19.試練:西-カリスマと時間旅行者-
灼熱アイドルのライブは、最高潮のままアンコールを終えた。
「あー……燃え尽きちまったぜ」
観客たちが灰のように白くなって帰っていく中、ジェニミアルは控室のソファにもたれている。
熱い――業火の悪魔は、舞台から帰っても私を抱えたままでいた。
「ジェニちゃん様……お疲れ様でした」
「おう。テメェもな」
この幼女悪魔、いつ放してくれるのだろうか。
悪魔とはいえ、小さな膝に乗っているのは申し訳ない気持ちになる。
「ところで、試練はどうなったのでしょうか……?」
「あぁ? ンなの完クリだろ」
クリア――合格ということか。
遅れた理解の後、じわじわと喜びが込み上げてきた。
あんな風に、何千人もの前で話せたことが、いまだに信じられない。
「テメェの主人に預けてある札、勝手に使えよ」
「ありがとうございます……!」
これでまた、ミシェルのいる天界に近づいた。
あとは西と北の札――静かに炎を散らす瞳を見つめていると、ジェニミアルは赤いため息を吐き出した。
「テメェ、変わったな」
変わった――シラキさんとは、真逆のことを言われた。
「前のテメェは、悪魔なんざ虫けら以下っつー目で見てたぜ。人間にしちゃ骨のある、いいツラだったなぁ」
思わず否定しかけたが、言葉に詰まる。
たしかに私は変わってしまった――悪魔という存在を嫌いながらも、受け入れてしまっている自分がいる。
「もったいねぇよなぁ。ンな腑抜けになっちまって。特にルキフェルトを見るテメェなんざ、見てらンねぇよ」
ルキの顔が脳裏に浮かぶ。
実は不器用な、ネコ頭のことも。
「……うるさい」
「ふーン?」
ジェニミアルは楽しそうに口角を上げ、耳元に近づいてきた。
「オレ、この業界長いからよぉ。他の奴らが知らねぇルキフェルトのこと、ちっとは知ってンだ」
首筋に、肌を焦がすような熱を感じる。
「アイツが堕天したのは、『人間の女』のせいだ」
「え……?」
油断していた心臓が跳ねた。
ルキは元々天使だった。それはミカエルから聞いていたが――悪魔に堕ちた理由は、まだ知らない。
「人間の女が原因って、どういうこと……ですか?」
ジェニミアルの瞳は、暗く燃えている。私を試すように。
知りたい――縋るように見つめても、彼女は妖しく微笑むだけだ。
やがてその唇が、焼き付くような熱を頬へ落とした。
「は……?」
「オマエ、可愛いよ」
頭が真っ白になる。
さっきまで、まったく別の話をしていたと思ったのだが。
「ネコ野郎が夢中になるのも、まぁ分かるぜ。なんつーか、『ぜってー誰のもンにもならねぇ!』って面してるわ」
話がかなり脱線している。
「ルキのことは」、とうまく動かない唇で呟くと。
『ニャオン』
低い鳴き声がした。
同時に、部屋の床へ黒い影が広がる。
「チッ……ちょっと遊んだだけでキレてやがる」
小部屋が暗く歪み、凍てつくような気配が満ちる。
『帰るぞ、ローズマリーよ』
ひどく苛ついた声を振り返ると。そこには、主人の悪魔が立っていた。
金銀の瞳を鈍く光らせ、ジェニミアルを睨みつけている。まるで「それ以上喋るな」、とでも言いたげな視線で。
「テメェ、厄介なのに捕まっちまったなぁ」
逃げるならいつでも手を貸してやる――冗談めかしたジェニミアルの提案に、ルキは威嚇の声を上げた。
この悪魔、今は人の顔をしているくせに、ネコの仕草が出てしまっている。
「ルキ、アンタ……」
なんか余裕がない――そう指摘する前に、ルキは指を鳴らした。黒い荊の絡みついた扉が、どこからともなく現れる。
「さぁ、僕たちのお屋敷へ帰ろうか」
ジェニミアルの熱を残した頬に、黒い指先が触れた。冷たくて心地良い――でもやっぱり、ルキは虫の居所が悪そうだ。
黒い手が握ったドアノブに、ヒビが入る。
扉をくぐる間も、いつもの軽口はなし。
そして逆さ吊り屋敷に戻った後も――。
「あれ……?」
違う。ここはルキの屋敷じゃない。
そこは煌びやかなドレスに身を包んだ人々が、踊り微笑む大広間だった。
「そんな……どうして、ここが……?」
かつてミシェルとモップがけ競争をして遊んだ、王宮の舞踏広間――。
見ているだけで目の奥が熱くなる、懐かしい場所。
「ルキ、何これ?」
『分からん……いや、まさか』
いつの間にかネコ頭になっているルキが、「る」と呟いた瞬間。
