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2. 夢か他人事か

「私はアロイス・フォン・クローネンリヒトと申します」

 

 ふかふかの座り心地が良い馬車の中で改めて自己紹介をしてもらう。

 彼はクローネンリヒト公爵の嫡子で、今日は用事があって街に出ていたらしい。それが済んで帰ろうとしたところで、たまたまあの事故を目撃したそうだ。

 

「お母様のご病気、私でお役に立てれば良いのですが……」

「国中の医者に診てもらいましたが、全員に匙を投げられてしまったのです。聖女様にお会いできないか何度も神殿に頼んだのですが、それも断られてしまって……お会いできて本当に幸運でした。貴方だけが頼りなのです。無理を言って申し訳ございませんが、どうか」

「あっ、頭を上げてください。私にできる限りのことはします。でも、その……」

「分かっております。万が一上手く行かなくても、貴方を責めはしません」

 

 その言葉にほっと胸を撫で下ろす。これまで聖女の力はほとんど国に結界を張るために振るってきた。たまの慰問で怪我や熱病程度なら癒やしたことがあるが、命にかかわるような重篤な病を治したことはない。

 先ほどの少年も救えるか分からなかったが、気づけば体が勝手に動いていた。

 

(絶対に治せるとは言えない。でも……私の力で救える人がいるなら、できる限り力になりたい)

 

 胸元で両手を合わせてぎゅっと握る。

 

「全力を尽くします」

 

 アロイスの翡翠色の澄んだ瞳をしっかり見据えて言うと、彼は目を瞠って涙ぐんだ。

 

「ありがとうございます、聖女様……」

「お礼を言うのはまだ早いですよ」

 

 公爵邸に向かうまでのつかの間、馬車の中には朗らかな空気が満ちていた。

 

 

 街の一番高台にある公爵邸は、門扉から玄関までもずいぶん距離があった。

 完璧に手入れされた花壇や芝生が左右対称に広がっている。馬車はそのまま敷地内を進み、玄関の前で止まった。

 

 屋敷の中はやけに静まり返っており、使用人たちは慌ただしく行き交いながらも、足音を立てないよう気を遣って歩いていた。

 

「母上、失礼します。今日は聖女様が来てくださいましたよ」

 

 公爵夫人の部屋は薬や病人特有の匂いがしたが、掃除が行き届いており清潔だった。窓は開け放たれ、部屋の中にはもう西日が差している。

 

 天蓋付きのベッドの上には痩せ細った女性が横たわっていた。アロイスが声を掛けても目は虚ろで何の反応もなく、起きているのかも分からない。まだ40代前半くらいに見える彼女は、それでもかつては美しい女性だったことが見て取れる。

 

 彼はシャルロッテを振り返り、母親に聞こえないよう小声で耳打ちした。

 

「……三日ほど前から症状が悪化してこの状態なんです。医者からはもう長くはないと言われています」

「分かりました。お母様のお名前を教えてもらえますか?」

「ヨゼフィーネです」

 

 シャルロッテは頷いて、ベッドの脇に膝をついた。

 

「ヨゼフィーネさん、初めまして。シャルロッテと申します。今から私の力を流し込みますので、体が暖かくなるかもしれません。びっくりしないでくださいね。失礼します」

 

 ヨゼフィーネのほとんど骨と皮だけの手を取り、両手で握って額をつける。

 体の奥から湧き上がってくる聖女の力を手のひらに集め、彼女に流し込んでいく。一気に注ぎすぎないようゆっくりと、確実に。

 

 温度のない手がじわーっと温まっていく。それに反応したのか、指先がぴくりと動いた。


 彼女はまだ確かに生きている。絶対に助けたい。


 後ろから小さく息を呑む音が聞こえた。さらに祈りを捧げると、シャルロッテとヨゼフィーネの全身を金色の光が包んだ。

 

(だめ、まだ足りない)

 

 彼女の顔色は変わらず、まだまだ時間がかかりそうだった。

 

(でも手応えがある。あとは私次第……。力を出し切ることには慣れてるわ。同じことをずっと続けてきたんだから。もっと……もっと……)

 

 シャルロッテの額には汗が浮かんでいたが、彼女は気にすることなく祈り続けた。

  

 

   ◆

 

 

 気がつくと、ふかふかのベッドに寝かされていた。

 背中が痛くないことを不思議に思いながらシャルロッテが体を起こすと、近くにいたメイドが「奥様! 坊ちゃま! 聖女様が目を覚まされました!」と大声を上げながら慌てて部屋を出ていった。

 

(あれ……私、どうしたんだっけ。ここどこ……?)

