8.セカンドライフin地獄
真っ当な恋がしたかった――今となっては恥ずかしくも、獄中の中では切実だった、私の最後の言葉。
それを叶えようとする悪魔の思惑と、この悪魔が力を制限されてることの間に、何か関係はあるのか。
「正直に話して」
悪魔にこんなことを言っても、何の説得力もないことは分かっている。
それでも、知りたい――。
『関係はない』
「え……?」
バッサリと切るような言葉に、思わず目を丸くすると。黒い毛並みのネコ頭になった彼は、金銀の瞳を妖しく光らせた。
「待って、それ本当?」
自分の力を取り戻すのに、私が必要――とかだったら、まだ分かる。
なのに。
「じゃあ、どうして私を……」
悪魔は人間のような顔に戻ると、ネコ被りの笑顔で「だから」、と口を開いた。
「君を『愛している』から」
そんなわけ、ないのに。
悪魔が口にする『愛』は、すべて嘘、なのに。
頬に伸びる指先の感触、そして身体を包む優しい腕に、意識の砦を崩されそうになる。
私は退魔師の孫。この血には、悪魔を滅するほどの力が宿っている。
なのに――。
「ん? 休職してたのって、力が弱ったからなんでしょ?」
仕事柄、地獄で1番多くの魂に触れる――だからミシェルを探せるかもしれない。
そのために、あの屈辱で悩ましいふたつ目の契約書を交わしたはずだ。
「職場休んでるのに、どうやってミシェルを探してくれるの?」
「あー、それねぇ……」
この悪魔、言い淀んでいる。
今度は無言でナイフを向けると、やっと「休職の理由」を話しはじめた。
それも口に出すことすらはばかられる、どうでも良い理由――ジェニミアルが知ったら、きっと強火で燃やされるに違いない。
「働いてください、ご主人様」
「えー? だって出勤したらロミと会えないんだよ!? ミシェル探しは100年後くらいにして、その間はずっとベッドに……グガァ!」
なるほど。
契約外の時間では、血の力が効くらしい。
試しに血を塗りつけた青い唇が、黒い煙を上げている――その光景を眺めていると、少しだけ胸が痛んだ。
生前も散々、悪魔たちを焼いてきたのに。
昨夜のことを思い出すから――だろうか。
「君……ほんと悪魔の素質あるよ! 絶対にならせないけど」
「職場復帰するとおっしゃってください。でないと、何度でも減らず口を焼きますよ?」
結局、ルキは力を制限されているワケを話さなかった。どうでも良いことは口が回るくせに。
「まぁ、これも上司に返さないとだしなぁ。さっきの人間から失敬したんだけど」
「あっ、それ……」
ルキが懐から取り出したのは、「南」と書かれた半透明の札――いつの間に盗っていたのか。
「あの人間は、これさえあれば天界へ行けると勘違いしてたけれど。この札はまだ完成していないんだ」
東、西、南、北――4枚の札がなければ、通行証として成立しないという。
「でもまぁ、君には関係のない話だよね。天界に彼女はいないだろうし」
悔いていたとはいえ、私を陥れた彼女は間違いなく地獄にいる――悪魔は断言した。
「あぁ、天界といえば。さっきの褒美の話だけど、君のおばあさんと話してみるとか」
「えっ、おばあちゃんと会えるの!?」
まさか、その通行証とやらを出してくれるのだろうか。
怖い半分、期待半分で見つめると――ルキは「残念」と笑った。
「天界の住人に、今すぐ会うことはできないんだ。でも電話はかけられるよ。魔役所のぼったくり通信料金だから、そう滅多には利用できないけど」
電話。離れている人と会話できる、魔法の機械だったか。
でも、どうしよう――。
怒られることは確定しているとして、ひとつ心配なことがある。
おばあちゃんの声を聞いたら、「地獄でミシェルを探す」という覚悟が揺らがないだろうか。全てを投げ出してでも、大好きなおばあちゃんに会いたいと思ってしまわないだろうか。
「その覚悟を確かめるためにも、電話してみたらいいんじゃない?」
「……うん」
