表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/11

epi.09

 翌日は土曜日で学校は休みだった。学校はなくても店は営業日だから、母さんは朝から厨房に入って開店前の仕込みをしている。そしてオレの方はいつもより少しだけ朝寝坊をして、八時半に自室のベッドから起き上がった。洗面所に入って顔を洗い、鏡の中にたたずむ自分を見て思う。いや目の下のクマすごいな、と。


 昨日は、イツキが帰ったあと焼きあがったサブレをパッキングして厨房を片づけてベッドに入ったのだけど、結局明け方までうまく眠れなかった。ベッドの中でスマホを眺めて、イツキからメッセージが来ていないことを確認する。スマホを握りしめたままうとうとと眠りに落ちかけたところで手の中の振動に起こされて、薄目を開けて画面を見ればまるで関係ない通知に腹を立てる。そんなことをしていたらすっかり寝不足になってしまった。店の開店時刻は十時だけど、オレはもう少し早く一時間前には母さんを手伝って準備を始めるから時間は結構ギリギリだ。


 大あくびをしながら店の制服に着替えてケーキの陳列をしていたら、カウベルが鳴って店の扉が開きイツキが顔を出した。壁の鳩時計を見ると時刻は九時五十分をさしている。


「おはよう」

「……おはようございます」


 イツキの声にいつもの元気がない。大丈夫か、と思いながらスタッフルームに入っていく細長い背中を見送って、やがて制服に着替えて出てきたイツキの目の下にも珍しく薄いクマが浮いていた。隣に来たイツキがケーキを冷蔵ショーケースに並べるオレを手伝いながらぽつりと言う。


「昨日はすみませんでした」

「え、うん、いや」


 あいまいな返事をするオレの顔を見ずに、ケーキを入れ終えたイツキはショーケースの引き戸をカチリと閉める。そして一言「もうしません」と言った。


「あんなこと。もう絶対にしません」

「もうしないんだ」

「先輩?」

「イツキ。オレさ」


 踏み出すようなセリフを自分から言うには勇気がいる。だけど意を決して口を開いたちょうどその時、絶妙なタイミングで店の扉のカウベルが鳴ったのでイツキは「トングとトレイ片付けてきます」とオレの耳元でささやいて厨房に行ってしまった。開店の十時を知らせる壁の鳩時計の鳴き声とともに、オレたちと同い年くらいの若い女性客が店内を見回しながら入ってくる。


「いらっしゃいませ」


 オレの声に会釈を返して、女性客は時間をかけてショーケースからケーキを二つ選んだ。オレは注文されたケーキを箱に入れてレジを打つ。


「……あの」

「はい?」


 千切ったレシートと一緒にお釣りを渡した時、受け取った女性客がおずおずと声をかけてきた。


「これ、アルバイトの鷲沢君に渡してもらえますか」

「イツキに?」


 目の前に差し出されたのは真っ白な封筒だった。反射で受け取ってしまってからオレはすぐに気づく。あ、これ受け取っちゃダメなやつだ、と。


「あの、うちの店ではこういうのは」


 顔を上げて声を発した時にはすでに遅かった。カウベルの乾いた音と共に扉は閉まり、女性客の姿は店内から跡形もなく消えている。足が速い。


「マジかよ……」


 イツキ宛の白い封筒。これはきっと噂に聞くラブレターというやつに違いない。開けばきっとうちの店で出している生菓子も顔負けの甘い言葉がせつせつと綴られているんだろう。連絡先とかも書いてあるんだろう。そんなことを想像して封筒を手にしたままレジ前に突っ立っていたら、後ろからポンと肩を叩かれてオレは思わず飛び上がってしまった。


「ぎゃっ」

「ぎゃっ、は酷いです先輩。……なんですかそれ」


 背後に立つイツキが手元を覗き込んできた。オレは封筒を隠すか見せるか瞬間的に迷って、そしてその一瞬の躊躇のせいで肩越しに伸びてきたイツキの指に封筒はあっさりつまみあげられてしまう。


