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5. 業火と社畜

 深く心地良いまどろみの淵から、滑り落ちていく。


『ロミ、手を……』

 

 誰かにそっと手を取られた気がして、ハッとして目を開けると――。


「あ、起きた?」


 光のない金銀の瞳と目が合った。

 目蓋に軽いキスが落ちる。


「……何してるの?」

「うん。身を清めて、君の大好きなメイド服を着せてる」


 脱がせるのはもちろん、着せるのも楽しい――悪魔は妖しく笑った。

 悪魔の腕の中で目が覚めるなんて、おばあちゃんが知ったら卒倒しそうだけれど。今は指先ひとつ動かすことも億劫で、悪魔の顔を焼いてやろうという気にもならない。


「ルキ……」

「なに? ロミ」


 抱かれる間、悪魔の名前を何度も呼んだ。そう仕向けさせられたから。

 悪魔も、私を何度も呼んでいた。

 たぶん、悪い夢を見ていただけ――こちらを期待の目で見つめる悪魔から顔を逸らし、熱の冷めない頬を擦った。


「次はネコ頭でしようか?」

「……は?」


 明らかに私を揺さぶって楽しんでいる悪魔を睨んだ、その時。

 突然の轟音に身体が跳ねた。宙吊りの屋敷が、飛び跳ねたかと思うほどの衝撃だ。


「なに!?」

 

 悪魔の腕をすり抜け、窓から外を見渡すと。視界すべてが火の海になっていた。


『たのもーう!!』


 炎の中に紛れているのは、黒い小型の機械を通して叫んでいる少女――もう一方の手には弦楽器のようなものを抱えている。


『おぅルキフェルト! オレに黙って永久休職だぁ? 屋敷を半焼で済ませて欲しけりゃ今すぐオレのビートに応えな!』


 長い髪は燃え盛るような赤毛、こちらを見上げる瞳も同様――あの赤黒く激しい炎、事典で見た覚えがある。


「ご主人様、あれは」


 仕事用の顔に戻って訊ねれば、悪魔は珍しい顔でため息を吐いた。


「ジェニミアル……認めたくないけど、一応僕の上司だ」


【業火の悪魔】ジェニミアル。

 セージ家に代々伝わる悪魔事典に描かれた姿は、黒炎を纏う屈強な岩男――のはずだが。


「ご先祖様、間違った……?」


 お屋敷を炎の渦に閉じ込めるという、独特な訪問挨拶だったものの。意外にも玄関を通って入ってきた悪魔は、どこからどう見ても幼女だ。

 ルキが現世ではネコ頭だったように、どの悪魔にも現世用(よそいき)の姿があるのだろうか。


「あぁ? ンだよ、オレの(ツラ)まじまじ見やがって」

「えっ……あ、失礼しました!」


 悪魔といえどお客様。それも主人の上司。

 深々と頭を下げると、焼けるような熱を持った手が肩に触れた。


「テメェがルキフェルトの契約者か? オレんとこのトカゲがナメた口きいて悪かったな」

「ごめんなさ……え、トカゲ?」


 そういえば。待合室の見張りの炎を帯びたトカゲ、たしかサラマンダーとルキが呼んでいた。


「アイツにゃ激アツの仕置きかましといたから。許してやってくれねぇか?」


 悪魔が「許してやって」などと口にするとは、なんだか調子が狂う。


「まぁ僕も彼のこと脅しちゃったから、おあいこってことで。ところでエレキギター弾き鳴らして炎出すのいい加減やめない? 煩わしいからさ」

「ンだよフツーに出すよりカッケェだろうが! つかオレはテメェがふざけた休暇届を出しやがったって聞いて来たンだが?」


 同僚、上司、休職――薄々勘付いてはいたが。


「ご主人様、働かれていたのですね」


 祖母から聞いた話によれば、地獄はカオスで無法地帯。上級悪魔の地位は絶対的であり、貴族のように爵位制度まであるとか。

 この主人も屋敷をもつほどだから、爵位をもっているだけで働かずに暮らしていると予想していたが。


「それはひと昔前の話だよ、ロミ。現代の地獄は無職を許さない社会なんだ」

「テメェの言う通りだ。ンなのに『永久休職』たぁどういうことだ?」


 ジェニミアルは眉根に深いシワを寄せ、ピンヒールの踵でルキの革靴を踏みつけているが。

 ルキはといえば、相変わらずの笑顔だ。

 悪魔間の揉め事は業務外――と沈黙を守っていたところ、燃え盛る瞳がこちらに向いた。


「テメェ、これまで手に入れた魂は即喰らってきたろ。ンなのにコイツを屋敷に残してンのはどーいうこった?」

「喰らってきた……?」


 とっさに隣を見上げると。相変わらず不思議な色を宿した金銀の瞳が、静かに細められた。


「そろそろ同居人が欲しくなっただけさ。君ん()みたいに1000人もいらないけどね」

「マトモに答える気ねぇってか。ンなら……おうジャーマネ! 入ってこい!」


 呼び声に対し、姿勢を低くしながら玄関ドアをくぐり抜けてきたのは、東洋(アジア)人らしき茶髪の男性――なぜか女性の給仕が着用するエプロンとワンピースを身に付けている。


