這い寄る凶鬼
パリキス護衛団の旅路は恙無く進んで行った。
首都付近の移動もスムーズに進み、中隊規模でも小分けに転移ゲートを使用して距離を稼ぐ。
タイムスケジュール的に四日を超過した現在も、特に問題は無い。
気になる唯一の点と言えば、パリキスの就寝時間のみである。
連日、明け方まで何かをしているようで顔色がよろしくないのだ。
深夜は室内警護所か、侍女も中に入れさせない徹底ぶりである。
馬車内で休息を取っているようだが、体調に差し支えるのは明らかだ。
特にカルジャヤまで二日の距離になると、ルート上に町が無くなり、満足な休息が不可能になる。疲労の蓄積が増える一方なのは明白だ。
もともと温室育ちのパリキスにとっては、ただの移動ですら重労働に入る筈だが、弱音の一つも零さないのは王女の貫禄であろう。
パリキスの疲労を考慮して日が暮れ始める前に、予定休息地点を変更して一同は休息する事になった。
二百人規模での休息は場所を選ぶ。
森林近くと見通しの余り良い場所では無いが、背に腹は変えられない。
テントを組始めた面々を見ながら、ガルンは憮然と仁王立ちしていた。
「浮かない顔だが、どうした?」
キリエがガルンを見つけて声をかける。
しかし、ガルンはパリキス用に造られ始めた、特別製のテントを凝視したままだ。
「怖い顔してどうした?」
「我慢の限界だ。今日も起きていたら……。パリキスの所に押しかける」
「マジかよ! 姫に夜ばいかけるなんて命しらずだな?」
ガルンは冷ややかな瞳でキリエを睨み付けると、無言でその場を歩き去った。
残されたキリエは肩を竦めて、
「冗談って……分かってるよな?」
と、顔を引き攣らせて呟いた。
深夜になり、辺りが完全に静まり返る。
所々にある、焚火の火の粉の散る音と、虫の鳴き声が静謐な夜に彩りを添えていた。
警備に立つ人間も、沈黙を持って辺りを警戒している。
数ある休息用のテントの中で、今だ煌々と明かりが燈っているテントが一つだけあった。パリキスのものである。
テントの周りにはロイヤルナイツ四人、パラディン一人、そして、王宮近衛騎士団の無口な少女、スピカが護衛に就いていた。
テントの入口にガルンが程なく現れると、スピカはけだるそうに入口前に立ち塞がる。
「交代前……夜ばい?」
「……近衛のセンスは、こんなんばかりか」
ガルンは小さく肩を落とす。
「イッツ、ジョ~ク」
そう呟いて、スピカは何故か茫洋にブイサインをした。
ガルンは付き合いきれないと言わんが如く、無視して真横を抜けようとする。
しかし、スピカはそれを遮るように身体を移動しだした。
「……なんのつもりだ」
「……立入禁止」
「姫に話があるだけだが?」
「誰も通すなと……言われて……る」
「……」
ガルンは片眉を微妙にひくつかせてスピカを睨み付けた。
しかし、スピカは特に萎縮した感じもなく、のほほんと構えている。
「話しがあるだけと言っている」
「話しも……だめ」
ガルンのこめかみに青筋が走る。
「力付くで通るぞ、コンニャロー?」
「力……づく?」
スピカの瞳が怪しく光った。
スピカは背に銀色の弓矢を装備している。見たままだと遠距離支援タイプと言ったところだろう。
チャクラ開放者でも無い。
この間合いならば、スピカがガルンに勝てる要素は見当たらない。
本気で力圧しで通り抜けようとして、ガルンはビタリと足を止めた。
「私も……力付くで……防ぐよ?」
「……」
ガルンは首筋に添えられた、刃の切っ先の冷たさに生唾を飲み込んだ。
背後から切っ先が首元に来ている。
(何だこれは……?)
よくよく見ると、スピカの背中から銀色の雫のようなモノが足元を伝って、ガルンの足元に伸びていた。
それが、ガルンの身体を伝って首筋に刃となって
現れたのである。
「ボクのサクラメント……成聖水銀アトライアは……どんなものにも変形する液体金属。ロープの様に伸ばすのも……簡単」
ガルンの首筋に当てられた刃は、スピカの背の弓から流れ出ていた。
弓に見えるアレが、実はサクラメントだったらしい。
ガルンは、自分の浅はかさに奥歯を噛み締めた。
(……無機物は気配がないから……感知出来なかったのか……)
普段から生物の気配や、精霊の眼で敵を感知して来たツケであろう。
ガルンは地面を伝う、銀色の水滴に気がつかなかったのだ。
昼間ならともかく、夜では目視も難しい。
(この間合い……水銀の強度も分からない……。ならば……)
ガルンは少し俯くと、チャクラの全力運転を開始した。
「一回……死んどく?」
スピカは無表情で最後通告を告げる。
二人はお互いの瞳を見つめたまま硬直した。
しかし、折れたのはスピカの方であった。
伸ばされた銀色の雫が背に戻っていく。
ガルンは訝し気にそれを見つめた。
「……逢い引きを、邪魔する程……野暮じゃない……と言う事で」
「そのネタ引っ張るのかよ」
「……ボクも。姫の事は心配……だ。だから……、目をつぶる」
あっけらかんと呟き、スピカは道を譲った。
その豹変ぶりを不思議に思いながらも、ガルンは素直に入口に向かう。
初めから、この少女が何を考えているのかは掴みかねる。
練り上げていた、霊妙法を使わずに済んだのを僥倖と思い、よしとした。
「パリキス――姫、用事があ……ります。失礼します」
ぎこちない呼び掛けをしてから、返事を無視してテントに入る。
パリキスがやっている事を止めさせるには、現場を押さえる方が早い。
テントは半径八メートルの広さを兼ね備えていた。
簡易テントなので、必要最低限の物しか置いてはいない――筈であった。
中央に描かれた極細の魔法陣に、よく分からない貴金属や、薬品らしき瓶、それに、何故か注射器やメスまである。
ガルンは唖然として、その魔法陣の中心にいるパリキスを見た。
「何やってるんだパリキス?!」
ガルンが声を荒げたのは当然だ。
パリキスの左手は血に染まっていた。
手首を切っている。
「ガルン?」
酷く驚くパリキスは、まるで怯えた子羊のようであった。
慌てて駆け寄るガルンを、パリキスは右手と声で制する。
「魔法陣に入ってはならぬ! ここは小規模の聖域になっておる。 入れば術式が崩れてしまう」
「?!」
ガルンは訳も分からずに、その場で足を止めた。
愕然とするガルンを申し訳なさそうに見てから、パリキスは左手を魔法陣の中央に翳した。
滴る血潮が、その下にある貴金属に降りかかる。
何やらルーンを唱えると、貴金属が輝き出した。
銀色が黒く変色し、溶けるように黒い液体が流れきると、黄金らしきものがその場に残った。
それを拾い挙げると、せっせと白い瓶に入れて蓋をする。
