ギルドと獣化
山越えの道は長かった。
獣のように強化された身体で歩くと、通常の人間の数倍の距離を進める。
だが、それでも俺の心は落ち着かなかった。
森の中を走るだけで血が昂ぶり、牙と尻尾が無意識に反応する。
シーラは俺の横で杖を握り、静かに歩いた。
「……ヒールは今日も我慢ね」
彼女の声には緊張が混じる。
俺はただ頷いた。
数日後、ギルド本部が見えてきた。
石造りの塔がいくつも立ち並ぶ大規模な施設。
ここには治癒術師だけでなく、魔力学者や研究者が集まっているらしい。
門をくぐると、早速何人もの白衣の研究者たちが駆け寄ってきた。
「こちらが暴走個体……いや、治癒師の新たな事例ですか!」
中年の研究者が眼鏡を押し上げ、書類を手に説明を求める。
「はい。戦闘中に魔力暴走が進み、牙と尻尾が出て、皮膚や筋肉も変化しています」
シーラが簡潔に状況を報告した。
「……なるほど。これはただの魔力暴走ではないですね。
ヒールの過剰使用による自己治癒の副作用……これほどまでに身体が変質する事例は、過去にもほとんどありません」
研究者たちは眉をひそめ、資料をめくる。
いくつもの数値が飛び交い、魔力計測器が高周波の警告音を鳴らす。
俺は内心、少し笑った。
自分の変化が学術的に“珍しい”と評価されるのは面白い。
だが、理性がまだ残っている間に解決策を見つけなければ、本当に制御不能になる。
◆
治療実験が始まった。
まずは基本的なヒールの制限だ。
他人への治癒は無制限、俺自身に使う場合は一日三回まで。
それ以上は身体の変質を加速させる危険があるという。
「分かった。無理はしない」
俺は頷き、初日の実験を開始する。
小さな怪我を抱える村人の代役として、治癒の試験台になった魔族兵や訓練用人形を治す。
手を触れた瞬間、魔力が流れ込む感覚。
肌が跳ねるように温かく、筋肉がわずかに膨らむ。
だが、シーラの監視下で、俺自身の身体へのヒールは慎重に三回以内に抑えた。
◆
しかし、研究は簡単ではなかった。
研究者のひとりが眉をひそめて言った。
「……魔力の暴走は想定内です。だが、治癒の副作用として獣化の形質が現れるのは初めてだ。
牙、爪、尾、筋肉量の増加……全てが同時進行している。既存の制御法では押さえきれません」
シーラが呟く。
「やっぱり普通の方法じゃ無理ね……。でも、ヒールの使用回数制限で進行をある程度抑えられるはず」
俺はうなずき、握りこぶしを作った。
体内の獣の衝動が、暴れまわろうとする。
だがヒールを慎重に使い、理性を保ち続ける。
最初の一週間で、俺は自分自身の身体を観察した。
体毛は日に日に濃くなり、指先は硬質化が進み、尻尾の動きは完全に自然なバランスを取るようになった。
顔の牙も、完全に犬歯のように尖り、噛む力が格段に上がった。
◆
だが、治癒術師としての俺は依然として機能していた。
魔族兵の腕をヒールで修復し、重傷の患者の傷を塞ぐ。
その間、シーラが計測と記録を続ける。
「……数値的には、魔力消費は通常の二倍以上。
でも他人にヒールする場合、身体への負担は最小限に抑えられているわ」
彼女は報告書をまとめつつ、俺の顔を見上げる。
表情は少し笑みを含んでいた。
「……なるほど。これなら、旅を続けながら稼ぎも可能ね。
でも、自分へのヒールは三回まで。超えたら……取り返しがつかない」
俺は深く息を吸い、頷いた。
獣化の進行は止められないが、制御は可能。
理性が残っている間は、自分も他人も守れる。
その夜、宿でベッドに腰を下ろすと、シーラが静かに言った。
「……あなた、本当に強くなったわね。
でも、まだまだこれから。暴走を止める道は、ここから始まるの」
俺はただ頷いた。
獣の衝動はまだ熱く、牙と尻尾がうずく。
だが、ヒールを制限しながら治癒を行うことで、俺は“人間としての軸”を保てる。
――旅は始まったばかり。
だが、理性と獣性のせめぎ合いの中で、俺はまだ戦える。
そして、いつか暴走を完全に止める方法を手に入れる。




