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エピローグ: 永遠の午後 ~悪魔とメイドの結末~

 鐘の音で、ふと目を覚ました。

 あの高く響く音は――父が勤めていた、家の近くの教会の鐘。


「ここは……」


 黄昏の空でも、禍々しい夜空でもない。

 どこか懐かしい薄明の部屋。

 私は、どこで、今何をして――。


「ロミ、うたた寝はもう終わりですの?」


 目の前には、擦り鉢を抱えた少女がいた。


「……ミシェル?」

「ほら、あなたも手伝ってくださいませ。今日の午後はハイクさんところのお婆さんが、新しい薬を取りに来られるのよ?」


 金の髪が、顔にかかっている。

 テーブル越しに重い手を伸ばし、それを耳にかけると、ミシェルは照れたように微笑んだ。


「あら、助手さんはこんなお仕事までしてくださるのね」

「助手……」


 妙だ。

 彼女と私は2年間働いた王宮を辞め、私の田舎へ移り住んだ――そんな記憶はある。それに、祖母が住む実家の近所に家を借りて、「聖女」の力を生かして薬師をするミシェルを支えると決めたことも、胸に刻まれている。

 でも。


 どうして――?


 違和感が拭えない。

 それがまるで作られた事実であるような、不思議な歪みが頭に響いていた。


「ロミ!」

「……うん?」


 甘さのある高い声に弾かれ、前を向くと。

 澄んだ青の瞳が、こちらを睨みつけていた。


「どうしましたの? ぼうっとして」


 女性だ――。

 なぜか彼女を見て、そんな当たり前のことを思ってしまった。

 まるでいつだったか、彼女が男性になっていたことがあるかのように。


「魂の穢れは、転生する時に浄化したはずなのに……」

「え?」


 今、小声で何かを呟いた気がしたのだが。

 ミシェルは「何でもありませんわ」、と笑って席を立った。


「ところでロミ、今日はとっても良い天気だってご存知? お昼はお外で食べましょうよ!」

「……うん」


 ミシェルの笑顔に、不安や歪みが溶けていく。

 そうだ。

 今ここに彼女がいて、私がいる。それだけで、なんて幸せなんだろう――。


「ロミ、あーん」

「……あーん」


 差し出されたパンを、渋々かじると。


「ふふっ! 口の端についているわ」


 ミシェルの白く柔らかい指が、頬に触れた。


「……ありがとう」


 小ぶりな黄色の花が垂れる菩提樹の下、ただミシェルの笑顔に目を奪われる。


 やっぱり、幸せ――。


 胸に引っかかる「何か」を思い出す必要なんて、もう一生ない。

 このまま時が過ぎて、2人がおばあちゃんになるまで、もう、ずっと。




 ミシェルが先にあの世へ行っても、寂しくは感じなかった。

 だって、私も次期に行くから――子も孫もいない。家族はみんな先に逝ってしまった。

 それでも、ミシェルとともに笑い、過ごした日々の輝きが、私の胸に宿っている。

 でも。


「……何だったんだろう」


 青空を泳ぐ菩提樹の花を見上げ、ふと思い出した。

 胸に引っかかる「何か」――私はここで、とても大切な「何か」と言葉を交わした。そして、その手に触れた。

 ミシェルではない。

 それは分かる。

 でも。

「何か」は分からない。


「……あの世へ行けば、思い出すのかな」


 太陽の輝きに疲れて、近くの物がぼやけて見えるようになった目で自分の手を見つめると。


「……?」


 そこに、「何か」があったように感じた。

 しわが増え、ふしくれた小さな手――その甲にあったはずの、「何か」。

 決して嫌な感じはしない。

 かといって、ミシェルを思い出した時の温かさを感じない。


「夢……」


 ひとりになってから、時々夢を見た。

 闇の中に潜む、白い頬、かすかに歪んだ紫色の唇。そして私を見つめる、金銀の瞳――。

 生まれてから老いるまで、私を追いかけ回した下級悪魔たちとは違う。あんなに簡単に滅することのできない、もっと強力で、おぞましく、恐ろしい――それに。


「愛してる……」


 そう呟いた瞬間。

 黒い皮膜に包まれた、大きな手が私の手を包み込んだ。

 下級悪魔――いや、振り払えない。

 身体が動かない。

 悪魔の顔を、見ることができない。

 そして。どういうわけか、手のしわが消えていく。


