来る青い骸骨を受けて、兵士達から次々に悲鳴が上がった。


「馬鹿な?! 何故、障壁が意図もたやすく破られる! シールドブレイクの特殊魔法だと言うのか」


「そんな大層なものがいるかよ?」


僧兵師団長の呻きに、上空から声が答えた。


見上げた空から、猛然と碧い虎が落ちてくる。


正確には大剣を振りかぶった人影が。


隕石の落下顔負けの爆音と粉塵が辺りを包み込む。


落下地点にいた兵士達は綺麗に粉みじんに四散した。


血風となって、元人間達が辺りに降り注ぐ。


周りの兵士達が一斉にざわめく。


現れた存在の異質さに、全員が畏縮する。





不敵に剣を掲げる青年は、辺りの戦士たちを値踏みするように見渡す。


「馬鹿な連中だ。自分達の力が減少している事に気がつかねぇーのか?」


冥魔黎明衆・妖骸喰いのハリイツは呆れるように呟く。


「彼等は真下に広がる“冥夢の幻域”には、まだ、踏み込んでいないと知っているのだろう。それが、逆に油断を呼んでいる。馬鹿な話しだ」


ハリイツの言葉に答える声が空間に広がる。


すると、ゆっくりと空間が霞み、その中から人影が現れた。


冥魔黎明衆が一人、赤い雪のアロン。


背には幽冥獣ベディーゼルと呼んだ、紐人形も健在だ。


「地上にいても、十分“冥夢の幻域”の余波を受けていると言うのに……」


「気付かない羽虫ばかりか。ろくなのがいねぇーが……まあ、たらふくいただくとするぜ」


戦場に妖虎が吠える。


大地は一瞬に戦場と化した。




前線に見える爆煙が、戦闘開始を物語っていた。


当初の予定と違って、洞窟の入口にすら辿り着けていない場所での開戦である。


伝令の話を聞いて、ガルン達突入組は頭を悩ませる形になった。


「予想外だよな……。例の冥魔黎明衆とやら、最深の底の方に出てくると思ったら、最前線かよ」


グレイが前線の爆発を見ながらげんなりする。


「普通は奥に行く程、防御が硬くなりそうなものだが……」


白き銀嶺の目は、くっきりとハリイツとアロンの姿を捉えた。


人間の目では確認出来ない距離でも、竜人の視力には関係ないらしい。





「英雄譚のようには行かないか……」


ガルンは小さい頃に聞いた、吟詠詩人の謡を思い出す。


魔王の城に乗り込む勇者達。


奥に進めば進ほど、順々に凶悪無比なモンスターが現れ、それを激闘につぐ激闘で倒して先を目指す。


その奥には世界を滅ぼす大魔王が座して待つ。


物語りのような分かりやすい展開には、残念ながらならなかったようだ。


「これでは魔王が先陣を切って、軍隊を率いてやってくるようなものだな」


ライザックが緊張した顔をする。


腕を切り飛ばしてくれた相手が来たのだ。


心中穏やかではない。


「面白い。向こうからわざわざ出向いて来たのだ。潰せる戦力は先に潰してしまおう」


「ノッタゼ。あー言う、スタンドプレーばかりするアホは、ボコらないと気がすまねぇ」


アカイの提案にハオロンが相槌を打つ。


現状では餓鬼が軍隊中央に、遥か先に冥魔族の大半がおり、ハリイツとアロンは二人だけ前線にいる形だ。


「天翼騎士団が先行して潰しには行く――と言う可能性は?」


無名の言葉に、クライハルトは首を振る。


「天翼騎士団が表立ってしまっては、相手に切り札の戦力を晒す様なものだ。それでは作戦の意味が無い」


「まあ……。アルダーク団長は動かないでしょうね」


クライハルトの言葉を、レッドレイは肩をすくめて肯定とした。





「前線でアレの相手が出来るのはアビスぐらいだな。 あれではラチが開かん」


アズマリアはそちらを見て目を細める。


吸血鬼の眼力にも、その猛威は見えているようだ。


「どうするアズマリア?」


ガルンの言葉に、アズマリアは鼻で笑う。


呆れ気味だが怒りの色が見える。瞳は朱く燃えていた。


「洞窟内に侵入しなければ作戦すら始まらん。これでは我々は張り子の虎だ。ふざけた真似をしてくれた報いは受けて貰おう」


不気味に笑う口の端には牙が光る。


「突入部隊は二班で展開。冥魔黎明衆と名乗る糞虫を各個撃破。その後、進攻軍が進軍し易いように連中の部隊に風穴を空ける」


「了解」


アズマリアの号令に従い、全員が出撃準備に入った。


唯一カナンだけが小さく溜息を吐く。


「反対~反対。意見していいかな?」


その言葉に全員が目を丸くする。


アズマリアは一瞬怪訝な目をしたが、カナンに向き直った。


「意見を許可する。言ってみろ」


「それじゃ言うけど、私はさっさとこんな戦争は終わらせたいんだよ。終わらせたいかな?」


「……?」


アズマリアどころか、全員が不思議そうな顔をする。


「だ・か・ら、わざわざそんな雑魚の相手をする必要は無いって言いたいかな?」





「カナン? 焦るのは分かるが、あのまま放置したら被害が拡がる一方だぞ」


ガルンの横槍を、カナンは呆れ顔でスルーする。


「焦っているのは皆の方かな? 皆はね、戦争に慣れすぎ。戦術とか勢力に目が行き過ぎかな? 現場の情勢、目先に目を向けすぎ」


「どう言う意味だ?」


アズマリアの声には何故か刺が無い。


作戦を否定された事より、どちらかと言うと本当に疑問なのだろう。


「よく考えて見た方がいいかな? 今の冥魔族は指揮する参謀がいるよ? 以前とは違って。あの冥魔黎明衆が1番分かりやすいかな? 罠沢山?」


「そうか、そう言えば、以前奴らの陽動に乗せられた事があるぞ!」


アカイは以前、ハリイツとアロンを見た時を思い出す。


援軍として向かった先が、実はただの囮だったのだ。


「確かに冥魔族の基本戦術、前衛に餓鬼、後衛に冥魔族と言う形は取っているが、余りに距離が有りすぎる。確かに不自然と言えば不自然だ。まるで、急いで攻めろと言わんばかりだな」


クライハルトが納得出来る、と言う顔を浮かべる。


確かに妙と言えば妙なのだ。


洞窟を囲む戦力は四国を集めれば五十万は下らない。


洞窟付近の冥魔族はざっと見ても四百人程度。

それが四方に分散して陣形を引いているのだから、

彼我の戦力差は明らかと言える。





「普通に考えれば、入口付近に仕掛けがある……と考えるべきだろうか?」


白き銀嶺の言葉に、カナンは頷く。


「多分そうだと思うよ。でも……間に冥魔黎明衆がいるのがおかしいかな? 誘いなら中心に楔になる敵なんていらないかな? そして、それに戦力を割く必要がないと言う結論になる……」


「そう言う事か……。例の二人はある程度、軍の進行を停滞させることが目的。そう考えれば奴らの行動は単なる時間稼ぎと取れる」


アズマリアは納得しながらカナンをチラリと見る。


マイペースな少女に見えるが、頭はかなり切れる部類と判断した。


普通の軍隊とは掛け離れた、冥魔族ならば尚更と言えよう。


「ならば、何かやられる前に、速攻で奴らの防衛ラインを砕くとするか!」


アカイが両拳を合わせて意気揚々と笑う。


それを見て無名が口を開く。


「それが得策とは思うが、例の二人組をスルーして前線に向かうには時間のロスになるぞ?」


ガルン達突入部隊が前線に向かうには、正面にいるハリイツ達を避けては通れない。


迂回をするとなると時間的猶予がなくなるので、正しく邪魔な存在である。


「軍が洞窟に侵入出来る道さえ、切り開ければ良い! 時間稼ぎには時間稼ぎを当てて、面制圧、広域攻撃能力の高い人間を先行させる」




アズマリアはざっと全員を見回す。


「無名とライザック、カナンとアカイのツーマンセルで奴らを防げ、他のメンバーは最速で軍全体の進軍を煽りつつ、洞窟の入口近辺の冥魔族を薙ぎ払う! 軍の洞窟侵入を確認したら、引き返して班に合流。冥魔黎明衆を倒してから突入作戦に入るぞ。時間との戦いの可能性が高い。進める奴は先行しろ!」


