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黒閾のダークブレイズ  Re.FIRE  作者: 星住宙希
第十二章
17/31

凍れる雨夜の星

「う~ん! やっぱり健康な体が1番、1番だよね!」


清々しい朝。

朝霞の立ち込むエルフ姉妹の邸宅の庭先で、カナンは大きく身体を伸ばした。


その様子を見てガルンと白き銀嶺、それにエルフ姉妹は顔を綻ばす。


カナンは軽く身体を動かし出したが、演舞顔負けの滑らかで軽やかな動きをし始めた。


数年もベッドや車椅子で過ごした人間とはとても思えない。


度重なる神聖魔法の治療のおかげで、カナンの身体で完全に治療出来ていないのは、外傷の足の火傷だけになっていた。


ヒュペリアは口笛を吹いて賛美する。


「すっごーい! カナンちゃんって何か武術やってたの?」


ティリティースが心底驚いたように手を叩く。

この間の抜けたライトエルフでも、身体能力と精霊魔術ならばそこらの傭兵や騎士には引けを取らない。

それが感嘆の声しか上がらないのは、かなりのレベルと言える。


「……さすが先駆者だな。チャクラコントロールにかけては天才的だ」


白き銀嶺はカナンのエーテル強化を感じて驚嘆する。


白き銀嶺は塔での戦いの後、結局ティリティースの好意で家に厄介になることになった。


そして、ここを拠点に来たるべき禍を伝える伝導師として、国々を奔走する事にしたのだ。


この半年近くの間、ガルンとカナンの教えを受けて、白き銀嶺はチャクラを認識する事に成功していた。






「身体が動かせない間、延々とチャクラを練り続けて来たからね! チャクラの運用じゃガルンにも白き銀嶺にも絶対負けないよ!」


向日葵の様に笑うカナンは自信に満ちている。


身体が不自由な間、一日も休まずチャクラを練り上げた結果、他のチャクラの開眼にも成功していたのだ。


現在のカナンは、チャクラを四つまで使える様に

なっていた。


本来は五つなのだが、ダラックのペインミラーの影響を受けたチャクラは今だ復調の兆しは無い。


チャクラ数だけならガルンは七つ。

カナンは四つ。

白き銀嶺は二つとその差は明らかだ。


「よし! それじゃ、久しぶりにカナンちゃんが稽古をつけて上げよう!」


カナンの言葉にガルンは

目を見開いた。


「はあ? 病み上がりが何言ってるんだ? 筋力戻す事から始めろよ」


ガルンの意見は最もだ。カナンの足が治ったのは昨日である。上半身はともかく下半身の筋力は落ちに落ちている。


神霊力は現段階の足の回復はしても、数年前の状態までは戻してはくれない。


本来ならリハビリから始める所を、チャクラを使ってエーテル強化で無理矢理動いているレベルである。


ただの張り子の虎だ。


それで模擬戦など論外のはずである。

しかし、カナンは意気揚々と庭に備え付けてある物置小屋に向かう。




そこからカナンは、ガルンが訓練ように持ち込んでいた重晶剣を取り上げた。


重晶剣とは比重の思い貴金属で出来た、むやみに重くて強度の高い大剣だ。


本来、外殻の強固なモンスターを重量を上乗せしてカチ割る武器であり、白兵戦で使うものでは無い。


ガルンが単純に筋力強化の素振り様に購入したものだ。


それを軽々と片手持ちしているのは、チャクラを腕力のエーテル強化に回しているからだろう。


素振り一回で空を裂くような、耳障りな音が響く。


それを見てガルンは首を振った。


「仕方ないな……。俺がリハビリの手伝いをしてやるよ」


ガルンは家に戻ると蝶白夢を持ってくる。


それを見てカナンは唇をとんがらす。


「ダークブレイズじゃないんだ? それでいいのかな?」


「ダークブレイズは炎が抑えられ無い可能性があるんだよ。こっちならコントロールは完璧だからな」


刀を構えるガルンを見て、カナンもゆっくり大剣を構える。


「手合わせする理由は一つ。ガルンが滅陽神流剣法を間違って認識している事を分からせるためだよ?」


「どういう意味だ?」


ガルンが疑問を問い詰める前に、カナンが疾風と化す。


(早い! )


