epi.10
好きな相手に好きだと伝える勇気。それはすごいことだと素直に思う。オレにはとてもできない。できそうにない。
(でも、それを言うならイツキだって)
その勇敢な行為を、初めて会った日から何度も何度も繰り返しオレにぶつけてきてくれていた。首を曲げてベッドサイドの置き時計を見る。九時二十分。昨夜はぐるぐる考えているうちにバイトの疲れでいつのまにか寝てしまっていたのだ。イツキはもう身支度をして家を出ただろうか。きっとめいっぱいお洒落してきているだろうあの子と会って、あらためて告白されて、イツキが昨日オレに失恋したと考えているならその真摯な告白に心揺らぐことだってあるんじゃないのか。さっきから頭の中は嫌になるくらいイツキのことばかりだ。
「ああもう!」
オレはがばりと身を起こして枕をつかむと部屋の壁に思いきり投げつけた。バウンドして床に落ちる哀れな枕に背を向けてベッドに逆戻りして荒い息を吐く。イツキを傷つけた。そうしたいならそうしろだなんて、責任逃れもはなはだしい最低な言葉だ。はっきりと拒絶して突き離してこなかった時点でオレはとっくに傍観者ではなく当事者だったのに。
デジタル時計の数字が九時三十分を示した時、オレはたまらずベッドから跳ね起きた。
◆
東公園は広い。園内にはテニスコートも屋外プールも陸上競技場もイベントに使われる広場もなんでもある。ふたりがどこで待ち合わせているのか手紙を読んでいないオレには分からない。分かっているのは『東公園のどこかに朝十時』たったそれだけ。
よく晴れた日曜日の朝で公園の人出は多かった。風船を持った親子連れ、犬の散歩をする老人、ジョギングをするカップル、部活の試合に来たらしきジャージ姿の中高生の群れ。オレはその中にイツキの姿を探して広い公園を駆け回った。大丈夫だ、あいつは目立つ。どんな人波の中にいたってきっとオレはイツキを見つけられる。そんな根拠のない自信を支えに目を凝らしながら走り続けて、だけど。
「いない……」
イツキの姿もあの子の姿もどこにも見つけられない。走りすぎて息が上がって、膝に手をついて呼吸を整えるオレの脇をアップ中らしき運動部員たちの列が通り過ぎていく。ファイオー、ファイオー、と運動部特有の掛け声が耳に届いてオレは顔を上げた。そうだな、ありがとな、そんな意味のないエール返しを胸中でつぶやいてそして同時に思う。オレはいったい何をしてるんだろうと。
家でじっとしていることがどうしてもできなくて衝動のままに駆け出してきたけれど、イツキとあの子を見つけたとしてオレは一体どうする気なんだ。あの子に土下座して謝って、イツキに行かないでくれと泣いてすがるんだろうか。公共の場で公衆の面前でそれはさすがに恥ずかしすぎる。オレらしくない。そう言ってオレの理性が殴りかからんばかりの勢いで止めに入ってきたけれど、オレは蒼天を見上げて少し笑った。
(なんかもう、それでもいいかも)
最後の最後、今際の際になってこんな格好悪い手段しか残されていないのも、きっとイツキの思いをかわし続けてきたオレへの罰だ。恋愛がこんなに格好悪くて恥ずかしくていたたまれないものだなんてオレは知らなかったし、のたうち回るほど向いてないからどうか帰らせてくれと叫びたくなるけれど。
「それでイツキがそばにいてくれるなら、なんでもいい……」
「オレが、なんですか?」
「ぎゃあっ」
思いがうっかり口から漏れていた。そして背後から突然話しかけられてオレは悲鳴を上げて振り返る。
「イツキ……!」
「はい。イツキですけど」
きまじめに返す彼の背後につい確認するような視線を送ってしまう、そんなオレの仕草を見てイツキは顔をしかめた。
「誰もいませんよ。オレだけです」
「え、でもあの子は」
「ラブレターっていうのは嘘です」
「は?」
イツキは上着のポケットから端を切った白い封筒を取り出して、中に入っていた紙をオレに手渡してくる。派手な蛍光ピンク色の細長い帯のような紙が二枚。
「……ライブのチケット」
「友達がバンドでギター弾いてるんです。今度ミニライブに行く約束してて、チケット渡しにきてくれた子はドラマーですね。友達の彼女です」
「なんでおまえに直で渡さないわけ」
「すごくシャイな子なんですよ」
そう言って、イツキはにっこり笑った。
「チケット、一枚は先輩の分です。ライブ一緒に行きましょ先輩」
「その前に! なんでラブレターだなんて嘘ついたんだよ!」
「なんでだと思いますか」
「質問返しやめろ」
「だって好きな人が手強すぎて全然振り向いてくれないから」
「おまえ結構悪い奴だよな」
「逃げ回るからいけないんですよ」
ああ言えばこう言う。それを聞いたオレは言葉もなく脱力して深いため息をついた。数学のノートの時といい、イツキはなにかとオレを罠にはめようとしてくる。もっと正々堂々としろよと憤慨したくなったけれどそれは違うか。いくら真正面からぶつかってもオレがはぐらかすものだから、こんなトリッキーなことを企むしかなくなったのか。そもそも告白だってとっくにされてるわけだし、ごめんなイツキ。これに関しては全面的にオレが悪い。
「なあ。おまえの言う好きな人ってやっぱりオレなの」
ぽつりと問いかけると、イツキはいよいよあきれ返った顔になった。昼の空に見えるのは太陽で夜の空に浮かぶのは月、そんな自明のことをあらためて聞かれたかのような表情で言う。
「オレの好きな人は世界広しといえどもただ一人だけです。小鳩トウマ先輩。まさかまだ伝わってなかったんですか」
「ごめん」
「何度聞かれても答えは変わりませんから」
「うん。そっか」
ことさらにゆっくりと、言い含めるようなイツキの言葉にオレはうなずき口を開く。
「オレ今まで洋菓子のことしか頭になくてロクに恋愛経験もないんだけどさ」
オレが何を言いたいのか分からないのだろう。小さく首をかしげながらも次の言葉を待っているイツキの目を見て、オレは言った。
「だけどオレがもし恋愛を始めるとしたら、相手はおまえがいい。ほかの奴じゃ嫌だ。オレは鷲沢イツキと、恋愛ってやつをしてみたい」
口から出してしまった言葉があまりに気恥ずかしくて、うつむくオレの頭の上で少しうわずったイツキの声が聞こえる。
「それは、トウマ先輩がオレの恋人になってくれるって意味で合ってますか」
「……合ってるよ」
「本当に?」
「本当に。だから走ってきたんだし」
真剣に詰め寄られるとやっぱり照れる。靴先を見ながら答えるオレの目の前で、イツキが糸が切れたようにへなへなと地面にしゃがみ込んだ。そのまま組んだ腕の中に顔を伏せてしまったのでオレは慌てる。
「え、ちょ、イツキ大丈夫?」
「大丈夫なわけないでしょう……先輩がオレの恋人になってくれたんですよ……?」
「そうだな。今日からオレはおまえの彼氏だ。愛してるぞ」
「やめてくださいふざけないで」
無理もたない心臓もたない。そんなことを小声でわめくイツキの隣にオレも一緒にしゃがみこむ。笑ってやろうと思っていたのに目の前の肩が子どもみたいに小さく震えていることに気づいてしまって、だからオレはその肩に手のひらで触れるとそっと温めるように包みこんでやった。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
次回最終回です。




