23.試練:北-偽物の恋人たち-
「アンタ、私が生まれた時からそばにいたの……?」
ルキは笑ったまま答えない。
疑問を繰り返そうとする口へ、温かい焼き菓子を軽く押し付けられた。
こちらの不安をよそに、金銀の瞳がラットへ向く。
「ところでラット、パーティーの参列者がいないとつまらないよねぇ」
話を逸らすな、と言い返したいが、口にガレットが詰まっている。
この悪魔――やっぱり何か、私に隠しているみたいだ。
「君の権能って、パーティーにも向いてると思うんだよね〜! ほら、普段の勉強の成果、見せてみてよ」
そういえば、ラットはセージ家の悪魔辞典に載っていない悪魔だった。学生だというし、現世に行って人間を誘惑したことはまだないのだろう。
それにしても――このまま話を流そうとしている悪魔を睨みつけ、後で絶対問い詰めようと決心した。
「ん? なんだい、僕のロミ」
「……『あんたの』になった覚えはない」
たとえ偽物だとしても、今はこの雰囲気に、少しでも浸っていたい。
ルキへの疑念もミシェルのことも、今は少しだけ忘れても良いだろうか――もう二度とは戻らないはずの「温かさ」に、どうしようもなく惹かれてしまう。
ここにいるのは家族ではなく、悪魔ばかりだけれど。
「それで、卒業を控えたラットの成果発表についてだけど。ロミも知ってるところで『アマイモン』なんてどうかな?」
そして、この悪魔も諦めが悪い。
ラットがため息ばかり吐いているというのに。
「旦那様ってば。こういうの、『パワハラ』っていうんですよ〜」
「まぁまぁ、僕らは上司と部下じゃないし。練習だと思って気軽にやってみてよ」
「はぁ……仕方ないですね」
いったい何が起こるのか。
目を閉じて集中しているラットの身体が、やがて何重にもブレはじめた。小さな身体が上へ伸び、紫の髪が漆黒に染まっていく――。
ネズミ耳の生えた少年が、瞬く間に堅物悪魔へ姿を変えた。
かっちりしたダブルコートにスーツ、眼鏡を引き上げる動作まで加わると、アマイモンそのものにしか見えない。
「地獄新法第363箇条。『機関に属する上級悪魔は下級悪魔に対し、身体的及び心理的圧力をかけてはならない』……って感じですかね、アマイモン様って」
「いい感じだよ、ラット! 声帯まで完璧な再現だ」
映画の時のナレーションもそうだったが、ラットの演技が上手すぎる。
「すごい……本当にアマイモンがいるみたい」
「早く食べないと冷めますよ」、と照れたように頬を染めるアマイモン(ラット)を見て、本物の彼とキスした時のことを思い出してしまった。
悪魔があんな顔をするなんて――真っ赤になった彼の顔を、今でも鮮明に思い出せる。
「やっぱりダメ。ロミの反応がおもしろくない」
「おもしろくないって、アンタ……」
その嫉妬めいた口調。
前までは冗談に捉えていたけれど。もしかしたらコイツ、本気で嫉妬しているのだろうか。
そうだったら少し嬉しい――なんて、別に思わないけれど。
「でも、すごいと思う……演技含めて」
「ラットはねぇ、悪魔学校の演劇部に所属しているんだ」
「演劇って、悪魔が?」
悪魔が娯楽に飢えている、とは以前聞いたが。
「今の時代はねぇ、悪魔も娯楽の幅が豊富なんだよ! ルシファーとかああ見えて、最近テレビゲームにどっぷりハマってるんだ」
ゲーム――画面の中の像を、操作して遊ぶものだったか。
人間に畏怖を抱かせる地獄のカリスマが、画面に向かって集中している姿を想像すると、何だか笑ってしまいそうになる。
「そうだ、ルシファーもやってみてよ」
「えっ、あのお方ですか〜?」
ラットはルシファーを恐れているのか、なかなか「はい」とは言わない。それでも、ルキが「将来は名俳優」などとおだて続けていると。
「じゃあ、ちょっとだけですよ」
緊張したかのように息を吐き出したラットは、再び目を閉じた。
途端に漆黒の髪が長く伸び、さらに背の高い大男に変わっていく――が、こちらを見つめる赤い瞳に、身体を痺れさせるような威圧はない。
「オレ様相手にいい度胸だ! 跪け下級ども……って、これ、怒られないですよね? 超えらい人たちのモノマネとかしちゃって」
「大丈夫だって! 内輪ネタなんだし――」
キン、と金属の擦れる音が響いたその瞬間。
空間が凍りつくような気配が漂いはじめた。
「えっ……なに?」
食堂の中央に、黒い円が開く。
その中から伸びるのは、鋭い爪の、赤黒い悪魔の手――。
「パーティーにオレ様を呼ばないとはな! 水臭いぞルキフェルト!」
闇の扉から現れたのは、黒いダリアの花束を持った地獄のカリスマだった。
「……呼んでないんだけど? ルシファー」
ルキのネコ被りスマイルが崩れかかっている。
そして極め付けは、この状況――本物のルシファーと偽物のルシファー、もといラットが並んでしまった。
「あ……ま、魔王……さま?」