広域攻撃能力に乏しい四人のチョイスだ。


実際、カナンはその限りでは無いが、全員納得の人選である。


「了解!」


全員勢いよく返答すると、颯爽と動き出した。




響く音は雷鳴に似ていた。


大気を震わす音の奔流。


衝撃波は空間を伝播し、その見えざる力で相手を粉砕する筈であった。


しかし、もう一つの音がそれを打ち伏せる。


青白き虎の咆哮。


自分の放つ音響攻撃が、ことごとく目の前の妖虎に相殺されていく。


黒鍵騎士団、一番隊隊長フィン・アビスは常に顔に笑顔を張り付けていたが、今の笑みには焦りが見え始めていた。


「この程度の音じゃ、俺は倒せないぜ? せめて妖響王アゼッシャークラスじゃなきゃな」


ハリイツは目の前で奮闘する銀色短髪の少年を、嘲笑うように大剣を振るう。


大地が切り裂かれる、人外の膂力。一撃一撃が必殺の破壊力を持つ。


人間の体など、一撃で粉微塵であろう。



アビスが相手をしているお陰でハリイツは抑えられているが、アロンと戦っている他の騎士はバサバサと屠られていく。


近付けば紐人形に切り裂かれ、離れればアロンの冥法が火を吹く。


紐人形以上に、ただの人間が紙人形のように思えてくる。


「こいつらのレベルはまずいですね……」


アビスは後方に大きく跳躍して距離を取った。


隊長クラスが欠けた黒鍵騎士団では、いざ冥魔黎明衆クラスの敵が現れると対応が出来ない。


個人のポテンシャルに差が有りすぎるのだ。


これで、音使いの能力も抑えられた現状とくれば、舌を巻くしかない。


(あの虎の咆哮……信じられませんが、音波攻撃を完全に共震して中和してくる。遠距離戦は無理と判断すべきですね……)


少年は周りに目をやる。


黒鍵騎士団は基本戦士ばかりの編成だ、サポートする魔術師や僧侶はほぼいない。


(共鳴中和されないようにするには……零距離攻撃しかないか)


アビスは屈むと地面に手を付ける。


大砲が撃ち出されるような、重低音が大地を翔け巡った。


直下型地震のように大地が震える。


「うお?」


ハリイツの足元がいきなり陥没した。


崩落していく大地に亀裂が走る。


アビスはすかさず手の平を叩いた。





叩いた筈の手からは何も音がしない。


いや、音そのものが消えたえような静寂が場を制する。


「……!!」


なんだ? とハリイツは叫ぼうとして、声が出ない事に目を見張った。


音がしない。


音が消えた空間。


その中で直ぐさま反応したのは妖虎だった。


何かを打ち払う仕草をする。


地面に何かが落ちたが、音がしないために判断が出来ない。


ハリイツは大きく舌打ちした。それも聞こえはしないが。


音が無いと言うだけで現実感に齟齬が生じる。


人間は五感全てで情報を収拾し、それを今までの経験に合わせて物事を判断する。


蓄積した戦闘経験も同じだ。


音による判断も経験の内である。


大気を伝う音、落ちた物の音で何が迫ったのかが判断可能だ。


物体が飛来する音は重さや形で異なるし、落ちた物体の転がる音で、矢であったり、投げ槍であったりと今までの経験に合わせて即座に判断出来る。


しかし、音がなければ、それらは目視以外では判断基準が極端に曖昧になるのだ。


投擲武器の何かを投げられた。


ハリイツが気付いた情報は、音が無いためそれだけである。


落ちた物を見るより、とにかく回避運動が先と直ぐさまハリイツは判断した。


妖虎と共にアビスから距離をとる。




背後に回りながら、アビスはハリイツに纏わり付く妖虎の存在に注視する。


服の袖口から取り出した隠し針は、牽制程度のものとは考えてはいるが、あそこまで見事に弾かれると、ぐうの音もでない。


無音状態での音波高速移動からの投擲攻撃。


今までの相手なら、それを受けて隙ができ、そこに接近して内部破砕の振動攻撃を食らわす手順であった。


それが、あの虎のせいであっさり破られたのである。


ハリイツは背後背後と死角に回るアビスの動きを見て、動きを止めた。


何か口ずさんでいるようだが、無音状態では聞き取れ無い。


しかし、この“無音陣”は魔術師封じの側面を持つ。


言魂が発動キーになる大半の術式は、この中では無力と化す。


例え冥魔族の冥法とて、例外では無いはずである。


しかし、ハリイツが唱えていたのは妖術では無かった。


自らタレントと呼んだ特殊能力“夜叉の花弁”を発露していたのだ。


見開いた瞳に紫色の光が放たれる。


ミヤマハコベと呼ばれる菫に似た、紋章柄が浮かび上がった。


アビスは疑問に思いながらも、死角に回って鋼針を三つ撃ち出す。


投げながらアビスは有り得ない現象を見た。


もともと青白い肌を持つ、冥魔族の身体が赤銅色に変わる。



(馬鹿な?!)


愕然と、振り向き様に無造作に手で針を掴み取るハリイツを見た。


瞬間だった。


妖虎が猛然と襲い来る。


音波障壁を形勢して、妖虎を弾き飛ばした時には既に遅かった。


その一瞬でハリイツの姿が、視界から消えている。


衝撃は後ろからやって来た。


強力過ぎる一撃は、意識を一瞬刈り取るには十分な威力を誇っていた。


吹き飛ばされた身体が、地面をバウンドして転がりきる頃には、無音陣は解けてしまったらしく、騒音が辺りに響いていた。


混濁する意識を無理矢理取り戻す。


立ち上がろうとして、身体が上手く動かない理由に漸く気がついた。


右腕が根本から吹き飛んでいる。


無意識に右腕でガードをしたらしいが、腕ごと背中を断ち割られたらしい。


背骨も折れたらしく、腰から下の感覚が無い。


「これは……参った」


アビスは顔に張り付けた笑みを崩さずに、何とか左腕のみで身体を仰向けに回した。


これなら立ち上がれずとも、まだ、攻撃は可能だ。


致命傷に限りなく近い。


背中の痛みを感じないのは有り難いが、これでは出血具合が把握出来ない。


ゆっくりと近づく唸り声が聞こえる。


これで出血死と言う選択肢だけは失ったようだ。


見上げる空が微妙に霞む。


冥夢の幻域の影響で、赤く染まる空を恨めしいように眺めた。





フィン・アビスは暗殺者であった。


寂れた農村に生まれたアビスは、幼少から音使いの能力が開花していた。


特に狩りに能力を役立たせ、獲物の位置を音で正確に割り出し、村では重宝される存在になっていた。


しかし、転機はいきなり訪れる。


大飢饉が訪れた村は生活に困窮し、アビスを能力ごと売りに出したのだ。


呆気なく放り出されたアビスに目を付けたのは、とある暗殺ギルドであった。


村人と両親の生きる為に出した答え。


自らが生きる為の結論。


アビスは暗殺者となる事をあっさり受け入れた。


暗殺はアビスの音使いの能力を駆使すれば、たいして難しい仕事ではなかった。


後は、ただひたすらにそれを熟す毎日になる。


殺しの数が三桁に上る頃に、メルテシオンのある枢機卿暗殺を任された。


アビスは王城に入り浸るターゲットを殺す為に城内に侵入するが、王宮近衛騎士団に見つかり捕縛される。


捕まったアビスはガルン同様、死との天秤を迫られて黒鍵騎士団に入団する羽目になった。


それも単純に生きると言う目的で選んだ、簡単な選択。


彼はそうやって、ただ生きる最善の方法を選んで来た。


ただ生きる事の難しさを痛感していたが為に。


突入部隊に志願しなかったのも、単純に生存率で判断した当たり前の選択である。




生きるために活きる。


個人の身一つで生きる事になった少年の、選んだ道を誰が間違いと言えるだろうか。


(まさか……貧乏くじを引くとは……ね)