「貴様らは今、このオレ様の権能に呑まれているってわけだ」
背後から、痺れるような気配を感じる。
おそるおそる振り返り、目が合ったのは、鮮血のような色がにじむ瞳。長い黒髪を束ねた、黒い肌の大男は――。
「……【王冠の悪魔】ルシファー」
そう呟くと、威圧を放つ悪魔は豪快に笑った。
「オレ様の名を口にするか! 恐れを知らんな、ルキの奴隷1号よ」
「……僕たち、家に帰るところだったんだけど。君の権能の中に閉じ込めて、いったい何のつもり?」
ルキが笑顔で抗議すると、ルシファーは「久しいな」と声を大きくした。
魔役所でルシファーに会った時、確かルキはどこかへ消えていた。このネコ被り具合を見るからに、ルシファーが得意ではないのだろう。
同じ、元天使でも。
「なに、貴様の奴隷が天界へ行こうとしていると聞いたからな! 西の札をもつオレ様が、試練を課すため自ら出向いてやったのよ」
「西の……!」
文字通りの燃えるライブの後で、精神の疲労は頂点。今すぐ屋敷に帰って寝たいところだが、札を手に入れられるこの機会を逃すわけにもいかない。
「帰りたい」を連発するルキの袖を掴み、「何を試すのですか?」とルシファーを見上げると。
「その意気やよし! そんな貴様の『人間力』を試してやろう」
「人間力……?」
過去を乗り越える力――それは悪魔にも天使にもない、人間だけが持つ力だと、ルシファーは強く言い放った。
「もしかして、この景色を見せているのは……」
「鋭いな奴隷! ここがまさに、貴様の乗り越えるべき場所ということだ」
先ほどから黙ったままの隣を見上げると。
いつの間にか、ルキはネコ頭になっていた。
感情を悟らせないようにするためか――それとも、余計なことを言わないようにするためか。
無口なネコの尻尾が、私の身体に纏わりついている。
「ご主人様、大丈夫ですよ。ジェニちゃん様……じゃなくてジェニミアルの試練も、ひとりでこなせたんだし」
天界へ行くための、4枚の札を集める試練。
これは私の試練だと、ルキも最初に言っていたではないか――心配そうに巻きつく尻尾をそっと払い、ルシファーに向き直ると。
「覚悟はいいか? ま、『案内役』もいるしな。あんまり気を張らなくても良い」
「え……?」
ルシファーが、パチンと指を鳴らした瞬間。
広間の音楽と雑踏が止んだ。私以外のすべてが、紙を丸めるように小さくなっていき、暗闇にひとり取り残される。
「なにこれ……ルキ、どこ!?」
上も下も分からない、闇の中。
「母さん、今日の昼はなんだい?」
この声は。
忘れもしない、私の――。
「……ミ……ロミ!」
少し枯れた勇ましい声に弾かれ、「はい!」と顔を上げると。目の前には、赤いアネモネの花瓶が置かれている。
祖母の好きだった花――闇が消え、懐かしい落書きの残る文机に、私は頭を伏せていた。
「ロミ、寝てたのかい?」
音を立てるフライパンに、片手で卵を割り入れているのは――。
「おばあちゃん……?」
1階のワンフロアに台所、リビング、書斎すべてが詰まった狭い家。
間違いなく、ここは私の生まれ育った家だ。
そして、玄関でコートを脱いでいる神父は――。
「お父さん……」
「こら、ロミ! また礼拝をサボったね?」
私は、かなり長い夢を見ていたのだろうか。
お父さんが亡くなったのも、私がメイドになってミシェルに出会ったのも、地獄に落ちて悪魔の奴隷になったのも、すべて夢――。
「あ……」
視界にちらつく白髪に、安堵した胸が締めつけられた。父と同じだった蜂蜜色の髪が、老人のように白い――それに、悪魔の感触が身体の至る所に残っている。
そうだ。私は地獄のカリスマ的悪魔に、試されている最中だった。
でも。たとえ悪魔の見せる幻でも、3人がいるこの家を見ると、懐かしくて泣きそうになる。
「そうだ、ロミ。外でお前を待ってる子がいるよ」
「え……だれ?」
こんな会話、覚えがない。
今見ているこれは、いつ頃のことなのだろう。
父が生きているということは、14歳より前ということになるが――。
「ふぅん。この時間軸は、ロミちゃんが13歳頃ですって」
いつの間にやら隣にいたのは、見覚えのある黒髪の東洋人美女――この時代、この場所にいるはずのない彼女は、『ローズマリー・セージ』と題されたノートを開いていた。




