3. 公爵家での日々
「それでは何かありましたらお呼びください」
「ありがとうございます。何から何まですみません」
「謝らないでください。聖女様は本来この国の女性の中で二番目に尊い身分のお方ですよ。それがなぜあんな目に……」
あの後は夕飯のあまりの豪華さに驚き、メイドにつきっきりで入浴の世話までしてもらい、眩暈がしそうになるほど贅沢な時間を過ごした。
入浴の介添えについては丁重に辞退しようとしたが是非にと押し切られ、「おいたわしや……」と呟かれながらピカピカに磨かれた。
その間にシャルロッテ専用の部屋の準備ができ、アロイスに案内されて今に至る。
部屋の中は先ほどの客間よりも広く、豪華なシャンデリアが柔らかく照らしていた。金糸の刺繍が入ったベビーピンクのカーテンに、猫足のソファとローテーブル。飾り棚や天蓋付きのベッドにも繊細で優美な装飾が施された、白とパステルカラーの可愛らしい部屋だった。
本当にここを使ってもいいのか、何かの間違いではないかと目をぱちぱちさせて聞いてみたが、好きにお使いくださいと笑うだけだった。
お休みなさいと言いあって別れ、ベッドに潜る。
普段は肌にちくちく刺さる毛羽だった毛布とも呼べない代物を使っていたため、この肌に吸い付くような感触の布団はなんだか落ち着かない。
なぜ自分は今こんなところにいるのかと不思議に思う。こんな良い思いをしていいのだろうか、と。今朝まではいつもと変わらない生活をしていたのに。
(明日の朝起きて、夢だったら嫌だな……)
どうか消えませんようにと願いながら、すぐに眠りに落ちた。
◆
翌日、早朝に起き出して掃除をしようとするとメイドがすっ飛んできて止められた。それどころかもっと寝ていて大丈夫ですよとまで言われ、戸惑いながら朝食の時間まで部屋で所在なく過ごす。
朝食は四人で楽しく会話を交わしながら取った。初めて白くて温かいパンを食べ、美味しすぎて食べ終わるのがもったいないと思った。それを伝えると公爵とアロイスは眉を顰め、ヨゼフィーネには抱き締められた。
ここに来てから一週間が経った今も習慣が抜けずに短時間だけ祈りを捧げるが、今は国のためではなく公爵家のために祈っている。あれから一度も倒れたことはない。
何もしなくても怒られず、好きなことをして過ごしていいと言われている。
自分は何が好きなのかも分からないので、ひとつひとつ探している最中だ。もちろん公爵家の人々は使用人も含めて皆大好きだと、自信を持って言える。
「まあまあまあ! このドレスもよく似合っているわ。さっきのも良かったけれど、何でも似合うのねえ」
それからさらに経ち、公爵邸での生活にも慣れ始めた頃。外見も気力体力ももうすっかり回復したヨゼフィーネは仕立て屋を呼びつけた。
仕立て屋は公爵夫人の部屋を埋め尽くすほど大量のドレスを持って参上し、シャルロッテはわけも分からぬまま着せ替え人形になっている。
「今日のところは既製品で我慢してちょうだいね。すぐにあなただけのドレスを仕立てさせるわ」
「し、仕立て? ……私にですか!? そんな、受け取れません! もう何着も頂きましたし……。こんな立派なドレス、私には着こなせません」
「あんなの間に合わせよ。私の若い頃のドレスなのよ? それに鏡を見てご覧なさい、こんなに可愛いじゃない。それとも、遠慮ではなくて本当に迷惑かしら?」
姿見には美しく着飾った困り顔の自分の姿が映っていた。
髪は綺麗に結われ軽くお化粧までしてもらい、まるで自分ではないようだった。
かつてヘンリクとのお茶会のために王宮へ出向くたび、同年代の令嬢の姿が目に入った。華やかな彼女たちに比べて、最低限の修道服しか与えられていない自分。
豪華なドレスやきらびやかな宝石が欲しかったわけではないが、何も思わなかったわけでもない。
ヘンリクは飾り気のまるで無いシャルロッテを見るたびに、あからさまに嫌な顔をしてため息をついた。「平民風情が、王族と婚約できたことを光栄に思え」だとか、「少しは可愛げのある女ならよかったのに辛気臭い女だな」だの、延々文句や愚痴を聞かされたものだ。
いつもいつも、身が縮む思いだった。
こんなにお洒落をしたのは生まれて初めてで、嬉しくないわけがない。物自体もそうだが、こんなに良くしてくれるヨゼフィーネの気持ちそのものが。
「そんな……嬉しいです、とても」
はにかむシャルロッテを見て、ヨゼフィーネはうんうんと満面の笑みで頷いた。そして、
「シャルロッテさんが試着したドレスは全て置いていってちょうだい。アクセサリーはひとまず私のを使ってもらうとして、靴と帽子ももっと必要ね」
「承知いたしました、奥様」
「ヨゼフィーネさん⁉」
彼女は止まらなかった。シャルロッテはおろおろして止めようとするが、「私、あなたみたいな娘が欲しかったのよ!」と別人のように生き生きした笑顔で言われてはそれ以上口を挟めなくなる。
その様子をソファに座って見ていたアロイスは苦笑しながら立ち上がった。
「母が申し訳ありません。でも、好きにさせてあげてください。こんなに楽しそうな母を見るのは久しぶりです」
「い、いいんでしょうか……」
「もう、アロイス。シャルロッテさんにもっと他に言うことはないの?」
「母上が……いえ、なんでもありません」
そう言うと彼はシャルロッテに向き直り、じっと見つめて微笑む。
「良くお似合いです、シャルロッテ嬢」
「あ、りがとう……ございます」
優しく包み込まれるような視線と言葉に、またしてもシャルロッテの心臓が震えた。途端に彼の顔を見られなくなる。
呼び名についてはここにお世話になり始めてすぐの頃に、「聖女様」ではなく名前で呼んでくれるよう自分からお願いした。だというのに、いざ呼ばれるとくすぐったい。
(なんだろう、最近何かおかしい。アロイスさんと話してると落ち着かなくなる……けど、嫌じゃない)
会話の先が続かなくて、二人の間に沈黙が降りた。変に思われていないかそわそわする。
なぜか熱くなった頬を抑えて視線を泳がせていると、アロイスが口を開いた。
「庭園の薔薇が見頃なんです。よければ見に行きませんか?」
「ばら」
「ええ、薔薇です。珍しい品種もあるんですよ」
「見たいです、ぜひ」
つい前のめりになって答えると、彼は嬉しそうに右腕を差し出してきた。シャルロッテはぎこちなく右手を添え、ぎこちなく微笑む。
これまで生きてきた中で誰かにエスコートされることなんてなかったので、初めてこうされたときは何も分からず固まってしまった。見かねたヨゼフィーネが「こうするのよ」と教えてくれて、それ以来彼女から簡単なマナーを習っている。
使いどころなんてないんじゃないかと思いつつ、万が一にも公爵家の人々に恥をかかせるようなことがあってはならないと必死に学んでいるところだ。
アロイスも暇を見つけては屋敷の庭や街に連れ出してくれるので、その度に実践練習をさせてもらっている。その成果は……まあ、見ての通りだ。
けれど彼はシャルロッテが失敗しても笑わず、むしろさりげなくカバーしてくれるので、彼女も気後れすることなく積極的に取り組めている。
今日の庭園散策も、きっと楽しいものになる予感がした。