「なんのようじゃ! わらわは誰も入れてはならぬと、言を発した筈じゃ」
虚勢を張るパリキスは、ばつが悪いのか微妙に何時もの気丈さが無い。
「夜な夜な何をしているかと思えば……。マジに何やってんだ」
ガルンの目が座る。弁解するなら早くしろと語っていた。
「……これは、だな。その……私用じゃ」
パリキスは目を逸らして、微妙な弁解をする。が、ガルンは微動だにしないで見つめたままだ。
「その手首どうするんだ」
「こっ、これはだな」
パリキスは右手を傷口に当てると、手慣れた様に呪文を唱え始めた。
神聖魔法の暖かい光が辺りを照らすと、傷口は見る見る塞がって行く。
「どうじゃ! これなら文句はあるまい」
何故か嬉しそうに手を見せるが、ガルンは不動のままだ。
「……」
パリキスは微妙に顔を強張らせる。
ガルンの瞳に、怒りの炎がちらつくのが分かったからだ。
「こっ、これはだな、秘匿術式の一種で……その内緒……なのじゃ」
「……」
「アルケミーの裏技見たいなもので……」
ガルンが全く姿勢を崩さないので、パリキスは小さく溜息をついた。
言い訳は諦めたらしい。
「これは王家に伝わる秘法の術で“神鉄精製”と言われるものじゃ。高純度の神霊力を内包した血を使用し、物質変換術式に織り込む。それにより貴金属を聖遺物並の神秘物質に変える。本来有り得ない素材を生むことが可能な、秘中の秘と言うところかの」
ガルンには置いてある機具の数々を理解は出来ないが、それが何を示しているのかは察しがついた。
「サクラメントの……製作?」
ガルンは微妙に顔を歪ませた。
パリキスが旅先でサクラメントを製作しているとしたら、理由は一つしかない。
第一王女セルレインとの約束だ。
「……まさか。例の約束、有効なのか?!」
ガルンは唖然と目を見開いた。
こんな調停遠征中に、あんな下らない約束が成立するとは思っていなかったからだ。
「姉上には約束させられてしまってな……。どうしても負ける訳にはいかんのじゃ」
「それでも、こんな無理をしながら造る必要性はないだろう?」
「無理はしなければならん。これだけは譲れん」
パリキスの瞳には決意の光が見える。
疑問にガルンは口を手で押さえた。
パリキスがここまでするのは、どう考えても違和感がある。
ただの競い合いならば、ここまで熱くなる必要は無い。
「パリキス……何か隠してるだろ?」
ガルンの怪しむ瞳に、パリキスの表情が再び固まる。
どうやらこの少女は嘘をつく事には慣れていないようだ。
「わらわは、そなたに何も隠しておらんぞ! 隠してなどおらん」
と、弁解自体も下手くそである。
そわそわした態度は、常に凛としたパリキスからすると、あからさまに不自然にしか見えない。
ガルンは無言でパリキスを凝視するだけだった。
短期間しか共に過ごしていないが、ガルンはパリキスが芯の強い少女だと認識している。
下手な言葉より、無言の圧力を選んだのだ。
案の定、パリキスは何か言い訳を言うつもりが、ガルンの瞳に蹴落とされて言葉を飲む。
沈黙はかなりの時間続いた。
ガルンの思惑通り、先に折れたのはパリキスだった。
「御主には嘘が通じんようじゃな……」
パリキスは疲れたように肩を落とす。
どうやら観念したらしい。
「出発の朝、わらわの宝物庫が何ものかに荒らされたと報があった」
「……?!」
「わらわがサクラメントに使用できるレアメタルは殆ど残っておらん。こうして材料を精製するしか道が無いのだ」
(宝物庫が荒らされた? 王宮近衛騎士団の誰にも気付かれずに?)
有り得ない話にガルンは顔を曇らせる。
宝物庫の警備状態は知らないが、少なくとも城の作り的に城内なのは間違い無い。
となれば区画警備の王宮近衛騎士の誰かしらを抜いた事になる。
内通者でもいないかぎり有り得ない神業だ。
そうなれば、考えられる可能性は限られていく。
「第一王女と何か約束させられたな?」
ガルンの目が鋭く光る。
疑問ではなく、確信に近い。
「……何故そう思うのじゃ」
「調停役も国規模では重要な大役だ。それを分かっている筈のパリキスが、こんな無茶をする理由はそれぐらいしか考えられない」
ガルンの言葉に、パリキス小さく深呼吸をした。
ほんの少し瞼を閉じる。
それは決意の現れだった。
「ガルンは意外と察しが良いの。その通りじゃ。姉上からガルンがサクラメントの競い合いをするのを了承したと聴き申した。そして、ガルンが勝てば望みを一つ叶えると」
「ああ……仕方なく、な」
「……ガルンが負ければ王宮近衛騎士団を退団する事になっておる」
ガルンは口を半開きで硬直する。
「はぁ?!」
予想外の回答に、ガルンは遅れて間の抜けた返事をしてしまった。
それから拳を握って奥歯を噛み締める。
(あのクソ女!!)
ガルンはおおよその見当を付けた。
信じられない話しだが、第一王女セルレインと第一王子ダムスライドの仕組んだ謀が、今回の調停遠征に重ねられた可能性が高い。
ただパリキスに恥をかかせて、ガルンを放逐する為だけに。
セルレインかダムスライドの手の者なら、宝物庫を荒らすのも簡単な話しだ。
遠征すると言うのに、口約を反故しないのも疑わしい。
「俺は負けたら辞めるなんて約束はしていない!」
「それは約束……では無い。決定されるだけの話なのだ。王族の口約とはそれだけの権限がある」
「……」
ほくそ笑むセルレインの顔が浮かぶ。
ガルンは含みのある、引き攣った笑みを浮かべた。
意地でも負ける気が無くなったのは当然と言える。
「とりあえず、パリキスはこの無茶なサクラメント作製は止めろ。刀剣類を造ってさえくれれば、後は俺がなんとでもする」
それを聞いてパリキスは微妙な顔付きになった。
その表情の違和感に、ガルンは不自然さを感じる。
「どうしたんだパリキス?」
「そ、それがの……」
微妙に言い淀むパリキスの言葉を轟音が掻き消した。
軽い振動がテントを揺らす。
「パリキスはここにいろ!」
ガルンは一声かけると、猟犬のようにテントの外に飛び出した。
「敵襲!」
と、伝令らしき者の声が響く。
遥か北の森から光りが見える。
森が燃えているのは明らかだ。
「第一種警戒体勢! フォーメーションはリングスリーだ!」
グライドが姿を現す。
指示を出しながら駆け寄って来るのと、残りの王宮近衛騎士団がパリキスのテント前に集まってくるのは、ほぼ同じぐらいの時間だった。
「ふざけやがって どこの連中だ!」
ガルンが吠えるように叫ぶと、キリエと黒陽も同意の頷きを見せる。
(まさか……これも第一王女とか絡んでるんじゃないだろうな?)
