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7. 近づく距離

 王都へ向かう馬車の中で、シャルロッテとアロイスは並んで座っていた。

 あの話し合いの後、すぐに出発することになった。一人では行かせられないとアロイスが護衛を申し出てくれて、二人で公爵家所有の馬車に乗り込んだ。


 そうして今、神官長と宰相たちの馬車の後に続いて街道をひた走っている。

 

「先ほどは驚きました」

 

 後ろに流れていく景色を眺めていると、アロイスがおもむろに口を開いた。

 

「あの二人を相手にあそこまではっきり言い返し、私たちのことを護りたいと言ってくださるとは。ありがとうございます、シャルロッテ嬢」

「私もです。アロイスさんが、私のためにあんなに怒ってくれて嬉しかったです」

「女性の前で声を荒らげるだなんてお見苦しいところを……。頭に血が上ってつい呼び捨てにしてしまいましたし」

 

 あの王者の咆哮のような彼の言葉を思い出す。感情を剥き出しにした彼に「シャルロッテ」と呼ばれ、あのとき本当は不謹慎にも胸が高鳴っていたのだ。

 

「もう呼び捨てでは呼んでくれないのですか?」

「え?」

「アロイスさんになら……、何と呼ばれても嬉しいです」

 

 彼の目が見開かれ、じっと見つめられる。翡翠色の瞳は吸い込まれてしまいそうなほどに澄んでいた。

 大胆なことを言ってしまったと、後から羞恥心が襲ってくる。ぽぽぽっと頬が赤く染まったのが自分でも分かった。さっと顔を背けるが、きっと気づかれているに違いない。

 

「……それでは、愛称でお呼びしても?」

 

 返事の代わりにこくりと頷く。

 

「そうですね……。ロッテ、シャーリー……」

 

 彼の声が室内に響く。この狭い空間に二人きりだということを嫌でも意識させられる。そもそも、なぜ当たり前のように並んで座っているのだろうか。決して嫌なわけではないけれど。

 

「シャルティ」

 

 聞き覚えのある呼び名に思わず反応して顔を上げる。至近距離で目が合い、さらに顔が熱くなった。不自然にならないように少し距離を取る。

 

「それ、子供の頃の愛称です。両親からそう呼ばれていました」

「そうでしたか。……思い出の名で呼ぶ許可をいただけますか?」

「はい。また誰かにそう呼んでもらえるなんて思いませんでした」

「光栄です。ではシャルティも私のことは愛称で呼んでください」

「えっ」

 

 まさかの提案に固まってしまった。アロイスは楽しそうにこちらを見ている。

 

「え……えと……ええと……あ……アロイスさんが子供の頃はなんて呼ばれてたんですか?」

「それが、愛称は特にありませんでしたね。普通に今と同じくアロイス、と」

「そ……そうなんですか……アロイス……あろいす……」

 

 その四文字が頭の中をぐるぐる回る。誰かのことを愛称で呼ぶことも、ましてや愛称を考えることも初めてだ。何をどうすれば喜んでもらえるのか分からない。

 たっぷり数分考えこんで、

 

「…………アル、とか……?」

 

 おずおず彼の顔を見れば、嬉しそうに破顔していた。

 

「ありがとうございます。ぜひそう呼んでください」

「はい、アルさん。アル様?」

「アルで構いませんよ。話し方も楽にしてください。私もそうさせてもらいますから」

「な、慣れてなくて……頑張る、ます」

 

 変な話し方になってしまい、アロイスは顔を背けてふっと吹き出した。肩が小刻みに揺れている。

 

「ひどい!」

「す、すみません。ふふふ、可愛らしくて」

「かわっ……⁉ そ、そういうアルも口調は今まで通りじゃないですか」

「本当だ、意外と難しいですね。少しずつ慣れていきましょう」

 

 彼は本当に楽しそうに笑っていて、つられて笑ってしまう。

 いわば敵の本拠地に乗り込むというのに、こんな調子で大丈夫かしらとシャルロッテは思った。

 

(それに、早く着いてくれないと心臓がもたない……!)