今までの引いて来たくじも、全て当たりだったとも思えない。


明らかなハズレがたまたま巡って来ただけかと思い、アビスは苦笑いを浮かべた。


赤い空に見慣れない影が見える。


生命が死に絶えたこの地に、鳥が生き残っているとは考えにくい。


死神が気を利かせてやって来たのかと思ったが、それは竜の姿をしていた。


そこから舞い降りる影が一つ。


影から雨が降り注いで来た。


いや、水の奔流が。


空から現れた水柱は、妖虎を綺麗に弾き飛ばしたのだが、身体が起こせ無いアビスにはその有様は見えない。


しかし、周りに水の泡が浮き出したのを見て、アビスはそれを起こした少年の正体に直ぐに行き当たった。


「えらくやられたな? 生きてるか」


「まだ、くたばってはいないよ。時間の問題の気もするけどね」


「直ぐにこっちにはライザックが来る。 死ぬのは我慢しろ」


無茶な注文にアビスは顔を綻ばした。


初めて見た時から、自分の前に立つ少年は無茶苦茶であった。


国に個人で喧嘩を売るような破天荒さを持ち、信念の為には自分の命を勘定に入れない。




何から何まで理解に苦しむ存在だった。


「貴様は、あの時の黒い魔剣使いか……」


ハリイツは空から降って来た少年を睨み据える。


今、少年が待っている得物は水の妖刀だ。


「また会ったな。以前のケリ、付けてやるぜ」


そう宣言して少年――ガルンは妖刀・蝶白夢を構えた。





「有り得ないかな……」


カナンは真横から飛び降りたガルンを、呆れながら見つめた。


カナンがいるのは地上ニ十メートル。


すなわち空だ。


白き銀嶺が人型を解き、前線に急ぐ為にドラゴンニュートと化して空を駆っているさなかの事である。


流石の白き銀嶺でも、人を乗せて飛ぶのは二人が限界だった。


両手に一人づつ。


ガルンとカナンを抱いて飛翔していたのである。


冥魔族の主力は洞窟入口付近だ。対空攻撃を受ける可能性は極めて低い。


停滞する軍の上を颯爽と越えている最中に、ガルンはいきなり飛び降りてしまったのだ。


地上には冥魔黎明衆の姿が見える。


「我らも降りて加勢するか?」


白き銀嶺の言葉に、カナンは首を二度振った。


「仲間のピンチに飛び出すのはガルンらしいけど、本来、それは私の任務かな? 私達も向かったら作戦が成り立たない。戦争している最中の命令無視及び、優先順位の判断ミスは致命的かな」





作戦概要を知っているのに関わらず、見過ごせ無かったのがカナン的には嬉しかった。


昔のガルンならば、目的の為に犠牲はやむ無しの姿勢だった筈だ。


「代わりにガルンの空けた溝は、私が埋める」


カナンはそう呟くと妖刀を抜き放つ。


今のガルンとカナンは性質が“逆”になったようである。


今のカナンは目的が最優先の腹積もりだ。


戦争を終わらせる為には、犠牲もやむ無し。


カナンが後方の冥魔族討伐に向かえば、ガルンとカナンのポジションがスイッチした形になる。


それならば作戦に滞りはない。


カナンと白き銀嶺はそのまま、冥魔族を倒す為に天を進んで先を急ぐ。




「さて、予定が変わったがどうする?」


無名は目の前に現れたアロンに向かって剣を構えた。


無名、アカイ、ライザックは、ライザックの脚力強化の支援魔法を受けて先を急いでいた矢先である。


メルテシオン前線軍は、たった二人の冥魔族の為に瓦解しつつあった。


白き銀嶺に乗って先に行ってしまったカナンとは、現場で追い付く予定だったが、それすら綻んだ状態である。


アロンにとっては、現れた三人は雑魚の一部に他ならない。


しかし、そこには身に覚えのある人間が二人いた。


「……あの時の二人か」





視線を向けられてアカイとライザックは身構える。


「気をつけろ無名。後の紙人形は手足が伸びる。カナン嬢ちゃんの話では、アレの身体は物体に当たる瞬間、位相をズラすと言っていたぞ」


「……物質の空間差し込み……結合分解か。まともに物理防御は不可能と言う事か」


アカイの言葉に、無名は渋い顔で答える。


以前戦ったカナンは、どうやら紐人形のタネを見切っていたらしい。


それを、あの場にいたガルンとアカイには伝えていたのだ。


「魔法防御をこれからかけます。無いよりはマシな筈なので」


ライザックが直ぐさま神聖魔法を唱え出す。


三人の隊長格の登場で、周りを囲っていた黒鍵騎士団のメンバーも前に出る。


「とりあえず時間を稼ぐ

事に集中しろ!」


無名の言葉に全員が頷く。


アロンの背中で、紐人形の両腕がゆっくりと持ち上がった。






大気が震えたのは、人影が通り過ぎた後だった。


空中に浮いていた水泡が次々に吹き飛ぶ。


防御に妖刀を挟もうとするが、とても間に合うスピードでは無い。


巨人の鉄槌を受けたような衝撃が身体を貫いた。


吹き飛ぶ身体の後に、ようやく音が追い付いく。


まるで大木を打ち鳴らした様な、大地に響く鈍い音が炸裂する。


弾き飛ばされた身体に、衝撃波が追い撃ちをかけるが、ガルンは歯を食いしばって態勢を無理矢理立て起こした。





「やたら血行が良くなっただけはあるようだな?」


ガルンは赤銅色に変色した身体を見て、嘲笑って見せたが内心は冷や汗をかいていた。


身体の芯に残るダメージは並では無い。


ハリイツは菫の紋様が浮かんだ瞳を、ガルンに向ける。


菫の花びらの一つが紅く燃え上がっていた。


「前回は本気を見せられなかったからな? 今回は本気を見せてやれるぜ?」


ハリイツの言葉に同意するように、青白い妖虎が吠える。


ガルンは強気の姿勢を崩さないまま、チャクラを回転させていく。


速度強化に三つ、いや四つ開放した。


ハリイツのスピードには、それだけ力を投入しなければ間に合わない。


「しかし……」


ハリイツは、ガルンの右前方に浮かぶ物体に目をやる。


以前同様、必ず肝心な時に現れる謎の物体。


それが渾身の一撃を防ぐのだ。


先程の奇襲の一撃も、まるで始めから攻撃を読んでいたように割り込んで来た。


流石に今回は全力攻撃を放ったので、妙な物体ごとガルンを吹き飛ばしはしたが、まるでダメージを与えた実感は沸かない。


「その妙な物体は目障りだな」


ハリイツの目が細まる。


菫の瞳に黒い炎が燈った。


それと同時に、ハリイツの大剣に黒い炎が現れる。



見慣れた黒い炎に、ガルンは目を見開く。


「なっ……んだとぉ?! 馬鹿な、その炎は!」


「正解だ。貴様が、あの時、生み出した炎だ!」


大剣が振り下ろされた。黒い爆炎が撃ち放たれる


黒炎のダークブレイズ。


その一撃は一瞬で大地を融解させた。


不完全燃焼を起こしたような、空気が瞬間的に燃えただけのような、単発音が響く。


軍隊の一角が一瞬で蒸発したのは、かなりの遠くからでも確認出来る現象だった。


瞬いた黒い炎が、人の波を一瞬で飲み込む。


行軍していた後続の部隊は、目の前で起きた惨劇を理解出来ないでいた。


瞬きを一つしている間に、前を進む部隊が消え去り、凄まじい熱風が身体に吹き付けられて来たのだ。


唖然と立ち上がる煙りを、不可解そうに眺める。


「何だ、こりゃ?」


目を細めたくなるような熱気の下には、硝子のように結晶化した燃える大地が広がっていた。





濛々と立ち込める黒煙の中、ガルンは生唾を飲み込んだ。


自分の周辺以外、まるでくり抜いたように大地が灼熱を持ちながらえぐれている。


それだけの威力の中、自分が受けたダメージは衝撃のみと言う事実に驚くべきなのだろう。


“天三輝”。


パリキスに与えられた聖なる盾は、風変わりな容貌とは違い、その絶大なる力を遺憾無く発揮していた。





「オイオイ、冗談じゃねぇ~な」


ハリイツは二つの事に驚いて、顔を強張らせる。


自ら放った黒炎の威力と、それをほぼ完全に無効化にした盾の威力にだ。


どちらも、個人武装には思えない程の能力である。


ハリイツの菫眼の黒い炎がゆっくりと消える。


「くそ、やはり本体を喰ってねぇーと打ち止めか」


奇妙な事を口走ってから、ガルンに向き直る。


赤銅色の身体からは、禍々しい赤い蒸気のようなものが立ち上っていた。


ガルンは妖刀を構えると辺りに目を配る。


黒炎を撃ち込まれた方向は焼け野原と化し、大地は濛々と煙り立ち上らせる以外は人影一つ見えない。


ハリイツの後ろ側、そちらにいた戦士達は恐怖に硬直している。


倒れているアビスもそちら側だ。


(これは、人数を増やしても犠牲が増えるだけだな))


