酒場の決闘
床には割れた酒瓶と折れた椅子。
壁には魔族の血と肉片。
さっきの乱闘で店内はほぼ廃墟と化していた。
そんな中、酒場のマスターが巨大な竜骨椅子を蹴り飛ばし、怒声を張り上げた。
「いい加減にしろテメェらッ!!
ここは“バルバロス”の縄張りだ! 勝手に殺し合いすんじゃねぇ!!」
酒場に残っていた魔族たちが一斉に黙る。
その名を聞いた瞬間、恐怖が空気を支配した。
「バルバロス……?」
俺が聞き返すより早く、奥の暗がりから足音が響いた。
ドン……ドン……ドン。
姿を見た瞬間、脳が本能で警鐘を鳴らす。
身長は二メートル半。
全身が黒銀の毛で覆われ、肩幅は俺の倍。
牙は人間の指の太さで、目は血のような赤。
狼の獣人――だが、普通の獣人とは明らかに格が違う。
「……騒がしいと思ったら。人間が暴れてるとはな」
低く響く声。
ただ歩くだけで周囲の魔力が揺れる。
マスターが震えながら説明した。
「こいつはバルバロス。
昔、魔将の近衛やってた化け物だ。
魔法、剣、体術……全部一級品。今は冒険者だが、魔族領じゃ知らねぇやつはいねぇ」
バルバロスは俺を値踏みするように睨んだ。
「お前が“噛みつく戦法”を使う人間か。
あれだけ魔族を薙ぎ倒せるなら、少しは楽しめそうだ」
楽しめる、か。
その言葉で、胸の奥の獣が跳ねた。
「やる気なら、丁度いい。俺もお前レベルとやってみたかった」
バルバロスの口角が上がる。
「気に入った。なら殺し合いだ」
するとマスターが慌てて割って入った。
「殺し合いはやめろ! うちまで壊れる!!
代わりに“素手の決闘”だ。正々堂々の勝負にしろ!」
バルバロスは肩をすくめた。
「構わん。素手でも十分に殺せる」
俺も応じた。
「素手でやろう。
……牙だけは使わせてもらうぞ」
ざわめきが起こる。
「牙!?」
「人間の癖に獣の真似事を……!」
バルバロスは面白そうに笑った。
「いい。噛みつきたければ好きにしろ。
俺も遠慮はしない」
マスターが机を叩き、場を制する。
「決闘開始は合図で行う! ルールは二つ!
一、武器魔法禁止。素手のみ!
二、倒れたら終わり! 殺すな!!」
周囲の魔族たちがリングのように円を作り、俺とバルバロスが向かい合う。
距離、三メートル。
空気が一瞬で張り詰める。
バルバロスの筋肉は鎖のように締まり、拳は岩塊のように重厚。
対して俺は、素早さと反射に特化した人間の肉体――
でも内部には無限のヒールがある。
折れようが千切れようが即座に治せる。
そして、治すたびに獣性が強くなる。
「少しは楽しませろよ……人間」
「そっちこそ、噛まれて泣くなよ」
バルバロスが拳を構える。
俺は低く腰を落とし、四足に近い体勢になる。
魔族たちが息を呑む。
「始めッ!!」
マスターの叫びが合図となった。
――バルバロスが消えた。
目で追えないほどの速度。
狼の怪力と魔族の身体能力が合わさった一撃が、正面から飛んでくる。
ドッッ!!
胸骨が砕け、背中から壁にめり込む。
肺が潰れ、血が逆流。
だが苦痛より先に、俺は叫ぶ。
「ヒールッ!!」
ズキン、と肉が再生し、胸骨が音を立てて元に戻る。
バルバロスの目が細くなった。
「ほう……本当に無限に治るのか」
「当たり前だ。ここからだぞ――!」
壁を蹴って飛び出し、四足で地を蹴る。
喉を鳴らす。
牙が走る。
バルバロスの拳を避け、肩に噛みついた。
肉を裂く音。
血が噴く。
酒場が悲鳴と歓声に揺れた。
「うおおおッ!!」
「人間がバルバロスに噛みついた!?」
「正気じゃねぇ……!」
バルバロスは振り払うように腕を振り、俺の顎を掴んで空中に投げ飛ばした。
床に叩きつけられ、背骨が折れた。
「ヒールッ!!」
再生。
即座に前転で距離を詰める。
バルバロスの動きは怪物じみて速い。
体術の技量は完璧。
ステップ、間合い、重心――全てが隙のない“武の頂点”。
だが……俺にはそれ以上の“狂気”がある。
「お前……ほんっとうに楽しいな、人間!!」
バルバロスは笑い、拳に力を込めた。
ここから本当の殴り合いが始まる。




