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黒閾のダークブレイズ  Re.FIRE  作者: 星住宙希
第十七章
22/31

砕けぬ想いと砕けぬ盾

不規則に響く振動が始めに感じた感覚だった。


耳に聞こえる、馬蹄の音と車輪の音が続く。


ゆっくりと瞼を上げると、見慣れない天井が見える。


「……」


ボケた頭を揺り動かす。


ガルンはハッとなって上体を起こした。


辺りを見回すと、白金騎士団のパラディンが鎧を脱がされて二人寝かされていた。


四腕の怪物と戦った、数少ない生存者だ。


不規則な振動と音から、自分が馬車に乗せられている事に気がつく。


「そうか……あの後、気を失っていたのか」


「起きましたかガルン様」


馬車の外から声がする。


馬車は物質運搬用を簡易的に空けたものだった。


今回は戦闘目的ではなかったので、怪我人収容用の馬車など存在しない。


荷台後ろのフォロを開けて外を見ると、馬車に追随して走る騎馬がいた。


「アベル?」


そこにいるのは自分の従騎士であった。


「何ですか、その驚きの表情は? 後から合流する事を忘れてたんですか?」


心外そうな顔には疲れが見える。


ガルンは城を出発する前日を思い出した。


合点がいき手を叩く。


「あー。そう言えばそうだったな」


「呆れますね。ガルン様が調べ物させたんじゃないですか」


「悪い、そうだった、そうだった」


ガルンは渇いた笑みを浮かべて弁解する。


旅仕度の手配、使用書類の申請、手続き、そして、調べ物と色々と小間使いの用に使ったのはガルンであった。


「俺は何でも屋ではないですからね。お忘れなく」


アベルはそう言うと小さく溜息をつく。




「それで結果は?」


ガルンはアベルに調査するように頼んだ事柄を思い出す。


現存する王宮近衛騎士団の全ての名前、分かる範囲の能力とサクラメントの種類。そして、そのサクラメントを作り上げた王族の分布だ。


これは仲間の力を把握する事と、後にあるだろうセルレインとの競い合いを考慮しての事だった。


ただ、競い合いは後には回らなかったが。


アベルが馬に取り付けた荷袋から、分厚い書類を取り出す。


「……何だ、それは?」


指さされた書類をアベルは、有無も言わさずにガルンに手渡す。


「王宮近衛騎士団のリストに決まっているじゃないですか。俺は何のために奔走したと思っているんです」


アベルの手際のよさにガルンは驚く。


パラパラと書類をめくると、グライドやキリエの情報もしっかり載っている。


(キリエの魔杭……十三本しかなかったのか。もう少しで打ち止めだった訳だ)


必ず当たる伝説級の武具も数が限られていたようだ。


四腕の怪物との戦いが長引いていたら、勝率は格段に落ちていただろう。


「凄いなアベル。よく短期間でこれだけ集められたもんだ」


「これでも情報分析、収集能力には自信がありますよ」


自負するだけあって、確かに良い補佐官にはなりそうである。




「ガルン様が気にしているのは、例のサクラメントの強度実験の話ですよね?」


「なんだそれは?」


「噂で持ち切りでしたよ。と、言うか、セルレイン王女が意図的に流した情報でしょうね。パリキス王女がサクラメントを初めて創るとの事で、それが実戦に耐え得る性能か、自ら作り上げたサクラメントで試すとの事です」


ガルンの顔が微妙に曇る。

逃げ道を封鎖する気満々だ。


延期にしろ、拒否にしろ、パリキスを叩く理由は万端と言う所だろう。


「城内には宣伝済みかよ」


ガルンは小さく舌打ちする。


ここまで来ると、アズマリアが何と言おうが悪意しか感じない。


(とりあえず……第一王女の造ったサクラメントを持つ奴が相手だろうな)


回廊で会った、斧槍を持った青いツンツン頭を思い出す。


あの身のこなしは、かなりのやり手と物語っていた。


書類にその男らしきデータを見つける。


ネウィード・ベウィクと名が記載されていた。


正統派のエリート騎士だ。


特に特殊能力や、キリエのような秘宝持ちでも無い。


武術のみで王宮近衛騎士団に入団したとなると、かなりの凄腕と言う事になる。


(サクラメント勝負のみなら……必要なのはそれを行使する腕前だ。技術力……順当に行けばこいつだろうな)




ガルンが思案に暮れていると、進軍停止の笛の音が聞こえ始めた。


メルテシオンでは軍隊規模の進軍命令を、笛の音で簡易報告するのだ。


それに合わせて馬車が停止する。


「何かあったんでしょうか?」


アベルもそれにあわせて騎馬を停めた。


周りの騎士達もそれにならって馬を停めていく。


「俺が気絶してから、どれだけ時間が経っているんだ?」


ガルンは素早く身仕度を整えると、無造作に置かれているダークブレイズと蝶白夢に手をかける。


「僕が今朝こちらに来た時には、ガルン様はダウンしてましたよ? 深夜、大規模戦闘があったと聞きました。今は正午なので、逆算すれば十二時間辺りは経過しているかも知れませんね」