「手紙?」

「そ、そう。さっきお客さんに渡されちゃって。返そうとした時にはもういなくて」

「先輩なに焦ってるんですか。知ってる人だったんですか。もしかして高校の誰かですか。なにか後ろめたいことでもあるんですか」


 白い封筒を持ったままイツキが額に青筋を立てながら顔面の圧をかけてきたので、オレはとっさに意味を図りかねて目をぱちぱちさせる。


「オレの先輩に手出すとかマジで無い……」

「おまえの先輩ではないけどな」


 反射的に冷たく訂正しながら、オレはもしかしてと口を開く。


「この手紙、オレ宛じゃないけど」

「は?」


 それを聞いたイツキがぽかんと口を開けたのでやっぱりな、と思う。どうやら誤解していたみたいだ。


「おまえ宛。バイトの鷲沢君に渡してくださいだって」

「なんだ。それを早く言ってくださいよ」

「おまえが早とちりしただけだろ。オレはラブレターなんてもらったこともないよ」


 オレの言葉に、なぜかイツキがムッとした顔になった。


「世間は見る目がなさすぎです」

「おまえが物好きなだけだから」


 そう言いながらも、オレはイツキの手の中の白い封筒から目が離せなかった。なあそれ、と言いかけたところでまた扉のカウベルが鳴る。にぎやかに話しながら入ってきた家族連れのお客さんに、オレは気を取り直して「いらっしゃいませ」と声を投げた。



 その日のバイト終わり。スタッフルームに入るイツキの後ろをオレはのこのこついて行った。用もないのに部屋に入って後ろ手にドアを閉めるオレを不思議そうに見ながら、イツキはバイトの制服を脱ぐ。Tシャツ姿のイツキにオレは重い口を開いた。


「あの手紙、読んだ?」

「ああ、はい一応。ラブレターと決まったわけじゃなかったですし」

「ラブレターじゃなかった?」

「いえ。ラブレターでした」


 イツキは小さく息を吐いて言った。


「明日の十時に東公園で待ってます、って」

「行くの?」

「はい?」


 イツキが、どうしてそんなことを聞くんだと言いたげな顔でオレを見返してくる。その不審そうな視線から逃げるように目を逸らしたオレの耳に、イツキの静かな声が届いた。


「先輩はオレに行ってほしいですか」

「え?」

「オレが行きますって言ったら先輩はどうしますか」

「どうするって、それは」


 時間稼ぎのようなつぶやきをしながら、オレは胸の鼓動がどんどん速まっていくのを感じていた。あの子はイツキに告白した。手紙という間接的な手段を取ってはいても、それは勇気ある勇敢な行動だ。だからあの子にはイツキとそういう話をする権利がある。それにひきかえオレはといえば、手紙の行方は気にするくせにはぐらかしてごまかしてずっと逃げてばかりじゃないか。


(それに、イツキはいい奴だから)

(オレじゃなくて普通に可愛い女の子と付き合った方が)


 イツキの幸せなんじゃないか。今ここでオレがあやふやな気持ちのまま駄々をこねてイツキを引き止めて、ちゃんと付き合う覚悟もないくせに思わせぶりな態度でいつまでもイツキを振り回して、そんなの途方もなく間違っているんじゃないか。だったら。


「……イツキが行きたいなら行けばいい。オレに止める権利なんか」

「わかりました」


 言い募るオレの言葉をイツキが途中でさえぎった。ハッとして顔を上げると一瞬だけ泣きそうなイツキの表情が見えた気がして、でもすぐに背中を向けられてしまってそれを確かめることはできなかった。


「イツキ、あの」

「わかりました明日会って来ます。おつかれさまでした」


 言い捨てるような言葉を残して、イツキはバッグをつかんでスタッフルームを出て行く。音を立てて扉が閉まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