ラットの緊張か、ルシファーの怒りか。
パーティー会場が、息が白くなるほどに冷めていく。
「貴様」
ラットをまじまじと見つめていたルシファーが、身体を縛るような声を上げた。
これ、まずいのでは――。
肩をびくつかせ、一瞬で元の姿に戻ったラットに、カリスマが手を伸ばす。
「ルキフェルトのところで住み込みインターン中の学生だな!」
「え、は、はい……」
ラットはすっかり萎縮している。
長い前髪で目元が隠れているおかげで、目は合わなくて済んでいるのだろうけれど――あの目に睨まれれば、動けなくなる感覚は分かる。
「貴様、卒業後はオレ様のところに来い!」
その権能、使える――思ってもいなかった言葉に、ラットと顔を見合わせた。
「えっ……」
これは、まさかの直接スカウトだろうか。
すっかり固まっているラットは、かすかに「はい」と絞り出した。
「やったねラット! 就職浪人生預かるのは、さすがに僕もゴメンだからね」
「ロミと2人きりになれないし」、と呟く悪魔は置いて。
さすがはカリスマ、そう来るか。
傲慢とはいえ、魔王の中でもトップレベルの悪魔は懐が深いらしい。
「良かった……」
ラットに合わせ、私まで胸を撫で下ろしていると。
「ロミ」
奇妙な地獄のバースデーパーティーを開いてくれた張本人が、らしくない微笑みでこちらを見つめていた。
たぶん前なら、ただのネコ被りスマイルと変わらないように見えただろう。
でも、今は――悪魔が少しだけ、寂しそうに見えた。
ルシファーの乱入で、大盛り上がりだったパーティーの後。どこかの悪魔が私の飲み物に混ぜたアルコールのせいで、視界が左右に揺れていた。
こんな身体でも、お酒に酔うらしい――ふわふわ気分のまま、ルキに部屋へ運ばれた。
「……なんか、目が回る」
「もー! せっかくこれから、2人きりになれるってのにさ」
背中がベッドに降ろされ、睡魔に襲われる中。隣に寄り添う影を感じた。
「ロミ。今、楽しいかい?」
冷たい手が、頬に触れる。
気持ち良い――。
「うん……」
ようやく目の焦点が合った。
まだ、どこか寂しそうに笑うルキを見上げ、笑いかけると。
「良かった。君が今、幸せそうで」
私が、幸せ――?
幸せとは何だったか。
王宮でミシェルと笑い合った時、父がまだ生きていた頃――あの頃の満たされた感覚が、今と重なる。
「幸せ、なのかな……?」
「あははっ、疑問系なんだ」
たとえ私に自覚がなくても、私が幸せであることを願う――少し寂しそうに微笑み、悪魔はそう言った。
「でも……」
満足してしまって、良いはずがない。
まだ、ミシェルと赦し合えていないのに。
ルキの奥底に眠る何か、そして私に隠していることを、まだ知らないのに。
このままでは、どんなに楽しいことをしていても、きっとそのことを思い出してしまう――。
「……いつ、北の悪魔のところに連れて行ってくれるの?」
夢が途切れたような虚しさの中、すっかり熱の冷めた頭を持ち上げると。
悪魔の、優しい腕に抱き寄せられた。
「まだ……今はもう少しだけ、こうしていてもいいかな?」
鼓動がないのが、なんだか寂しい。
でも悪魔は今、私を抱きしめてくれている。確かにここにいて、私を見ている。
「ルキ……」
「あぁ……ずっと、こうしていられたら良いんだけど」
嘘と分かっていても、きっと傾いてしまう甘い言葉。
なんとなく、唇が重なる予感がしたのに――期待を裏切るように、ルキはベッドから離れていく。
「……ルキ?」
「さぁ、そろそろ始めようか」
人間のような肌が、黒い毛に埋め尽くされていく。
いつもと、何かが違う。
もうすっかり忘れかけていた、この悪魔に対する恐怖がよみがえる――久々に肌が粟立つ。
『哀れな魂は甘い夢から覚め、試練の間へと落ちてゆく』
こんなに冷たく感情を失った声を、知らない――。
暗い冷気を放つネコ頭は、指と喉を鳴らした。
途端に、部屋の上下が逆転する。
「なっ……!」
とっさにベッドの柱へしがみつこうとしたが、身体は天井のベッドへ落ちていく。
いったい何が起こったのか――。
ルキが再び指を鳴らすと。
天井のベットフレームへ、黒い荊の檻が巻きついた。
まるで私を逃さないと言うかのように――そして、妖しく光る金銀の瞳と、視線がぶつかった瞬間。
『試練の時間だ。俺は「北の悪魔」を冠するものとして、貴様の"誘惑に抗う力"を試す』
ルキが、北の悪魔――?
頭が追いつかないうちに、目の前に浮かんだネコ頭は闇に包まれた。
うごめく闇がしだいに晴れ、現れたのは――メイド服の女性。
鈍い青の瞳が、こちらを見つめている。
「ミシェル……?」
偽物は妖艶に微笑み、私の耳元に唇を寄せる。
『俺は貴様の想う「この者」ではないが……これより酷く、貴様を抱く』
たとえ愛の言葉を求められても、偽りの愛に決して応えてはいけない――ミシェルの顔をした悪魔は、そう囁いた。