ガルンは目を見開いた。チャクラを使ったエーテル強化の速さが半端ではない。




瞬間的に二つのチャクラを使用して、脚力強化をしたのは分かる。


だがスピードのギアを一速を飛ばして、いきなりセカンドギアに入れたような伸びだ。


低い姿勢から、滑空するように重晶剣が大振りで振るわれる。


速くても余りにバレバレな軌道だ。


しかし――


剣先が地面に当たった瞬間、カナンの踏み込んだ足が大地をえぐる。


「!?」


跳ね上がって来た剣撃のスピードが倍加した。スウェー動作ではもう避けられない。


ガルンは咄嗟に刃の腹でそれを受け止めた。だが、その身体が軽く宙に浮く。


「……!!」


「本気じゃないと死んじゃうんだから」


にっこり笑う表情とは裏腹に、放たれた剛剣によりガルンは吹き飛んだ。


半分自分から後方に跳んだのだが、腕が痺れるような衝撃は、白き銀嶺の打突並のパワーである。それも本来の姿の方だ。


スピードに重量を遠心力で上乗せし、大地で反動を効かせて、尚且つ腕力にチャクラを回した一撃である。


そこらの一般兵なら受けた剣を腕ごと持って行かれている所だ。


ガルンは空中で一回転して着地すると、チャクラを身体中に回す。


正直カナンの腕を舐めすぎていた。


グラハトの元にいた頃から、カナンとは一度も剣を交えた事が無い。特訓は全てグラハトとのマンツーマンだったからだ。




盗賊達と天翼騎士団との戦いも、まともに見たわけでは無い。


着地したガルンにカナンが迫る。


両手持ちした大剣は、背後に大きく振りかぶられている。


(なるほど……。刀剣ごと叩き割る太刀筋か。武器の特性をよく理解している……でも!)


威力のある武器は往々に隙が出来やすい。


カナンの剣が振るわれる前に、ガルンは突きで先手を打つ事にした。


カウンター気味に、カナンの剣より速く肩口を狙って突きを繰り出す。


完璧なタイミングだ。


「甘いよ~だ!」


「なっ?!」


ガルンは愕然と躱された突きを見た。


有り得ない避け方。

カナンは大剣を放して、身体を捻って突きをやり過ごしたのである。


しかし、それだけでは終わらない。

放した大剣の鍔に器用に足の甲を引っ掛けると、そのまま鍔を引っ掛けたまま蹴りを繰り出したのだ。


まるで中段蹴りの軌道に、大剣がついてくるような有り得ない剣戟。


突きを避けながらの大剣蹴りはカウンターに近い。


避けるのは不可能だ。


(チッ!! しゃくだが仕方がない)


瞬間的に蝶白夢ちょうのしらゆめを発動させた。


刀身から溢れる水流がガルンとカナンの間に割って入り、押し出される形でカナンを横に吹き飛ばす。


大剣は遠心力と重量で、水流を切り裂きガルンの胴に迫るが、水圧に負けて角度がズレていた。





咄嗟に腕をエーテル強化して、掌で大剣の平を押し払う。


軌道が完全にズレた大剣は、ガルンの横を摺り抜け奥にあった木に突き刺さった。


深々と刺さる威力は、人間の胴体で考えればしゃれでは済まない。


その突き刺さった剣の柄の上に、カナンがふわりと着地する。


ガルンは態勢を立て直して刀を構えた。


(隙が無い……チャクラを瞬間的に切り替えているのか)