今の一撃で、どれだけの人間が蒸発したのかは定かではない。だが、今の攻撃を防げる戦力はそうそういないだろう。


「貴様らはアビスを連れて下がれ! 人数がいても邪魔だ」


ガルンの一喝で、生き残っている兵士達は顔を見合わせる。


直ぐさまアビスを抱えると、その場を離れ出した。


ハリイツはそれを横目で見ていたが、興味がないのかガルンに向き合ったままだ。





その余裕なそぶりを見て、ガルンは沸々と闘志が湧いて来る。


「上等! 単騎戦闘は望む所だ!」


蝶白夢を振り上げた。


振り下ろされた刃から、水弾が放たれる。


圧縮された水の塊は、岩盤すら貫く力を持つ。


しかし、その水弾を目の前に立ち塞がった妖虎が、あっはさりと口腔で受け止めた。


飲み込まれる様は、以前の黒炎と同じである。


「あの……糞虎」


ガルンは歯軋りして、刃から水泡を出す。それは空中で弾けて水蝶となる。


それを見て、ハリイツは物欲しそうに妖刀を見た。


「その剣……面白そうだな? そいつを“喰えば”かなり多芸になりそうだ」


「……喰う?」


ハリイツの言葉にガルンは目を細めた。


先程の黒炎を思い出す。


あれはダークブレイズの炎と酷似――いや、そのものだった。


それをハリイツが使えたのは、何かしらの特殊能力なのは間違い無い。


喰うと言うキーワードで考えるのならば、自ずとその能力が見えてくる。


「そう言う事か……。仕組みは分からないが、そこのクソ虎が喰った力を、貴様は引き出して使う能力を持ってやがるな?」


ガルンの指摘に、ハリイツはゲラゲラと笑い出した。


「おおっ? 当たりだ当たり。さっきの炎は前回貴様からいただいたやつだ。俺と戦って、これだけ生き残っていた奴はいなかったからな。“夜叉の花弁”の能力に気付いた奴は久しぶりだ」



大剣を肩乗せして瞳を指でさす。


そこには、ミヤマハコベと呼ばれる五つの花びらを持つ、菫に酷似した紋様が浮かんでいる。


「俺のタレント“夜叉の花弁”は相手を喰らう事で、その能力をこの花びらの枚数分ストックできる。本体を喰っていない場合は、喰った分しか力は使えないがな? 召喚者の霊体と融合する、幽冥獣ファン・フーとは相性が良い能力って訳さ」


ハリイツの言葉に同意するように妖虎が吠える。


「それは便利な能力だこったな。他人の力を使わなきゃ戦えもしないのか腰抜け君?」


ガルンは皮肉って見せるが、言葉遊びは単なる時間稼ぎだ。


突破口が見つからない。


ハリイツの言葉通りなら、その能力は五つあると考えられる。


一つはあの驚異的な身体能力強化の能力。


もう一つはダークブレイズの黒炎を撃ち尽くした事から、空の状態だろう。


となれば、少なくとも、別の能力が後三つはある事になる。


「他人の力? 面白い事を言うじゃねぇーかテメェ? 俺が喰い潰し、吸収した生命は全て俺の血肉だ。俺達、冥魔族は他者を喰らう事で進化する生命種、基から貴様らとはデキが違うんだよ?」


饒舌に語る口元が、悪魔の様に吊り上がっていく。


それは、他人を貪り喰うことに慣れた、簒奪者のそれだ。






ガルンは瞳を閉じてから大きく深呼吸した。


分かっている事は飛び道具は効かない事。


隠された能力が三つはある事。


そして、身体能力が異常に跳ね上がっている事だ。


ガルンはゆっくりと目を見開くと、妖刀を左手に持ち直す。そして、魔剣を器用に引き抜いた。


「上等だ! そんなもの発揮する前に、有無も言わさず灰燼に沈めてやんよ!!」


雄叫びと共に、ダークブレイズに炎が燃え上がる。


(出し惜しみはしない。後はカナンに習った、チャクラの瞬間運用を心掛ける)


ガルンは全てのチャクラを全力運転し始めた。


「いくぞ!」


ガルンは掛け声一つで妖刀を振るう。


それに指揮されるように水蝶がハリイツに群がる。


ハリイツは面白くもなさそうに大剣を一閃させた。


剣圧が水蝶を粉みじんに打ち砕く。


そこでようやく、正面にガルンがいない事に気がついた。


妖虎の雄叫びが響く。


右方向に視線を移すと、一瞬で回り込んだガルンの姿が見えた。


ダークブレイズの剣先を妖虎が抑えているが、左腕の妖刀が唸る。


「はえーじゃねぇーか!」


振り向き様に大剣を延ばす。


妖刀と大剣が接触して火花が散った。


「はぁあああ!」


激昂と共にチャクラを左腕に集中させる。





今度はハリイツが目を剥く番であった。


左腕一本の力に押し負けるとは。


後方に弾き飛ばされながらも、ガルンの次の手に注視する。


追撃が来るかと思った矢先、ガルンの妖刀の切っ先は妖虎に向いた。


「野郎!!」


ハリイツを倒すより、先に能力吸収源を排除する選択を取ったのだ。


どのみちダークブレイズに噛み付いた状態の妖虎は、あまりに邪魔な存在と言える。


ガルンは素早く突きの構えを取った。


この近距離では、威力を込めた一撃を放つ手段は限られる。


「させるかよ!」


ハリイツの夜叉の花弁の一花びらが、青い炎で染まっていく。


延ばした左手から、水弾が放たれた。


ガルンはハッとしてそれを見る。


(しまった! さっき糞虎に水弾は喰われたばかりーー!!)


ダークブレイズの炎を撃ち出した花びらが“空いている”事に気がつく。


敵は常に能力補給が可能なのだ。


突きの構えからでは迎撃が間に合わない。


ガルンは両足にチャクラを回して、バックステップしようとして硬直した。


ダークブレイズをくわえ込んだ妖虎がビクともしない。


(っーー!! 回避が間に合わない!)