「そこまでは経っていないか……」


ガルンは馬車を降りると、遠方から走る騎馬を見つけた。


「一時、此処で陣を引く! 第三種警戒体制、スクウェア・ワンで全周警戒!」


伝令を叫ぶ、騎士のルート上にガルンは近づくと、


「何があった」


と、簡潔に声をかけた。


ガルンに気付いた伝令兵は馬を慌てて停める。


「ガルン様、気がつきましたか! 本陣で緊急会議が行われます。直ぐに中央にお向かい下さい。詳細はそちらでとの事です」


伝令兵は一礼すると、再び馬を走らせた。





太陽が西に傾き始めた頃になると、雨雲がうっすらと空を覆い始めていた。


その雨雲のように、遠征軍の中央に建てられた仮設テント内には、じめりとした沈痛な雰囲気が流れている。


中にいるのは、遠征軍の首脳陣に位置する者達だ。


パリキスを筆頭に、王宮近衛騎士団の全員。グライド、ガルン、キリエ、スピカ、黒陽。そして、白金騎士団の小隊長、ロイヤルナイツの軍隊長である。


「……要するに遠征は中止って事だよな?」


ガルンはあっけらかんと結果を告げる。


それが何を意味しているかは全員が理解できているが、余りに突拍子も無い事に言葉を失っていた。


遠征は中止となったのだ。


それは、前日の冥魔族との戦いの被害による、自軍の都合では無い。


遠征先が無くなったからである。


すなわちアルジャヤに居るはずの二大国の軍隊が消えていたのだ。


会談場所の地理情報を得るために向かわせた先遣隊が、そこで見たのは焦土と化した大地だったのである。


そこには大規模戦闘の跡と、数々の両軍の死体の山だけが残されていた。


「どう……思う?」


スピカのボソリと呟いた言葉も、沈黙した空間にはよく響く。


「普通に考えれば、両軍の間に何かしらのいざこざが起こり……衝突した。で、しょうか?」


黒陽の言葉も歯切れが悪い。





「調停目前で強硬派が動いた可能性はある。戦争継続を望む第三勢力の介入も考えられる。しかし……」


グライドはそこで言葉を切った。


再び訪れそうな沈黙を、さらりとガルンが破る。


「昨日の奴らの襲撃の可能性だろ? 俺はかなり可能性が高いと判断する。奴は……一兵卒だと言っていた。本隊がいたら……二国の正規軍でも十分ヤバイ筈だ」


それは全員が気掛かりな事だろう。


冥魔族。


彼の者が名乗った別世界の異邦人。


「そう言えば、奴が使っていた魔法……いや、魔法に属さない別体系の術式。あれはまずいぜ?」


キリエが本心から溜息を漏らす。


あの術式を受けたガルンも、渋い表情を浮かべた。


領域魔法陣使いと同様の、領域規模の陣形術式。


ゾーン・エナジードレイン(領域精気吸収)と高速術式。


命を喰らう怪異召喚に、治療魔法をキャンセルする攻撃術式。


あれが一兵士の能力とは考えたくない実力だ。


「わらわから一つ伝える事がある」


パリキスはガルンに視線を移す。微妙に責めるような視線に、ガルンは意味が分からず頬を指でかいた。


「冥魔族と名乗った種族が使う術は、呪い……呪術に近いものじゃ。あれは呪詛を撃ち込む外道の法術に近い」


珍しくパリキスの瞳に怒りの色が見える。




穏和な姫らしくない態度に、全員が不思議な圧迫感を受ける。


「ガルンとパラディン達が受けた術は、死んだ人間の魂を呪術で括り、一つの呪詛として相手に撃ち込む禁忌の技じゃ。始めから“死んだ人間の命”を、戦闘に用いる事を前提にして編み出されておる。死者を冒涜する事が前提とは、わらわには理解できない」


「……俺の受けた怪我、パラディンには直せなかったと聞いた。パリキス……姫が治してくれたのか?」


ガルンの問いに、パリキスはコクリと頷く。


「彼等の術式は先程言った通り、一種の呪いと言えよう。これを受けた者は外傷と呪いの二つのダメージを受けた事になる。この傷を治すには、まず呪詛を解呪する必要が生ずる。それをしなければ、治療魔法は呪いに浸蝕されて満足に効果を発揮せん。これを治すにはディスペル(解呪)や呪詛返しで呪いを無効化してから、治癒しなければならない」


パリキスの言葉に、白金騎士団の小隊長は思わず身を乗り出した。


「それでは時間が掛かり過ぎます! それに人柱級の呪いの解呪など、並の術者では対応出来ない」


「姫は……あっさり、治してた……よ」


淡泊に呟くスピカの言葉に、騎士は大きく首を振った。「パリキス様は破格過ぎます。例えになりません。無礼な物言いになりますが、パリキス様は生きた神殿のようなものです。触れただけで呪いを浄化など凡人には不可能です」





「奴らの呪術攻撃を受けたら……簡単には治せないって事かよ」


キリエの顔が引き攣る。


あの戦闘では、いつ攻撃を受けても不思議では無かった。


無傷での勝利が必要となれば、求められるハードルは飛躍的に跳ね上がる。


「問題はその冥魔族の介入……。いや、襲撃だったとした場合だな。両軍は単純に撤退したと考えるべきだろう。流石に全滅はないだろうからな」


グライドは視線をパリキスに向ける。


パリキスはコクリと頷いた。


それを確認すると、グライドは胸前に腕を振り上げる。


「では、我が軍は本国に撤収する。両国には使者を送り。調査隊は後日派遣。第三勢力の介入を想定して、遠距離、周回陣形のサテライト、リングスリーの併用で帰還する。本国に報告用の早馬を出しておけ。以上だ」


グライドの号令で騎士全員が敬礼すると、慌ただしくテントを出ていく。


「待てガルン! そなたには話しがある」


外に出ようとしたガルンをパリキスが呼び止めた。


ガルンは頭を掻きながら、渋々とテント内に戻る。


「どうした姫さん?」


ガルンは素直な疑問を投げ掛けたが、パリキスはそれを無視して無言で歩み寄る。


身体が密着しそうな程近づくと、おもむろにガルンの顔を両手で掴んだ。


そのまま無理矢理顔を自分に向ける。


「……パリキス?」


まるでキスをねだる恋人のような仕草に、ガルンは生唾を飲み込んだ。




しかし、ガルンの瞳を覗き込むパリキスの目は真剣である。


吸い込まれるような黒い瞳は、類を見ない程磨き込まれた黒曜石のようであった。


右目が包帯に巻かれていなかったら、そのまま、魂すら持って行かれそうな眼力だ。


「そなたの瞳……。何が見えておる?」


パリキスの低い声にドキリとした。


まるで魅了眼持ちのような、有無も言わせない強制力を秘めているように思える。


「何……とは?」


「他の者は分からなかった……いや、知覚回路が合わなかったと言うべきかの」


「……?」


「わらわも黒陽に頼んで共鳴眼を受けていたのじゃ。あの戦いは、わらわも見ていた」


ガルンは数瞬息を呑んだ。


共鳴眼でパリキスの姿を見たのを思い出す。


あれはグライドの見ていた景色ではなく、黒陽のものだったのだろう。


「あの戦いで、そなたは見えないモノを見ておったの? 普通の人間では認識出来ない別世界の景色を。わらわは血に脈々と神を降ろす為の素養が内包されておる。高次元存在を感知する為の感覚回路がな。これは長い年月をかけて改良されて来た血族の固有能力と言ってもよい」


「なるほどな……。だから、他の奴には見えない筈の俺の視界が見えた……と」

ガルンの精霊の眼は、本来、精霊世界側の住人しか持ち得ないモノだ。



普通の人間には、初めから別世界を受信する知覚器官のようなものは存在しない。


何かしらの不慮の怪我や、並外れた霊力により脳の知覚域が変質でもしないかぎりは有り得ないのだ。


「それは、普通の人間が知覚する世界では無い。

天に昇る太陽を延々と見続けるようなものじゃ。それを続けていけば、いつか失明……いや、脳が壊れるやもしれん」


パリキスの声には憐憫の情が見える。


それは憐れんでの様にも、慈しむ様にも思えるだろう。


「……その心配はないと思うな」


ガルンはパリキスの手を取ると、ゆっくりと顔を離した。


(既に俺の存在は変質している。もしくは……頭のネジの一つや二つは既に外れているかもな……)


ガルンは明後日の方向を、罰が悪そうに眺めた。


自分が変わったとしたら、確実に星狼の血の影響

であろう。


クフルのおかげで拾った命である。


それによって、存在が変質するぐらいは微々足る弊害に思えた。


アズマリアが言ったように、ガルンは自身が闇の眷属に近づいた様にさえ思える。


パリキスが危惧しているのは、もしかしたらそちらかも知れない。


(……そう言えば、クフルが去り際に何か言っていたな……。何だったか?)


