浸蝕する希望
神の奸計により生み出された箱があった。
それは人を陥れるための禍のみが封入されていた。
その箱からは、様々な災い、疫病、背徳、悲嘆、犯罪などが飛び出したが、箱の底には一つだけ残ったものがあった。
最後に残ったものは希望とも絶望とも、予兆ともいわれるモノだった。
それによって人類は希望だけは失わずにすんだと言う。
しかし、神はハッキリこう言った。
『あれには禍いしか入れていない』――と。
ドアをノックする音でロイドルーク・アルダークは眺めていた魔剣を机の上に置いた。
「レッドレイ・クリフ・トリュアス参りました!」
ドアの外の声の主に、一言『入れ』と声をかける。
天翼騎士団専用の執務室にレッドレイはわざとらしい敬礼をしながら入室した。
ほとんどの調度品が片付いいた室内は、相変わらず殺風景だとレッドレイはつくづく思う。
実際、そんな些細な事を気にするタイプではないのだが、流石に机の上に置かれた剣は些か気になった。
黒い刀身には見覚えがありすぎる。自分を丸焦げにしかけた以上、忘れたくても忘れられない。
「その魔剣、魔導研から還ってきたんですね?鑑定結果はなんてでたんですか」
興味津々に黒い剣を覗き込む。
「生きている魔剣……ブラッドソード(血を吸う魔剣)と呼ばれる種類に近いそうだ。こいつは使用者の精神力を喰って、それを炎に変換しているらしい。ただ……」
「ただ……?なんですか」
「所有しているだけで精神を喰われ続ける。これを扱うには相当な精神力が必要だ」
レッドレイは呆れたように笑みを浮かべた。
「あのガキンちょは明らかに異常でしたからね。戦闘センスもずば抜けてる。特に感じたのは、人を斬る事に何の躊躇も無い所がシビれましたね」
「戦い慣れしていないのに、殺しの経験が豊富と言うのは有り得ない事だ。先天的に箍が外れているか、後天的に何か壊れたか……。どちらにしろ戦いには優位な能力だ」
アルダークは椅子にもたれ掛かると、レッドレイに向き直った。
「それで処遇は?」
アルダークの言葉にレッドレイは肩を竦めてから頭を振った。
「それが妙な事になりましたよ。審議保留です」
「……?審議保留?再生誕プログラムでも無く、再審問でもない?」
「ええ、黒鍵騎士団のボンボン覚えてますか?」
赤髪の青年の言いように、偉丈夫は苦笑した。
「ラインフォート枢機卿の息子の事か?」
「ビンゴです、あの権力バカですよ」
レッドレイも苦笑いを浮かべながら指を鳴らした。
「あいつが不在の法暁神・神官代理で審問を行ったお陰で、あのガキンチョは口を滑らせたようです。それで有罪。まあ、こちらの予定通り三神官は無罪なので奴は再審届けを出したわけですが……最後の地和神の神官が元神権限で再審届けを却下、無罪を主張してます」
「ガテナの神官が?何故だ?あの変わり者のハイエルフは、精神精霊が見えると聞いた。あの神官の前では嘘がばれる筈だ。だからこそ回答はさせなかった筈……?」
レッドレイは顎に手を当てると、う~んと唸る。
「確定情報ではないのですが、ガテナ神官の言いようによると、あのガキンチョは『清き存在』の波長が出ているらしいんです。投獄するなんておこがましいクラスの。意味分かりますか?」
「清き存在……?地和神教は自然崇拝に近いからな、大地の恩恵を受けるモノは全からず聖霊の子であり、地和神ガテナの子である。その中でも霊位の高い地の存在は、ガテナの眷属とされる」
フムと唸るとアルダークは腕を組む。
地和神ガテナの神官は、ガルンの血肉となった星狼の血の波長を感じとってしまった為の判断だったのだが、それを知らない二人には理解不能な結果である。最悪のケースが予想外の要因で回避されたわけだが、手放しで喜べる内容でも無い。
不可解と言う事は、イレギュラーを生む要因となりうるからだ。
「まあ、空中庭園に住む筈の、ハイエルフの価値観なんて理解の範疇外ですが、このままいけば再生誕プログラムに入る可能性は高いでしょう」
「確かにガテナが付けば勝ったも同然だな」
アルダークはおもむろに机から手紙を書くための道具一式を取り出す。
