3.ある少女の一生
うっかり焼き過ぎた悪魔の美貌が、早くも完全に治った頃。
「いやぁ容赦ない攻撃だったなぁ。君って悪魔より悪魔の素質あるよ」
「なっ……あ、謝らないからね」
「あははっ! いいよ別に。さぁ、この隠し扉を抜ければ『走馬灯シアター』さ」
「種明かしをする」と再びネコを被った悪魔に案内されたのは、薄暗い小部屋だった。
無地の壁に向けて、2人掛けソファとテーブル、三脚のついた機械が設置されている――暗い天井で逆さ吊りになっているが。
「どうぞ掛けて。ちゃんと人間向けのスナックとジュースを用意したからね」
「いやそれより、私滞空できないんですけど」
「あぁ、これは失礼」
悪魔が指を鳴らすと、家具が床に落ちてきた。きちんと天板や座面が上を向いた状態で。
「席に着いたね? じゃあラット、よろしく〜」
謎の合図と同時に、壁に光が浮かんだ。それも色のついた光が、『ローズマリーの一生』と字を描いている。
「ご主人さ……いや、もういいか。ルキ、これも悪魔の力なの?」
「映画だよ、ロミ。映写機でスクリーンに像を映し出して……って見た方が早いかな。君が死んでから400年後に、君の祖国の人間が発明したものさ」
「よんひゃ……! じゃあ私、待合室で400年も待ってたってこと?」
「正確には500年と少しね。だから言ったじゃない、『遅くなってごめんね』って。いやー寝過ごしちゃってさぁ」
ごめんで済む程度の寝坊ではない気がするが。すると祖母も、とっくに冥界へ来ているはず。
それに彼女も。
「ほら、始まるよ」
現れたのは、見覚えのある寝室。幼い頃亡くした母に抱かれているのは、生まれたばかりの赤ん坊だった。
『退魔師アン・セージの孫娘ローズマリー誕生の瞬間……って、なんでボクがリアタイで台本読まなきゃいけないんです?』
「えっ、なに、機械が喋った?」
背後からの中性的な声を振り返ったが、誰の姿もない。
「驚かせたね。彼はこの屋敷に住み込んでいる悪魔学校の学生、ラットさ」
上映前に聞いた『ラット』とは、合図ではなく悪魔の名前だったようだ。
姿は見えないが、どこかで機械を操作しているのだろうか。
「映像編集に手一杯で、声を吹き込む暇がなかったんだ。悪いねラット」
『まぁ命令なんで、やりますけど』
場面が切り替わり、懐かしき自室が映し出された。5歳ほどの自分と、まだ若い祖母の姿がある。
『ねぇおばあちゃん、あそこにいるのなぁに?』
演技派ラットの吹き込みに合わせて動く「私」が指したのは、額からツノの生えた巨大コウモリ。
『アレは悪魔といってね、死後の世界に住む連中さ。人間を誘惑しに現世へやってくるんだが、決して気を許してはいけないよ……「誘惑」じゃなくて「試練」って言ってほしいですよね。原始的な悪魔じゃあるまいし、失礼な』
「ラット、個人的な感想を挟まないでくれないか。お前は若いから知らないと思うけど、15世紀の悪魔は割と原始的だったんだよ」
さらに時は流れ、喪服の祖母と自分が現れた。
忘れもしない14歳の秋。
『これは我々に流れる退魔の血の力を引き出すための指輪さ。それから、私の曾祖母の代から書き継がれている悪魔の事典だ』
『おばあちゃんが大切にしてた指輪に手帳……どうして私に?』
『故意に喚び寄せたなら別だが、ふつう悪魔の姿は見えないんだ。そして見える者のところに悪魔は近づいてくる。そう、我らのような人間のところに』
父亡き今、身を守るために必要だと、祖母はこの2つを預けてくれた。
「おばあちゃん……」
今度は生前勤めていた王宮の使用人部屋が現れた。
父が亡くなった後、外へ働きに出ることになり、町に出ていた求人に応募したのだ。
『あなたもランドリーメイド? 私も! 本当はパーラーが良かったのだけれど、最初は雑用ってことですわね』