「コイツはオレん家で今1番ホットな奴隷(スタッフ)白城(シラキ)だ。自己紹介!」

「ど、どうも。1995年生まれ享年29歳日本人男元サラリーマン、箱推しアイドルはたいてい解散する貧乏神の白城と申します。現在は『灼熱系あいどるジェニちゃん』のマネージャーをしておりまして……これどういう状況なんすか?」


 シラキさんの小慣れた自己紹介を頷きつつ聞いていたジェニミアルは、笑顔を絶やさないルキに向き直った。


「休職したワケは答えねぇ、ただ同居人が欲しいってンなら、コイツとソイツを交換しろよ」


 もしかしなくともソイツとは自分のこと――隣を見上げると、ルキは眉ひとつ動かさずに「却下」と言い放つ。


「まぁ待てよ。ソイツの激レア魂ほどじゃねぇが、白城(コイツ)もなかなか面白ぇぜ? とりま使用人勝負でコイツがいかに有能か証明してやンよ」


 シラキさんが勝てば、シラキさんと自分を交換、自分が勝てば大人しく帰る――さすがは悪魔、相手が拒否しようと食い下がる。

 でも、ルキも悪魔だ。何のメリットもない勝負を易々と受けるはずがない。


「テメェの契約者は生前もメイドだろ? それでも勝てる自信ねぇってか?」

「勝敗の問題じゃないんだけどねぇ。まぁいっか、面白そうだし」


 そう、こんな意味の分からない勝負――。


「え……?」


 現世において悪魔が人間の命令に逆らえないように、この地獄において主人の決定に拒否権はない。

 でもその前にこの悪魔、「面白そう」などという薄っぺらな理由で勝負に乗るなんて。


「うっし! じゃあさっそく始めるか」


 ひとりで盛り上がっているジェニミアルに促され、場所を廊下へ移した。


「モップがけ1000往復、先に終わった方が勝ちな」


 いくら生きている身ではないとはいえ、この悪魔――1000往復もするのにどれだけの時間と精神力を要することか。


「同じ動作を延々と見てる方が辛くない? だったら1往復で、掃除したところの美しさを競うとかさぁ」


 悪魔も時にはまともなことを言う。

 同意を示す頷きを何度も繰り返していると、ジェニミアルは「そーか?」と灼熱の瞳を丸くした。


「量より質っつーことか。テメェら、モップがけ全身全霊の一往復勝負だ!」

「はぁ……」


 シラキさんを横目で見ると、ニコニコと悪魔に従っているだけで文句を言う気配もない。


「ンじゃ白城に合わせて日本式の合図で、『ヨーイドン』!」


 体力が重視されるモップがけ、男性のシラキさんに有利かと思われたが――。


「はぁ……ぁあ、腰痛っ」

「おぅしっかりしろ白城! テメェの足は飾りか!?」


 圧勝してしまった。先に往復し終えたのはもちろんのこと、掃除の質を精査するまでもなく。


「15世紀のメイド、21世紀のリーマンを軽く凌ぐ体力かぁ。さすがはロミ!」

「別に褒められるようなことでは」


 王宮に勤めていた頃、ミシェルと同じような勝負をしたことを思い出した。

 でも鬱々とした気分に浸る暇もなく、太い怒声が響く。


「テメェ白城! オレの屋敷で普段何やってンだよ」

「ジェニちゃん様が『テメェはオレのジャーマネな!』ってあちこち連れ回してるじゃないですか! 家事なんてやってませんよオレ」


 シラキさんはメイドの制服を着ているが、どうやら『サラリーマン』というのは家事をする仕事ではないようだ。

 言い争う主従の間に割って入ったルキは、「帰った帰った」と2人の背中を押している。


「おい待て! やっぱフェアじゃねぇよ。白城(コイツ)がここまで壊滅的とか思わねーじゃン?」


 往生際の悪い悪魔が提案するのは、最後の勝負。耳を貸さなければ良いというのに、またこの主人は――「まぁ面白そうだから」という理由で快諾したのだ。

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