ガルンは心で悪態をつくと、精霊の眼に切り換える。
心臓の動悸が一回強く響いた。
頭に軽い目眩が走る。
ガルンは微妙によろめいた。
その様を、王宮近衛騎士団の面々は不思議そうに眺める。
「おい! 大丈夫かガルン?」
キリエが馴れ馴れしく気遣うのが苛ただしく感じるが、今はそんな些細な事を気にしている場合ではない。
(なんだ……あれは?!)
ガルンは数度、頭を振った。
見えたヴィジョンの違和感に無理矢理頭を馴染ませる。
森が青黒い奇妙な気配に“汚染されていく”。
まるで森が何かに喰われたような異質な違和感。
「なんでも……無い。あの森の向こう……。かなりヤバイ気配がする」
ガルンはたどたどしくそう呟く。
そこに、先程の伝令が走り寄る。
「北方に敵性種族らしき者が襲来! センティア少隊とピアッツオ少隊が対応していますが……どれだけ持つかは分かりません」
全員が一瞬で顔を強張らせた。
ロイヤルナイツはメルテシオンでも精鋭部隊の一つである。
それが足止めにもならないと言うのは、かなりの異常事態だろう。
「敵性種族ってどう言う意味さ? 襲って来たのはどこかの種族なのか?」
キリエが疑問を口にする。
確かに要領を得ない。
「分かりません……。ダークエルフに似ていますが、別種族と思います」
伝令兵は苦虫を潰したような声を出す。
「直ぐに白金銀騎士団に召集をかけろ」
グライドの命に、伝令兵は頷くと走りだす。
「黒陽、いけるか?」
「はい」
グライドの声に黒陽は答えると、素早く眼帯をめくる。
そこには碧い波紋模様の瞳が備わっていた。
黒陽は何も知らないガルンをチラリと見て、
「こいつは共鳴眼と言う。右目で私の眼を見ろ。一定時間、他者の視覚情報を共有する事が可能になる」
と、告げる。
魔眼には嫌な経験しか無いが、火急の事態では仕方が無い。
ガルンは素直にそれに従った。
「共鳴眼はチャンネルが定着するまでは数分かかる。それまでは右目は閉じていろ」
黒陽はコンコンと右のこめかみ辺りを指で叩く。
それを確認してからグライドは指示を出す。
「敵戦力が不明だ。姫の護衛をメインに威力偵察をする。ガルン、キリエはパラディン五騎を連れて先行。可能なら敵を殲滅。姫はスリーマンセルで直衛。敵を共鳴眼で確認したら黒陽の指示でスピカは遠距離支援へ移行。俺と黒陽は周回防御にシフトする。共鳴眼は視覚共有するだけで、会話とか出来ない事を忘れるなよ?」
「了解!」
と、残りの全員がハモって返事をする。
この些細な接触が、後の世に冥魔大戦と呼ばれる陰惨な戦争の悪夢の一日目とされるが、この時それを予期していたのは北方、竜王公国テンスのみ。
そう、白き銀嶺が示唆していた出来事の始まりであった。
森が悲鳴を上げていた。
動けない身体を、無理矢理震わせるように枝をしならせる。
風が哭いていた。
大気に瘴気が満ち、生きながら身体を蝕まれる恐怖に震えるように。
大地から苦痛のうめき声が漏れる。
地に転がっているのは人の残骸だった。
神誓王国メルテシオンに
置いて、貴族階級出か、有力な騎士の元で学んだ者にしかなれない、エリート騎士団“ロイヤルナイツ”。
幼少期から身につけた組織技術は騎士団中最高であり、一糸乱れぬ陣形戦闘はアートに近い。
しかし、目の前の敵には、そのアートが役に立たなかった。
地面に転がる死体の中には、白金騎士団のパラディンも含まれる。
全員が師範レベルの剣術を身につけ、プリーストクラスの神聖魔法を操る
。
聖別された盾と騎士甲冑は魔術攻撃の三十パーセントを完全に弾き返し、携えた聖剣には光の加護が宿っている。
悪魔とも対等に闘える強力な聖騎士。
されど、目の前の敵はそれらを遥かに上回る、異質な力を持っていた。
ロイヤルナイツの一人が紙相撲のコマの様に、軽く風に吹き飛ばされて空に舞う。
「くっそぉ! なんなんだコレは?!」
若きロイヤルナイツは目の前にうごめく異形の塊を、恐怖に震えながらもランスを構えて見据える。
巨大な黒い霧に包まれた雀の巣。それから異常に長い人間種に似た腕が四本生えている。それが端的に表現すれば1番近い。
そして、無数の目がチラチラと体表に浮かんでは消える。
その目と目が合った。
若きロイヤルナイトは 生唾を飲み込んだ。
一瞬で伸びた腕が身体を鷲掴みにする。
ゴキリと嫌な音がした。
意図も簡単に両腕の骨と、背骨、肋骨が全てへし折れる。
一撃で若きロイヤルナイトは悶死した。
化け物は掴んだ騎士を引き寄せると、おもむろに真上に上げる。
身体の上部がバクリと開いた。
気持ち悪い程生めかしい口が出現する。
手を離すと騎士を綺麗に丸呑みにした。
後にはバギボギと鎧ごと騎士を咀嚼する、耳障りな音が響き渡る。
周りを囲むロイヤルナイツ達は、死人のように顔が蒼白だ。
戦闘概念が当て嵌まらない。
腕の長さは四メートルを越す。それが鞭の様にしなり、数倍伸びる。
ただそれだけだ。
それだけの行動が異常に速い。
掴まれて、砕かれ、喰われる。
まるで作業の様に繰り返される悪夢。
運よく殴られて宙を舞う者はラッキーだろう。
地面で呻くオブジェの仲間入りをする事で、喰われて死ぬ事だけは免れるのだから。
森の奥から絶叫が聞こえてくる。
これだけ木が鬱蒼としていると、騎馬で進む事はできない。
ガルンは大地を駆けながら、右目をゆっくりと開いた。
「これが……共鳴眼」
視覚の右方向に別景色の像が見える。
スライド硝子にいくつもの風景画を張り付け、それを好きなようにずらして見るようなイメージだった。
見たいと思う像に意識を集中すれば、それが自動的にピックアップされる。
パリキスの姿が見えた。
テント内の背景から、グライドが見ている風景であろう。
「確かに、こいつは便利だな」
他の場所の視覚を共有する事は、索敵や侵入、情報収集など幅広く活用が可能だ。
時間制限がなければ、かなり便利な能力なのは言うまでもない。
「これで念話かテレパシストでも居れば、完璧何だけどな」
ガルンの横を走るキリエが、微妙に苦笑している。
もっともな意見だが、高望みを言い出したらキリが無い。
ガルンはそこで疑問が浮かんだ。
(精霊の眼に切り換えると、俺の見る景色も共有されるのか?)