今回は特別、とルキは板のような薄い機械をこちらへ差し出した。
「これ、もう話せるの?」
話したいのに、話したくない――反する思いが胸に渦巻いたまま、ガラスのような板を耳に当てると。
『あぁローズマリー! 忘れもしない、可愛い孫の声だ』
板から聞こえる声に、思わず肩を揺らした。
口調は祖母だが、その声はどう聞いても若い女性だ。
悪魔に騙されているのか――。
『そんなに疑うなら、お前とアタシしか知らないことを言おうか。あれはお前が13歳の頃夢中になっていた近所の男の子、たしか名前がエル――』
「わーかった! アンおばあちゃんで間違いないみたい!」
天界ではどの年代で死んだかに関係なく、自分が1番幸せだった時の姿になって過ごせる――祖母にとってそれは、祖父が生きていた30代頃だそうだ。
『だがお前のおじいさんと父さんはもう転生していてね。冥界にはいないんだよ』
「……そうなんだ」
ふとミシェルの名を口にしようとしたが、やはり彼女が天界にいるわけない。
人を陥れたのだから、きっと同じ地獄のどこかにいるはず――。
『ところでロミ。お前は私の教えに背いて悪魔と契約し、地獄に落ちた』
「おばあちゃん……」
『どんな理由があろうと、それは許されることではない』
「許されない」――その言葉に、頭がぎゅっと締め付けられた。
人には簡単に言えたくせに。自分が言われると、それがいかに重く絶望的な言葉かを実感する。
私の心の弱さが招いた結果だとしても。
『だが』
「……え?」
『いつまでも生前のことを気にしたってしょうがないからね。悪魔の気まぐれで「お前」という存在が生かされたんだ、その隙に今できることを、やってみたらどうだい?』
自分に今できること――答える前に通話は切れてしまった。
電話機を返しつつルキの方を振り返ると、金銀の瞳がすっと細くなる。
「アンとの電話、終わったみたいだね。元気そうだった?」
「うん……ってご主人様、おばあちゃんと知り合いだったんですか?」
「ちょっとね」
悪魔は静かに笑った。
「それで、どうだった? 君の覚悟は揺らいだかい?」
自分に今できること。
悪魔に従うのではなく、自分自身がこの地獄でどうするのか。
「いいえ、揺らぎません」
ミシェルを探し出して、彼女と赦しあう。
そのために、この悪魔へ身も心も捧げたのだ。
もう、後戻りはできない――。
顔を上げ、目の前に降り立った悪魔の顔をまっすぐ見つめた。
「ミシェルの魂を探してください。その後、私はどうなってもいいから」
悪魔に囚われた魂は、巡らず消えゆくだけ。
彼女と赦しあえるなら、それでもいい。
「『どうなってもいい』……ね。それは君の意思ってことでいいかな?」
自分の意思――その言葉に、深く頷いた。
「たった一度でも、私はアンタの権能に頼って望みを叶えてもらったから……生前アンタが働いてくれた分の仕事を、私も働いて返そうと思う」
差し伸べられた悪魔の手を、今度こそ迷いなく掴むと。痛いほどの力で身体を引き寄せられた。
相変わらず鼓動のない身体なのに。背中に回った手が、今は不思議と暖かく感じる。
「ついでに素敵な恋人を作って、生前の分も幸せになるっていうのはどうかな?」
「懲りないな……」
残りの人生で手に入るはずだったかもしれない幸せを求めるのは、何だか違う気がする。
今はただ、目的のためこの悪魔に身を捧げる――良好な関係を維持できるのであれば、ハグのひとつ程度は許すというだけだ。
「ねぇロミ、『今日の分』いいかな?」
「……ご主人様。こんなことしてないで、さっさと復職してください」
話を逸らそうとしたが、求められれば拒めない。
そういう契約だ。
悪魔の指先が、アゴを持ち上げる。
愉しそうな銀銀の瞳に囚われ、そのまま口付けられる――かと思いきや。
止まった。
氷のような息を感じるほどの距離で、悪魔が「そうだ」と呟いたのだ。
「離れたくないなら、君を職場に連れていっちゃえばいいんだ!」
「はぁ……?」