「ロミ、お待たせ」


 甘い低音が、すっと胸になじむ。

 私はこの声を覚えている。

 でも、どこで――。


「退魔師アン・セージの孫娘ローズマリー」


 そう。私は生涯悪魔と戦ってきた、誇り高き祖母の孫――そして私自身も、祖母と同じ道を歩んだ。

 薬師をするパートナーを手伝いながら。

 悪魔の黒い靴先が、視界の端に映る。


「享年83歳、生前は退魔師、老衰により死亡……うん、僕の契約者で間違いない」


 この言葉――。

 しわの消えた手の甲に、「従」の文字が浮かび上がった。

 瞬間。

 これまで認識できなかった「何か」が鮮やかによみがえる。


「遅くなってごめんね、ロミ」

「……ルキ」


 ようやく身体が動くようになった瞬間。

 悪魔の顔を確かめるより先に、腕を伸ばしていた。

 身体が軽い。まるで、18歳の頃に戻ったかのように。


「……遅い。また500年閉じ込められてたわけ?」

「いやー、『前世』の記憶がある聖女様が、君を見張ってたからさぁ!」

 

 ミシェル――そうか。

 彼女はかつて天使だった。

 それで私を救おうと、私とルキの契約を強引に断ち切ったのだ。


「ミシェル……」

 

 ミシェルと過ごした日々は幸せだった。

 間違いなく、私は満たされていた。

 でも。


『…………ま、って、いろ』


 あの時、悪魔はたしかにそう言った。

 転生した後、ルキの言葉は忘れていた。

 それなのに、引っかかりを感じていたのは――「ルキ」のことが私の魂に刻まれていたから。


「……本当に来たんだ」

「来ないほうが、よかったかな」


 珍しくしおらしい悪魔を見上げ、頬に口付けた。

 冷たい。

 抱きしめてくれる鼓動のない身体も、虚しい――でも。


「私はアンタのもの、なんでしょ?」


 金銀の瞳が小さく見開かれた。

 構わず、待ち侘びた分のお返しをする。


「言っておくけど、アンタも私のもの……なんだから」

「ロミ……」


 驚く悪魔に、口元がつい緩む。


「連れてって。私たちの地獄へ」

「うん」


 差し出された黒い手に、自分の指を絡める。

 そうして、痛いほどに抱きしめてくれる悪魔の背へ、腕を回した。


「もう……離さないで」


 かすれた声に応えるように、低く甘い声が囁く。


「決して離さないよ。君が嫌って言っても……永遠に、僕のものだ」


 こうして、私の何度目か分からない一生は閉じた。

 それでも、微睡の中ふたりで過ごした昼下がりは、永遠に終わらない。

 瞼を閉じると、いつでも浮かぶのはあの笑み――幾千の時を越えても決して消えない、ネコ被り。


『これで本当に……ネコをかぶるのは、もうやめだ』




 -End-

ロミとルキの物語に、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


この物語を書き終えたとき、私は不思議な静けさとともに、そっと涙を流していました。

書き手として、「2人にとってこれ以上の結末はない」という達成感が心を満たしていたからです。


ですが、ここまで辿り着くのには、とても長い時間がかかりました。

正直に言えば、この作品は連載の序盤で手を止めてしまった時期があります。


理由は、「書けなくなった」からです。


最初は、地獄のお仕事×ブラックラブコメディ!――なんて調子で始めました。

ですが物語が進むにつれて、キャラクターたちが深くなり、関係が重くなり、展開がシリアスに傾いていったのです。


私自身、それに戸惑いました。

なぜなら、構成はあらかじめほぼ決めていたから。でも、キャラクターたちは筋書き通りに動いてくれなかったのです。


私はこの作品を1年近く放置し、その間にいくつもの別の物語を書きました。


そうしてようやく気づいたのは、「恐れずに先を書いていい」ということ。

笑いでも涙でも、軽やかさでも暗さでも、すべてキャラたちが選んだ感情なら、それが正解なのだということ。


そうしてもう一度、私はロミとルキに向き合いました。

彼らの旅路を、嘘偽りなく、最後まで書き切れたと感じています。


最後に

繰り返しになりますが、ありがとうございました。


また別の物語でお会いできましたら、幸いです。

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