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冥メイド~猫かぶり悪魔の奴隷になりましたが、生前よりも幸せです。~  作者: 見早
2章:辛い裁きと甘い赦し ~地獄のお仕事は心を溶かす~
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14.ネコの舌

 私は――。

 この胸にいまだ燻る炎を、いま消さなければ。


「彼を、許します……」


 沈黙する金銀の瞳が、静かにこちらへ向く。

 そして――悪魔は笑った。


「あぁ。本当に君の魂は気高い。死後も成長する、柔らかくて温かい……唯一無二の魂だ」


「でも」、と悪魔が囁いた途端。

 椅子が傾き、ルイスは奈落へ落ちていった。

 喉を裂くような叫び声が、次第に遠くなっていく。


「……どう、して?」

「ごめんね、ロミ。最初から君に選択権はなかったんだよ」


 私が己の中の無念や憎しみとどう向き合うのか、それだけが見たかった――悪魔の声が、空っぽになった頭を巡る。


「そんな……」

 

 無意識に太ももを探る指先が、ナイフに触れる。


 どうして――?


 頬を伝う涙を弾き、悪魔にナイフを突き立てようとした瞬間。

 振りかざした腕を、白く清らかな手に止められた。


「彼の裁定は正しい。あの者の罪は裁かれるべきもの……どうか少女よ、鎮まりなさい」

「でも……!」


 憎しみを口にしようとした、その時。

 ナイフを握る手に、白く細やかな指が触れた。

 ビクッと震える身体を、天使――ミシェルが無言で引き寄せる。


「ミシェル……ねぇ、私のこと覚えてるんでしょ? どうして何も言ってくれないの!」


 憎くて、愛しくて――死後も決して忘れられなかった顔が、寂しげに笑った。

 そして。

 優しい熱が、唇に触れた。


「……っ!」

  

 手からナイフが滑り落ちる。

 ミシェルの薄い唇が、ただ静かに、私の熱を感じていた――ルキに腕を引かれるまで、時が止まったかのようだった。

 触れていた熱が、いつまでも唇に残っている。


「ごめんなさい。私はまだ力がないから……地獄(ここ)では、何も言うことができないの」


 私が「能天使」になるまで待ってて――ミシェルはまっすぐな視線とともに、そう呟いた。


「どう、して……」


 それ以上は聞くことができないまま、『面接室』の見学会は終わりを告げた。

 新任天使は上司に連れられ、天界へ帰っていったのだ。




 逆さ吊り屋敷に帰った後も、あの青が頭に焼き付いて消えない。

 あの時の澄んだ碧眼は、こちらの目を貫いて、どこか遠くを見ているかのようだった。


「ミシェル……」


 ベッドで仰向けになり、天井に吊られているテーブルや椅子を眺めても、彼女のこと以外考えられない。

 せっかく会えたのに、許し合うどころかまともに言葉も交わせなかった。

「能天使」になるまで待ってて――彼女から得た言葉は、それだけだった。

 それに。


「……キス。どうして……?」


 身体は男性に変わっていたが。

 彼女とのキスは、悪魔とするものとは全然違う感覚だった。

 深いため息が、口からこぼれる。


「……ん?」

 