それを見ながら、レッドレイはずっと感じていた疑問を口にする事にした。
「しかし、団長、なんであのガキンチョなんですか?あれはかなりの戦力にはなりそうですが、取り扱い注意の上、危険分子にも成り兼ねない。俺的にはあっちの女の子のが使える気がしましたが?」
アルダークは洋皮紙を伸ばして文鎮を置きながら、
「あの少女は駄目だ。性格が素直過ぎる。才能はあるが戦闘に向いていない。それに、あの優しさは戦いでは命取りに成る。あの少女は戦場では長生きしないタイプだ」
「でも、姫の護衛にはピッタリだったのでは?」
レッドレイの提案に、アルダークは苦笑いを浮かべた。
「流石に闇主皇側に育てられた子供だ。そこまで気を緩ます分けにはいかんな」
「確かに」
と、言ってから、レッドレイは、
「どの道もう使い物にはなりませんが……」
とボソリと言った。
ガルンは現在の状況に理解が出来ずに面食らっていた。
今いる場所は地和神ガテナの神官専用の執務室である。
「すいません、こんな所で一泊させてしまって。アルテナ、お水を」
「了解で~す」
回りで世話しなく動いているのは、地和神の神官と書記官――では無く、そう思っていた補佐官だった。
ライトエルフと言う、特異なエルフは、謡や物語に聴くエルフ像とは少し掛け離れていた。
しかし、一つだけ言えるのは、その美貌は端正な人形のように至宝の輝きを放っている。
均整の整った顔立ちは、黄金比を兼ね備えた幻想の象徴のような美しさだ。
本来、人ならばその美しさにしばし目を奪われる所だが、その点、ガルンはズレていた。
ガルンはこのライトエルフ達を美しいと感じているが、それは精霊の眼で見た彼女達であって、外見では無い。
ガルンは存在色の美しさで人を判断しているのだ。
精霊の眼を身につけてから、ガルンの美的感覚は一般人とは大きな隔たりを負うことになっていたのだが、この時は全くその事に気がついてはいなかった。
「はい、ど~ぞ」
アルテナと呼ばれたエルフの少女は机にコップを置くと、すぐにパタパタ奥の部屋に走って行った。
「すいません急ぎの用事があるので、ここを出ますが、ここに有るもなら好きな物を使って貰って構いません」
神官はいそいそ服を着替えながらそう言った。
とりあえず男の前なのだが特に気にした風も無い。
「ティリティース様、早く早く!」
アルテナと呼ばれた補佐官がローブと書類を片手に神官を責っ付く。
ガルンが茫然としているのに気付いて補佐官エルフは別室を指差した。
「朝食は別室にあるんでお腹空いたら食べてください。後、この部屋からでたらダメです。今は審議保留中なんですからね」
人差し指を立ててウインクしてから、神官エルフを囃し立てる。
二人は軽い暴風の用に暴れると部屋を出て行った。
ガルンは一先ず落ち着くためにグラスの水を一口飲んだ。
「うま?!!」
口を通る見事な味わいと喉越しから、グラスを覗き込む。
透明なグラスに注がれた水は見事な間での透明度を誇っていた。
「何だこの水?と言うか水なのか?」
グラスの中の水を回転させたがら、ちびちび飲む。
ライトエルフの飲み物だけあってただの水が、ただの水では無いらしい。
ガルンは全て飲み干すとソファーにもたれ掛かった。
状況を整理する。
最終審問に現れたのは今のエルフコンビだった。
ガルンを見るなり、神官エルフはいきなり敬いだしたのだ。
クフルの血を感じ取ったティリティースと呼ばれた神官エルフは、清き気高い存在の一人だろうと勝手にガルンを認識してしまったのである。
その理由が分からないガルンには眉唾な展開だった。
急遽審問は取りやめ。
ティリティースは罪人の塔の局員に客間を明け渡せと嘆願したが、受け入れて貰えず自らの執務室にガルンを連れて来たのである。
取り調べ中の罪人候補に一室よこせと言うのは土台無茶な話であるが、ティリティースはそれどころか階級権限を盾に、審問不必要の公式手続きすら済ませたのである。
それがすんなり受理される筈もないが、こうしてガルンの身柄は見事に宙ぶらりんの状態になったのだった。
(あのエルフは、何処の誰と俺を勘違いしているんだ?)