ガルンは内心舌を巻いた。


チャクラの運用スピードはカナンの方が遥かに早い。総合的に強く感じるのはその為だ。


チャクラ数が劣るカナンが、ガルンと互角に戦えるのはそのおかげであろう。


「やっと刀の力を使ったね! それでは本番」


カナンは剣の上から、軽やかに着地する。


その反動のおかげか、剣は何故かすんなり抜け落ちた。


拾い上げると同時にダッシュ。


しかし、今度は剣を振りかぶっていない。


剣をやや右下段に構えた、中段斬りの構えだ。


だが、ガルンにはその初動作に見覚えがあった。


慣れ親しんだ、いや、身につけた型なれば。


鳥肌が立つ様に、悪寒が背筋を走る。


ガルンは蝶白夢を瞬間的に展開させていた。

水泡を撒き散らしながら先手を取る。


水刃の切っ先は鞭の様にしなり、カナンに放たれた。




大剣が唸る。


ハリケーンが直撃したような轟音が巻き起こった。


静まり返った早朝には、ひどく響く。


近隣の家々から何事が起こったのかと、人々が顔を出した。


何故か辺りに、にわか雨がぱらついてから、直ぐに止んだ事に首を捻る。


轟音がした方向、ティリティース邸の庭には大剣を担ぐ少女と、えぐれた地面が見えた。


「……え? 何、何が起こったの?」


ヒュペリアが目をしばたく。


ティリティースは吹き飛んで、物置小屋に突っ込んだガルンだけは理解出来た。


その有様を、白き銀嶺だけはかろうじて見ることが出来た。しかし、解せない事がある。


カナンは水刃に対して大剣を振り抜いた。その瞬間、水刃は根本まで真っ二つに斬りさかれ、まるで爆薬でも仕掛けられた様に連鎖爆散しながら後方に霧散した。


吹き飛んだ雫を受けて、水泡も全て吹き飛んでしまっている。


その風圧か水圧か、ガルンも衝撃で吹き飛ばされ、後方にあった物置小屋に飛び込んでしまったのだ。


「分かっかたかな? 分かっちゃったかな?」


何故かニカリと笑うカナンの声に、


「分かった……」


と、言う返事が物置小屋から発っせられた。


ガラガラと何かが落ちたり、割れたりする音がこだまする。




ティリティースの顔が青ざめる。物置小屋には例の遺跡から発掘してきた、お宝だかガラクタだか分からないものが満載の筈だからだ。


ガルンは自分が突き破った壁の穴から、渋い顔をしながら出て来た。


身体中に何かの割れた破片がこびりついている。


「……姉さん」


ヒュペリアは哀れむような目で、地面にふさぎ込む姉を見つめた。


遺跡マニアには手痛い一撃だったらしい。


「滅陽神流の太刀筋だった……。ただし霊威力は練り込んでいない」


ガルンは埃を払うと、そう宣言した。身体の節々が悲鳴を上げている。全てのチャクラ防御に回してこの有様だ。


「その通り! よく出来ました!」


カナンはニッコリ笑ってから、その場にへたりこんでしまった。病み上がりでは、やはり限界があったらしい。


それを見て、ガルンは慌てて走り寄る。


「滅陽神流剣法は、知るだけで存在変質する異端で特異な剣術だよ? 剣技だけで既に存在を殺す事に特化している。霊威力を練り込まなくても魔性の剣は“水すら殺せる”」


カナンの言葉で、ガルンはグラハトの教えを思い出した。


滅陽神流剣法とは神性を屠る事を前提にした、闇側の秘技である。


高位存在にダメージを与える為に、多重存在すら浸食崩滅し尽くす変容した魔技。




世界の法則を変質させ、“斬れないものを斬る”ために創造された剣技なのである。


「霊威力を練り込まなくても……十分使えるって事か?」


「そう言う事だよ。存在を斬る事に特化した剣だから、存在力が強い生命体相手には霊威力が必要。と言うか必須? でも、相手が無機物や生命体として存在が下位な相手だったら、霊妙法を使用しなくても十分圧倒的な攻撃力を持ってるって事かな? 持ちすぎかな?」  

「……」


水刃と水泡がいともたやすく霧散した事に納得する。


吹き飛んだ水泡が、水蝶にならずに隣家に降り懸かったのもその為だ。


生命体では無い、効果や現象を滅ぼすには絶大な威力を誇る事になる。


ガルンは心底苦笑した。


滅陽神流剣法の本質をはっきり知っていれば、今までどれだけの戦いを楽に乗り越えられたか分からない。


「これからは賢く戦うよ」


半笑いのガルンを見て、カナンは額を小突いて来た。


「全く、ガルンはやっぱり私がついていないと駄目だよね? ダメダメだよね? だいたい仕事の話しを一切しないのがいけないよ! 最近までガルンがそんな事も知らずに戦ってるなんて知らなかったんだから!」


