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5. 王都からの使者

 一方その頃、王城内のヘンリクの自室ではロジーナが祈りのポーズを取っていた。真っ白な生地に金のラインが入った、シルクで作られた特別製の聖女用の服に身を包んでいる。

 

「ふう、結界を張り続けるのも大変だわ」

「ロジーナ、疲れたならちょっと休んだらどうだ?」

「ありがとうヘンリク。でもシャルロッテ様に命令されていた以前と比べて、ずっとやる気が漲ってるの。正式に聖女に任命されたんだもの。これぐらいで休んでいられないわ」

 

 その返事を気にすることなく、二人掛けのソファに肘をついて座っていたヘンリクが手招きする。ロジーナは「んもぅ」と文句を言いつつ満更でもない顔をして、彼の膝の上に跨がって座るとそのまましなだれかかった。

 

「美しく勤勉で全く素晴らしいなロジーナは。サボってばかりだったあの平民女とは大違いだ。これまでもほとんどロジーナがこなしていたんだろう?」

「ええ。私が祈りを捧げ、雑用も片付けて……。その間、シャルロッテ様は居眠りを……あ、いえ、そんなはずないわ。きっとお疲れだったのね。でも私が代わりにやっておかないと、後でご気分を害されるから……。今思えば、あれも聖女になるための試練だったのかもしれないわね」

「聞けば聞くほど何という女だ。あんな女と長年婚約していたなんて反吐が出る」

「でももう過去のことよ。女神は正しき者を選び、やっとヘンリクとも結ばれたんだから。あんな人のことは忘れて、私のことだけを見て?」

「ああ、愛しい俺のロジーナ」

 

 ヘンリクが愛する婚約者の細い腰を抱き寄せ、唇を重ねようとしたその瞬間。

 ドンドンドン!と乱暴に扉を叩かれ、返事も待たずに血相を変えた近衛騎士が駆け込んできた。

 

「殿下! 大変です!」

「何だお前は! 王子の私室に勝手に入ってくるとは何事だ、首を刎ねられたいのか!」

 

 恋人との睦み合いを邪魔されたヘンリクは、苛立ちを隠そうともせず乱れた胸元を正した。腕の中のロジーナもムッとした顔で振り返る。

 

「そんな事を言っている場合ではありません! 結界が破れ、そこから魔獣が入り込んでいます」

「はあ? この間もそう言ってロジーナが塞いだばかりじゃないか。そんなことあるわけないだろ」

「それがあるからこうして申し上げているのです!」

「うるさい奴だな……仕方ない。ロジーナ、さっさと張り直してやれ」

 

 やれやれといった調子で前髪をかき上げながらヘンリクが言うが、彼女は一向に動こうとしなかった。小刻みに肩が震えている。

 

「……ロジーナ?」

 

 腕の中に収まる彼女の顔は蒼白で、明らかに引きつっていた。

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 薔薇園散策の数日後。公爵邸のドローイングルームではシャルロッテとヨゼフィーネがソファに並んで座り、真新しいハンカチに刺繍を刺していた。

 

 あの日のお詫びとお礼に何か出来ないか詳細はぼかしてヨゼフィーネに相談してみたところ、「あの子のイニシャル入りのハンカチを贈ってはどうか」と提案された。

 刺繍をするのはもちろん初めてだ。ヨゼフィーネに丁寧に教わりながら、たまに針を指に刺しつつ一時間以上も真剣にチクチクチクチク刺し続けている。

 

「できた……!」

 

 最後に糸をぱちんと切ると、シャルロッテはハンカチを刺繍枠から取り外し、広げて翳してみた。イニシャルには彼の瞳と同じ翡翠色の糸を使った。その上に、自分が一番可愛いと思う動物を小さくワンポイントとして入れてみた。そちらは少し不格好になってしまったが、初めてにしては上出来だろう。

 

「まあ、見せてみて。……そ、そうね。とっても個性的で素敵だわ。イニシャルもバランスよく刺せてる」

「ヨゼフィーネさんのおかげです。アロイスさんに喜んでいただけたらいいのですが」

「シャルロッテさんがくれるものならその辺の小石だってありがたがるわよ、あの子」

「そんな、まさか」

 

 キャッキャと女子二人で話に花を咲かせていると、タイミングよくアロイスがやって来た。

 

「二人とも、ここにいたんですね」

「あら、ちょうどいいところに。シャルロッテさん、さあ」

「はい」

 