疑問に思えど答えは出ようが無い。
ガルンは諦めて部屋を一望した。
連れて来られた後は、ほぼ放置に近かった。
一日経過した今も状況は似たり寄ったりである。
部屋には装飾品やら調度品、はてはよく分からない石像や、研究機器などが溢れ返っていた。
脱ぎ捨てられた服まであるから質が悪い。
外見の優雅さと生活水準が一致していないように思えた。
見た目はどこかのお姫様の様なのにとボンヤリ思う。
美しいからではなく、イメージ的にだ。
美しい顔立ちに、腰まで伸びた金髪。着ている高級素材で出来た装飾品華美な衣装が合わされば一国の姫に見えなくもない。
そんな事を考えていたが、考えを改めだした。
今はそんな茫洋と考えている時では無い。
自分がこの先どうなるかはっきりしない状況で、のほほんと構えている分けには行かないのだ。
ガルンはすくっと立ち上がると、脱出に使えるものが無いか家捜しを開始した。
家捜しを始めてから半刻もたたず、脱出に使えそうな物はあれよあれよと出て来た事にガルンは困惑した。
ロープやナップサック、楔やワイヤーフック、まるでエクスプローラの装備品がごそりと出て来た感じである。
「……?あのエルフは何をやってるんだ?」
転がってる発掘品のような物が多々あるので、遺跡の発掘などをしている可能性は高い。
しかし、神官の片手間で出来るのかは謎である。
ガルンが1番気になったのは一降りの剣であった。
長さはロングソード程であり、ダークブレイズを振っていたガルンには、たいした長さには感じられない。
鞘はシンプルな黒塗りで、柄にも美観的な装飾品は施されていない。
いたってシンプルな長剣だった。
(この剣……確か大和刀って言う東国の『刀』だったな……」
ガルンは見馴れない刀をすらりと抜いた。
東大陸にしかほぼ存在しない刀(日本刀)はガルンの住む西大陸には珍しい物だった。
回りの品々から判断しても、この国でも貴重品に入る部類であろう。
刀からヒシヒシと妖気のようなモノを感じとる。
「魔剣か……」
ガルンは生気を吸われる感覚に苦笑した。
よくよく魔剣と名のつくモノに縁があるらしい。
何の力があるか試し切りを試みたいが、流石に部屋に何かあったら心苦しいので止めておく。
装備は一通り揃いそうなので、今度は身体状態をチェックする。
身体中の打撲傷はほぼ完治。右肩の裂傷は今だ痛むが動かせないレベルでは無い。
問題は左鎖骨の骨折だが、あらかた接合しているのでチャクラを一つ保持に回せば動かしても半日は持つ。
それにチャクラは全快とは言えないが、五つ共回転している。
「よし……」
ガルンはソファーに座ると精神を統一する。
精霊の眼に切り替え、辺りを探索する。
どろりとした人の気配に吐き気がする。
(そうか……こいつら)
ガルンは罪人の気配が酷くいびつな事に気がついた。
存在の揺らめきが酷く濁っている。
気分の悪さは、身体のコンディション云々の問題では無く、ガルンが生理的に嫌いな存在の揺らぎだった事が大きいようだ。
なんとか同フロアの気配を探る。
こちらはただの人の揺らぎなので問題は無い。
人数は80人近く。
気配の最先端は100メートル程離れている。
(最大距離にいると仮定するならば、半径と考えて建物自体は倍の大きさか?)