完全に避けるタイミングを逸失した死に体。


しかし、水弾はいとも簡単に弾き返された。




ハリイツのこめかみに青筋が走る。


ガルンの前面にふよふよ浮いている菱形は、水弾を受けても平然とその勇姿をさらしていた。


「なんだ、この邪魔くせぇ物体は!!」


ハリイツの怒りの声を、ガルンは心地良く聞いた。


パリキスの盾の有り難みをひしひしと感じる。


「この面倒な虎を黙らせる! 滅陽神流剣法、無式九型・死突!!」


妖刀が妖虎の眉間に滑り込む。


絶妙なタイミング。


妖虎は魔剣を口から離し、離脱を試みるが圧倒的に遅い。


しかし――その切っ先は、妖虎の額に届く前に停止した。


いや、刀だけでは無い。

ガルンの身体自体が突きを放つ姿勢で固まっている。


「なっ……んだと?」


身体が金縛りにあったように動かない。


瞳だけ動かしてハリイツを見た。


笑みを浮かべたその眼に、三つ目の花びらが真っ白に燃えている。


「流石にその妙な物体でも、テレキネシスは防げ無かったようだな?」


「テレキ……ネ……シスだと?」


向けられた拳が押し潰すような仕草をすると、身体にかかる負荷が倍増した。


身体全体が軋む。


ガルンは苦痛に顔を歪ませた。


「この能力は扱いが難しくてなぁー、動いている相手を捉えるのは難しいが……止まっている奴なら朝飯前だ」




テレキネシス。


単純かつ最強の能力の一つ。


念動力と呼ばれる超能力でも上位に位置し、あらゆる物理防御を摺り抜けて対象物を直接支配する。


サイコキネシスと違い、物理エネルギーを介さない為に、対物理防御術や

魔法障壁が役に立たない。


これを純粋に防ぐには、それ相応の能力がなければ不可能と言うべきモノだ。


身動きが取れないガルンに、妖虎の爪が迫る。


だが、その間には天三輝が割って入って全てを受け止めた。


的確に攻撃に対応し、浮いているとは思えない程の強度で爪を弾き返す。


それを見て、ハリイツは片眉を上げる。


「マジに何なんだアレは? 本人が操っている訳じゃねぇ~のか? 」


まるで猫じゃらしとじゃれる、ネコのような状態の使い魔を呆れつつ眺める。


それから、身体を震わすガルンに目を移した。


「コイツも潰れねぇーな? 人間ならとうにミンチの筈なんだがな?」


「勝手に……挽き肉にすんじゃねぇ……よ」


震える声でガルンは反論する。


ハリイツのテレキネシスは、岩盤を粉みじんにする威力だ。


人間なら数秒で正しくミンチの筈である。


それが力を込めても未だ人の形を留めているのは、あまりに奇っ怪な現象と言えよう。




ガルンがテレキネシスに耐えられている理由は、単純にチャクラ全てを身体強化に回しているからである。


エーテル体強化。


サイコキネシスと違い、直接物体に力を投げ掛けるテレキネシスならではの相性だ。


エーテル体強化はそのまま身体維持に繋がる。


身体を粉砕される所を、無理矢理、エーテル体を維持する事で防いでいるのだ。


(くそったれが!!)


ガルンは歯を食いしばって身体を動かそうとするが、土の中にほうり込まれたように身動きがとれない。


ハリイツが大剣をひょいと振りかぶる。


「まあ、良い。圧殺の代わりに斬殺にしといてやる。その浮いている物体もよぉ、同時に左右は守れるかなぁ?」


左手をガルンに向けたまま、ゆっくりとハリイツは近づく。


まるで断頭台に迫る死刑執行人のように、死の足音が迫り来る。


ガルンは焦る心を落ち着かせるように、大きく深呼吸をした。


このままではじり貧だ。


何か一手を模索しなければ終わりである。


(この状態で可能な闘争方法……)


ガルンの目の色が変わる。


ハリイツもガルンの異質な気配に気がついた。


背筋に走る悪寒に鳥肌が立つ。


目の前の不様な姿を晒す少年が、異常なプレッシャーを放ち出した。





ハリイツは得も知れぬ不安に嗄れて走り出した。


妖虎の真反対に周り込む。


トドメとばかりに大剣を振りかぶった瞬間だった。


ガルンの身体が蒼い光に飲み込まれる。


身体にかかる負荷が、肉体全てを圧解させようと

猛威を振るう。


しかし、一瞬でその拘束力は打ち破られた。


「ずぅああぁああ!!」


ガルンは自身でもよく分からない叫び声を上げながら、身体を反回転させながら右腕を一閃させる。


ダークブレイズが蒼い炎を吐き出した。


ハリイツは舌打ちして、魔剣を魔剣で受け止める――事は出来なかった。


かちあった瞬間、大剣はあっさり砕かれ、右腕ごと炎に呑まれて蒸発する。


ハリイツは痛みを我慢して、後方に飛びのいた。


有り得ない攻撃力に目を見張る。


その異常な攻撃力を目の辺りにして、妖虎も距離をとった。


ダークブレイズを振り抜いてから、ガルンは口から吐血して大地に片膝をついた。


荒い呼吸をしながら手の甲で血を拭う。


一瞬走った、脳みそが焼き切れるような痛みの余波で、目の焦点が中々合わない。


身体のあちこちにガタが来ているのが分かる。


「てっ……テメェ……。今、何をしやがった」


ハリイツは歯軋りしながら、失った腕を押さえた。



「さぁ、何かな?」


ガルンは不敵に笑いながら立ち上がる。


ガルンが行ったのは霊妙法であった。動けない状態で出来る事は限られる。


カナンに習ったチャクラの瞬間運用。


形成した霊威力はあらゆるものを打ち砕く。


瞬間的に生み出した霊威力ですら、テレキネシスを打ち破るには十分な威力を持っていたのだ。


ガルンの状態ではチャクラを三つ消費する為、防御力が落ちるリスクがある。


現に、ガルンの身体はテレキネシスのダメージで悲鳴を上げていた。


しかし、状況を打破するには唯一の方法だったと言える。


「何をやりやがったと聞いたぞ!!」


ハリイツの左腕が、再びガルンに向けられた。


立ち止まったままでは、再びテレキネシスに捕われる事になる。


ガルンは歯を食いしばって走り出した。


案の定、移動している対象は補足しにくいらしく、テレキネシスは空を切る。


「チィぃぃ!! 面倒臭ぇえ」


ハリイツの瞳で新たな炎が輝く。


深い紫色の薄ぐらい炎。


「いいぜ! とことんやってやんよ!! 出し惜しみは無しだ」


ハリイツの失った腕から、血が舞い上がる。


それが空中で塊と化すと、何かに変化しだす。


ガルンはそれを唖然と眺めるほかなかった。




 


冥魔族の遠距離冥法攻撃が行われだして、仕方なくカナンと白き銀嶺は大地に大地に降り立った。


これ以上空を進めば、対空砲火の的である。


「成る程……仕掛けが分かっちゃったかな? と言うか、同じ戦術かな?」


カナンは小太刀を、片手で器用に回しながらフムフム頷く。


「カナンはどう推察したのだ?」


「地脈だよ。地脈の力にに乗せて、召喚術式を地上まで浮上させる仕掛けがしてあるんだよ。だから地表を焼いても意味が無い」


白き銀嶺の質問にカナンはさらりと答えると、大地に手をつく。


「やっぱり……」


「分かるのか?」


その疑問にも、カナンはコクリと頷いた。


「私は昔から地脈が集中する所で、チャクラの修行をしていたからかな? 大地の地脈に流れる力を認識出来る。これは……」


ゆっくりと遠方の冥魔族に目を向ける。


地下に感じる数々のプラーナ。


それは地下深くに増援がいる事を意味する。


「今、軍隊内部で暴れている餓鬼は、目の前の術者のモノじゃないよ。あれは“下にいる連中”のだよ」


カナンの呟きを聞いて、白き銀嶺は目を細めた。


餓鬼に冥魔族。


単純に現在、地上に出ている戦力は二分の一と言う事になる。


つまり、このまま進軍した場合、必ず新たな餓鬼と増援が現れると言う事だ。





「軍隊内部への餓鬼の強襲召喚。冥魔族一人には餓鬼が一体と思い込んでいる所に、再び内部に目の前の冥魔族分の餓鬼召喚。そして、多分、地下から冥魔族が背後に増援で現れる」