「……っ」
眩しい金髪に、人懐こい碧眼――。
『ローズマリーよ、目を逸らすな』
突然、ネコの皮を脱いだルキに頭を掴まれた。そのまま容赦なく、映像の中の時が進んでいく。
『助けてくださってありがとう。あなた、退魔師の血を継いでいるのね』
あれは王宮に棲む下級悪魔が、彼女にちょっかいを出した時のこと。
追い払うためナイフで傷つけた指に、彼女が息を吹きかけると――。
『はい、血が止まりましたわ。これでお互いの力のことは秘密よ』
悪魔を祓う血に対し、彼女が明かしてくれた聖なる息吹。
稀有な力をもつもの同士が偶然出会い、秘密を共有する――こんなの、好きにならないはずがない。
『私はミシェル。地元では聖女と呼ばれていましたけれど、甘いものが大好きなふつうの女の子ですの』
治癒の力をもつ以外、彼女は本当にふつうの女の子だった。
手柄を取られたと嫉妬するくらいには。
『なぜ!? ロミ、どうしてしゃしゃり出たの? だって聖女は私で、本当は私がルイス王子に見初められるはずだったのに!』
原因不明の病によって、日に日に衰えていく第二王子。医者もお手上げの病を癒した乙女は王子と婚約――まるでお伽話のような話に名乗りをあげたミシェルだったが、原因は悪魔だった。
つまりは、彼女の手に負える相手ではなかったのだ。
『でも、あのまま放置してたらミシェルが危なかった。だから追い払ったたけで……』
『ウソよ! 本当はあなたもルイス様を狙っていたのね?』
王子との婚約なんて迷惑な話だった。でも流石は王族、王子は誰とでも結ばれる心構えができていたようだ。
『ローズマリー、どうして拒むんです? 私に恥をかかせるというのですか?』
よく知らない相手からのお誘いなんて、拒む理由しかないが。この時は事態を甘く見ていた。
「……これ、まだ見てないとダメ?」
「僕が君を愛す理由を知りたいんだろう? なら最後まで鑑賞するといい」
嫉妬したミシェルの告発。
そして自分に恥をかかされた王子の策略により、まさか「魔女」として捕えられるなんて――。
牢獄に放り込まれ、『契約悪魔を言え』と尋問される毎日が始まった。
そのまま時が経ち、どれくらい陽を浴びていないのか分からなくなってきた頃。金と銀の目が檻の奥で怪しく光り、あのネコ頭が現れた。
「懐かしいねぇ。あの時の君は、憎しみに満ちた美しい目をしていたなぁ」
「黙ってて」
本当に。隣の悪魔と同一とは思えないほど、映像の中のネコ頭は寡黙だった。自身の権能について、書面で説明するほどに。
『アンタと契約したら、あの子は目を覚ますかな』
やはり無言のまま、ネコ頭は契約書を差し出した。
『愛欲の悪魔ルキフェルト、私と契約しろ!』
『ローズマリーよ、良いのか? 選択を誤るなと何度も――』
『いいの。ていうかアンタ、私の名前知ってたの? まぁどうでもいいか』
やはり。
ルキの姿を見たのは、あの獄中が初めてだった。
「アンタって、いつから私の側にいたの?」
「まだ続いているよ。前を見て」
あの後王子と結ばれたはずのミシェルは、ルキの権能により王宮を去ることになった。
『ごめんなさい。もう許されるはずないと分かっていますが、どうしてもロミに会って話がしたくて』
王子に見捨てられ、路頭に迷うミシェル。
そんな中訪ねてきた彼女を、自分は――。
『魔女の濡れ衣を着せられたローズマリーは処刑台へ……ってちょっと待って! 旦那様の権能をうまく使えば、アンタは死ぬこともなかったでしょうに』
「ラット、流れを止めるなって言ったよね? これからが良いところ――」
「もういい」
映像の中の自分に背を向け、出口へと足を運んだ。
「おやぁ? どこへ行くんだい」
「部屋に戻る」
今この胸に湧く悲しみ、苛立ち、後悔は無意味でしかない。
すべてはもう過ぎたことなのだから――。