脱出を考えて、外まで最も人数の少ない方向を二つほど見定める。
(逃げるとしたら西か北西ルート。後はカナンの居場所か……)
カナンが同じように監禁されているとしたら、地下を捜索するしかない。
ガルンは我慢して地下に精霊の眼を向ける。
ガルンの感覚では魚が壊死して浮いているような、汚水の中に顔を突っ込む嫌悪感が付き纏う。
重犯罪者の心の闇のせいか、歪みのせいか分からない。
存在の焔が黒茶色と群青色が混ざりかけたまま、マーブルで放置されたようなイメージが精神に染み込んでくる。
胸がむかつくのを我慢して地下三階まで覗き込む。
しかし、激しい嘔吐感が集中力を削いだ。
元の視界に戻ってしまう。身体が勝手に拒絶反応を起こしたようだ。
(地下に行く程、濃度が高い……?まるで病んだ病に浸かっているようだ……どう言う事だ?)
ガルンは深呼吸して気分を落ち着かせる。
「直に行くしかないか」
捜索するためには罪人の塔の地下監獄を見回るしかない。
カナンがそこに捕われているとは限らないが、それを確認しないで脱走もありえない。
人の減る夜に忍び込む事を決めて、ガルンはその場で座禅を組んだ。
チャクラの循環と、治癒の活性化、体力回復と無駄が無い。
腹を据えて取り組もうとしていると、腹がグゥ~と鳴った。
ガルンは自分が空腹な事にようやく気がついた。
「とりあえず飯食うか」
立ち上がると、頭をボリボリ掻きながら別室の朝食にありつく事にした。
夜半時になるとエルフコンビはバタバタと部屋に帰って来た。
ガルンはそれまで座禅である。
「すいません~昼には顔を出す筈だったんですけど忙しくて、お昼どうしました」
補佐官エルフ、アルテナは半ベソで机に鬱憤している。
神官、ティリティースの方も「お水~」と言いながら別室にヘロヘロ向かう。
神官の執務室自体は、メインの公用の居間と仮眠室と休憩用の別室があり。
ガルンがいるのは居間の部屋である。
居間は見た目は整っているのだが、万国博覧会が開けそうな程しっちゃかめっちゃかな品が溢れ反いる。初めて見る人間は骨董屋と勘違いしそうだ。
奥にメインテーブルと補佐用のテーブル、中央に来客用のテーブルとソファーが二対。
ガルンが座ってるのは向かって左側であり、アルテナが鬱憤してるのが来客用テーブルである。
そして、部屋の壁一面を埋め尽くすように発掘品のようなものが溢れている。
ティリティースが向かった休憩室には飲食料が山ほど置かれており、仮眠室には脱ぎっぱなしの服や衣類だらけだ。
エルフがこんなにも適当だとはガルンも思わないが、この二人はかなり特殊な部類に入るのは間違いないだろう。
「昼は適当な物を摘ませて貰った。どちらかって~とあんたらのが飯食ってないように見えるよ」
ガルンは呆れながら、テーブルでだれているアルテナを見つめる。
別室からティリティースがトレーを持って現れた。
水の入ったグラス三つと、ぞんざいに果物が山のように乗っている。
(仮眠室の食料の殆どが果物だったな……?エルフは果物が好物なのか?)
ガルンはぼんやりとテーブルにトレーを置いて、アルテナの横に座るティリティースを見てそう思った。
「ティリティースさ~ま、ありがとうございます~」
アルテナはゆっくり起き上がると、水をグビグビ飲みながら果物にかじりつく。
「聞きたいことがあるんだが……いいか?」
「なんでしょう?」
ティリティースがゆったり返答する。
ガルンは気真面目な顔でティリティースを見つめた。
「カナン……カナン・パルフィスコー。この名前の金髪の少女を知らないか?」
「あっ、いまひた!」
アルテナが口をもごもごさせながら手を上げる。
ティリティースが神妙な顔でガルンを見つめた。
「彼女の審問は四日前にした覚えがあります……結果は再審になったので分かりません。再審の審問は別の神官達がするので」
「別の神官?」
「再審による二次審問は6神官が全て変わります。そこで決まらなければ最終審問で三度神官の編成が変わり、そこで最後の審判が下されます。そこまで行くと私の所までは情報が下りてきません」
「……その後は分からない」
ガルンの言葉にティリティースはコクンと頷いた。
アルテナが口に含んだ果実を嚥下すると、