「ハ・ハ・ハっ……」


ガルンは引き攣る口元を押さえながらも、愛想笑いを浮かべる。


何かこのやり取りが懐かしく思えた。




その夜は酷く荒れていた。


雨雲が立ち込み、月も星もじっとりした闇に飲み込まれている。


光るものと言えばゴロゴロと闇を裂く稲光だけだ。


嵐のような雨風はこの大陸では珍しい。


中々進まない馬車のスピードにラインフォートは苛立ちを隠せないでいた。


教会関連の会合で、ようやく司祭の階位を取るための根回しを完了した所だが、正直ばらまいた金額の多さに鬱積が溜まる。


どこも権力には金が付き纏うものだが、こう一々せびられる関係も腹が立つ所だ。


舌打ちして急ぎの書類に目を通していると、いきなり馬車が急停止した。


衝撃で書類一式が床に落ちる。


ラインフォートの苛立ちは頂点に達した。


「何をしている! 誰が止めろと言った!」


御者窓から声をかけると、御者台に座っていたクロックワードが声を出す。


「敵襲です。敵の数、正体は分かりません。護衛隊も散り散りになっています」


「一度馬車を基点に、集中陣形を引かせろ。念のためアンドリューとスタザンは確実に来させろ」


隙間から入る雨風に、顔をしかめながらも、的確に指示を出す。


だが、クロックワードの返事より馬のいななきと悲鳴が辺りを包む。


恐慌状態に近い声は金切り声に思える。




「ひぃ! 悪魔の大群だ」


「クソッタレ、なんて盗賊の数だ!」


雨廟族うびょうぞくだ! 向こう側に引き込まれるぞ!」


数々の罵声にラインフォートは疑問を抱いた。


直ぐにドア窓から外を注視する。


闇夜と暴風以外は、おののく騎乗した警備隊の姿しか見えない。


(イリュージョニストか? どこの手の者だ?)


舌打ちして今の戦力を概算する。


黒鍵騎士団の一番隊と九番隊が出払っている今を狙われたのは、計画的な臭いがする。


護衛に連れて来た四番隊のメンバー10人と、完全に私兵化したクロックワードと他二名はかなりの凄腕だが、フィン・アビスと無名の代わりには少々もの足りない。


(まあ……いい。最悪、転移魔法を展開させておくとしよう)


ラインフォートは物理防御と精神防御の神聖魔法を唱えると、ドアを開けて地面に降り立った。


抜かるんだ地面に足を捕られそうになるが、なんとか踏み止まる。


「何をやっている! まやかしだ、集中防御陣形をとれ!」


その声に誰も反応しない。

ラインフォートは頬を引き攣らせると大声を張り上げた。


『止まれ!』


全員の動きがピタリと止まる。


「話を聞け。 集中防御陣形をとれ。聴かない奴は 第二のギアスを行使するぞ?」




全員が青ざめる。

ギアスの強制力は、現在実感中だ。

指一本動かせない。


『状況開始だ』


その声でギアスが解けたのか、全員が馬車を中心に陣形をとり始める。


目の前の悪夢より、ギアスの恐怖が勝ったようだ。


そこでラインフォートはこの雨の中で不自然に飛ぶ、見覚えのある紫の蝶を見つけた。

この大雨を無視して普通の蝶が飛べる分けが無い。


幻覚と水蝶と来れば、直ぐに連想する人物がいる。


ラインフォートは鼻で醜悪に笑った。


「いつか裏切るとは思っていたが……存外早かったな?」


腰から精巧に造られた、妙な小型のトロフィーのような物を取り出した。


何やら小声で唱えると、オレンジ色の光が辺りを包み込み、雨風と雨音が消えていく。


クリアーされたらオレンジ色の闇の世界に、ゆっくりと人影が浮き上がった。


頭まですっぽり覆った、黒いマントに黒い衣装。顔には三目の狐の面をしている。


変装なのか、闇夜に紛れる為の出で立ちかは謎だ。


しかし、狐面が手にする武器には見覚えがある。


この大陸にはほとんど存在しない武器なので、一目見れば誰しも印象に残る武器『刀』だ。


それも刀身から水泡を出しているとなると、その銘すら知っている。


一瞬、全員が騒然とした。





黒鍵騎士団でナイト・ファントムのコールネームを知らない人間はいない。


それと戦う危険性は誰しも知っている。


「何のつもりだガルン・ヴァーミリオン? これは神誓王国メルテシオンに対する反逆行為と取れるが? 異教の神にでも唆されたか?」


ラインフォートの言葉には抑揚が無い。始めから断罪する気満々である。


狐面は沈黙したままだ。


「ふん。言っておくが、俺は始めから貴様のような異教徒のゴミは信用していない。貴様の武器も調査済だ。この“金雫の鐶”は高位の幻影儀器で他の幻覚を上書きする。その刀の精神汚染など効かんよ」


「……」


「それ以前に、貴様は俺のギアスの影響化だ。不意打ちでなら俺を殺せると思っていたのか? 杜撰な計画だな」


ラインフォートは見下した視線を送る。


狐面は沈黙したままだ。


「看守の死亡が余りに不自然だったからな。貴様に関係していると睨んでいたが……予想通りだったようだな? あの汚らしい醜女の治療もそろそろ終わる頃だ。貴様が馬鹿な考えを起こすなら、今か、自身の免罪符を得た後の二択でしかない」


ラインフォートは押し黙った姿を、図星を指されたガルンが、二の句も告げない状態だと判断してほくそ笑む。


(強力な兵力だが、危険性を伴う使いづらい駒だ。手から離れたら邪魔な存在にしかならん――ここらが潮時だな)