 

 ぼうっとしながら部屋を見回す。天井は高く、大きなシャンデリアが輝いている。豪奢なソファに緻密な彫刻が施されたマントルピース。

 もう夜になったのか、ネイビーのベルベットカーテンは閉められている。

 自分がここにいるのがあまりに場違いな気がした。

 

「そうだ、ヨゼフィーネさんは!?」

 

 やっと頭がはっきりして、慌ててベッドを降りる。

 絨毯に足を下ろすと、あまりの柔らかさに驚いて足を引いた。

 

「び……っくりした……、靴なしでも歩けそう」

 

 しかし本当に裸足で歩くわけにはいかない。

 履いていた靴の横に毛足の長い室内履きが置かれていたが、自分のボロボロの靴を履いた。

 

「聖女様!」

 

 そこにアロイスと、彼とメイドに支えられながらヨゼフィーネがやって来た。

 

「ヨゼフィーネさん!? 良かった、回復されたのですね!」

 

 よろよろと近づいてくる彼女の元に駆け寄ると、震える手で抱き締められた。

 

「ああ、聖女様、ありがとうございます……! まさかまた自分の足で立てる日が来るなんて」

「本当に良かった……でも無理は禁物ですよ? 念のためお医者様にも診てもらってください」

「分かっております、でもどうしても直接お礼を伝えたくて」

 

 体を離すとヨゼフィーネは涙を流し、顔をしわくちゃにして笑っていた。

 これからしっかり食べて体力をつければ、すぐに元の生活に戻れるだろう。

 

「私からもお礼を言わせてください。母を助けてくださり、心から感謝……、っ」

 

 そこまで言うとアロイスは言葉を詰まらせた。右手で顔を覆い、肩を小刻みに震わせている。ヨゼフィーネはそんな息子の頭を優しく撫でて微笑んだ。

 

 その様子を見ながら、シャルロッテは「いいなぁ」とぼんやり思った。

 母と子の温かいやりとり。自分にはもう二度と手に入らないそれが、とても眩しく見えた。そしてそれを自分の手で守れたことが、少しだけ誇らしく思えた。

 

 

 しばらくして、執事が慌てながら車椅子を運んできた。使用人たちがヨゼフィーネを座らせ終わる頃には、アロイスも落ち着いたようだった。

 

「し……、失礼しました。本当に、本当にありがとうございます。何度お礼を申し上げても言い足りません。このご恩をどうお返しすればいいか……」

「そんな、気になさらないでください」

「それでは私の気も収まりませんわ」

「でも……そうだ、それでは道を教えてもらえませんか?」

 

「道?」と親子はそっくりな表情をして揃って聞き返した。

 

「私、子供の頃リンデンハインに住んでいたんです。でも久々に帰ってきたらすっかり様変わりしていて……街の外れに教会があったはずなのですが、どこにあるか分かりますか?」

 

 親子は顔を見合わせ、何やらアイコンタクトをとっているようだった。

 やがてヨゼフィーネが言いにくそうに口を開いた。

 

「あの……聖女様。ここはリンデンハインではなく、リンデンシュタインという街なんです」

「……え?」

「リンデンハインは王都を挟んで真逆の方向ですね……」

 

 母から言葉を引き継いだアロイスがそう告げる。

 あまりの衝撃にシャルロッテの思考はフリーズしてしまった。昼間、街のあまりの変わりように一抹の寂しさを覚えたわけだが、街や人々に見覚えがなくて当然だったのだ。

 