「前後から術攻撃の挟撃、そして、内側には不死身の餓鬼集団を暴れさせる。確かに狡猾な手と言えるな」


白き銀嶺は後方をチラリと見た。


ガルン達の活躍で、冥魔黎明衆は抑えられている。


先鋒部隊が、こちらにそろそろたどり着く頃合いだ。


「そう言う事か。冥魔黎明衆は、召喚術式に必要な魔力が地脈から集まるまでの時間稼ぎ。全軍の進行を遅らせるのが目的か」


「向こうの戦略は大方成功してしまってるかな?半分制覇? これじゃあ、内部に侵入する前に大損害だよ。これを打破するには……」


カナンはそう呟くと、小太刀を腰溜めに構えた。


小さく息吹をはく。


「完膚なく、予想外の力で、戦略の根幹から覆しちゃおうかな! 砕き壊す?」


声と同時に場の空気が凍る。


白き銀嶺は、カナンのチャクラが全て展開し、励起するのを感じた。


チャクラに膨大なプラーナと思念が流れ込むのが、今なら分かる。


霊的に高められた想念と、魂が持つ霊子力がそれに融合していく。


白き銀嶺は生唾を飲み込んだ。


見ているだけで、魂が潰されそうなプレッシャーがその身に響く。





向けられた殺意は、前方の冥魔族へだとは理解している。しかし、その場にいるだけで、身体の芯から悍気が身体中を走り抜ける。


根源的な恐怖。


あらゆる存在を屠る、絶大無比な滅殺力。


触れるだけで、自身の魂を粉々に砕かれるような

、純然たる力の鼓動。


それが、目の前の少女の小太刀、妖刀“衡狐月”に集約されていく。


「滅陽神流剣法、一の裁ち・霊劫」


カナンの囁きに似た詞の後に、白銀の閃光が瞬いた。


大地に銀色の半月が咲いたように、光の奔流が煌めく。


距離にして百メートルはあろうか。


洞窟入口を固めていた冥魔族達の上半身は、光が収まった時には、まるで始めから何も無かったように綺麗に消失していた。


「あっちゃー、やっぱり広範囲に居すぎるかな?両端は残っちゃったよ。取りこぼし過ぎたかな?」


軽い溜息を吐きながら、両端に残る十数名の冥魔族を残念そうに見詰める。


それを白き銀嶺は、顔を引き攣らせながら眺めた。


常識はずれの攻撃能力。


相手は冥魔族である。


攻撃を受ける瞬間、何かしらの障壁を展開させていたように見えた。


しかし、そんなものは薄紙にすらなり得ていない。


圧倒的なまでの破壊力。


その一撃は、冥魔族四百人あまりの命を、一瞬で刈り取ったのだった。





空に舞い上がった血の塊は、あっさりとその姿形を取った。



右腕から生えた、奇怪な赤い蛛百足。


それが一番しっくりくる形容だろう。


蛛の腹部から下は百足の様に連なり、その根本はハリイツの腕に繋がっている。


妙な所は他にもあり、蛛の足先が全て鋭利な刃物の様であり、目の部分が全て人間の形をしていた。


「……何だ、そいつは」


目の前の現象を見ながら、ガルンは冷静に化け物を見つめる。


ハリイツは病んだ笑顔を浮かべた。


出血がきつかったのか、赤く変色した顔でも、顔色が悪く見える。


「言ったろうがぁ? 俺は“妖骸喰い”のハリイツ。倒した敵の能力を取り込む力を持つ。勿論、肉体を貪れば、その肉体ごと使役する事も可能って事だぜ」


「取り込んだ怪物……か」


「妖蛛鬼“闇陽炎”(ようしゅき・やみかげろう)。こいつは悪食だ。どんなものでも食い尽くす。その手段は……とくと味わいな!」


妖蛛の足が、まるで鋭利な爪の様に閃く。


ガルンはその一撃を、サイドステップで綺麗に躱す。


しかし、身体に響く痛みにガルンは目を細める。


テレキネシスの影響で、内臓のいくつかを痛めているようだ。


メギッと妙な音が響いた。


ガルンはチラリと爪が通りすぎた跡を見る。


避けた先の大地が、綺麗に後方まで切り裂かれていた。





突然身体に衝撃が走った。


いきなり後ろに引っ張られるような違和感。


たたらを踏んだガルンに、ハリイツの左腕が向けられる。


ガルンは舌打ちして、後方に引っ張られる力を利用してバックステップを敢行した。


今はとにかくテレキネシスをやり過ごさないといけない。


そこでハリイツの唇が吊り上がる。


疑問に感じるガルンの目の前に、天三輝が回り込んだ。


成聖衛盾“天三輝”(せいせいえいじゅん・あまのみつき)。


所持者の死角、避けられない、防ぎ切れない攻撃を自動的に守る優れものだ。


しかし――そうなれば、逆に天三輝が動いたと言う事実は、何かしらの強力な攻撃が来る事を意味する。


大気をつんざく音と共に、見えない一撃が来た。


天三輝の前で空気が爆発したような音が鳴り響く。


「そこだ! 冥法空咒“弾ける世界”」


「っつ!!」


ハリイツの声の後に、頭上に寒気を感じた。


第六感が警笛を鳴らす。


見上げた空が破裂した。


轟音に感じる“それ”は全て衝撃波の塊。


広域破砕の冥法の術式が炸裂した。


その中で、朱い色の光が輝く。


天三輝の中央にある勾玉の一つ、瑪瑙だ。


大地を飲み込むような砂煙が上がる。


上空から襲った気圧の塊は、大地を綺麗に陥没させていた。




立ち上る粉塵。


その中に朱い光の膜が見える。


ハリイツは苛立ちに歯軋りした。


陥没した大地の中心だけは、元のままの状態が保たれている。


朱い光に守られた大地。


そこにガルンは、盾に守られた健在な姿を見せていた。


「冥法を防ぎ切った……だと? 有り得ねえ……何なんだその菱形は……」


ハリイツが苛立つのは無理も無い。


テレキネシスの面攻撃。点攻撃に比べれば威力が格段に落ちるが、相手を吹き飛ばすには十分な広範囲攻撃だ。


それに合わせて冥法の重ね掛けである。


テレキネシスで盾を抑えて、強力な妖術で大打撃を与える。


わざと冥法を使わず、頭から忘れるように仕向けての奇襲のつもりであった。


それが全て盾一つに防がれている現実。


「最強の盾さ。最強のな」


ガルンはそう言いながら、自分自身が一番驚いていた。


パリキスの盾は完全に冥法を防ぎ切っている。


この盾の強度は明らかに規格外だ。


伝説、神器クラスなのは疑い様がない。


しかし、このまま盾任せに戦うのは無理がある。


ハリイツの攻撃は多芸だ。


いつか天三輝でもカバー仕切れないであろう。


常に攻撃を避けながら戦う。それを意識しなければ、やられるのは時間の問題だ。





だが、動き回るには一つ気掛かりがある。


攻撃を避けた瞬間に味わった、身体を引っ張られる妙な拘束力。


今はその感覚は消えているが、あれが何か分からないと後々致命的な事になる気がする。


(あの化け物蛛の攻撃……何かあるのか)