ラインフォートはゆっくりと十字を切る。


『貴様を国家反逆罪として、法曉神コメステルの名に置いて断罪する。死を受け入れろガルン・ヴァーミリオン』


ギアスの韻を含んだ詞が響く。


呪縛のギアス。

掛けられた相手は神性クラスの拘束を受ける。

人間がそれを打ち破るのは不可能に近い。


「やれ」


ラインフォートの号令に前衛の護衛騎馬が進む。抜き放った剣は鈍い光を放った。


「死にたくない奴は去れ」


その声は、やたら幻影に満ちた空間に響いた。


それが狐面から発せられた声と気付いて、騎兵達は顔を見合わせた。


声が出ると言うことは、ギアスが効いていないと言う事を意味する。


「何だと?!」


目を剥いたのはラインフォートだ。


従属のギアスは、制約の魔法の中でも最高位の拘束力を持ち、今まで一度も破られた事などないのだ。


それが、通用していない事実。


狐面はゆっくりと刀をラインフォートに向けた。


まるで死を宣告する死神の様に。


ラインフォートは肩を奮わせて歯軋りする。


「ええい! 構わん殺せ!奴を殺せなければ、貴様らが裁かれると知れ!」


怒声一喝。


己の死を天秤に掛ければ人は容易に動く。


騎兵は目の前の敵を倒すベく走り出した。




狐面は小さく溜息をつく。


空中に水の華が舞った。


まるで幾えもの水の花火が、空に波紋を広げるように全方位に拡がる。


ナイトファントムに群がる騎馬は、その勢いのまま駆け抜けた。


妖刀使いの真横を。


「!?」


その様を見てラインフォートは唖然とした。


遥か明後日の方向に走り去る騎兵には、全員首が無い。


「相変わらず……物理戦闘は馬鹿強いな。だが、お前一人じゃ俺には勝てないのは分かっているな?」


全員が固まる中、錬金魔術師クロックワードだけは臆さず不敵に前に出た。


ガルンとは一度戦っている。

勝負的には本人は勝っていると判断していた。


手早く世界樹創製のシンボルマジックを刻む。


「おや? 炎の魔剣はどうした? あの馬鹿でかい黒い剣は。暗殺なら無しで行けると思ったのか?」


最後の起動呪文を唱えると、地面から巨木が生まれ落ちる。


凍りの花で埋め尽くされた氷細工のような静謐な巨木像。


「貴様の刀は水属性。この“氷極の世界樹”の前では意味をなさ……」


クロックワードの言葉は、硝子が砕け散るような音量に掻き消された。


ダイヤモンドダストが雨夜に舞う。


氷で出来た樹木は、はかない幻想のように空に散っていた。




あっさり分解して吹き飛ぶ世界樹を、クロックワードは間が抜けた表情で眺める。


「滅陽神流剣法、無式三十五型・翳羽かざばね


狐面の呟きは、やけに静かに辺りに届く。


「一撃だと?!」


愕然とするクロックワードに狐面が迫る。


慌ててクロックワードは地面に持っていた杖を叩きつけると、起動呪文を唱え始めた。


「臨、気、水、命、増 、光、輪、活、生!」


シンボル・マジックにより再誕の魔法円が広がっていく。それは地面に残っている世界樹の幹に触れて――何も起こらなかった。


「あっ……?」


「その樹木はもう死んでいる」


新生して復活するはずの世界樹を見つめながら、クロックワードは視界がズレていくのをゆっくりと感じた。


一瞬で頭を輪切りにされて、絶命した錬金魔術師の横に死神が立つ。


それを見て、ラインフォートの脇を固める二人が滑るように前に出る。


一人は口から煙りの様な物を吐き出した。霧で出来た魔神に見える。エクトプラズムで偶像された

存在しない存在。


もう一人はグラディウスと呼ばれる尖端が鋭利に尖った肉厚・幅広の両刃刀を構えた。突きを考慮した奇妙な構えで前に進む。


狐面のマントが魔鳥のように舞った。


ふわりと着地する様は優雅な黒い白鳥のようだが、手にした刀には血風が纏わり付いている。



飛び出した二人は、妙なよれ方をしながら地面に転がった。


倒れた身体から鮮血が噴き出す。それはまるで奇妙なマジックのようだ。


