暴走の始まり
シーラは俺の身体を見て、ほとんど息を呑むように固まった。
「……アンタ、またヒールを使ったの?」
その声は怒りでも呆れでもなく、どこか恐怖に近かった。
俺は正直に頷くしかなかった。傭兵団の依頼で暴れている間、何度も致命傷を負い、その度にヒールを自分へぶち込み、気付いたら戦い続けていた。捕縛依頼だったのに、気付いたら相手方の本拠地に斬り込んで討伐まで完了していたのだから、言い訳のしようがない。
「念のため見せて」
シーラが近寄り、俺の上着を無造作に捲った。
自分でも見慣れてきているが、明らかに異様だった。
腹筋は岩みたいに浮き上がり、皮脂はどこか獣のように艶が増し、肌は異常な弾力を帯びたまま。
そして腰の後ろには、完全に骨格と連動して動いている“尻尾の芽”が出始めていた。
シーラは青ざめたまま呟いた。
「これは……魔力災害の兆候。ヒールの過剰使用で人格と肉体が変質する前段階よ。
このまま放っておけば、近い将来アンタは“別の生き物”に変わる」
俺は笑って受け流そうとした。
ただの疲労だろ、とか、戦いすぎただけだ、とか。
だがシーラの目は本気だった。震えていた。
「行こう。今すぐ。放置すれば手遅れになる」
「どこへ?」
「治癒術師ギルドの本部。専門の治癒学者がいる。あそこで暴走を止める方法を探す」
その声には、押し付けるでもなく、泣き落としでもなく、ただ俺を救うための強い意志だけがあった。
少しだけ胸が熱くなった。
俺の身体は確実に人間から逸脱しつつあるが、そんなことより──
まだ俺を“人間として扱う目”がある。
それが妙に嬉しかった。
◆
準備は短時間で終わった。
俺の医院はしばらく閉めるしかないため、常連患者にはシーラが説明に回ってくれた。村人たちは俺の突然の長期不在に驚いたが、シーラの話を聞けば納得せざるを得ない。
最後に、彼女が俺の肩に手を置いた。
「いい? 旅の途中でも“絶対に”自分にヒールを乱用しないこと。
痛みを感じるのが怖いなら私が治すから。アンタはヒールを封印しなさい」
「分かった」
正直、不安はあった。俺は痛みを嫌っている。
だが暴走して獣になるよりマシだ。
なにより──俺を信用してくれた彼女を裏切りたくなかった。
◆
旅立ち初日の道のりは、思った以上に穏やかだった。
小川沿いの道を歩き、時折行商人とすれ違い、鳥の鳴き声が森から響く。
だが俺はずっと自分の身体の違和感に神経を張っていた。
筋肉が異様に軽い。
一歩踏み出すだけで地面が遠くに感じられる。
そして獣の気配に敏感になっている。鳥の羽音ですら、視界が勝手に動き追跡しようとする。
「大丈夫?」
シーラが気遣う。
「……分からん。今はまだ理性があるが、本能が変だ。何かを狩りたい気分が常にある」
「それも症状の一つよ。だからこそ急ぐ必要がある」
彼女の声は淡々としていたが、緊張を隠しきれていなかった。
◆
昼過ぎ、街道沿いで怪我人に遭遇した。
商隊が魔獣に襲われて逃げ散ったようで、男が足を押さえて呻いている。
「シーラ、ヒールしてやれ」
「え? あなたがやるべきじゃ──」
「ダメだ。俺がやればまた暴走が進む」
シーラは黙り、俺の決断を尊重して治療を開始した。
患者はすぐに礼を言い、そのまま商隊の仲間を探しに去った。
だがその一部始終を見ていた商人風の男が俺に話しかける。
「アンタ、治癒術師の弟子か? 腕が良いようだ。
近くの街で怪我人が増えて困っていてな。金払いもいい、寄っていったらどうだ?」
俺はシーラを見る。
「……稼ぎながら進むのは悪いことじゃない。アンタの生活費も必要でしょ?」
確かに。旅は短くても数ヶ月単位になる。
治癒は俺たちにとって最も手軽な収入源だ。
その日の夕暮れ、街へ到着。
簡易的な診療所を貸してもらい、俺とシーラは次々と患者を治療した。
ただし俺は一切ヒールを使わない。
シーラが一人でやっていくのは大変だが、俺には手出しできない理由がある。
治療を終え、宿の部屋で休む。
窓から入り込む夜風を浴びながら、俺は手を見つめていた。
指先の骨格が、ほんの僅かに太くなっている。
爪は黒く硬質化し始めている。
シーラがベッドに腰を下ろし、俺を見た。
「……怖い?」
「正直な話、少しな。自分の変化が止められる保証なんてどこにもない」
「大丈夫よ。絶対に何とかする。まだ取り返しがつく段階。
アンタはまだ“人間の声”で喋れてる」
その言葉に、妙に安心した。
俺の中で何かがまだ保たれていると実感できたからだ。
「明日はギルド本部に向けて大きく距離を稼ぐ。
一気に西へ抜けて、山岳の検問所を越えるわよ」
「分かった」
旅は始まったばかり。
だが俺の身体のカウントダウンも同時に進んでいる。
暴走を止める方法を探す旅。
治癒で金を稼ぎ、生きる場所を探しながら。
俺とシーラの二人だけの、奇妙で切実な旅路が続いていく──。




