牙を隠せない者
依頼現場から戻った瞬間、槍牙傭兵団の空気は凍りついた。
「依頼違反だ。捕縛対象三名のうち、一名は重傷、もう一名は死亡。おまけに関係のない野盗を勝手に殺害……これはもう擁護できねぇ」
団長グレイは怒りを押し殺した声で言った。
団員たちは沈黙し、誰も目を合わせようとしない。
「悪い。それは認める」
「認めりゃ済む問題じゃねぇんだよ!」
グレイが拳で机を叩いた瞬間、木が砕け散った。
団員たちが息を呑む。
「……規律を守れねぇ奴は傭兵に向かねぇ。今日限りで首だ、治癒師」
「わかった」
俺は立ち上がった。
それで終わるはずだった――本来なら。
だがその時、団員の一人が雑に吐き捨てた。
「あんな獣みてぇな野郎、傭兵じゃねぇよ。檻に入っとけって話だ」
その言葉に、空気が変わった。
――檻?
胸の奥の何かが反応した。
軽い侮辱のはずなのに、頭の中で火花が散る。
「……さっきのが誰の台詞だ?」
「言ったのは俺だよ。あんた、目が――」
言葉が終わる前に、俺は一歩、その男との距離を詰めていた。
団員が武器に手を伸ばす。
「やめろ!!!」
グレイの怒号が砦中に響いた。
「これは俺の問題だ。団長としてのケジメをつける。
依頼を台無しにした責任は……俺が直接叩き潰す!」
それは意味などない決闘だった。
組織としての体面を保つための儀式――という形だが、実際にはグレイのプライドと怒り、その両方が渦巻いているのが見て取れた。
「武器は使わん。殺す気で来い」
「わかった」
俺は深呼吸し、剣を抜かず、素手で向き合った。
周囲の団員が円を作り、戦う二人を見守る。
開始の合図はなかった。
次の瞬間、グレイの巨体が突風のように迫る。
――速い。
だが見える。
世界が遅く見える。
俺はわずかに身をひねり、その拳を紙一重で避け、脇腹に肘を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
巨岩のような身体がわずかに揺れる。
続けざまに上段回し蹴りを放つ。
グレイは腕で防いだが、その腕がしびれたように下がる。
「まだだァ!」
怒号とともにタックル気味に突っ込んでくる。
俺はその首元に手を掛け、勢いを利用して地面に叩き付けた。
土煙が上がる。
「……終わりか?」
返事はなかった。
グレイは完全に動かなくなっていた。
沈黙の後、団員の一人が呟く。
「勝者……治癒師」
その声で決闘は正式に終わりとなった。
グレイは意識を失っているものの、命に別状はない。
俺は黙って踵を返し、砦を後にした。
もう振り返ることはなかった。
◆
村へ戻る道すがら、俺の身体は異常なほど軽かった。
軽いどころか、焦燥にも似た昂りが収まらない。
――また戦いたい。
そんな欲求が胸の奥から湧き出してくる。
自分でも気味が悪い。
だが抑えきれない。
村の入り口でシーラが俺を見つける。
いつもの穏やかな表情……ではない。
硬い、警戒するような目だった。
「……どうしたの?」
「どうもこうもねぇよ。傭兵団はクビになった」
「それは、聞いてないけど……そうじゃなくて」
シーラは俺の顔をじっと見た。
まるで獣医が犬の状態を確認するような、慎重な視線。
「ねぇ……笑ってみて」
「は?」
「いいから」
言われるままに口元を緩めた瞬間、シーラの表情が凍った。
「……やっぱり。牙が……生えてる」
「……あ?」
指で触れてみる。
確かに、犬歯が鋭く伸びていた。
普通の人間のそれとは違う。
刃物のような質感がある。
「あと……それ……」
シーラの視線が俺の腰の後ろへ向く。
見れば、布の上に不自然な突起。
骨が伸びている。
尻尾の“芯”のようなものが形を作りつつあった。
「……おいおい、本気かよ」
俺は乾いた笑いを漏らした。
現実味がなかった。
昨日よりも筋肉が厚くなり、体重は明らかに増えている。
こちらに来て80キロ程度だった体は、今や110キロを超えているはず。
獣のような匂いも微かに自分から漂っていた。
シーラは震える声で言った。
「……ヒールの使い過ぎ。完全に“限界”を超えてる。
身体が治癒じゃなく“変質”してるの。
あなた……もう、普通の人じゃなくなってる」
その言葉が胸に刺さった。
でも俺自身、否定できなかった。
――もう引き返せないところまで来ている。