あの時の場面を思い出そうとするが、何故か上手く行かない。


ガルンは微妙に眉間にシワを寄せた。





「気をつけるに越したことはない。くれぐれも、そちら側を余り見るのではないぞ!」


拗ねた感じのパリキスは、ガルンの胸に指を突き付ける。


心配性の姉のような振る舞いに、ガルンは小さく微笑した。


実の姉、それにカナンを思い出す。


常に誰かに心配をかけているようで不甲斐ない。


それに気付いたのか、パリキスは上目使いに顔を近づける。


「わらわの話、しかと聞いておるのじゃろうな?」


威圧するような瞳に見据えられて、ガルンは観念した。


「善処するよ」


「ならばよい!」


何故か嬉しそうに笑うパリキスを、ガルンは半ば飽きれ気味に眺めた。


芯の強さ。


いや、頑固さは筋金入りだろう。


(だけど……この力を使わなければ……パリキスは護れない)


ガルンは確信に似た予感を感じる。


この先の戦いは、そんな甘いものではないと。


血がざわめく。


それは、自然の守護者たる星狼の血の影響か。


それは、世界に仇なす、完全なる外敵の到来を意味していた。




それから、メルテシオンへの帰還は恙無く行われた。


降り出した雨だけが一抹の不安をイメージさせる


しかし、帰路の間に襲撃する敵対勢力も現れず、王城に到着したのは五日後の昼であった。





古い書庫のような部屋は薄闇に閉ざされていた。


その中で、微妙に揺らめくランプの光だけが全てを照らしている。


「まったく。次から次へと面倒な事だけが増えてくれる」


渡された報告書を、額に手を当てながら眺めているのはアズマリアだ。


床も全て本に埋め尽くされた部屋の中で、唯一残されたフロンティアが机と椅子である。


そこで踏ん反り返っているアズマリアとは対照的に、畏まった姿勢で立っているのはグライドだ。


帰還してから、アズマリアの元に報告をしに来たのは、わずか二時間後である。


本来、第一報告は王宮近衛騎士団・団長であるシン・クローヴェルトとなるはずだが、そこは暗黙の了解と言うやつであろう。


裏のボスはこの顔色の悪い少女の方なのだから。


「本当は姫の息抜きと、ガルンの様子見が主目的だったのだがな」


「こっちも楽な任務のつもりでしたよ」


グライドは両腕を広げて、わざとらしく大きく首を振る。


その様子をアズマリアは詰まらなそうに眺めてから、


「それで、貴様のガルンの評価は?」


と、問う。


グライドはう~んとわざとらしく、顎に手を当てて考えるそぶりをした。


わざとらしい演技が鼻につく。


しかし、それさえ抜けば、この男はかなり優秀だと言う認識をアズマリアは持っている。




アズマリアは仕方なく、グライドの返事を待つことにした。


「まあ……、番犬としてはかなりの合格点ですよ? あの魔剣は破格の強さですからね。サクラメントより強力だ。あれだけでもお釣りが来る。それに身体能力に反応速度、状況認識能力も申し分ない。あの妙な剣技も逸脱している。無鉄砲な所と短絡的な所が直ればかなりの逸材と判断しますよ。実際、王宮近衛騎士団の中でも五指に入るんじゃないですかね?」


「……ベタ褒めだな」


「まあ……、問題はあのいびつな独善的思考ですか。狂犬に近い」


思い当たる節があるせいか、アズマリアは無言だ。


「パリキス姫至上主義なのはいいが、他の命を蔑ろにしすぎですかね。やっこさん敵を倒すために、瀕死の仲間を無視して攻撃してましたよ」


「……ある意味正しい選択だ。姫を護るためならば合格だな」


納得するアズマリアを見て、グライドは苦笑いを浮かべた。


この吸血鬼も姫至上主義だったのを忘れていたのだ。


「しかし………奴の力は危うい。殺傷能力が高すぎる。周りを巻き込むのも問題だが、いつ姫に飛び火するか分からん。ただの火の粉ならまだ許容範囲だが、奴の炎は死に近すぎる。それに……」


「それに?」


アズマリアはそのまま押し黙った。


治ったはずの腕が疼く。完全に新生し直した筈の腕に残る死の香。




深淵眼を使った時に見た、黒い焔のようなものを思い出す。


(あれは……なんだと言うのだ?)


数千年を過ごした身が、知りえない異端の力。


腕を何とか動かせる状態になってから、この書庫で“アレ”に近いものを探すが、今だ正体には届かない。


(あれは危険だ……。あ

れは命を簡単に刈り取る、死の洗礼。生者を……いや、生命を呪う悪性の毒のように感じた)