煙りの魔神は頭から股間まで断ち割られており、ゆっくりと霧散していく。


その光景はラインフォートにとっては、ただの悪夢にしか過ぎない。


『くそ! 止まれ止まれ止まれ!』


虚しいギアスを込めた声が響く。


馬がいななく声が上がった。


残りの騎馬が我先にと逃げ出したのだ。


「冗談じゃない! やはりナイト・ファントムと戦うのは無謀だ」


「相手は百人斬りだろ!まともに戦えるか」


実力は少々落ちても、隊長クラスが三人瞬殺されたのでは仕方が無い。


「待て貴様ら!敵前逃亡は死罪に値するぞ!」


ラインフォートの声が虚しく響く。

残りの騎兵は全て逃げ出していた。


『貴様ら死ね!!』


ギアスの韻を含んだワードが発せられた。


逃げ出した騎兵達は、短い呻きを上げて身体を震わせると、全員落馬して 生き絶えた。


これが本来のギアスの魔法の影響力である。


それが効かないのはラインフォートに取っては理不尽窮まりない。


(やはりギアスが効かない! どう言う事だ。奴は免罪符をあの雌ガキには使わなかったのか?!)




ラインフォートは舌打ちしながら、左手の中指に嵌めたアメジストに目を走らせる。


その色は急速に白く変貌していく。


(幻相の指輪は起動している。これならば何時でも逃げられる)


ラインフォートは小さくほくそ笑むと、急に大胆不敵な態度に戻った。


手に嵌めた指輪は秘宝の一つであり、近場の転移ゲートに跳ぶ簡易転移装置である。


数瞬で遥か彼方に人を一人運ぶ。


これがあれば逃げるのは容易だ。一度使えば砕ける希少品だが、今こそ使い時と言える。


「貴様、仮に俺を殺せたとして逃げ切れると思っているのか? 罪状の経緯を考えれば追っ手には天翼騎士団もつくぞ?」


「……」


「チャンスをやろう。もう一度ギアスを受けるならば、今回の件は不問にしてやる」


ラインフォートはさも名案と言わんばかりに告げる。


狐面はそれを聞いて歩みを止めた。


「目撃者も無しで、誰がこの惨状をガルンのせいに出来るのかな?」


放たれた言葉を聞いてラインフォートは固まった。


はっきり聞こえる声は、明らかに女性のものだ。


刀と強さから狐面をガルンだとばかり思っていたが、ラインフォートはそこで自分の根本的な間違いにようやく気が付いた。


目の前の狐面にギアスが効かないのは当然である。


彼女が免罪符を受けたのは半年近く前なのだから。




狐面はゆっくりと仮面に手をかけた。


外された仮面の下で金髪が波打つ。


現れた少女の顔には覚えがある。


「馬鹿な! 怪我は完治していない筈だ。報告では、前回の治療から四日も経っていない。戦えるレベルまで体力も回復していないはずだ。それに……」


そこでラインフォートは言葉を切った。


自分の知る少女と、目の前の死神ではまるで別人である。


衰弱したひ弱な肉体、そして、尋問で聞き出した、吐き気のするような人道主義の偽善者。


それがカナン・パルフィスコーと言う少女のはずだ。


この異常な強さと、人を虫けらの様に切り捨てる姿は別人にしか思えない。


「……ボロボロの身体にされた恨みか? 家畜も殺せないような甘ちゃんが化けたものだな」


ラインフォートは引き攣った笑いをする。

説得が出来る要素は無い。


「ボロボロにされたお陰で、いっぱい……本当にいっぱい考える時間はあったんだよ。色んな考え、思い、感情を反芻しては考え直す。それで一つだけはっきり結論が出た事がある」


「結論?」


「貴方は殺す。絶対に。必ず……殺す」


金髪の少女の力強い言葉にラインフォートは押し黙った。


憐れむような目には、殺意の光りが輝く。


カナンから放たれる鬼気は尋常では無い。




「この身体は私の甘さが招いた罰。それには何の怨みも無いよ。そんなものには何の怨みも無い」


少し俯いたカナンは瞼を閉じた。


「憎しみは別。あんな身体になった私の為に、ガルンは何度も何度も死線を越える事になった。何度も何度も。そのせいでガルンの存在の歪みはどんどん酷くなる。それを強いたのは貴方だよね?」