試すべきか少し悩むが、今は混乱は避けたい。
迷いながら走っていると、その感覚はいきなり襲って来た。
生暖かい澱んだ空気。
生物の胃の中に放り込まれたような、圧倒的な不愉快さ。
「何かの結界内に入り込んだ見たいだよな? こいつはやばそうだ」
ガルンが顔を引き攣らせるのを見て、キリエが声をかける。
表情に余裕が無い。
この女顔の青年にも思う所があるようだ。
「この違和感……以前、似たようなのを知っている」
ガルンは率直な感想を述べた。
今までの記憶をまさぐる。
大規模な空間操作には覚えがあった。
「領域魔法陣使い」
ボソリと呟く。
黒鍵騎士団の頃に出会った強敵。
魔導都市シゥシンカにある魔導学園“アルカナ”。
そこで、ある魔道書を巡って戦った相手だ。
空間結界に敵を飲み込み、魔法陣でくくられた要塞で戦う様な術である。
出鱈目具合は、その時に出会った猫魔道士に比べればたいしたモノではないが、能力的には高位なのは間違いがない。
錬金魔術師クロックワードが使ったシンボル・マジックよりも術起動が速く、魔術も大規模だ。
どちらかと言うと咆哮魔術に近い。
それに似た違和感となると、かなり厄介な魔術を使うと予想できる。
しかし、踏み込んだ以上、後には引けない。
前に進み、それを打ち砕くしか無いのだ。
「鬼が出るか蛇が出るか」
ガルンの呟きは、奥から響いて来た馬のいななきに掻き消された。
ガルンとキリエ、後続のパラディン達が足を止めた先には例の化け物がうごめいていた。
四腕の化け物。
生き残っているロイヤルナイツは四人。
彼等が運がよかったのは、化け物が木に繋いでいた馬を喰い始めた御蔭だ。
駄菓子を貪る子供の様に、化け物は馬を掴んではかみ砕いて行く。
「何だ、あのイカレタ生命体は?!」
キリエの呟きを、ガルンは遠くで聞いたような気がした。
ガルンが見据えているのは化け物のもっと奥、薄暗い森に溶けこんでいる人物だった。
青白い細身の青年。
逆立った白髪、伸びた耳。青白い肌に妙な民族衣装を着込み、眼球が黒く、瞳だけが銀色に輝いている。
一見ダークエルフのようだが、何か異質なオーラが違うと物語っていた。
気になるのは顔に張り付いた、殺人鬼の様な笑みであろう。
四腕の化け物を使役しているのは、明らかに青白い青年にしか見えない。
「あいつか……」
ガルンはゆっくりとダークブレイズを抜き放つ。
それに釣られる様に、パラディン達も盾を構えて剣を抜く。
「これは……姫を狙った陽動……って感じじゃないな~」
キリエは背負っていた、槍を手に移す。
槍からは聖なる波動を感じる。サクラメントの一つであろう。
「キリエ、あんたの能力は?」
「能力? 俺は特殊能力や魔法は使えないぜ?」
あっけらかんとキリエが答える。
ガルンはほんの少し面食らった。
王宮近衛騎士団には、何かしらの能力保持者しかいないと思っていたからである。
「まあ……いいか。襲って来た以上、あいつらを駆逐する。モンスターテイマーを倒すのが常套手段だろ? 俺が化け物を引き付けるから、あんたらは後の青白い奴を殺ってくれ」
「了解」
キリエの返事の後に、パラディン達も頷く。
ダークブレイズに火が燈る。
「こんだけ隙だらけなら、一撃で灰にしてやんよ!!」
ガルンが魔剣を振り下ろす。
それと同時にキリエ達も走り出した。
放たれた朱い焔が四腕の化け物に炸裂する。
魔術並の爆炎が闇夜に瞬く。
その横をキリエ達は颯爽と駆け抜ける。
青白い青年はそれに気付いても、全く動くそぶりを見せない。
キリエの第六感が危険を察知した。
爆煙を突き破って腕が飛び出す。
四腕の化物の腕である。
伸びた腕は三つ。
一つはパラディンの体を鷲掴みに。
二つはキリエに向かう。
キリエは一つを槍で跳ね上げ、もう一つは触れた指先から逃げるように回転して、腕に沿って紙一重で避ける。
巧みな体捌きにガルンは感心したが、それより問題は化け物の方である。
ダークブレイズの炎を受けて死んでいない。
侮っていたのはガルンの方であった。
あれだけ隙だらけならば、チャクラを練り上げる時間はいくらでもあったのだ。
それをしなかったのは、滅陽神流剣法・無式を組み込んだおかげで、物理攻撃が極端に上がった為の慢心であった。
ダークブレイズの炎の威力は精神力の問題であって、腕力や技能に寄るものでは無い。
剣技の威力と共に、ダークブレイズの火力も上がったような錯覚に陥っていたのだ。
森に苦鳴の声が響く。
怪腕に掴まれたパラディンが圧死する前に、キリエとガルンは同時に動いていた。
交差するようにキリエの槍と、ガルンの魔剣が唸る。
パラディンを掴んだ妖腕は綺麗に切り飛ばされていた。
「そいつを早く治療しろ! 化け物を先に仕留める」
ガルンは叫ぶと前に出る。
化物が目にも留まらぬ速さで剛腕を振るう。
しかし、襲い来る拳を寸前で躱すと、一本、一本、腕を撫斬りにしていく。
化け物が世にも奇妙な雄叫びを上げた。
その場にいる全員の耳に、精神を錯乱させる恐怖の咆哮が降り注ぐ。
パラディンはともかく、ロイヤルナイツの面々が頭を押さえた。
キリエも顔が歪む。
「それがどうした!」
ガルンは躊躇なく魔剣を振り下ろした。
一刀両断にされた化け物が、青い鮮血を上げて真っ二つに討ち倒れる。
ガルンは幽体喰いを行ってから、精神に負荷のかかる攻撃に耐性が出来ていた。
いや、正確には麻痺したと言う方が近い。
常に魔剣に精神力を吸われ続け、幾度となる怨霊の攻撃に曝された。
幽体喰いで、不浄の精神と幽体を取り込むに至っては、本来発狂してもおかしくないレベルである。
精神的な痛みや苦しみによって廃人になる所を、病んだ麻痺感が防衛本能の様に発露して、精神を護っていると言っても過言ではないのだ。
この怠慢な精神麻痺が、精神防壁となって精神や感情に左右する攻撃を軒並み減衰させる。
今のガルンには精神攻撃はほぼ無意味になっていた。
それが発狂と紙一重の危ういバランスの上に成り立っているとは、この時は誰も知り得ない事であろう。