もろ刃の剣。


アズマリアの結論はやはり変わらない。


ガルンはイレギュラーの塊のようなものだ。


致死量の高い毒ガス。


間違って風下に回れば、全滅すら有り得る、危険窮まる兵器。


「パリキス姫のサクラメントの話。そっちは平気なんですかい?」


グライドの言葉で、アズマリアは思考の迷宮から抜け出した。


幾ら考えを巡らそうが、少ない情報では結論が出る訳が無い。


「そちらは気にするな。どう転ぼうと許容範囲内だ」


アズマリアは興味無さ気に話を流す。


アズマリアに取っては、危険因子を含むガルンの廃除は好都合なのだ。


パリキスの株は下がるが、それ以上にガルンの更迭は望ましい。


「それより、この冥魔族と呼ばれる輩……。報告書通りなら、かなり質が悪い。これは国規模の対応が必要になるぞ」


アズマリアは苛々気に、報告書を机に投げ捨てた。




「共鳴眼で見た限りでは、術主体の亜人と言った所でしたね。パリキス姫の言葉からすると、攻性呪術師と言った所ですか」


「1番ガンなのは、この空間結界だな。生命を吸収する枯渇領域。自身に無尽蔵に力を集めながら、敵を弱体化していく。

“陣地使い”の能力者以上に厄介だ」


陣地使いとは、ある一定領域の大地にあるモノを、丸ごと武器に変える能力である。


石があれば石を鏃に変え、家があれば家を砦と変え敵に立ち向かう。


事象の武器化は、大地を無数のワナを内包した要塞とするようなものだ。


だが、一定空間を操る意味では同じだが、物理攻撃と現象攻撃では質が違い過ぎる。


物理攻撃は物理防御は可能だが、現象には防御のしようがない。


これを破るには、結界自体を崩すか術者を殺すしかないのだ。


「とにかく、少しでも情報が欲しい。行ってこいグライド」


「はっ?」


間の抜けた表情のグライドを、無表情でアズマリアは見る。


「あの副団長、俺、帰って来たばかりですが……」


「ちょうどいい、調査隊も編成して連れていけ。例のサクラメントの事があるから、ガルン以外の奴なら王宮近衛も三人連れて行ってよい」


しれっと伝えるアズマリアの表情には変化は無い。

本気だ。



「マジですか……」


「……? 我は冗談は好きでは無いが? お前の能力ならば、奴らにも気どられまい。一応、ツーマンセルの鉄則は忘れるなよ?」


にべもない。


グライドは引き攣った表情で、


「イエス、マム!」


と呟いて敬礼すると、肩を落として部屋を退室した。


去り際に、


「鬼……」


と、呟いていたが、アズマリアはあえてスルーする。


どのみち自分は吸血鬼なのだ。


「さて……どうしたものかな」


アズマリアは椅子の背もたれに体重をかけて、腕組みをした。


机に足を投げ出すと、乗っていた本がバラバラと落ちる。


「黒い炎を調べる処では無くなってしまったな」


少々天を仰ぐ。


薄暗い部屋では、天井には微妙なランプの陽炎しか映らない。


アズマリアは小さくため息をつくと、今度は異世界関連の書類を探し始めた。




遠征帰還から三日がたった。


長期に渡り雨が降り続ていたのが、嘘のように晴れ渡った日である。


帰還してからパリキスは、遠征時と同じように部屋に引きこもってしまっていた。


流石に王城内では、簡単に王女に会えるものでは無い。


ガルンはヤキモキしていた矢先に、呼び出しを受けた。


相手は第三王女、アルセリア・リクス・メルテシオン。


パリキスと同じ神降ろしの為に生まれた少女であった。





アルセリアは神降ろしの能力保持者を目指して、ディアポス十二神の一つ陽明神アポリオス教が差し出した女性と、王との間に生まれた子供である。


高位の神霊力を持ち、土台は優れていたが、彼女は神を降ろす程の器を持ち得なかった。


妾扱いの子供の為、アルセリアはパリキス同様、王子、王女の間では疎まれる存在の一人だ。


しかし、矢面に立たされるのは能力保持者たるパリキスばかりなので、それ程の嫌がらせは受けていない。


ガルンにしてみれば、一度も会ったことが無い存在からの呼び出しである。


理由が考えつかないので、不審に感じるのは仕方が無い。


ガルンが呼び出されたのは、王城中央階層の西部ブロックにあるベランダである。


簡単にベランダと言っても、広さは膨大だ。


城壁屋上の三倍の広さに、樹木が散りばめられている様は、軽い空中庭園である。


内部から外部に抜ける入口付近には、警護兵らしきものと、王宮近衛騎士団の白マントが一人いた。


かなり大柄の男だ。

向かって来たガルンに気軽に手を挙げる。


入団してから未だに、同朋たる王宮近衛騎士団全員との顔合わせをしていないが、あの様子では向こうはガルンを知っているようであった。


軽く会釈して通り過ぎる。


ガルンが来るのは通達済みだったらしく、特に何も言われずにベランダにでた。





中央にある、カメリアの木の下にその少女はいた。


白いドレスに肩まで掛かる、ふんわりした緋髪がよく栄える。


猫の様にクリクリした瞳はサファイアだ。


何となくカナンに似ている少女は、仁王立ちで立っていた。


しかし、ガルンは少女より背後のカメリアの木が気になるのか、視線をそちらに数瞬向ける。


「待っていたぞガルン・ヴァーミリオン君!」


快活に響く声はボーイッシュであり、にこやかな笑顔は印象に残る煌めきを放っていた。


式典で会った王族のような品位は感じないが、嫌らしい高圧的な態度は微塵も感じない。


「僕は第三王女、アルセリア・リクス・メルテシオンだ。よろしく!」


差し出された手を、ガルンは生返事で返しながら握り返す。


歳の頃は自分より一つか、二つ上辺りだろうと判断する。


妙な明るさにガルンは違和感を感じた。


パリキス同様、この少女も“第三”と言うナンバリングで呼ばれる、見下された存在なのは、入団式で理解している。


あの場に居なかった王族は、パリキスとこの少女だけだ。


「ふむふむ」


と、唸りながらガルンを値踏みするようにアルセリアは眺める。


その視線に軽く苛立ちを覚えたが、ガルンは流石に我慢する事にした。


「一つ質問していいかな?」


いきなりの展開にガルンは不思議がる。


とは言え、相手は王族の一人だ。無下に出来る相手ではない。




「まあ……。俺に答えられる範囲……ならば」


煮え切らない返事だが、アルセリアは特に気にした風もない。


コホンと一息着く。


「それじゃ、もしパリキスが“メルテシオンから連れて逃げて”と言ったらどうする?」


クリクリした瞳がガルンを覗き込む。


「……? よく分からんが、それがパリキスの願いなら連れて逃げるまでだが?」


ガルンは憮然として答える。


アルセリアはニカッと微笑むと、満足そうに目を輝かせた。


「うむ。躊躇ない回答は好感が持てる。しかし、パリキスを掠って逃げると言う事は、この国に狙われるって事さ。 その覚悟はあったのかい?」


「あ~。なるほど」


幽宮の塔の事を思い出す。追ってが来るならば黒鍵騎士団であろうか?