「判決は無罪なら釈放、有罪ならば終身刑か懲役刑、最悪は極刑です。危険人物すぎると逆に禁固刑になる場合もありますよ」
眉を寄せて唇を尖らせながらそう言った。
(地下にいる可能性は……高い)
ガルンは目を細めると、先程チェックして置いた刀に視線を移した。
それをティリティースは見逃さなかった。
「それは妖刀・蝶白夢。沈没船の引き上げで出て来た品で、銘を調べただけなので使い物になるかは分かりませんよ?」
「ああ……そうなんだ」
ガルンは歯切れの悪い返事をする。
本日の地下侵入は決定したが、それを見透かされている様でガルンは苦笑いを浮かべた。
深夜。
夕食を済ませてからエルフ達は各々の自宅に帰って行った。
それを見計らって選んで置いた装備品を身につける。
妖刀・蝶白夢を最後に手にとり、ガルンは部屋を出た。
曇り空の天候は、陰に隠れて行動するには絶好の機会と言えた。
廊下の闇もその濃さを増す。
闇夜に紛れてガルンは回廊を進んだ。
程なくして目的の地下入口に差し掛かった。
扉も何も無い、開け放たれた階段が見える。
そこには警備兵が二人張り付いていた。
近場の柱の影に隠れる。
距離は10メートル足らず。
近場に人数が固まっている場所、頓所があるのは今朝調べ済だ。
騒ぎになるのは得策では無い。
上手くやり過ごすのがベストである。
(やってみるか……)
ガルンは部屋からくすねておいたコインを取り出す。
チャクラを全て身体強化に回すと反対方向に投擲した。
コインの落ちる金属音が果ての廊下に響く。
警備兵は顔を見合わせると、一人がそちらに向かって歩き出した。
もう一人も警戒する為にそちら側に寄る。
(今だ!)
ガルンは一気に走り込む。
キュッと廊下に微かな音が残った。
それに気付いた警備兵が振り返る。
そこには誰もいなかった。既にガルンは階下に飛び込んでいた。
着地音を膝を使って極力削る。
階段下の折り返し地点の高低差は、昇ってくる時に把握している。
ガルンは忍び足で階下に消え去った。
地下に行くほど、照明に使われているランタンの数が減っていく。
目立たないのは利点だが調べるには非常に困難に成っていく。
朝に覗いた地下3階まではスルーして地下4回から虱潰しで捜査を開始した。
捜索から一刻。
ガルンは塔の深さに舌打ちした。
既に現在地下20階である。
(くそ……こうなったら背に腹は代えられないか)
ガルンは捜査方法を変える事にした。
1フロアー降りる度に精霊の眼で捜索する。
これならば生理的嫌悪、精神疲弊さえ気にしなければ効率は格段に良くなる。
「さて……潜るか……」
ガルンは覚悟を決めて捜索を再開した。
(見つけた……ぞ)
ガルンは込み上げて来た吐き気を我慢しながら、ニヤリと笑った。
地下45階。
か細いが間違いなくカナンの存在の光を感知した。
既に二度ほど嘔吐しているので吐くのは胃液しか残っていない。
カナンの牢獄に進む前に深呼吸をする。
チャクラを一つ使って体調回復に費やす。
戦闘準備をしなければならない。
何故ならばカナンの牢獄付近に存在の光りが四つあった為だ。
問題はその中に一人、チャクラ開放者がいる事だ。
(警護なのか……?しかし、看守にチャクラ使いを置くとは考えにくい……訪問者、それとも奴らも……侵入者?)
ガルンは一気に通路を進んだ。
足音をあえて立てて、こちらの存在をアピールする。
おびき出せればカナンを気にして戦闘をする必要はない。
功をそうしたのか気配が二つ通路に出た。
(よし!後はこいつがどこまで使えるか)
刀に手を当てる。
いきなり実戦使用には一抹の不安が残るが贅沢は言っていられない。
通路の先には二人の人間が待ち構えていた。
黒の短髪、黒眼の青年。
背中には大剣を背負っている。
チャクラを感じるのはこちらだ。
だが、この狭い廊下なら逆にあのでかさは徒となる。組しやすい相手と言えよう。
もう一人は銀髪蒼眼。
袖の長い服を着た少年だ。
「!」
ガルンは剣に手を当てて硬直した。
「やあ。こんなに早く再開するとは思わなかったよ。予想外さ」
気さくに手を上げる少年には見覚えがあった。
審問で会った、いけ好かない神官についていた音使い――。
(確かフィン・アビス! この場所はマズイ!)