ガルンがギロリと青白い青年に向き直る。
「次は貴様の番だ」
魔剣の切っ先を向けるが、青年は泰然自若にゆっくりと口を開いた。
聞き慣れない妙な言語が 紡ぎ出される。
清濁的な中に異質な響きが混ざった不可解な声色。
聞き慣れない言語に、全員、疑問符が浮かぶ。
だが、そんな疑問を上回る事が起こった。
「なにぃ?!」
ガルンは身体を締め付ける痛みに顔を歪ませる。
背後から伸びた怪腕は、四腕の化物のものだ。
振り向く先に何事もなかったように、四腕の怪物が存在していた。
唖然と全員の視線が化け物に注がれる。
青白い青年が何やら呟いているが、全く理解できない。
ガルンは歯を食いしばった。
常軌を逸した握力が身体を締め付ける。
身体中の骨が悲鳴を上げていた。
チャクラを全て全力回転させて肉体強化に回す。
じりじりと身体を掴んだ指を引き剥がす――筈であった。
「……?!!」
押し戻した指が、再び身体に食い込む。
拳の握力はガルンの全力を上回っていたのか、段々と身体を押し潰していく。
ガルンは微妙な違和感と、痛みに目を細める。
しかし、その圧力は不意に弱まった。
化け物の腕には、三十センチはあろうかと言う釘が三本撃ち込まれていた。
ガルンはその隙に化け物の指を解いて距離を取る。
ちらりと見た先には、化け物の腕に刺さった釘と同じ物を持つ、キリエの姿があった。
おもむろに釘を三本投げ放つ。
四腕の怪物はそれを迎撃するように腕を伸ばすが、釘は“目の前から消えていた”。
青い血潮が噴き出す。
いつの間にか、杭は三本とも化け物の目に突き刺さっている。
絶叫が化け物から放たれた。
「……お前、特殊能力持っていないんじゃなかったのか?」
マントの下から、またもや釘を三本取り出すキリエを、ガルンは苦笑いしながら見つめる。
「これは魔杭“ペイル・スティグマータ”。この魔杭は必ず相手を刺し貫いたと言う、事象結果だけを導き出す伝説級の秘宝具。オレの能力じゃなくて秘宝の能力さ。まあ、必ず刺さる代わりに、どこに刺さるかはランダムなのが玉に傷なんだけどな」
そう言うとキリエは不敵に笑う。
やはり王宮近衛騎士は一癖も二癖もあるようだ。
「しかし……どうなってんだコイツ? さっき完全に真っ二つになってたよな?」
キリエの疑問は最もであろう。
切り裂いた手応えのあるガルンが、油断するのも仕方がない。
「みっ、見ました! その化け物の傷が一瞬で復元しているのを!」
八時方向にいるロイヤルナイツが叫ぶ。
どうやら位置的に目の端にそれを捉えたのだろう。
「……」
ガルンは青白い青年を軽く睥睨してから、化け物に目を戻す。
「とにかく、こいつは俺とキリエで相手をする。ロイヤルナイツとパラディンは奥の青白い奴を倒せ」
ガルンは操者を先に倒す選択をとった。
どのみち四腕の怪物のスピードには、ガルンとキリエしかついて行けない。
四腕の化け物が召喚魔法で呼び寄せられたモンスターならば、術者を倒せば化け物が消え去る可能性もある。
二人が相手をしている間に、騎士達が奥の人間を倒すと言う選択はある意味正攻法だ。
「どのくらいの再生能力か拝ませてもらう!」
ガルンはダークブレイズを横溜めに走り出す。
(もう、侮りはしない)
チャクラ全てを全力運転する。
腕力、脚力のエーテル強化にチャクラを二つずつ。
ダークブレイズにはチャクラ三つで精神力を集約する。
襲い来る怪腕をサイドステップだけで躱して行く。
殴られても、掴まれても死に繋がる凶悪な一撃だ。それを眉一つ変えずにいなしていくのは、ガルンの胆力か、それとも恐怖感が麻痺しているためか。
「この一撃でも……蘇るか! 滅陽神流剣法・無式六十型“柘榴崩し”!」
一撃。
下段から切り上げただけにしか見えない攻撃は、雀の巣の様な本体を柘榴の様に爆ぜ割った。
肉塊となって飛び散る体が、まるで時間が巻き戻されるように復元していく。
ガルンは舌打ちしてダークブレイズに精神を集中させる。
炎が朱から碧、そして、黒く瞬いていく。
裂帛の気合いと共に、黒炎となった刃を振り下ろした。
四腕の怪物の全身が一瞬で燃え盛る。
断末魔を上げて苦痛に暴れる化け物から、ガルンは遠ざかる為にバックステップした。
ほとんど炭になった死体を見てキリエが口笛を吹く。
だが、その炭の中からにょきりと腕が飛び出した。
愕然とする二人の前に、また一つ怪腕が飛び出す。
ひたすら口の中で咀嚼したスジ肉の様な音を立てて、四腕の怪物は元のままの姿を復元した。
アンデットや吸血鬼ですら、容易に再生出来ないレベルまで炭化した肉体。
それが、ものの十秒で完全再生されては、歴戦の勇者ですら踏鞴を踏むであろう。
「お誂え向きだ。こう言う輩はオレの成聖突槍“カリラ”にはうってつけの相手だ」
キリエがニッと笑って槍を構える。
どうやらキリエのサクラメントは槍らしい。
「カリラには不死性と魔法の加護を無効化する効力がある。こいつで引導を渡してやるさ! 援護よろしく!」
ウインク一つで今度はキリエが前に出る。
それに反応して、ガルンは直ぐさま援護とばかりに炎弾を撃ち放った。
怪腕がそれを迎撃する。
炸裂した爆炎が空間を凪ぐ。
熱風にキリエは目を細めながら、そこに飛び込んだ。
「火力が高すぎ何だよ!」
多少の火傷は覚悟して、立ち上る爆煙に突入する。
風が唸る音が聞こえた。
感でしゃがんだ真上を、破滅的な剛腕が摺り抜ける。
キリエは持ち前の戦闘経験から、その腕の出所に向かって槍を構えて突撃した。
「エアブレイク・スマッシャー!!」
音速を突き破る槍の打突が放たれる。
四腕の怪物に突き刺さった槍は、砲弾並の威力を見せた。
破壊力は背を貫通して、肉体を吹き飛ばす。
後から大気を突き抜けた轟音と、衝撃波が後方に抜けた。
ぐらりと化け物が地面に転がる。
槍を数回転させるとキリエはビシリとポーズを決めた。
「我が槍に貫けぬモノ無し! ってか?」
得意満面のキリエをガルンは呆れ気味に眺める。