それとも、王宮近衛近衛騎士団か、はたまた天翼騎士団と言う事も有り得る。


「まあ、遅かれ早かれ似たような事になる可能性はあるからな……。俺は気にしない。それならばパリキスも連れていく」


ガルンはそう告げると、ベランダから見える遥か彼方の景色に瞳を移した。


北部には広陵たる山脈が立ち並ぶ。


ティリティースの家に厄介になってから、ようやくガルンは神誓王国メルテシオンがどの大陸にあるのかを知る事が出来た。



ハイエルフの持つ世界地図によれば、ここは西方大陸であり、故郷の島国アーゼーイールは遥か北方にある事を確認した。


寒い大地には良い思い出は少ないが、隠遁して暮らすには適しているかもしれない。


パリキスには北の生活は厳しいかなと、ぼんやり想像する。


「まあ、合格点かな? 僕好みの回答と言えよう。僕の秘宝をあげて後悔はなかったかな?」


「……秘宝?」


アルセリアの言葉に、ガルンは片眉を上げた。


いまいち要領を得ない。


「パリキスが今造っているサクラメントの雛形は、僕の保有秘宝の一つなのさ。彼女の宝物庫の中身は使い物にならなくなっていたからね」


そう言うとアルセリアは苦笑した。


大方、そちらの予測は付いているようだ。


「正直……俺は今回の事、全てが納得行かない。こんな横暴がまかり通る事じたい許せない」


ガルンの目が険しくなる。


アルセリアはそれを感じて、何やら微妙な表情を浮かべた。


憂鬱そうな中に、諦めに似た妙な雰囲気が纏わり付く。


「セルレイン様にも色々思う所があるのだ。多少の我が儘は許してやって欲しい」


アルセリアの言葉に、ガルンの頬が引き攣る。


この王女にしろ、パリキスにしろ、何故我慢しているのかガルンには理解出来ない。




おおらかな性格――だけでは説明がつかない。


不満そうなガルンを見兼ねて、アルセリアはゆっくりと話し出した。


「セルレイン様は来年には嫁がれる。有り体に言えば政略結婚だ。王家の女子に自由など端からないからね。それに比べれば、僕やパリキスは自由が効く方なのさ。王位継承権はあるけど、分家扱いに近いからね。正統血族では末席さ。がんじがらめの政略結婚等の枠には当て嵌められていない」


「未来が選べないから、今は自由に羽根を伸ばせてやれって事か……」


ガルンの例えにアルセリアはクスリと笑った。


この少年は世間知らずのようだが、物事を把握する能力はかなり高いと判断する。


「セルレイン様達が隔たりを作ってくれれば、くれる程、国上層部や他国の僕らの政治的価値は高く無くなる。ある意味、有り難い事なんだよ」


ガルンは憮然とした表情で沈黙した。


言いたい事は何となく分かったが、だからと言って今までの行為を正当化する程の理由にはなら無い。


(自分が不幸だから、他の者にも不幸を感じさせたいって事なのか……? そんなのはただのエゴだ)


地面を見つめるガルンを見て、アルセリアは飽きれ顔で肩を寄せた。


「まあ、君は曲がった事は嫌いそうだからね。気に食わないなら、サクラメントの競い合いで勝利したら、セルレイン様に言ってみたらどうだね? 勝てたら望みを一つ叶えて貰えるのだろ?」




(そう言えば、そんな事を言っていたな……)


絶対の自信からか、セルレインは勝負に引き込むための餌を撒いていたのだ。


ただ、ガルンはその餌に興味がなかったが。


「まあ、いいさ。所で、あんたがパリキスに渡したサクラメントの雛形は何なんだ? 何かパリキスは口ごもっていたが」


「ああ、それはな……」


「ガルン様! パリキス様がお呼びですよ! サクラメントが完成したらしいです!」


アルセリアの言葉は唐突に投げ込まれたアベルの声が遮った。


ベランダの入口にいるアベルが手を振っていたが、アルセリアの存在にようやく気付いて畏まっている。


「……ちょうど良い。行けば分かるさ」


アルセリアは少し驚いた表情をした。


それにガルンは気がついたが、サクラメントの完成が早過ぎる為の驚きとは気付かない。


パリキスが旅路を始めてから、サクラメントを造りだして二週間もたっていない。


サクラメント製作に置いてそれは異例の速さだが、それを理解できるのは王族だけだ。


「行きたまえガルン・ヴァーミリオン君」


アルセリアに促されて、ガルンは不器用にお辞儀をして出口に向かう。


それを見ながら、アルセリアは少し目を細めた。


「あの少年は少し礼儀がなっていないな……。あれでは姉さん達に目を付けられても仕方が無いか」





「あの口の聞き方では、王族侮辱罪で投獄されても文句は言えませんな」


真後ろにある巨木から声がする。


正確にはその背後からだ。


そこには銀の短髪の壮年の騎士がいた。


服装は王宮近衛騎士の白いマント姿であり、背中には肉厚の大剣が備わっている。


ガルンと同じ王宮近衛騎士なのは間違いないだろう。


「ふむ。マグリネス殿は彼をどう思う?」


「背後にいる私には気付いていましたな。気配は完全に殺していたツモりでしたが。感がいいのか、良い“眼”でも持っているのか……」


「それは僕も気付いた。初めに来た時に背後を気にしていたからね」


「聞きしに勝る実力はありそうですな。ただ、あの潔癖性のような真っすぐな性格は吉と出るか、凶と出るかは分かりかねます」


騎士の言葉をアルセリアは面白そうに聞いた。


「潔癖性のマグリネス殿に、そこをつかれるとは面白い逸材だ」


関心しているのか、納得しただけなのかはよく分からない反応だが、アルセリアは何やら嬉しそうな顔をする。


「パリキスの事は頼んだよ、ガルン殿」


その呟きを聞いて、マグリネスと呼ばれた騎士は静かに微笑んだようだった。





ガルンが通されたのはパリキスの部屋では無く、中央階層より三階下の聖堂であった。


その中にある儀式室は、様々な儀式や術式を大々的に行える場所であり、サクラメントの錬成をするには必要な場所である。


中々、中央階層から出れないパリキスでも、自由に行き来できる数少ない区画であった。


通された部屋は、何やら神殿のような造りになっており、中央の窪みにパリキスが立っている。


そして、パリキスの横に浮かんでいる、妙な物体に気がついた。


肉厚な十字架……と言うよりは細い菱形のような物体だ。


まるで、風船のようにふよふよと浮かんでいる様は凧の様だが、糸は見当たらない。


「……?」


それを見てガルンは眉を寄せる。


それのせいか、何やらそわそわしているのか、ばつが悪いのかよく分からない表情でパリキスはガルンをチラチラ見つめててきた。


ガルンは無造作に頭を掻きながらパリキスの元に歩み寄ると、軽く辺りを見回す。


サクラメントらしき物体は見当たらない。


この浮いている物以外には。


「……もしかして、これがサクラメント?」


完全な疑問系である。


パリキスは申し訳なさそうに、両手の指を突き合わせて上眼使いにガルンを見つめた。


「そうじゃ。そなたの希望の品には程遠くてすまん」






「……これは何なんだパリキス?」


「……盾じゃ」


「……」


ガルンは浮いている“盾”らしき物をしばらく見てから、眉間を指で挟んで目をつぶる。


長い吐息。


ガルン的にはどのような武器でも、滅陽神流剣法を使えばどうにかなると高を括っていた。


最悪、霊妙法を用いて霊威力で強化すると言う反則技もある。


それならば、サクラメントの性能の良し悪しを隠す事は容易だ。


しかし……盾では、どうしようもない。


防御のみでは、ガルンの技が介在する余地がないのだ。


「これはだな……、彼の古代王国サウザンド・ミレニアムで発掘された盾をアルセリア姉様に譲って貰ったものだ。サテライト・ガーダーと言って、浮遊する盾が保持者をオートで護る力を持つ」


