閑話.精霊の庭
人間が寝静まる真夜中。
セリーナが眠ったことを確認し、彼女の周りに守護の結界を張ったレンは、そっとその場を離れた。
普段はセリーナの側を離れることはないが、こうして結界を張ってまで向かうのは精霊界である。
そっと念じるだけですぐに精霊界に辿り着く。そこは精霊界に生えている大樹の内側で、精霊王をはじめとした一部の上級精霊のみが立ち入ることができる。ほとんどの精霊たちは大樹の外側で体を休めたり、大樹から漏れ出る自然の力で精霊力を回復したりしている。
大樹の内側は階層のようになっており、いくつもの小さい部屋が存在する。それぞれの部屋の中にいるのは"眠りについた精霊たち"である。
ほとんどが以前人間と契約していた精霊達で、守護する人間が儚くなるとこうして傷心のあまり眠りにつく者がいる。そしてこういった精霊達に共通するのは、自分の契約者が本来の寿命を待たずに亡くなったということである。
レンは目的地であるとある部屋の中にゆっくり入った。
そこにはレンと同じように白い虎の精霊が2匹丸くなっていた。気配を感じた片方の白い虎が顔を上げると、相手がレンであることに気付き柔らかく目を細めた。
『来たのね。』
『……変わりはないようだな。』
『ええ。ようやく外傷は少なくなってきたわ。大樹の中にいてもこれですもの……苦しかったでしょうね。』
『……。』
レンは眠り続ける精霊に近付くと軽く鼻を擦りつけた。反発しないようにほんの僅かに精霊力を分け与えると、呼応するように相手の精霊力が部屋の中で光り輝いた。
『貴方の契約者は?』
『今は人間界は真夜中だ。眠ってる。それに、最近は楽しそうにしているよ。』
『よかったわね。…この子たちの分まで、貴方はその子を守らないと。』
『そうだな。』
『この子のことは心配いらないわ。何かあったらすぐに伝えるから。私は当分の間、次の契約者に出会える気配はしないしね。』
『もう前回からだいぶ経つだろう。』
『でもそんな匂いもしないし、いいのよ。この子が目覚めるのを待つわ。』
愛おしそうに眠りにつく精霊を見つめる白い虎は、レンの妻である。以前の契約者につけられた名はマリー。
精霊達は、次の契約者を見つけるまでは以前につけられた名前を使い続けている。
精霊は、力が強い上級精霊になるほど自我をしっかり持っているため、意思疎通も滞りなく行うことができ、守護相手も自分の意思のみで判断する。ほとんどの精霊は、"この人だ〜"、"いい匂いだ〜"と半ば直感的(適当とも言う)に守護相手を決めてしまう。
自分の意思でのみ決めるという点から鑑みても、人間と契約する精霊達の守護相手への思い入れは相当深いものがある。
『……まあ気長に待つのもいいな。私もセリーナが久しぶりだ。』
『そうだったわね。精霊王なんて大層なもの引き受けてきた途端に見つかるんだから不思議ね。』
『あれは引き受けたんじゃないぞ、無理矢理やらされる羽目になったんだ。』
『でも貴方、大したことしてないじゃない。』
『セリーナの相手で手一杯なんだ。』
妻であるマリーは静かに首を横に振った。
精霊王といっても、やることは決まっていない。世襲制でもなく、大体はその時の精霊王が眠りにつく際にその場で指名(ここでも適当といえる)されることが多いが、前精霊王は現在も元気に人間界で過ごしている。前精霊王は真面目であったため、守護相手を決めずに精霊界だけで過ごしている者に斡旋のようなことをして精霊としても成長できるよう促していたが、レンは全くそういったことは向いていない。本人達の好きにすればいい、という完全な放任主義である。
だが放任といっても、精霊界の掟を破る者には容赦なく罰を与えた。普段の行いをいちいち気にすることはしないが、秩序を乱すような者への対応は前精霊王より厳しかった。
『まあ、いいけれど。あなた怖がられてるわよ、程々にしなさいな。』
『間違ったことをしている者にはきちんとそれを伝えなければ相手のためにもならん。精霊界にもよくない。
怖がられていようが、それは私の信念だからどうしようもない。文句ならあいつに言ってくれ。』
『あの方も契約者につきっきりで精霊界にはずっと戻ってきてないわよ。』
『……あいつの契約者が、例の件をまだ諦めていないようだ。それに付き合っているんだろう。』
『そう……ローゼン様が。何か分かるといいわね……この子のためにも。』
二匹は十年近く眠り続ける我が子を見つめた。規則正しい寝息をたてているが、起きる気配はない。
大樹の力によりある時に負った外傷はだいぶマシになったが、目に見える傷よりも心の傷に耐えきれず眠りについている。
『……もしかしたら、という奴らはいるんだ。だが、あくまで私はセリーナを守ることを最優先にする。だから……現時点で私から動くことはない。』
『ええ……それでいいのよ。私たちも複雑な気持ちはあるけれど、復讐の気持ちに囚われたら大事なものを失うわ。』
『……彼らのところに寄ったら、もう戻るよ。セリーナが心配なんだ。』
『ええ、気をつけてね。』
レンは名残惜しさを感じながらも部屋を後にする。続けて立ち寄った部屋には、二匹のライオンが眠っていた。こちらも眠りについて長くなるが、一匹は我が子と同じように体の所々に外傷が残っていた。大樹の中にいながら未だに治らない傷を持つ精霊達を見て、当時の凄惨な状況が目に浮かぶようであった。
レンは悲しげにため息をつくと、先ほどと同じように自分の精霊力を分け与える。僅かだが、呼応した精霊力が部屋の中で光る。
それを確認するとレンはまた静かに部屋を出た。ここ何十年かは、精霊にとっても無視できないことが起きている。前精霊王は契約者と一緒にその解明に奔走しているようだが、一筋縄ではいかないだろう。
『……それでも私は、精霊王としてのことよりも、セリーナを守ることを選ぶ。』
覚悟を決めたように一人呟いたレンは、また静かにセリーナの元に戻っていったのだった。