「そのサクラメントなら、再生を抑えられるのか?」
「まあな! エリミネイト・イモータリティー(不死殺し)ではトップクラスさ。再生機構を完全破壊する“聖なる呪い”の様なモノだからな」
胸を張るキリエを、何故かガルンは冷めた目を向けた。
「……そのサクラメント、誰から貰った?」
「ん? 第一王女セルレイン様だが?」
「……」
ガルンは微妙に沈黙した。
どうやらサクラメント製作に置いて、セルレインは有能らしい。
それだけの力量が有りながら、姑息な手段をも用いる第一王女の性格の悪さは、かなりのものと言えよう。
「まあ、セルレイン様は
高飛車な所はあるが、王女としての品格を兼ね備えた立派な……」
キリエの言葉はそこで切れた。
遥か後方に吹き飛ぶキリエを、ガルンは愕然と眺める。
「……?!」
悠然とキリエを弾き飛ばした怪腕がうごめく。
四腕の怪物は何事もなかったように存在していた。
「どう言う事だ……?」
ガルンは魔剣を構え直す。
キリエの武器能力が低いだけ――とは考え難い。
ガルンはちらりと青白い青年を見た。
「!」
いつの間にかパラディン三人以外の騎士が見えない。
地面でのたうち回る影は倒された騎士か。
ガルンとキリエが戦っていた一分足らずのやり取りで、騎士の半数を行動不能にしたと言う事になる。
青白い青年の実力もずば抜けているのは言うまでもない。
(仕方がない……)
ガルンは精霊の眼に切り替えた。
共鳴眼にどのような影響が出るかは分からない。
だが、今は少しでも情報が必要だ。
見えてくるヴィジョンの
異様さに生唾を飲み込む。
「何だ……これは?」
辺り一面が紫色の異常なオーラに包まれている。
それが、じわじわと森を浸蝕し始めていた。
(そうだった! ここは空間結界に飲み込まれていたんだ)
ガルンは自分の浅はかさに舌打ちする。
ここに来る前から気付いていた事だ。
もっと注意してしかるべき事柄だったと言えよう。
じわじわと自分の身体から、いや、ここにいる人間全員から、何かが漏れ出ているののが分かる。
それが精神力と精気、そして、魔力に近いものだとはガルンには分からない。
それは人間だけでは無い。
木々や大地からも精気が吸われ、全て青白い青年に注がれていく。
それに比例して、青白い青年の妖気が増しているのが分かる。
「まずい! これはドレイン効果の結界だ!」
吸奪眼の魔人を思い出す。
あれ程、強力では無いが、こちらの方が質が悪い。
領域吸収である。
このだだっ広い空間にある、生物から自然、大地に至まで、片っ端にエナジーを吸収して自身の力に変換しているのだ。
ガルンが四腕の怪物の指を振り払えなかったのは、高回転させたチャクラからプラーナを止め処無く奪われていたからである。
そして、もう一つの問題は四腕の怪物である。
異常な存在の光の重なり。ただ一匹の筈の化け物から無数の存在の光を感じる。
「まさ……か」
ガルンの脳裏に嫌な予感が走る。
四腕の怪物のからくりが見えて来た。
あれは不死身では無い。
そう、あれは……。
ガルンが固まっていると、四腕の怪物が絶叫を上げた。
青い血飛沫の根本には釘が刺さっている。
振り向くとキリエが立ち上がっていた。
右頭部から血が滴っている。垂れ下がった左腕は折れているようだ。
「くそ! 何て馬鹿力だ! 巨人族かってーの!」
悪態をつく表情には焦燥の色が見える。知らない内に、結界にどんどん精気を吸われているのだから仕方がない。
「パラディンはキリエの場所まで下がって、治癒魔法をかけろ!」
ガルンはそう叫ぶと、ダークブレイズから極大な爆炎を生み出した。
それを四腕の怪物目掛けて打ち込む。
炸裂した爆炎が空間を埋める。
近場の木々は一瞬で炭化しているが、遠目の木々は火だるまだ。
燃え広がる火が空気を温め、上昇気流が発生する。
巻き上がる火災旋風の中、消し炭になった筈の四腕の化け物がゆっくりと姿を見せる。
「やはり……な」
ガルンは精霊の眼に映る、化け物の姿がなんであるか、ようやく看破した。
「あれはアンデット(不死族)やリターナー(再生族)じゃない……。転生……他者の命を使って死を肩代わりしているんだ」
ガルンが見た四腕の化物。
それは、喰った人間の命を取り込む事で、自身が死ぬ場合、代わりに取り込んだ人間の命を消費して復活していたのだ。
この惨状を見るかぎり、四腕の化け物が喰った命は三十を越えるだろう。
それは、三十回以上、四腕の化け物を殺さないと倒せない事を意味する。
「転生か命替え(みことがえ)か……。カリラの不死殺しの構成破壊に類さない力か……。面倒な相手だな」
キリエはパラディンに治癒魔法を受けながら、歯軋りする。
前衛に凶悪強硬な壁モンスター。
後衛に相手の力を吸収する魔術師らしき敵。
ツーマンセル構成では、かなり完成された布陣であろう。
後の青白い青年が率先して戦っていたら、被害はもっと拡大している筈だ。
濛々と立ち込める爆煙がいきなり吹き飛んだ。
青白い青年が、何かを呟いて腕を振った効果だ。
流石にダークブレイズの爆炎の余波を、見過ごす訳にはいかなかったのだろう。
青年はまた何かを呟くと、地面に転がっているまだ息のある騎士に近づいた。
半死半生の騎士を無視して、爆炎を放っているガルンはかなりシビアか、考え無しかのどちらかだろう。
ガルンの性格を考えれば、前者の可能性は非常に高いであろうが。
青年はゆっくりと掌を、騎士の頭に向ける。
瀕死の騎士は、そこにパクリと開いた“口”を発見して顔を引き攣らせた。
掌の口が有り得ない事に、騎士の頭を甲冑ごと丸呑みにする。
四腕の化け物と睨み合っているガルン達には、その細かい行程は見えていない。しかし、騎士の首が消え去ったのは理解出来た。
「あの野郎! 動けない者にトドメを指す気か」
キリエが怒りの声を上げる。
青年はそれを見てニタリと笑った。
いきなり発生練習のように、違う声色を数パターンあげる。
ガルン達が顔を見合わせていると、青年は不敵な笑みを浮かべたまま口を開いた。