ガルンは慎重にハリイツを凝視した。


右腕から延びた怪物蛛は、笑うように身体を小刻みに震わせている。


既にその姿は、人と言うより怪人に近い。


その横で、唸り声を上げる妖虎の姿も見える。


そこでガルンは欠点に気がついた。攻撃力を上げた為に起きた、致命的な欠点に。


「そうか……」


ガルンの呟きは、空気を

冷やすような妙な音と、銀色の閃光が掻き消した。


唖然とガルンとハリイツは、光の発生方向に視線を向ける。


それは、ちょうどカナンが神殺しの剣技を披露した時だった。


その光は、アロンと対峙していたアカイ、無名、ライザックや、先を急ぐ他のメンバー、いや、それを目にした全員の足を止めるには十分な輝きだ。


光が止むと、現状が見えた前線の兵士達から、勝鬨に似た雄叫びが上がる。


目の前の冥魔族がほぼ壊滅している姿を見れば、当然の反応と言えよう。


それに気付いたのか、アロンは小さく舌打ちした。





「拠点防衛組がやられたのか? これでは足止めの意味が無いな」


目の前で距離をとる三人に、アロンは冷ややかな視線を向けた。


「流石にこのまま粘るのは無理があるな。お前達は冥夢の幻域でゆるりと相手をしてやる。誰かに喰われずに俺の所まで来る事を祈ろう」


指をパチンと鳴らすと、赤い霧が立ち込める。


その中に埋もれるように、アロンの姿は消えていった。





「何だとぉ? 守りの奴ら殺られたって言うのか?!」


ハリイツは明らかに不快な顔をして、光が見えた先を睨む。


同じように見つめるガルンだが、気になる点は違っていた。


「カナンの奴……使ったのか?!」


明らかな霊威力の輝き。


たが、その規模が広すぎる。


圧倒的な力にはリスクが付き纏う。


霊威力は強力無比な破壊力を持つが、それを成すには魂を形作る霊子力を消費する。


何も考えずに使い続ければ、魂が霧散して死が訪れる事になろう。


ガルンも対人、単体には使った覚えがあるが、対軍となるとスケールが違いすぎる。


どれだけの負荷がかかったかは計り知れない。


「作戦は失敗か……。まあ、もともと食いぶちを増やしたい奴ら用のモノだったからな。失敗もやむ無しか。だが……」


ハリイツの怒りの視線がガルンを射抜く。





「撤退する前に右腕の礼をしなくちゃなー!! テメェーだけはぶち殺す!」


ハリイツの左腕が上がる。


その時だった。


何処からともなく馬の蹄が響く。


「何ちんたらやってんだゴォラ!」


声と共に混が空気を裂く音が重なった。


それに先に気付いていたのは妖虎だ。


横合いから放たれた一撃を牙で受け止める。


しかし、その棍は鞭のようにしなると、まるで蛇さながらに首に巻き付いた。


多節鞭。


その武器にガルンは見覚えがある。


騎馬に乗って現れたのはハオロンだ。その後ろからも数々の騎兵が見える。


「突撃陣形でチャージ!!」


馬上で赤いフルプレートアーマーの騎士が叫ぶ。


赤い鎧は紅蓮騎士団のシンボルカラーだ。黒鍵騎士団と共にメルテシオンから出陣した騎士団の一つである。


ランスを構えた騎馬が、四頭並んでハリイツに向かう。


ナイトランスからは魔法陣が現れ、切っ先は淡い光を放ち始めた。


「ちぃぃ! うぜぇ」


騎馬達はハリツイに左腕を向けられると、ビタリと動きを止めた。


まるで金縛りにあったかの様に動かない。


いや、動けない。


そのまま、見えざる力に圧し払われるように、騎兵は吹き飛んでいく。


「うお?! 何だ今のは」


ハオロンは妖虎と力比べをしながらも、唖然とそれを見送った。



「気をつけろ! こいつは多重能力者だ。何を仕掛けてくるか分からないぞ!」


「おいおい、マジかよ。テメェーは毎回面倒な奴とやり合ってやがって!だいたいなんでテメェーがここにいるんだ?! 」


「うるせぇー! 成り行きだ」


「本当にテメェーは、いちいち気にくわねぇ奴だ!」


叫びながらハオロンの多節鞭が唸る。妖虎を空中に巻き上げると、そのまま大地に叩き付けた。


たまらず妖虎は多節鞭の先を離すが、首に巻き付いた部分は離れない。


「テメェー調子にのるなよ!」


それを見兼ねてハリイツが動く。


振り上げられた化け物蜘蛛が一閃した。


叩き付けられる爪を避けるために、ハオロンは仕方なく妖虎から多節鞭を放して回避する。


大地が綺麗にえぐれる様を見て、ハオロンは顔を歪めた。


一撃で即死の威力だ。


「馬鹿力が!」


ハオロンは巨大な右腕の死角に、回り込むように走ろうとしてバランスを崩した。


まるで何かに絡めとられたように身動きがままならない。


「何だぁ?!」


「遅いぜクズ。冥法炎咒・奏でる焔」」


ハリイツの廻りに炎の塊が無数に現れる。


「まずい!」


ガルンが飛び出すのと、炎が撃ち出されるのは同時だった。


あたかも花火の様に舞い散る火炎は、まるで敵に引き付けられるように弧を描いて飛んでいく。





火炎は助っ人に来た紅蓮騎士団にも降り懸かった。


騎士達は盾でそれを防ぐが、威力に圧されて全員馬から叩き落とされる。


「くそ!」


ガルンは飛来する火炎を、妖刀から水流を出して薙ぎ払う。


しかし、そのために救援に向かうタイミングを逸した。


「がぁ?!」


無数の火炎を受けてハオロンはよろめいた。


直撃の刹那、身体を“何故か動かせた”お陰で、防御態勢には入れたが、まともに攻撃を受けすぎである。


(……こいつは?!!)