 

 そんな彼女の胸のうちなどつゆ知らず、馬車は一定の速度で走り続けるのだった。

 

 

 

   ◆◇◆

 

 

 

 神殿前の広場には多くの人々が詰めかけていた。

 魔獣に襲われ怪我をした者、恐れて逃げてきた者、新しい聖女を一目見ようという者、理由は様々だった。

 神殿に呼び出されたヘンリクとロジーナが姿を見せると、人々は一斉に非難を浴びせた。

 

「おい、俺の村が魔獣に襲われたんだ! どうしてくれる!」

「うちの人は足を怪我して歩けなくなっちまったんだ、どうやって飯を食っていけばいいんだい!?」

「うちんとこでは作物の育ちが突然悪くなったぞ」

「今まではこんなことなかったのに。今の聖女様になってから急にだよ」

 

 ヘンリクは野次を飛ばす民衆をちらっと見て舌打ちした。

 この間から何かがおかしい。あの平民女を勝手に追い出したことで父からも咎められた。しかしその後ロジーナは無事新たな聖女に就任したから、なんだかんだ言いつつ認めてくれたのだと思っていた。

 

 だが結界が破られたことでまたしても厳しく叱責を受けた。

 なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのかと苛立ちが募る。隣を歩くロジーナは青い顔で俯き震えている。

 

「くそっ、平民どもが好き勝手言いやがって……おいロジーナ、お前この間から変だぞ。結界くらい早くなんとかしろよ」

 

 横を歩いていたロジーナは俯いて足を止めた。何かをぶつぶつ言っているが、小声すぎてよく聞こえない。

 

「ロジーナ?」

「無理……もう無理」

「え?」

 

 そのとき、広場には群衆を掻き分けるようにして馬車が入ってきていた。人々は驚いて左右に退き道を空ける。神殿所有の馬車から顔色の悪い神官長と宰相が降りてきて、人々の非難の矛先はそちらに移った。

 しかし、その後ろの公爵家の紋章がついた馬車から人が降りてくると怒号が止んだ。

 

 精悍な顔立ちの貴公子の手を取って馬車から降りてきたのは、はっとするほど美しい女だった。蜂蜜色の艶めく髪は陽の光を受けて輝き、同じ色の長い睫毛が頬に影を落としている。立ち姿は凛として、その場を飲み込む気品があった。シンプルだが上質なグレージュのドレスが彼女の華やかさをよく引き立たせている。彼女自身が光り輝いているようだった。

 

 それがかつて自分が追い出した元婚約者だと、ヘンリクは一目では気がつかなかった。馬車に刻まれたクローネンリヒト公爵家の紋を見て、そういえば公爵家に保護されたという話を耳にしたような……まさか……と、あの冴えない平民女と目の前の女神の写し身のような女とがやっと結びついたのだ。

 

 惚けた顔をして見つめていると、元婚約者は民衆に向かって優雅に礼をした。そして貴公子の腕に手を添えて、並んで神殿へと入っていく。

 

 しばらくその場に立ち尽くしていたが、我に返ると動こうとしないロジーナを引っ張るようにして神殿へ駆け込んだ。


 あれだけ美しいと思っていた彼女が、今はなんだか色褪せて見えた。

 

 

   ◆◇◆

 

 

 広場に集まった民衆は皆、一様に暗い顔をしていた。それがある時を境に一斉に気色ばみ怒号が飛ぶ。馬車の中からその様子を見ていたシャルロッテは、外に出るのが恐ろしくなってしまった。

 

(こんなことになっているなんて)

 

 勝手に出て行ったことを責め立てられたらどうしよう、とこの期に及んで自己保身に走ってしまう自分が嫌になる。それでも行かなくてはならない。大切な人たちを守るために。

 

「大丈夫ですよ。私がついています」

 

 それを察してくれたのか、アロイスがそっと背中を撫でてくれた。

 

「アル……」

「行こう、シャルティ」

 

 馬車の扉が開けられ、まずアロイスが降りた。手を差し出されたので手を重ね、ドレスの裾を踏まないように少し摘んで降りる。

 

 久々に見る神殿は、いつものように変わらず静かにそこにあった。灰色の檻にしか見えていなかった建物は、今は荘厳な雰囲気を醸し出しているように見える。心に余裕ができたからそう見えるようになったのかもしれない。

 

 あれだけ広場を包み込んでいた喧騒はいつの間にか止んでいた。人々が皆こちらを見ている。一瞬どきりとしたが、攻撃的な雰囲気ではなさそうだった。


 シャルロッテはアロイスから手を離し、彼らに向かって頭はあまり上げずにスカートを摘み腰を落とした。にわか仕込みのカーテシーのようなものだが、足がもつれることなく上手くできた、と思う。

 

 ほっと息をつくと、アロイスが今度は右腕を差し出してきた。彼を見上げながら左手を添え、自然に一歩踏み出す。緊張はするが、いつかのようにガチガチになることはなかった。

 

「ね? 大丈夫だったでしょう」

「はい……アルがいてくれてよかった」

「皆シャルティに見惚れてましたよ」

「ふふ、そんなことありませんよ」

 

 アロイスが冗談で和ませてくれたので、いい具合に肩の力が抜けた。あとは結界を張り直して家に帰るだけだ。シャルロッテは小さく「よしっ」と気合を入れて神殿の扉を開けた。

 

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