「それは奴が勝手に選択した事だ」


「勝手……?」


カナンは薄く笑った。


綺麗な笑顔なのに、背筋が凍りつくような殺気が纏わり付く。 


ラインフォートは生唾を飲み込んだ。


カナンの冷ややかな瞳が開く。


「私はそんなに馬鹿じゃないよ? それに、あの塔では“耳は潰されていなかった”。あの時の会話は聴いていたんだよ?」


「……わざと治療を遅れる様に仕向けていた事も知っていそうだな?」


「知っているよ。親切な赤毛の騎士が教えてくれたから。だからこそ私は貴方を許せないよ。許せないかな?」


ラインフォートは歯軋りした。少なくとも内通者がいるのは確定だ。


そいつのせいで今の局面があると言える。


「一回だけチャンスを上げる」


唐突なカナンの言葉にラインフォートは目を細めた。


「私に攻撃していいよ? それで私が倒れたら、貴方は生きる運命だったと諦める。でも、倒せなかったら……諦めて死んで欲しいかな?」




ラインフォートは躊躇した。


この少女の行動は微妙に抜けている。


相手に情報を開示し、あまつさえ攻撃チャンスを与えると言うのだ。


正気の沙汰とは思えない。


だが、この馬鹿正直な少女なら十分有り得る事だ。


(まあいい。倒せなかったら逃げればいいだけだ)


ラインフォートは鼻で小さく笑った。


「良いだろう。その話にのってやろう」


そう言うと素早く服から

赤い短刀を取り出した。


エノク文字が刻まれた、不可思議なオーラを放つ小振りのフランベルジュだ。


それを見てカナンの表情が強張った。


誰が見ても異質なのは手に取るように分かる。


ラインフォートは邪悪に笑う。


「これは、天翼騎士団が持つ天獄剣のレプリカだ。中に高位存在を封獄して使役する力を持つ。これには天使はいないが……ある魔性が封獄してある」


フランベルジュから淡い白い光りが漏れる。


曲剣の上で素早く印を結ぶと、剣に刻まれた文字が光り出した。


「この中には、月喰いの魔女ハティ・ヴァ――……?」


そこでラインフォートは言葉を止めた。


フランベルジュが無い。


いや剣どころか、構えた両手が消えていた。


「……?」


不思議そうに無くなった両手を眺める。




空気を裂く妙な音が響く。蝶白夢から伸びる水刃が戻る音だ。


「あっ……?」


ラインフォートはゆっくりと足元に転がる、自らの両手を見た。


フランベルジュもその手の中にある。


唐突に傷口から血が噴き出した。それと共に痛みがじわりと広がる。


絶叫がオレンジ色の幻想

空間に響き渡った。


「権力者の悪い癖かな?

癖なのかな? 自分が優位と判断すると、より多くの利益を欲しようとする。だから隙が生まれる」


カナンは冷淡な表情で淡々と語る。


「ぎっ、ぎざまああ!! 謀ったな!」


ラインフォートは顔面蒼白で雄叫びを上げた。


足元に血の池が広がっていく。この出血量では数分と命は持たないだろう。


「貴方の余裕は、何か切り札があるから……さっきの挙動から、それはそ

の指にはめてあった指輪だよね? 凄い魔力量がある」


「……!! 貴様、魔術師だったのか?」


ラインフォートの言葉にカナンは首を傾げた。


「私はただの剣士だよ?ただチャクラのお陰で魔力をエーテルラインで感知出来る。ガルンも魔導都市とやらで見えるようになったって言ってたかな? 」


「……!!」


ラインフォートは半年近く前に、ガルンに魔喰教典と呼ばれる魔動書を奪取する任務を与えた事を思い出した。




そこで猫魔道士に会ったなどと、端から見ればふざけた内容としか思えない報告書が上がって来たのを鮮明に覚えている。あまりに常軌を逸した内容なので、詳しく読まなかった物件だ。


「その指輪。それは何か面倒な気配がしてたかな? しまくってたかな? だから、わざと戦うように誘ったんだよ。指輪を使用するのを戸惑わせるために。普通の人なら一目散に逃げてしまうところを、貴方は妙な虚栄心と人を卑下する歪んだ性格が災いしてここに留まらせた。それが貴方の敗因」


カナンは指輪の簡易転移能力に気付いていた分けでは無い。


ただ、それを使わせないように甘い罠を用意しただけだ。


有り得ない戯れ事を。


しかし、ラインフォートは嵌まった。その情報能力の高さと、人を見下すプライドが仇になったと言える。


カナンの性格や気質まで調査して把握していたのが、逆に過信へと繋がったのだ。


「私は分かったの。おやじのように身近な人間の死を、ただ受け入れるなんて堪えられない。私のせいでガルンが死ぬなんて耐えられない。ガルンが死ぬところなんて考えたくも無い」


にっこり笑って刀を振りかぶる。


「だから、ガルンに害が及ぶものは殺す事に決めたの。ガルンに災いが及ぶものを廃除する事に決めたの。それが例え他者の尊い命を奪うとしても。それで私の存在が歪んだとしても」