 ヨゼフィーネに背中を押され、シャルロッテは出来上がったばかりの刺繍入りハンカチを差し出した。受け取ってもらえなかったらどうしようと、緊張でかすかに手が震える。

 

「アロイスさん、先日はどうもありがとうございました。これ、お礼と……ご迷惑をお掛けしてしまったお詫びです。よかったらお使いください」

「気にしなくてよかったのに。でも、ありがとうございます」

「初めて刺繍したので下手で恥ずかしいのですが……」

「そんなことありませんよ。とても可愛いです、このネズミ」

「それ、うさぎです」

「え」

 

 アロイスはハンカチをまじまじと見て「うさぎ……」と小さく呟くと、咳払いをひとつして、

 

「大切に使わせてもらいますね」

 

 と言い、口元を綻ばせながら不格好な刺繍を指の腹でなぞった。その顔にはほんのり朱が差していて、とても嬉しそうに見えた。

 

(アロイスさん、本当に好きなのね……ネズミが)

 

 ヨゼフィーネの言葉通り、喜んでもらえたことにほっとする。もしまた刺繍入りの物を贈ることになったら次こそネズミを描いてあげよう、とシャルロッテが明後日の方向に決意を固めていた時。

 焦ったように扉がノックされ、「奥様、大変でございます」と慌てた様子の執事が入ってきた。ヨゼフィーネの耳元で何かを伝えると、彼女は眉間に皺を寄せて不愉快そうに顔を曇らせた。

 

「まあ……今さら何の用かしら」

「どうなさいますか」

「そうね、主人が留守だからと追い返してもいいけれどまた来られても面倒だし……いいわ、私とアロイスが対応します」

 

 シャルロッテとアロイスは顔を見合わせた。何か良くないことが起こったのは明白だった。

 途端に部屋の空気が重苦しくなる。

 

「母上、何事ですか?」

「……王宮から使者が来たらしいのよ」

 

 ヨゼフィーネはちらとシャルロッテを見て、視線を外してから言いにくそうに口を開く。

 

「シャルロッテさんに、戻ってきてほしいのですって」

「え……!?」

「何を今さら勝手なことを」

 

 思いがけない言葉に頭を殴られたような衝撃が走った。夢から覚める時間だと言わんばかりに頭の中で警笛が鳴る。心臓がばくばく大きな音を響かせ、真っ直ぐ立っていられなくなる。

 

 シャルロッテがクローネンリヒト公爵家に身を寄せていることは、念のため公爵から王家に伝えてあるそうだ。『そちらが手放してくれたおかげで我が家に可愛い娘が出来た、今後一切何も心配しなくてよい』と皮肉交じりに報告しておいたと、いつかの食事の席で教えてくれた。

 

 何が起こったのか知らないが、まさか直接公爵家まで連れ戻しにやって来るなんて。ついさっきまで、あんなに楽しく過ごしていたのに。

 

 ふらりとよろけるとアロイスが肩を支えてくれた。室内を見やるとヨゼフィーネも執事も皆心配そうにこちらを見ている。もちろん、今隣に立ち肩に手を置く彼も。

 

 ――ああ、この人たちは皆自分のことを大事にしてくれている。もう独りぼっちではないのだ。

 

 シャルロッテの胸の奥に温かい何かが芽生え、そこから力が湧いてくるような気がした。聖女の力とは違う、何か。

 

「顔色が悪いです、シャルロッテ嬢はここでお待ちください」

「いいえ、私も同席させてください」

 

 普段よりも幾分か力強い声が出た。

 シャルロッテはアロイスを見上げ、次にヨゼフィーネを見つめた。いつの間にか震えは止まっていた。

 

「私もこちらの……クローネンリヒト家の一員であると胸を張って言うために、過去は自分で断ち切りたいんです」

 

 その瞳には今までになく強い意志が宿っていた。もう、あの迷子になっていた哀れな少女の姿はどこにもない。

 ヨゼフィーネは感慨深げに微笑んで頷き、指示を飛ばす。

 

「一番狭い客間にお通しして。シャルロッテさんは着替えていらっしゃい。時間がかかっても構わないわ」

「分かりました」

「ふ、先触れも無しにやって来るなんてどこまで公爵家(うち)を馬鹿にしているのかしら。出方によってはこちらも色々と考えないといけないわね」

 

 母は片眉を下げて意地悪そうに笑った。

 

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