「ええええ……⁉ そんな……どうしよう。なんとか歩けないかしら……」

 

 道は繋がっているのだ。

 

「歩……っ!? 無茶ですよ! 馬車でも丸四日はかかる距離です。治安が良くない場所もありますし」

 

 道が繋がっていても無理なこともあるのだ。

 

「聖女様、どうか今日は我が家に泊まって行ってくださいな。主人にも紹介したいですし、それに……」

「先ほど母の治癒が終わった直後に倒れられたのです。そんな状態の貴方を送り出すわけにはいきません」

「ああ、また倒れてしまったんですね……。大丈夫です、いつものことなので。それよりもこんな素敵なお部屋に運んでもらってすみません。ご迷惑をお掛けしました」

 

 その言葉に、二人は怪訝そうに眉を寄せた。

 

「いつものこと、ですって……?」

「聖女様。聖女様は普段、滅多なことでは神殿から出られることはないと聞きました。それがなぜ、あんなところにいらしたのですか? それもお一人で」

「あ……ええと……」

「お話ししてくださいますね」

 

 さすがは次期公爵と言うべきか。シャルロッテに迫るアロイスには有無を言わせない迫力があった。

 さらにその横ではヨゼフィーネが笑顔のまま圧を放っている。

 

 シャルロッテは観念して、何があったかをぽつぽつ話しだした。

 


 

「――というわけで神殿を追い出されてしまい、ひとまずリンデンハインに向かおうと思ったんです。乗る馬車を間違えちゃいましたが」

 

 彼女が語ったあまりの内容に、二人は言葉を無くしていた。

 

「わ、私を救ってくださった聖女様になんという仕打ちを……」

「これからどうなさるおつもりですか?」

 

 アロイスが心配そうにこちらを見た。

 

「そうですね、とりあえずこの街の修道院に向かおうかと。もう私は聖女ではありませんが、ただの修道女としてなら受け入れてもらえるかもしれません。ヘンリク殿下の手が回っていたら難しいかもしれませんが」

 

(深く考えてなさそうだったから、そこまでは心配しなくてもよさそうだけど)

 

 わなわな震えていたヨゼフィーネが、何かを思いついたようにぱんと手を叩く。

 

「そうだわ。ねえ聖女様、行くところがないならいつまででもうちにいてくださいな」

「え? さすがにご迷惑では」

「とんでもない! 母の言う通りです。部屋も余っておりますし」

「ご厚意はありがたいですが、そんなに甘えるわけには……公爵様の意見も聞いてみないと」

「では決まりね。主人も同じことを言うに決まっていますから」

「そうですね。誰か、聖女様に一番日当たりのいい部屋を用意してくれ」

 

 あれよあれよという間にクローネンリヒト親子の間で話がまとまり、シャルロッテは呆然としてそれを見ていた。あまりに自分に都合良く話が進んでいくので、夢か他人事のようにしか思えなかった。

 

 ぽかんとした顔でアロイスを見ると、彼はふっと優しく微笑んだ。その途端に心臓が跳ね、すぐに顔を背けてしまった。なぜだか胸がざわざわして落ち着かない気持ちになった。


 ちなみにヨゼフィーネはその後も動き回ろうとしたのでベッドに強制送還された。

 


 

 その後連絡を受けて急いで帰宅したクローネンリヒト公爵は、朝は死の淵にいた妻がベッドの上で起き上がっている姿を見て大声を上げて泣いた。

 

 力の限り抱き締めようとするのを「父上の馬鹿力では母上が今度こそ本当に召されてしまいます!」と必死になって止めるアロイスを見て、シャルロッテはくすくす笑った。

 

 公爵からは当然のように「好きなだけ我が家に留まってほしい、むしろずっといてほしい」と土下座する勢いで言われた。ヨゼフィーネとアロイスもその後ろからキラキラした眼差しで見つめている。

 

 三人の気持ちを無下にすることもできず、とうとう彼女も承諾したのだった。

 

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