「……」


「気に入らなかったかや……」


捨てられた、仔犬のようなつぶらの瞳と視線が合う。


ガルンは渋い顔で額に指を当てた。


今まで見たサクラメントは鎌に槍など、あくまで武器に準じる。


防具が来るとは予想外も甚だしい。


「なんで盾にしたんだ?」


「わらわは武器のあれこれには疎い。それに、ガルンは剣を二振りも持っておる。これ以上武器は邪魔な気がしたのじゃ。それと……その、そなたはよく怪我をする。だから、わらわはそなたを護る力を授けたかった」





「そう……か」


ガルンは視線を外して、ばつが悪そうに頬をかいた。


パリキスの気持ちを無視した、勝手な利己的な考えであった事に気づく。


パリキスは初めからガルンを護るモノを作りたかったのだ。


その点、ガルンはサクラメントの競い合いで、勝つ事しか考えていなかったと言える。


それが二人の温度差を生んだのだろう。


(しかし……マジにどうしたものかな))


ガルンは口に手を当てて、盾を凝視した。


盾自体は発掘された物体のためか、それほど真新しくは無い。


形は菱形に近く、装飾されている宝石の様なモノが中央にはまっているだけだ。


「……?」


ガルンは目を細めた。

はまっている宝石のようなモノには見覚えがある。


宝石の中には別の鉱石が封入されていた。


絶句。


ガルンは渋い顔でパリキスを睨み付ける。


いきなりの視線にパリキスは目を丸くした。


「なんじゃ? 今更、他のモノにしろとか言われても無理じゃからな!」


少し後退ったのは、期待に応えられなかったと言う背徳感だろうか。


そんなパリキスを無視して、ガルンは盾の中心を指さした。


「どう言う事だパリキス! これはお袋さんの形見だろ!!」


指差した中心、宝石の中には、赤、青、碧の勾玉が封入されていた。


天三輝あまのみつきと呼ばれる東方の宝玉が。




それを聞いて、パリキスは小さな安堵の深呼吸をした。


「なんじゃ、そのことかや。それは気にせんで良い。わらわの手元に残ったレアメタルはたいしたものが無くてな。母様の力を借りる事にしたのだ」


小さく笑う顔には一片の後悔も見当たらない。


ガルンはゆっくりと拳を握りしめた。


パリキスは母の形見を、ガルンの為に使うことに何の躊躇もなかったのだが、ガルンにはその機微は分からない。


苦汁の選択をさせた想いだけが、胸に広がる。


ガルンは奥歯をギリギリと噛み締めた。


セルレイン達への暗い怒りが込み上げる。


全ての元凶は分かりやすい形で存在しているのだ。


ガルンは口を開こうとして踏み止まった。今更、それについて語っても意味は無い。


「……これは、この勾玉は外せるのか?」


ガルンの言葉に、パリキスは首を振った。


「盾の中枢機構に接続しておる。どのみち元通りには戻らん。気にする必要はないぞ? そなたを護るために使ったのなら、母様も許してくれるはずじゃ」


「……」


沈むガルンを見て、パリキスは珍しく苦笑した。


何者にも怯まない少年が、こんなにしょげ返るのは珍しい。


路頭に迷う仔犬を連想して、パリキスは困った表情を浮かべた。




「言っておくが、母様の形見はわらわを護るようにと残してくれたモノ。それをそなたに託すと言うだけじゃ。その意味は分かるよのう?」


パリキスは意地悪そうに笑って見せた。


どちらかと言うと、悪戯っ子が好きな異性をからかう感じに近い。


それを感じて、ガルンは小さく微笑した。


胸のつっかえが晴れたような顔を上げる。


「了解した! パリキスのお袋さんの分も俺が護れば良い話だ! 今回の件も俺が何とかしてみせる!」


「それでこそ、我が騎士じゃ!」


何時ものガルンに戻った事を、パリキスは嬉しそうに微笑む。


それにつられて、ガルンも顔を綻ばした。


しかし、しばらくしてから気真面目な表情に戻る。


「だけど……。どうしたものかな。盾で勝つか……」


ガルンが顔を曇らすには理由がある。


単純にパリキスのサクラメントが、セルレインのサクラメントより劣っていたらと言う前提で悩んでいるのでは無い。


問題は使い手の力量である。


同じ武器でも力量の違う者が使えば、片方は意図もたやすく砕かれる可能性があるのだ。


実際、ガルンが路上で売られている鉄の剣を持ち、一介の兵士が鋼の剣で相手をしたとする。


滅陽神流剣法・無式を使えば、相手の剣を全てへし折るぐらいは朝飯前だろう。




それを考慮すれば、サクラメントの強度実験に出てくるだろう、ネウィード・ベウィクと言う騎士は厄介極まる存在だ。


アベルの資料から、武器を扱うのみに特化した完全なる武術師と判断出来る。


武器を扱う技能が一流なのは間違いない。


それを相手に、ただ盾を構える。


あまりに無謀と感じるのは、当然の既決だろう。


「ガルン! 一つ言っておく事がある。心して聞け!」


パリキスは急に、キリッとした真摯な眼差しをガルンに向けた。


真剣な顔をするだけで、空気が変わる。


ずば抜けた霊格が回りの世界を覆い尽くす。


ガルンは生唾を飲み込んだ。


「わらわを信じよ!」


簡潔な一声。


そこには今までのパリキスと違い、自信に満ち溢れた顔があった。


「この盾は消して砕けぬ。この盾にはわらわの力を、わらわの心を宿してある。それがそなたに降り懸かる禍を防ぐであろう!」


「……強気な発言だな」」


「当然じゃ! この盾はわらわが心血を注いで作り上げた最高傑作! わらわが死にでもしない限り砕けぬ。絶対に、絶対にじゃ!」


どこからその自信が出るのか、パリキスは胸を張って得意満面である。


ガルンは飽きれ気味に肩を竦めた。


最高傑作も何も、創作第一号である。現在最高傑作驀進中なのは当然だ。



しかし、ガルンにはそれがやたら頼もしく感じる。


(何をうろたえていたんだろうな、俺は)