「あー。これが、この世界の言語か……。力も無ければ、言魂にも力が宿っていないな」
けだるそうにガルン達を眺める。
「ほーう。そこの白い服の二人は、この世界では中々やる方らしいな。だが、そのあり様ではこの世界の連中の底が知れると言うものだ」
「貴様、喋れたのか?」
ガルンの疑問に青年は鼻を鳴らす。
「今のを見ていなかったのか? そこの騎士の“脳を喰って”知識に変えただけだ。言語の抽出もその作用。……この世界では稀な部類に入る術式と言う事かな?」
青年は手の平を見せて肩を竦める。
手には先程の口がカチカチ動いていた。
「脳を食う……?」
パラディンの一人が生唾を飲み込む。
相手を外見から、人間種と判断していたのが過ちだったのだろう。
目の前の敵を魔族や吸血種のような、人を食い物にするような天敵と判断しておけば戦い方は変わっていた筈だ。
「貴様……何が目的だ?」
ガルンの問い掛けに、青年は高笑いを始めた。
不敵な笑みが邪悪に歪む。
「目的? 単純な事だ。我ら“冥魔族”がこの世界を貰う。ただそれだけだ。後は邪魔な害虫を全て排除する」
「冥魔族?」
「……聞いたことが無い種族だな」
ガルンとキリエがちらりと目を合わせると、二人は頷いた。
「……何か仕掛ける気か。貴様らでは“幽冥獣”すら倒しきれまいに」
「そいつは後回しだ」
「不死身が最強と思うなってーの!」
四腕の化け物を迂回するように、ガルンは右に、キリエは左に走り出す。
しかし、それを阻むように四つの怪腕が伸びる。
肉を貫く、鈍い音が低く響いた。
痛みより、怒りの雄叫びが燃え盛る森にこだまする。
怪物は四腕全てを銀色の槍に貫かれて、地面にはいつくばっていた。
キリエの魔杭では無い。
それは空高く上空から飛来した、巨大な矢であった。
森を焼く炎が、夜空に新たな銀色の輝きを照らす。
新たな銀の矢が、四腕の化物の身体を貫く。
地面に串刺しになって暴れる四腕の化物は、まるで蝶の標本のようだ。
「?!」
驚きに青年は目を剥く。
二人の飛び出しは、まるで飛来する矢を知っていたかのような、絶妙なタイミングだった。
それもその筈である。
ガルンとキリエは飛来する矢の存在を知っていたからだ。
共鳴眼に寄る視覚共有。
ガルン達の戦いは、本陣にいるグライド達に伝わっていた。
四腕の化け物の異質さの情報は伝わっていたのである。
それを踏まえて、当初の予定通りスピカによるロングアプローチによる支援攻撃が行われたのだ。
ガルンとキリエには、弓矢を引き絞るスピカの姿が見えていた。後はそれに合わせて行動を開始したのである。
怪物は力任せに矢を引き抜こうとするが、矢は収縮しながら鋭利な刺を生やして肉体に食い込む。
矢は成聖水銀と呼ばれるサクラメント(聖別秘宝)で出来ていた。
スピカは“流動のミスティリオン(神秘能力)”と呼ばれる特殊能力を持ち、流動する液体を意のままに操る。
ガルンに忍び寄った水銀も、その能力ならではだ。
共鳴眼で物体を認識出来るからこその、遠隔操作と言える。
いかに不死身に近くても、身動き出来なくてはただのデクの棒だ。
「流石にやる」
猛突進する二人を見て、青年は低い呪文のようなモノを唱える。
「冥法・空咒“逸脱の壁”」
走り込む二人は、いきなり見えない壁に衝突した。
「!?」
意味不明な衝撃で頭が朦朧とする。
「冥法・空咒“軋む空”」
見えざる壁が、追撃してガルンとキリエを弾き飛ばす。
城門壊しの巨大な杭に弾かれた様に、二人は錐揉みして宙を舞う。
「……!!」
飛ばされた空中で二人は態勢を立て直す。
受け身を取れたのはこの二人ならではであろう。
「くそっ!!」
悪態をついたのはガルンだったか、キリエだったか。
青年が腕を掲げると、黒い球体が空間に六つ現れる。
異常な早さの術に二人は舌を巻いた。
(速い!! やはり領域魔法陣使い並……いや、それより速いか!)
ガルンは軽く頭を振って立ち上がる。
「冥法呪咒・怨叉の黒」
抑揚の無い声が響く。
「させん! セルセント・アンカバー(聖鎖明鏡方陣)」
声を荒げてパラディン達が割って入る。
キリエの治療をしていなかったパラディン二人は、攻撃に合わせて援護ようの呪文を唱えていたらしい。
神聖魔法の複合魔術らしく、強硬そうな魔法障壁が展開される。
しかし、黒い球体は、まるで水面に落とされた小石の様に、軽い波紋を浮かべて貫通した。
愕然とするパラディン二人に、黒い球体が襲い掛かる。
咄嗟に盾をだすが、黒い球体は盾どころか着込んだ騎士甲冑も意図もたやすく貫通した。
正確には擦り抜けたと言うのが正しいだろう。
「この青白野郎がぁ!!」
崩れ落ちる騎士達を前に、キリエが雄叫びを上げて走りだす。
青年は不敵に腕をキリエに向けると、キリエは真上に魔杭を投げ放った。
青年の身体がよろめく。
「……?!」
青年は身体を貫く三本の杭を不思議そうに眺めた。
キリエが走り出すと同時に、“真上に”投げ放った魔杭は、青年の右腕と右肩、そして左足のふとももに突き刺さっていたのだ。
「うおりゃ!!」
キリエの聖槍が唸る。
しかし、青年は焦りもせずに右手を振るう。
「冥法・空咒“逸脱の壁”」
先程の見えざる壁がキリエに立ち塞がる。
槍は見えざる壁に衝突したらしく、妙な軋みを上げながら空間にキリエごと押し止めた。
先程同様、青年が再び弾き飛ばす呪文を唱える。しかし、今回は違っていた。
ガルンが真逆方向から肉薄していたのだ。
青年は泡を食って呪文をガルンに指向する。
「それは一度見たぞ! 滅陽神流剣法・無式百型、風絶」
見えざる壁を切り裂く手応えを、ガルンはしっかりと感じた。
青年はそれを理解したのか、驚愕に目を見開く。
青年が何かを唱えるのと、魔剣が袈裟斬りに身体を裂くのは同時だった。
確かな手応えにガルンはほくそ笑む。
だが、青年も口から血を吐きながらもニタリと笑った。
青年の回りに、いつの間にか黒い球体が浮かんでる。
(こいつはさっきの!?)