音を操る能力者と戦うには開けた場所、音の伝播がなるべく拡散する場所が好ましい。
音が反響しやすい地下通路など論外の地形だ。
この狭さでは音から逃れる術が無い。
ガルンは臨戦体制に入るが、黒髪の青年は気にした風もなく歩き出した。
「気分が悪い。俺は先に戻らせてもらう」
ボソリとそう言うと、ガルンを無視して歩き出す。
「それじゃ、護衛にならないじゃないか剣 無名【ツルギ・ムミョウ】。現に不審者登場中だよ?」
妙な名前の少年は、足を止めてフィンを睨み付けた。
仕方がなさそうに壁に背を預けて腕を組む。
ガルンは、その不可解なやり取りのせいで機先を削がれた。
「ガルン・ヴァーミリオン。君もそんな蓮に構えるの止めてくれないかな? 君はもう仮出処は決まっているんだし」
「……仮出処?」
ガルンが疑問符を浮かべていると、眼鏡をかけた男と人相の悪い小柄な男が出て来た。
眼鏡の男には見覚えがある。
法暁神官代理として現れた蛇のような男――ミシェイル・フォン・ラインフォート。
(何でこいつがここに……?)
ガルンの疑問を逆にラインフォートが問いただしてきた。
「貴様、何故ここにいる?あのバカエルフの元にいると聴いたが?」
沈黙するガルンを見てラインフォートは目を細めた。
「なるほど……中の女を連れ出しに来たのか。アルダークの奴の手回しか。忌ま忌ましい」
「……?」
「まあ、いい。こちらから出向く必要が無くなった。言っておくが、貴様も中の小娘も、あくまで執行猶予だ。再生誕プログラムは聞いているか?」
「……いや、聞いていない」
ちんぷんかんぷんな話だが、ガルンは一先ず様子を窺うため話を合わせる事にした。
アルダークと言う名には聞き覚えがある。
「貴様らは情状酌量で執行猶予がついた。だが貴様らのような危険分子を簡単に開放もできない。そこで考案されたのが再生誕プログラムだ。貴様らには黒鍵騎士団に入団して免罪符を勝ち取る機会をやる」
「黒鍵騎士団……免罪符?」
要領を得ない内容に疑問が浮上する。
「黒鍵騎士団とは貴様らのような危険分子、または犯罪者や重罪人、脛に傷がある連中に罪を償うチャンスを与える我が国、独自の制度だ。この騎士団で武勲を上げれば、武勲に比例して免罪符が与えられる。降された罪を消せるだけの免罪符を手にすれば、貴様も晴れて無罪放免だ」
ラインフォートの言葉にガルンは再び沈黙した。
ここで戦って逃げるより、その騎士団に入団してからの方が逃走確率は高い気がする。
少なくとも、音使いとチャクラ開放者と戦わずにすむのは確かだ。
「先に言っておくが、黒鍵騎士団に入団するには、反逆と逃走防止に誓約の呪いを受けてもらう。異論は許さん」
「誓約の呪い?」
「ギアスだ。受けたものは三段階に変化する呪いを受ける。一段階で拘束、二段階段で激痛、三段階で心肺停止。死に至る呪いだ。これは騎士団長である俺にその行使権が委譲される」
不敵に笑うラインフォートを見てガルンは気分が悪くなった。
こいつからは、いびつな存在の気配をひしひしと感じる。精霊の眼を使わなくても分かる程の歪みだ。
生殺与奪権を与えるのは得策とは思えない。
「騎士団入団を拒否したらどうなる」
ガルンの言葉にラインフォートは眉を寄せた。
「拒否?その場合は監視つきで隔離施設で幽閉だな。まあ、禁固刑だ。怠惰に一生を終えるには最適な場所だぞ」
告げてからニヤっと、いやらしい笑みを浮かべる。
ガルンは内心で舌打ちした。
(八方塞がりか……。ここは、まだ自由に動ける今が1番脱出の可能性が高いか)
「止めておけ。お前は強いが……、今のあの子は死ぬぞ」
「!?」
ガルンは剣に手をかけたまま横を振り向いた。
無名と呼ばれた少年の眼には強い光が見える。
(こいつ思考を読んだのか……テレパス?!しかし、どう言う意味だ?)