自分の矮小さに笑いが込み上げる。


サクラメントの競い合いの当事者はパリキスだ。


これは本来、パリキスの戦いなのである。


パリキスが信じているモノを、代弁者として矢面に立つガルンが信じないのは愚の骨頂だ。


「了解だ。俺はパリキスを信じる。この盾はけして砕けない。ただ、それを証明するだけだ」


ガルンは満ち満ちた表情でパリキスにウインクする。


パリキスはその答えを満足そうに頷いた。


そして、そっと浮遊する盾に触れる。


「この盾は……そうだの成聖衛盾・天三輝あまのみつきと名付けよう」


「お袋さんの形見の名か。まあ、良いんじゃないか?」


ガルンも満足そうに盾を眺めた。


質素だが力強い鋼の光沢が、何者にも負けない強靭さを放ち始める。


「うむ。それではこの成聖衛盾・天三輝を、ガルン・ヴァーミリオン、そなたに与えよう!」


パリキスが指をガルンに向けると、浮遊盾は意思を持つかのように、静かにそれに沿って進む。


天三輝はガルンの前でぴたりと止まると、まるで主を見定める様に周りをゆっくりと回り始めた。


まるで飼い主を見つけたペットのようで、ガルンは思わず苦笑する。


「有り難く頂戴するよ」


サクラメントの授与。


こうして、ようやくガルンは正式に王宮近衛騎士団の仲間入りを果たしたのであった。




晴れ渡った空は、外で運動をするには絶好の日和と言えよう。


適温の気温もそれに輪をかける。


約束の日は、何の問題もなく訪れた。


王宮近衛騎士団の入団試験に使った屋外訓練場、そこには二人の騎士が立っている。


一人はガルン。

もう一人は予想通りベウィックと言う名の者だ。


試験時に破損した箇所も今では綺麗に修復されている。


観覧の主賓席にはパリキスの他に、四人の王族が座っていた。


第一王女セルレイン。

盾を提供した第三王女アルセリア。


それに、予想通り第一王子ダムスライドの姿もある。


それを護るように、王宮近衛騎士が幾人か周りを囲んでいた。


「さてと、後はパリキスを信じるだけか」


ガルンの呟きは広いフィールドに飲み込まれた。


対峙する青髪の騎士は黙したまま動かない。至極自然体だ。


手にする斧槍からは、威圧的な気配が漂っている。


「揃っているようだな」


ヌッとガルンの影から姿を現したのはアズマリアだ。


酷く疲れた顔をしている。

気苦労か、ガルンに受けた怪我の影響かは分からない。


二人を見てから主賓席に顔を向ける。


「パリキス王女のサクラメント強度試験。開始をするが何か異存は?」


アズマリアの言葉を受けて、セルレインが席を立った。


「特に先に決めた取り決め以外に、変更は無い。そうであろう第四の?」





セルレインの視線を、パリキスは真っ向から見つめ返すと、コクリと頷いた。


それをセルレインは満足そうに見つめる。


「異存は無い! 二人とも全力でその力を示すがよい!」


そのセルレインの声が開始の合図になった。


アズマリアが無言で下がる。


ベウィックは腰溜めに構えると、両手持ちした聖槍を引く。


動作の一挙一動に隙が無い。無駄が無い。


ガルンは小さく舌打ちした。


明らかに熟練のレベルが違う。


腕だけでもかなりのものだが、それにサクラメントが追加されるとなると、目を覆いたくなる状況だ。


成聖斧槍・ブリューナク。


その効果も未知数だが、ガルンには手の出しようが無い。


ただ、ただ盾を構えるだけだ。


実際は、ただ身体を斜に構えると、背中に浮いていた盾が自動で全面に回り込むので、やる事は無い。


ガルンに出来るのは、ただパリキスを信じる事だけだ。


向かい討つは、自動反応する聖なる盾。


それのみ。


「悪いが手は抜かんぞ。どんな戦場でも、勝つために戦うのが信条だ」


ベウィックの身体が、バネ仕掛けの弓のように引き絞られる。


一撃に全身全霊が注ぎ込まれるのは明白だ。


それにプラスして聖槍から黄色い光が立ち昇る。






この戦いは酷く単純だ。


攻撃を防ぐ。それだけである。


武器同士ならば戦闘の優劣を折り込めるが、盾では防いで見せるしかない。


シールドにもバックラーのような、小型から中型にかけて攻撃に使える盾も存在する。しかし、“天三輝”は浮遊している為、殴ったり突き刺すようなモーションも出来ない。


完全なる防御用の盾だ。


それを打ち砕く気か、ベウィックに裂帛の気合いが入る。


(このプラーナ量! チャクラ開放者か!)


感じるチャクラは四つ。


先天的ならば、才能に恵まれているとしか言いようが無い。


「いくぞ」


ベウィックは小さい吐息と共に動き出す。


一息。


一足飛びでガルンの目の前にベウィックはいた。


チャクラを脚力に回して、エーテル強化したとしか思えない早さ。


(速い!)