ガルンが後方に跳躍している時にはすでに遅かった。
左脇腹を黒い球体が貫通する。
焼けるような痛みが脳髄に走り、ガルンは苦痛の呻きを漏らす。
しかし、ダメージは青年の方が遥かに高かった。
傷口が燃えている。
ガルンは飛び去る寸前に、ダークブレイズの炎を撃ち込んでいたのだ。
よろめく青年の頭上、夜天に銀光が瞬く。
空気を切り裂く高音が、小さく聞こえた。
見上げる青年の右鎖骨の間と、左胸に深々と銀色の矢が突き刺さる。
スピカの第三撃だ。
恐るべき精度のロングレンジ攻撃と言える。
流石に力尽きたのか青年はそのまま、仰向けに倒れ伏した。
ごぼりと吐いた血の後に、喉からヒューヒューと空気の漏れるような異音が混ざる。
銀矢はどちらかの肺を貫通したらしい。
その眼前に槍の矛先が向けられた。
キリエが苦々しい顔で、青年を見下している。
それを見て青年は目を閉じた。
「……やる……じゃ…ないか。三連携の……多段攻撃」
「貴様は何者だ。目的を述べろ。そうすれば楽に殺してやる。お前の傷は致命傷だ。もう助からない」
「……頭の悪い人種だな。俺は冥魔族と言った……ぞ。そして、侵略者……だともな」
「なら、何処から来た? 何処の国の者だ?」
「……我は来訪者、屍の世界より、生なる世界を捕食しに現れた者なり」
「……?」
「最後のサービス……だ。我は冥魔の先兵でしかな……い。一兵士にこの様では、貴様らの未来は見え……たな」
青年は幽鬼の様な、気色の悪い笑みを顔に貼付けていた。
失われて行く血と共に、顔色が土気色に変わる。
「それは、お前らの未来だよ」
キリエはとどめの一撃を躊躇なく振り下ろした。
闇夜に森を燃やす炎だけが、風に煽られ波のようにざわめいていた。
それに混ざって、化け物の咆哮が響く。
「……あの怪物、術者が死んでも健在かよ」
キリエは地面でもがく四腕の化物を欝陶しそうに眺めた。
魔道士が居ればサンプルで持ち帰っても良いが、今の戦力では不可能に近い。
この化け物を、生きたまま持ち帰るのは難儀な行程になろう。
「滅殺あるのみか……。後、何回殺せばいいんだコレは?」
キリエがうんざりしている真横に、脇を押さえたガルンが立ち並ぶ。
「こいつは俺が焼却する。お前は下がってろ」
「ガルン……その怪我平気か? しかし、どうやって殺しきる?」
ガルンはゆっくりとダークブレイズを振りかぶる
黒炎が立ち上った。
「……?!」
異質な炎にキリエの第六感が危険だと告げる。
「ちょい時間がかかるが……。戦闘状態じゃなければ、滅ぼすのは造作も無い。俺も不死者殺しなら自信がある」
黒炎が闇より深く、黒く変色していく。
闇夜より濃い闇。
光を許さない完全な暗黒。
それが黒過ぎて、“夜が明るく感じる”違和感に
、キリエは悪寒を感じた。
まるで目の前に人の形をした魔皇がいるような恐怖感。
ダークブレイズにたぎる純黒の焔が、辺りの音を吸収したように世界を沈黙に陥れる。
ガルンは冷ややかに魔剣を振り下ろした。
四腕の化物は、燃えた薄紙の様に灰も残さず消滅した。
存在焼却。
闇主側の最強武装の一つは、遺憾無くその真価を発揮した。
茫然とキリエは魔剣を見つめる。
「……何だその剣? 一撃? 転生する怪物を殺しきった。 サクラメント以上の神器……レジェンドクラスの武器かよ」
「……まあ、確かに伝説級さ」
ガルンは不敵に笑うが、顔面は蒼白である。
「ガルン?! お前、大丈夫か?」
先程死んだ冥魔族と名乗った青年の様に、青ざめた顔色は死にそうな勢いだ。
純黒のダークブレイズを作り上げるために、怪我にチャクラを回さず、全チャクラを最大回転で発露したツケであろう。
(たいしてチャクラを使っていなかったのに、“純黒の焔”一発で半分以上チャクラを消費した気がする)
ガルンは小さく苦笑いを浮かべた。
時間をかけられるならば、霊妙法にすれば良かったと後悔する。
滅陽神流剣法ならば、魂の三十や百何処か、一撃で届く魂は全て霧散出来ていた筈だ。
(戦闘状況で使い分けが課題だ……な……)
ガルンは自分一人納得して気を失った。
「おいガルン!」
慌てて倒れるガルンを、キリエは左腕で支えようとして激痛に眉を寄せた。
あの短い治癒魔法では、左腕の完治には程遠かったようだ。
「しゃれになんねぇー」
キリエは痛む腕で無理やりガルンを引き上げる。
「おい! パラディン! 治癒魔術、こいつにもかけてくれ!」
傍らで、黒い球体に撃ち抜かれたパラディンに、唯一残った白金騎士団の一人が治療魔法をかけていた。
しかし、そのパラディンの顔色も蒼白である。
「何だ……? これは……」
呻く声にキリエは綺麗な柳眉を寄せた。
「どうした?」
「だ……駄目です。治癒魔術が効きません……。これは……、この傷は魔術では……多分、魔法ではありません」
「なっ……に?」
「何か……別の術式です。 これを治すにはハイプリースト(高僧)以上の術者が必要です」
キリエは愕然と立ち尽くした。
深淵の淵にいるような、軽い損失感に襲われる。
闇夜のただ中、累々たる屍を照らす光は、まるで蓮獄にある炎のようであった。
この戦いでカルジャヤ遠征護衛隊の三分の一が喪失。
これが、冥魔族と呼ばれる侵略者一兵士による被害だと、はっきり認識するのは二日後の事であった。