ガルンが固まっているのを見て、何故かラインフォートは薄く笑った。
「まあ……あの小娘の事を考えれば仲良く幽閉されるんだな。あちらはどのみち使い物にならんしな」
「どう言う意味だ?!」
ラインフォートの言いように嫌な予感が走る。
「まあ、本人と相談して身の振り方を考えろ。強要はせん」
クイと牢屋に顎をしゃくる。
ガルンは回りの連中に動きが無いのを確認してから牢屋に向かった。
サイドで人相の悪い小男が、鍵をくるくる回しながらゲヒゲヒ笑っているのがカンに障る。
髪と髭がバサバサに伸び放題の、チャシャ猫を潰した様な顔がにんまり笑った。
この男からも歪んだ存在の気配を感じて吐き気がする。
ガレンは頭を振って牢獄に足を踏み込んだ。
窓一つ、蝋燭一つ無い牢屋の中は闇に包まれていた。
閉鎖空間な為、空気が淀んでいる。
何か鼻をつく悪臭が辺りを包んでいた。
鎖が擦れる金属音が響いた。
眼を凝らすと人が壁に鎖で吊されているのが見える。
「カナン?」
その言葉に人影はピクリと反応した。
「ガルン……?」
蚊の鳴くような声が響く。
「ガルンは……大丈夫かな? 酷い事されて……ないかな。よく“見えないから”心配だよ」
少女は何時ものように微笑んだようだが、腫れ上がり過ぎた血まみれの顔では表情が見て取れなかった。
“原形”を留めていない。
見えないのは当然だ。両目の瞼は腫れ上がって完全に塞がれていた。
体のあちこちも欠けている。
ガルンはカナンの姿を見て絶句した。
その凄惨な拷問跡は、筆舌に尽くし難い。
心の底からどす黒い感情が噴き上がる。
「マズイ……」
と、呟いたのは廊下にいた無名と呼ばれた少年だった。
背中の大剣をスラリと抜く。
表情に緊張の色が出ている。
「何がだ?」
緊迫した無名の様子にラインフォートは顔を向ける。
牢獄から獣の咆哮のような絶叫が溢れ出した。
聞いた者の耳に残る、痛切な慟哭。
「これは……ちょっとヤバイかもね」
フィン・アビスが珍しく余裕の無い表情で構えた。
それを見てラインフォートの表情が強張る。
「何だと言うんだ?!」
ヒステリックに騒ぐ男を面倒臭そうに横目で見てから、フィン・アビスは打算的な笑みを浮かべた。
「団長は、このようなケースの事前策は何か用意してあるんでしょうか?」
「……。事前策だと?何に対たいして言っている」
「罪人がキレてその場で反旗を翻した時に、“皆殺しにならないように”する対応策ですよ。無いなら即撤退を具申します」
フィン・アビスの肩をすくめて捨て鉢気味に放った言葉を、ラインフォートは馬鹿馬鹿しいと言いたげに鼻で笑った。
「対策だと?たかが罪人に?貴様ら百人長とこの私があんなガキ一人に何を……」
その言葉は、扉が壁にめり込む轟音で途中で途切れた。
牢獄の扉をガルンが蹴り抜いたのだ。
それに驚いた髭モジャの小男は、『ヒィ』と叫ぶと三人の後に隠れた。
牢獄からゆっくりとガルンが姿を現す。
手にした大和刀は抜き放たれていた。
何故か刃から、青い光の球体。小さいシャボン玉の様な物が零れて空中に上がって行くのが不気味に映る。
無表情のガルンが幽鬼の様に振り向いた。
「……凄いな……これは。ここまで意識が漏れ出ているのは、逆に凄い」
無名は苦笑いを浮かべた。顔から冷や汗が流れでている。
「カナンに拷問をしたのは誰だ……」
無表情の顔からは感情を感じられない。しかし、その場にいた全員が心身から凍りつくような悪寒に捕われた。本能が恐怖を感じてしまっている。
成人の儀も行っていない、あどけなさが残る子供から逃げ出したい心理状態に見舞われた。
眼の前に佇むのが悪鬼羅刹だと言わんが如く。
ラインフォートは生唾を飲み込んだ。
経験則から似たような心理状態を捜し出す。
かつて天翼騎士団に仮入隊していた時に、悪魔信教の殲滅作戦に参加した時に感じた恐怖を思い出した。
周りを数十体のグレーターデーモン【貴族級魔族】に囲まれた恐怖。
眼前の少年を、その時に感じた恐怖より、さらに“恐い”と感じている事実に驚愕する。
(何だ、このガキは?!殺されるイメージしか沸いてこない?!)