ガルンは不意の動きに対応して、身体が反射的に移動したくなるのを何とか押し止める。


ここで避けてしまう分けにはいかない。


「メッサー・シュピーゲル!」


斧槍がコークスクリューのように旋回した。


回転と共に、黄色い閃光が渦を成す。


圧倒的な破壊力を感じて、ガルンの全身に寒気が走った。


本能的にチャクラを全て肉体強化に回してしまう。




しかし、ガルンの危惧は杞憂に終わった。


天三輝の碧と赤の宝珠が光り輝く。

続いて銅鑼を強打したような振動音が響き渡った。


まばゆい閃光。

身体の芯に響く衝撃が身体を吹き飛ばす。


体ごと数メートル吹き飛ぶが、一度バウンドして態勢を立て直した。


パリキス以外の全員が唖然とそれを見送る。


吹き飛ばされた“ベウィック”は、何が起こったか分からずにたたらを踏んだ。


「完全に防ぎきったじゃと?!」


セルレインは、わなわなと手を震わせる。


目の前の光景があまりに突然で理解出来ない。


攻撃した筈のベウィックの方が吹き飛んだ事実。


「……すげぇ」


珍しくガルンは間抜けな

言葉を漏らした。


攻撃を受け切った盾は無傷だ。


軽く妙な低い音を立てながら、プルプルと震えている様は、本当にペットのように見える。


それが、衝撃によって生まれた運動エネルギーを、同位振動で相殺、吸収、循環、増幅して跳ね返した名残の振動だと理解する者はこの場にはいない。


かつて大陸に君臨した千年王国の遺産は、当時を越える防御力を宿して新生していたのだった。


「何をしておるベウィック! さっさとその不気味な盾を粉砕せぬか!」


セルレインの叱咤が飛ぶ。


顔に焦りと苛立ちが張り付いていた。




しかし、怒鳴られたベウィックは矛を収めてしまった。


「何をしておる! 誰が止めよと言った!」


セルレインの怒りの視線を受けても、ベウィックは馬耳東風だ。


「勝負あったようだな」


アズマリアが期待外れと言わんが如く、つまらなそうに呟く。


「待てアズマリア! わらわは納得せんぞ! わらわのサクラメントが敗れる訳が無い!」


癇癪を起こしそうなセルレインを、アズマリアは面倒そうに眺めた。


「ブリューナクも刃こぼれ一つしておらん。引き分けで良いのでは? これは強度実験なのだから、結果は出たであろうよ」


「槍と盾では意味が違うであろう?! 貫け無かった槍と、守りきった盾ではな!」


矛盾を地で行く内容だ。どんなものも貫く矛と、あらゆるモノを防ぐ盾。


争えば結果が出ない。理屈に合わない話だが、性能として盾は防ぎきれば勝ちなのだ。お互いが壊れないでは引き分けにはならない。


盾はしっかりと、その存在意義を叶えているのだから。


「セルレイン貎下。勝敗が欲しいなら結果は明らかだ。パリキス姫の勝ちだ。ベウィックの朴念仁は言わないであろうが、ブリューナクの方がサクラメントととしては劣る」


元々、パリキス好きのアズマリアの返答なので、にべもない。


セルレインは怒りで顔を紅潮させた。



「ベウィック!」


セルレインの再三の叫びで、ようやくベウィックはリアクションを起こした。


首を左右に振る仕草を。


「あの盾を壊す事は不可能とは思わん。だが、盾を砕くより使い手を倒す方が早い。あの盾はそう言う類いのレベルだ」


チラリとガルンを見る。


ガルンは始めの位置から何一つ動いていない。


動いたとしたら、衝撃の風圧でマントが翻っただけだ。


盾を砕く労力よりも、使用者を倒す選択を容易に選ばせる。


成聖衛盾・天三輝せいせいえいじゅん・あまのみつきとはそれだけの防御力を持っていた。


セルレインは苦々しそうな表情を隠さずに、荒々しく着座する。


横に座る第一王子、ダムスライドもかなり不機嫌そうだ。


嬉しそうに微笑むパリキスと、小さくガッツポーズしている第三王女アルセリアとは対照的である。


「不服はないようだな。これでサクラメントの強度試験は終了する」


アズマリアは高らかに宣言すると、用はすんだとばかりにさっさと影に沈み込んでしまった。


それを見てから、セルレインは鼻を鳴らして席を立ち上がる。


ダムスライドも一緒だ。


「何か忘れていないか、姫さんよぉ?!」


パリキス達をスルーして、退席しようとする二人にガルンは声を張り上げた。


ガルンの威圧的な眼光が輝く。


セルレインは憎らしそうにガルンを睨み返した。




「約束は忘れておらん! 貴様の要望を一つ叶えてやろう。後で書面にでもして渡すがよい!」


苛立ちからか、セルレインはそのまま立ち去ろうとする。


しかし、


「待てよ! 俺の願いは既に決まっている」


と、ガルンは大声で叫んだ。


セルレインの足が止まる。


「欝陶しい下郎よのう。後で叶えると言っておろうが?! それまで、まてんと言うのか!」


怒声が響き周りの人間は硬直した。


王宮近衛騎士達の顔にも苦笑いが張り付く。


セルレインの瞳には怒りの色が見えた。


周りの人間は萎縮するが、ガルンは別段気にした風も無い。


「俺の願いは単純で明確だ。あんたが誓ってくれれば済むだけの簡単な案件さ」


不敵に笑う姿を、セルレインは挑発と受け取った。


しかし、プライドがそれから逃げる事を許さない。


「いいだろう、申すがよい。だが、心して述べよ? あまりに理不尽な要求ならば、貴様の首は胴と別れると思え!」


セルレインも不敵な……いや、威圧的な厚顔不遜な笑みを浮かべる。


それを見て、ガルンはにんまり笑った。


周りには証人がいる。


今から述べる口頭要求をうやむやには出来ない。


ガルンにとっては絶好のロケーションと言えよう。




パリキスとアルセリアの顔に、不安そうな陰りが見える。

だが、彼女たちの心配は徒労に終わるものだった。


「俺の願いは単純だ。姉妹を番号で二度と呼ぶな」


淡々とガルンが呟いた内容はそれであった。


全員が沈黙する。


「……どうした? 理解出来ないとは言わないよな?」


ガルンの願いにセルレインは眉を寄せた。


「 パリキスを第四呼ばわりするなと言っている!!」


低い、辺り全てに広がる声が修練場を席巻した。


全員が目を見張る。


余韻が消えると再び沈黙が訪れた。


「……それが、貴様の願いか」


「ああ」


「…………」


セルレインはしばし固まっていたが、ゆっくりとパリキスに瞳を移す。


それを受けてパリキスは一瞬硬直したが、直ぐに真剣な眼差しで迎え撃った。


「飼い犬の躾はしっかり付けておけ。よいな“パリキス”!」


セルレインはそう叫ぶと踵を返す。


パリキスとアルセリアがそれを聞いて、驚きで顔を見合わせた。


モノ心がついてから、今までセルレインに名前で呼ばれた事が無かったからである。


周りの王宮近衛騎士達も顔を見合わせると、気付かれないようにニヤリと笑い合う。


それを唯一ダムスライドだけが、くだらない見世物でも見た様に眺めていたが、直ぐに興味が失せたのかセルレインの後を追って歩き出した。




「しかし……たいしたもんだな。こいつは」


前方で震えていたシールドは、定位置なのか円運動をしながらガルンの背中に回る。


正しくガルンを主星に、その周りを巡る衛星の様だ。


主賓席で手を振っているパリキスとアルセリアの姿が見える。


胸の手前で小さく手を振るパリキスと、頭上でブンブン手を振り回しているアルセリアと、よく性格が出ているリアクションだ。


ガルンは大きく深呼吸をして肩の力を抜いた。


当面の問題はこれで解決したと言える。


しかし、真の問題。大規模な問題は水面下でゆっくりと進んでいく。


遠征で調停する筈だった一国。

ラ=フランカ聖公国。


その国の半分近くの街と連絡がとれなくなったと、神誓王国メルテシオンに連絡が届いたのは三週間も経った後である。






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