慈愛に満ちた顔に、冷徹な眼光が相反して混在する。それがラインフォートの網膜に焼き付いた最後の光景だった。




「ラインフォートが死んだ?」


ガルンがその情報を知ったのは、ラインフォートの死から一日後の事だった。


近隣の大河で起こった、亜種族・リザードマンとの領土争いの平定作戦から帰った直後である。


駐屯所でその一報を聞いた九番隊の全員は、酷く間抜けな顔を並べていた。


基本、嫌な奴ではあるが、そうそう死ぬ玉では無い。


ラインフォートが教団合同会議の帰りに、何者かに惨殺されたと言う報告は軽いジョークに感じる程だ。


「マジで? だってあいつ移動する時はいつも護衛がいるじゃんか? それも必ず隊長格を一人連れてる」


「護衛隊も全員死亡です。新しい団長が選別されるまでは、当分任務は無いとお考えください」


ネーブルの質問に伝令係は義務的に答えると、さっさとその場を去っていってしまった。


「マジかよ」


「確か1番隊も出払っていたよな? それでも最悪クロックワードはいたんじゃないのか?」


「あいつの護衛には、確か専属の凄腕が二人いたはずだぜ?」


ざわめく中、ガルンは呆然と立ち尽くした。


自身が討とうとしていた相手だ。

既に軽い暗殺計画も立てていた。


権謀術数に長けていない

ガルンでは、ラインフォート相手では内容は笊に近い。それでも、倒す手段は揃っていたのだ。




ラインフォートが裏でかなりあくどい事をしてきたのは誰でも察しがつく。


狙われる理由はごまんとあるだろう。


しかし、それを容易に行う戦力はそうそうあるとは思えない。


ガルンは軽い安堵と喪失感に戸惑いを覚えた。


誓いの一つは、こうしてあっさり失ったのだった。



それから半日後。


夕暮れが、辺りを朱く染めている時間帯にガルンはティリティース邸に着いた。


庭では軽く蝶白夢を振るうカナンがいる。


「任務ご苦労様!」


「ああ……」


明るく迎える姿を、ガルンは歯切れの悪い返事で返した。


カナンが首を傾げる。


「何かあったのかな? あったりしたのかな?」


「いや……たいした事じゃ無い。それより置いて行った妖刀はどんな感じだ?」


ガルンはカナンの手に視線を移した。


蝶白夢はカナンの頼みと、任務の兼合いでティリティース邸に置いていったのだ。


今回のガルンの任務先は大河であり、相手は水属性の眷属だった。

同じ水属性の武器は相性が悪い。


そして、カナンがダークブレイズのような精神喰いの魔剣を振るうリハビリにと、刀を貸してくれと頼んで来たからであった。


その刀がラインフォートの血を吸ったとは、ガルンは露ほども思ってはいない。




「う~ん。やっぱり病み上がりで精神力を吸われ続けるのは、ちょっときついかな~? 刀自体の使い勝手はいいけどね。とりあえずティリティースの宝物庫から、何か新しい剣を探して見ようかな?」


そう言うとカナンは刀の切っ先をくるくると回した。

水泡が溢れ出し、夕焼けを映して空に舞う。


シャボン玉のように飛ぶ泡から蝶が生まれ、夕暮れに幻想的な光景を浮かび上がらせた。


端から見れば、シャボン玉遊びを興じる少女にしか見えないであろう。


ガルンはそれを見上げてから、


「確かに、こいつ見たいな掘り出し物が、他にももあるかもしれないな」


と呟いた。


宙に舞う水蝶は、太陽の光を受けて細かに色が変わる。


万華鏡が空を漂うような華やかさだ。


ガルンは微かに笑みを浮かべた。


躍起になってラインフォートを倒す必要はなかったのかもしれない。


カナンを巻き込まないで済んだのだから、それはそれで僥倖だったと思うようにした。


「黒鍵騎士団は抜ける事にしたよ。隊でごたごたがあってしばらく休業だしな。カナンの足も、プリーストレベルで直せる程度になったしな。他の仕事でも何とかなるだろう」


ガルンの言葉に、カナンの表情がパッと明るくなる。


「本当! それじゃ、昔見たいに一緒にいられるね」


「まあ、黒鍵騎士団にいた頃よりは……な」




「……?」


ガルンの歯切れの悪さに、カナンは直ぐに気がついた。


夕焼けを眺める表情には、何か決意が見える。


ガルンが遠くに行くような不安感だけが浮上してきて、カナンは何故かいたたまれなくなった。



それからガルンが免罪符を使って罪人のレッテルを剥がし、黒鍵騎士団を退団したのは二日後だった。





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