ラインフォートは顔を引き攣らせた。
この場の全員が戦っても 勝てないマイナスイメージ。
それをガルンからひしひしと感じてしまっている。
「……貴様、我らに剣を向ければ死罪は確定だぞ」
「ふ……ざける……なよ。貴様らの法律なんぞ、糞くらえだ」
ガルンの目付きが険しくなる。
「ここで戦えば神誓王国全てを敵に回す事になるけど……それで生き残れると思うのかい?」
フィン・アビスは穏便に済ませたいのか、やんわりと言葉にした。
「なら国一つ潰すまでだ」
ガルンはきっぱりとそう言い切った。正気の沙汰ではない。
個人対国。
そんなものが成立しない事は子供でも分かる。
「……やったのは後の男だ」
ラインフォートが顎を向けた先には先程の小男がいた。
一瞬で青ざめた顔で震えあがる。
ガルンはゆらりと小男に向き直った。
「あれは尋問だ! 神に逆らう人間に行う責め苦だ。当然の罰だ」
「……罰? バツだとぉ? ふざけるなよ。人間の身体を切り刻んでおいて、それで済ませる気か?」
悪鬼のようにガルンの顔が歪む。
それを見て小男は恐怖に駆られて逃走を開始した。
「提案がある」
ラインフォートの言葉を無視してガルンは歩き出した。
淀みは無い。
ラインフォートは軽く舌打ちしたが、言葉を続ける。
「貴様が黒鍵騎士団に入団するならば恩赦を考えよう」
その言葉を聞いてもガルンの歩みは止まらない。
「その女、まだ、失った身体を治すチャンスがあるぞ?」
その言葉でようやくガルンの足が止まった。
鋭利な視線がラインフォートに移る。
周りの二人に緊張が走った。
「神聖魔法を知っているか? その中でも、賢者や高僧以上にしか使えない秘術に、再生の呪文と言うものがある。それならば治癒力を促進させる白魔法と違って、例え失った眼や指ですら復元可能だ。何故ならば、それは奇跡の技だからだ」
ガルンはそのまま沈黙した。
ラインフォートは話を聞く気になった事に内心、胸を撫で下ろした。
「この国の出では無い貴様には、免罪符での自由に魅力を感じないようだな。ならば……貴様が武勲を立てれば、私がハイ・プリースト以上の人間を紹介してやろう。その神の御技であの女の怪我の蘇生をさせてやる。それならば損な取引ではあるまい?」
「……」
ガルンは眼を細めるとそのまま身動きが取れなくなった。
狂気より、カナンへの想いが上回ったようだ。
だが、噛み締めた唇からは血が滲み出ている。
刀を握りしめた拳も小刻みに震えている。
心の葛藤は沈静していない。
「言っておくが、ここで貴様が牙を向けば、あの女も同じ末路を辿る事になるぞ?」
それがガルンへの最後通告になった。
ガルンは震える剣を押さえ込むと、ゆっくりと頷いた。
それを見てラインフォートがニンマリと邪悪な笑みを浮かべた。
それを見ても、今のガルンには悔しさが溢れ出てくるのを押さえる事しか出来なかった。
グラハトとの約束も、カナンとの約束も満足に果たせない。
ガルンはありったけの力で拳を壁に叩き付ける事しか叶わなかった。




