脱走とスカウト
研究者たちは俺の体を魔力測定具で囲い、何度も何度も魔力の流れを読み取ろうとした。しかし、彼らは皆、眉間に皺を寄せて首を振るばかりだった。
「これは……単なる魔力暴走ではない。構造が違う。理屈が通らん」
白衣の老人が額に汗を浮かべて言う。
俺の身体は、以前より明らかに“魔”に寄っていた。牙は完全に伸び、背骨の根元には尻尾のような影が生まれている。筋肉も密度が上がり、皮膚の下で獣じみた魔力が脈打っていた。
「ヒールは?」と俺が問う。
「他者への治癒は問題ない。ただ、自分への治癒は……限界がある。使えば確かに回復するが、お前の魔力構造自体が変質している。治癒でどうこうできる段階ではない」
自分へのヒールは一日三回。それだけは研究者たちが導き出した“安全圏”だった。
そんな中、シーラがぽつりと口を開いた。
「……私の村も、こうやって壊れたの」
「壊れた?」
「“変質”よ。魔族の呪術の後遺症で、村人たちは次々に獣化した。狂って、家族に噛みつき、走り回り、最終的には全員処分された。私だけが逃げられた。だから……あなたが少しずつ変わっていくのを見るのが怖いの」
その声は今にも途切れそうだった。
俺は理解したつもりだった。
だが、その裏で、胸の奥から別の感情が沸き起こっていた。
――また戦いたい。
――もっと強いやつとやりたい。
――あのとき感じた“あの飢え”を、もう一度。
まるで喉の奥が焼けつくように、戦闘への渇望が増していく。
ヒールの魔力が、戦いの興奮と結びついて離れなくなっていた。
その夜、俺はギルドから逃げた。
シーラが眠るのを待ち、静かに部屋を出て、街の門を越えた。
抑えられなかった。ただそれだけだ。
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◆魔族の群れとの激突
森に入ってすぐ、気配がした。
複数。
鋭い。
戦意むき出し。
「……ちょうどいい」
俺は剣を抜き、涎が出そうなほど高揚していた。
魔族の斥候団、およそ二十。
普通の冒険者なら逃げる規模だが、俺の脚は前に出ていた。
先に動いたのは俺だった。
踏み込み一つ。
斥候の胸を貫き、そのまま左へ薙ぐ。
飛び散る血の温度すら心地よい。
「ヒール!」
自分にかける。一回目。
筋肉が爆発するように加速し、動きがさらに獣じみていく。
「なんだこいつは!?」「人間か!?」
叫びが混乱していく。
俺の耳には、ただの刺激にしかならなかった。
二回目のヒール。
骨の軋む音すら快感に変わる。
三回目。
限界。
だが、もう充分だった。
最後の一体を喉元から裂いたとき、森は静まり返った。
息は荒れ、鼓動は耳の奥で凶獣のように響く。
足元には魔族の死体の山。
「……まだ足りねぇ」
完全に、獣だった。
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◆魔将の影
その瞬間、背後の闇が揺れた。
「見事だな。人間の枠をとっくに超えている」
振り返ると、そこには黒い甲冑をまとった巨躯が立っていた。
魔族の中でも位階の高い“魔将”。
他の魔族とは比較にならない気配だった。
剣を構えようとしたが、相手は手を挙げて制した。
「戦うつもりはない。お前ほどの怪物を殺す価値はない」
低い声が森を震わせる。
「むしろ――我が軍に来い。
お前の力は、人間より我らの方が正しく扱える。
その獣性も、渇望も、戦いへの飢えも……全部だ」
俺は口を開いた。
「……スカウトか?」
「そうだ。魔王軍第四席、“グラディウス将”より勧誘の命を受けている。お前ほどの戦闘狂を、放ってはおけぬとな」
ニヤリと笑う魔将。
「どうだ、“癒し”と“殺戮”を両立できる場所が欲しいだろう?」
胸が、妙にざわついた。
否定する理由が一つも出てこなかった。
むしろ――もっと戦える場所、もっと暴れていい環境。
そんなものを探していたのは事実だ。
だが。
頭のどこかで、シーラの震えた声がよみがえる。
“あなたが少しずつ変わっていくのを見るのが怖いの”
俺は拳を握り締めた。
魔将はゆっくりと続けた。
「返事は急がん。だが……お前は必ずこちらへ来る。
その身体はもう、人間側には戻れん。違うか?」
言い返せなかった。
俺の背からは、いつの間にか黒い尾が半ばまで伸びていた。
牙も完全に固定し、人間の形は壊れつつある。
魔将は背を向け、最後に言い残した。
「獣性を誇れ、人間。
お前はもう、“こっち側”の生き物だ」
森に溶けるように姿が消えた。
俺は血まみれの地面に立ち尽くしながら、
胸の奥で吠える“獣”を必死に押さえ込んだ。
――だが、正直なところ。
押さえきれている自信は、どこにもなかった。