朦朧とする意識の中、妖虎が飛び付いてくる事に気がついた。


咄嗟に身体を捻る。


横を通り過ぎた妖虎は、口惜しそうに振り向いた。


「こっ、この畜生……が」


ハオロンは妖虎が口にくわえているモノを見て、怨嗟の声を上げた。


妖虎は何食わぬ顔で、そのまま口にくわえたモノを咀嚼する。


「ち……くしょ」


ハオロンは自らの左肩ごと、先が消えているのを見てから崩れ落ちた。


「ハオロン!!」


ガルンの雄叫びに合わせるように、蜘蛛爪が振るわれる。


ガルンは仕方なくチャクラを脚に回して、大きく跳躍して距離を取った。


予想通り爪跡からかなり離れれば、身体に纏わり付く妙な束縛感は無い。




「楔型陣形!」


倒れていた騎士達が、立ち上がって素早く隊列を組む。


重量二百キロ近くの、フルプレートアーマーでの動きとは思えない機敏さである。


新米騎士では立ち上がる事さえ困難な重さだ。


偏に、紅蓮騎士団の錬度の高さを物語る出来事と言える。


「突貫!!」


号令一喝、騎士達は槍を構えると突撃を開始した。


「テメェーらも邪魔だぁ! 黙ってろ!」


怪物蜘蛛の爪が閃く。


轟音。


正面の騎士達は、一瞬で無造作に裂き砕かれて四散した。


だが、攻撃を避けた騎士達の動きに乱れは無い。


無惨な仲間の死を見ても、騎士達の鋼の精神がそれを支える。


扇状に拡がると、包囲するように突撃を再開した。


しかし、その動きがぎこちなく制止する。


「……!?」


全員が意味不明な緊縛感に顔を見合わせた。


それを見てガルンの顔色が変わる。


「やはり、何かの能力か!」


怪物蜘蛛に目をやる。


蜘蛛と考えれば糸だが、目に見えるモノは何も無い。


先程も身体に巻き付いたような感触は皆無だ。


だが、身体の自由を奪う、何かしらの拘束力が働いているのも事実。


遠距離からの攻撃は奪われ、近距離では身体の自由が奪われる。


このままでは埓が開かない。




「先ずは貴様らが俺の贄となれ」


ハリイツの左腕が騎士達に向けられる。


ガルンが、迷いながらも足を出そうとした時だった。


雄叫びに似た声が上がったのは。


「気……付けカスがぁ!! 足元だ!!」


倒れ伏しているハオロンが、騎士達の足元を指さしている。


「?!」


そこには目を細める程極小の影で出来た、蜘蛛の巣が拡がっていた。


その影の蜘蛛の巣が、騎士達の“影”を捕らえて

いる。


「そう言う事か!!」


ガルンはダークブレイズに青い炎を燈すと、ハリイツ目掛けて走り出した。


それに気付いて、ハリイツは振り向き様にガルン目掛けて蜘蛛爪を振るう。


それを跳躍してかわしたガルンは、地面をしかと見た。


地面を粉砕する爪。


そして、“蜘蛛の影”が動く姿を。


蜘蛛の影から、影の糸が吹き出し、それが巣を形成する。


空を飛ぶガルンの影が巣にかかった瞬間、身体に纏わり付く違和感が発生した。


シャドウキャプチャー。


影を掴まれれば、本体も掴まれる。


シャドウサイドの住人にしか為し得ない能力。


「やはりな!!」


捕縛された瞬間に、ガルンは魔剣の炎を地面目掛けて打ち出した。


爆炎が影を打ち消し、影を逆光方向に流す。


“影が掴まれていなければ、本体も掴まれていない”。




それを見てハリイツは大きく舌打ちした。


「影蛛縛陣に気付きやがったか!」


蜘蛛爪の攻撃はその凶悪な膂力と、撃ち込んだ地点に“影の蜘蛛の巣”を発生させる能力だ。


攻撃を避けても広がる蜘蛛の巣に影が捕われれば、身体の自由も奪われる。


その二段構えの攻撃も、影が無ければ成立しないのだ。


「喰らえよ!!」


ガルンは妖刀から水刃を拡げると、鞭の様にしならせてハリイツを襲う。


ハリイツは荒々しく左腕を振った。


テレキネシスが水刃を吹き飛ばす。


「あ゛っ……?!」


眼前で水しぶきが蝶に変身した事に目を剥く。


その間隙を縫ってガルンはダークブレイズを振り下ろした。


「滅陽神流剣法・無式一型、唐竹!!」


ハリイツはその一撃を、身体を後方に引く事でかわす。


しかし、ガルンの一撃の方が速かった。


「があっ?!」


左腕の肘から先が飛ぶ。


顔を歪ませて数歩下がるハリイツの身体に、いきなり槍が生えた。


唖然と後を振り向くと、三人の紅蓮騎士が槍を突き出している。


ガルンはそれを見てニヤリと笑った。


地面に撃ち込んだ爆炎は、後方の紅蓮騎士団の影の束縛も解き放っていたのだ。


「馬鹿かテメェーは? せっかくのアドバンテージを自分で潰してりゃ世話ないな?」




「なっ……んだとぉ?」


「そんなデカブツを腕に生やしちまったら、肉体強化しても動きがとろくなるのは当然だろう?」


単純明快なガルンの答えに、ハリイツは歯をカチ鳴らす。


背中を刺し貫いた騎士達に、猛然と妖虎が襲い掛かる。しかし、その胸部を真横から棍が貫いた。


吹き飛ぶ妖虎を見て、棍を投擲したハオロンは青ざめた顔ながらもほくそ笑む。


「腕の……お返しだ。ザマァー……見ろや」


その様を見てハリイツの顔付きが変わる。


怒りでは無い。


何か諦めたような脱力した表情だ。


「勝負はついたようだな」


ガルンの言葉にハリイツは俯いた。


身体が小刻みに震える。


鳴咽のようなものが聞こえ始めた。


泣いているのかと、周りの全員が訝しむ。


声が少しづつ大きくなる。


耳をつんざく様に大きくなったそれは、笑い声であった。


「あ゛ー、糞が! まさか切り札を出す羽目になるとはよ!」


身体を三本の槍で刺し突かれながらも、ハリイツの顔に恐れはない。


その瞳の夜叉の花弁に、異常に瞬く翠の光りが輝く。


「なんでアレで死なないんだ?!」


紅蓮騎士団の一人が思わず声を上げる。


それを聞いて、ハリイツは口が裂けるような悪魔的な笑みを浮かべた。




大地に転がる渇いた音がした。


そちらに目を向けると、妖虎が何事もなかったように立ち上がる。


足元には、傷口の治癒力で外に押し出された多節鞭が転がっていた。


同様にハリイツの身体からも槍が押し出され、失った左肘が見る見る再生していく。


「なっ……? なんだと!?」


その声を上げたのは誰だったか。


それを楽しげに聞きながら、ハリイツは失った筈の左腕を、右腕に生えた蜘蛛の腕に押し当てる。


ズルリと抜けた。


右腕は生え変わっている。


そこでハリイツは悦の入った笑い声を上げ出した。


「何を呆けているんだお前らは? 少しは俺達の事を勉強したんじゃないのか?」


「……あそこから、完全……再生だと? 聞いてねぇーよ……」


ガルンの答えを、ハリイツは鼻で笑う。


「馬鹿か? 俺はヒントをやったぞ? 俺の幽冥獣は、“俺と繋がっている”と」


その言葉でガルンは目を見開いた。


単純明快な答え。


冥魔族と戦う時に知り得ている基本情報。


餓鬼は奪った命を内包している限り――死なない。


「そうか……そう言う事か……」


口惜しそうな声が洩れる。


目の前の冥魔族は、ただの冥魔族では無いことを思い出す。



冥魔黎明衆“妖骸喰いのハリイツ”。


連れそう幽冥獣と命を共有する怪人。


内包した命を殺し切らなければ倒せない、不死の化け物なのだ。


「ったくよー!! 俺とファン・フーは霊格が高いんだよ! 蘇生にどれだけ溜め込んだ命を消費したと思ってんだ」


左腕を上げると、テレキネシスなのか化け物蜘蛛が空中に上がっていく。


まるで異形の龍が、天に昇っていくようだ。


「もう、出し惜しみは無しだ。こいつは勿体ないが……生贄に使う」


夜叉の花弁が光り輝く。


蜘蛛百足の身体は翠色の煌めきを放ちながら、ゆっくりと内側から爆ぜ割れた。


蝶の羽化を連想させるその動きから、白い塊が姿を現す。


蕾だ。


場違いの、巨大な花の蕾が現れた。


それがゆっくりと花びらを広げる。


中心には裸の女性の上半身があった。


両腕は無く、腰骨辺りから朽ちた木の枝が翼の様に広がっていく。


美しい端正な顔には、額に及ぶ五つの目が紅葉の葉の様に立ち並ぶ。


それを見てガルンは生唾を飲み込んだ。


精霊の眼に切り替える必要が無いほどの存在力。


外見には似合わない、荒々しく禍々しい気配。


心臓が早鐘のように鳴り響く。


「妖彗王“カリシリス”。彼の禍星に宿っていた神性存在。こいつは大喰らいでな、維持するだけでどれだけの命が消費されていくか分からない。だが……燃費の悪さを補う凶悪な能力がある」





ニヤつきながら、ハリイツは紅蓮騎士団を指差す。


華の妖異は五つの瞳だけで、ゆっくりと騎士達を眺めた。


騎士達が全員硬直する。


全員がいきなり荒い息を吐き出し始めた。


「なっ……んだ?」


ガルンが不安そうにそちらを見る。


「蹴散らせ」


ハリイツの呟きと共に、華の妖異は咆哮を上げた。


まるでオペラ歌手の、ソロの歌声のような美しい調べ。


ガルンは昔聞いた天使の歌声を思い出した。


それと共に騎士達がバタバタと倒れ伏す。


「……?!」


ガルンは唖然としながら、倒れた騎士達を見つめた。


騎士達は倒れたまま微動だにしない。


異変を感じて精霊の眼に切り替える。


そこには存在の光りが歪んでいく姿が移った。


生者が死者に変わり果てる瞬間。


魂が砕けている。


流れ出る霊体やエーテル体が霧散していく。それがハリイツに流れていくのは、例の冥魔族の特殊結界の力であろう。


残るのは、本来死者に残る幽体だけだが、それすらハリイツに吸われていく。


「馬鹿……な?! 何が起こったんだ?」


身体中に冷や汗が溢れ出る。


目の前で紅蓮騎士団の全員は、僅か数十秒で死亡していた。







天に浮く一輪の花は外見の煌びやかさとは違い、凶悪な刺を持っているのだ。


屍と化した騎士達を見て、妖虎が勝ち誇った咆哮を上げる。


「さてと、次はテメェーの番だなぁ~」


ハリイツは不敵にガルンを一瞥する。


既にハリイツ自身は戦闘を行う気がないのか、やたら気楽な姿勢だ。


ガルンは全身のチャクラを臨界まで回していく。


相手の不気味な能力が分からない以上、即応できる状態でなければ待つのは死だけだ。


「警戒しても無駄だ。妖彗王カリシリスの能力“ニュークリアス・ルーラー”は観測した相手の肉体を一度だけ完全支配する。つまり、視界に入った時点で終わりだ」


「完全……支配?!」


ガルンはさらに緊張を高める。


そんな馬鹿げた能力がある筈が無い。


だが――ガルンには覚えがあった。

視界に入るだけで発動する凶悪な魔眼に。


千眼の魔神バァロール・フェロス。


最強無比の魔神の一柱。


ならば花の妖異の力はそれに匹敵、いや、それ以上の力と言う事か。


「へっ、何か裏があるんだろ?」


「まあ、そう思いたいだけだろうなぁ? 確かに仕組み的には、こいつの中枢支配は呪いによる瞬間催眠に近い。だが、上位存在に認識されたと言う事実を、下位存在は“存在が認識してしまう”。その時点で呪いは成立だ。回避は不可能ってこった」

「…………」


ガルンは絶句するしか無かった。


瞬間催眠。


能力としては中位能力ではあるが、それが上位存在が使用すれば意味が異なると言う事だ。


「さぁ、死ぬ前にタネが知れて良かっただろうが? それじゃぁ、とっとと死ね」


ハリイツは指を鳴らす。


それと共に死の歌声が開催された。


心臓を鷲掴みされたような振動。


「……!?」


ガルンはゆっくりと意識が跳んでいくのが分かる。


ぼやける視界。


いや、思考自体がまどろんで行く。


(心臓が止まっている? 違う……“脳が酸素を取り込んでいない”!)


震える肉体。


ガルンはそのまま、糸の切れた人形のように俯せに倒れた。


ハリイツはそのままピクリとも動かないガルンを、満足そうに眺める。


「やれやれだぜ。能力を一回使うだけでニ十は命を消費したなぁ? 存在維持だけでも次々に消えていく。やはり大食い過ぎだぜ……」


毒づくが華の怪異は、ただそこに佇んでいるだけだ。


口を開くのは、死の旋律を奏でるだけなのであろう。


「まあ、羽虫にしてはよくやったぜお前らは?」


そのままハリイツは高笑いを上げ始めた。


灼熱の大地に勝鬨が上がる。


それに呼応するように、妖虎も高らかに咆哮を上げた。





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