 今、天井のイスが軋んだような――。


「……人が落ち込んでるの見て、楽しいわけ?」


 すると。姿を現した悪魔は、天井からベッドへ音もなく降り立った。

 帰りの車でも終始無言だったのに、まだ無言。

 しかも帰ってからずっと、ネコ頭になっている。


「ねぇルキ。あれ、本当にミシェルなんだよね?」

『ああ』


 本当に口数が少ない。

 まるで、現世で会った時のネコ頭に戻ったみたいだ。


「はぁ……やっぱりミシェルで間違いないよね。せっかく話せると思ったのに」

『いずれまた巡り会える。貴様の中に残留する愛と憎悪を、無駄にはしまい』


 愛と憎悪――それらが頭を回る間にも、見た目に反して軽い身体が上に乗ってきた。

 ネコ頭は、無言で黒のタイを解く。

 はだけた喉にフワフワの毛が触れ、思わず身をよじった。


「あっ、ちょっと……くすぐったい」


 ザラザラした舌が、下から上へと、首筋を丁寧に舐めている。やがて舌は、顎から唇へ移った。


「……っ」


 小さな棘のようなものが、唇をしつこく撫でている。


「……待って!」


 引き離そうと暴れるが、手はネコの尻尾に束ねられ、足は大きな身体に押さえつけられていた。


「いっ、痛いんですけど!」

『天使に浄化された唇を、再び俺で穢しているだけだ。我慢しろ』


 地獄の責め苦に比べれば軽い――そう簡単に言うネコの毛を、少し強く掴んだ。ふわふわの黒い毛並みをかき分け、尖った耳を引っ張るも、ルキは止まらない。

 人間と同じ形を保った冷たい指先が、スカートの中の肌を滑っていく。

 誘うような、この指は――。


「……するの?」

『ああ』

「じゃあ、せめて人型に戻って……」

『駄目だ。今夜はこのままする』


 何だろうか。

 この悪魔、珍しく余裕がない。


「……もしかして、ミシェルに嫉妬してる?」


 持ち上がる口角を抑えつつ尋ねると、金銀の猫目が妖しく光った。

 瞳に宿る強い力に気圧され、唇が動かなくなる。


『二度目だからな。優しくしてやろうと思ったが……気が変わった』

「え……?」




 どれくらいの時間が経ったのか。

 悪魔がようやく放してくれたのは、私の声が出なくなってからだった。


『……おい、こちらを向け』


 いやだ。

 そう言いたいが、喉が枯れている。

 悪魔は私の頭をそっと撫で、温かい何かで身体を清めていた。


「痛っ……」

『……すまない』


 悪魔が謝るなんて――と思っても、やはり声は出ない。

 前回とはまるで違う、まったく別の行為だった。

 息が苦しい。強すぎる快感の余韻に、身体がまだ震えている。

 ネコ頭の強靭な背中に突き立て、割れてしまった爪。それを慰めるように舐める様子に、謝罪が心からのものだと錯覚しそうになる。

 それでも、ザラザラした舌が余計に痛くて、そっと手を払うと。


『お前の心を繋ぎ止めるには、どうしたらいい?』


 消え入りそうな声に、閉じかけていた目が開いた。


 心を繋ぎ止める――?


 悪魔はフワフワの額に私の手を寄せ、告白した。

 私がミシェルに口付けられた時、「自分自身で解さない感情が生まれた」と。


悪魔(おれ)は、この方法しか知らない。こうすることでしか、お前の愛を求められない』

「……それがアンタの素、なんだ」


 やっと声が出た。

 珍しくしおらしい悪魔に、「伝えたい」と思った瞬間のことだった。


「アンタがネコ被らないで、そのまま……こうやって、私を抱きしめてくれたら……いいと思う」


 頬を舐めるネコ頭に腕を伸ばし、胸の中に抱き寄せると。

 ルキは黙って、抱きしめ返す腕に力を込めた。

 温かい――。

 この悪魔は私に嘘を言っているのではなく、愛したくても「悪魔であるが故に愛せない」のではないか。

 そんな、()()()()()期待を抱いてしまった。

 ただ、やっぱり自分に執着する理由がわからない。

 初めて会ったのは、最後の牢獄のはずなのに――。

 触れ合っていると、なんとなく懐かしい気がしたこともあった。過去の記憶を見た時、ルキはなぜか私の名前を知っていた。

 それでも、生前のルキに関する記憶は、あの牢獄の中だけだ。


「起き上がれるようになったらさ、食事を運んでくるよ!」


 いつの間にか、悪魔は人間を模した姿に戻っていた。久々に聞いた、ネコ被りの声がなぜか安心する。

 もう起き上がれる――いつの間にか、制服もきちんと着せられていた。


「君の好きなカブのポトフ、食べるかい?」

「……食べる」


 直々に食事を運んできた悪魔と、円卓の席で向かい合う。

 人間の五感に合うよう調整され、さらに最近は味まで良くなっていく豪華な料理。

 この異様な光景が、いつの間にか日常になりつつある。そしてそれを受け入れつつある自分がいる――最後に悪魔の顔を焼いたのは、いつだっただろうか。もう記憶にない。


「さぁ、召し上がれ!」

「……ありがと」


 目の前の悪魔が、ネコ被りの笑顔を解いて固まった。

 その反応に、ようやく気づく。

 いま初めて、悪魔にお礼を言ってしまったのだと。


「……してもらったことに対してお礼を言うのは、人間の礼儀だから」

「うん」


 悪魔は小さく頷くと、驚いたように顔を背けた。

 それは私の言葉に驚いたのか、それとも――。


「ミシェルのこと、だけどさ」

「……え?」


 彼女に嫉妬していた悪魔が、自分からミシェルのことを話題に出すなんて、どういう風の吹き回しだろう。

 なかなか次を紡がない悪魔を横目に、スープをすくうと。


「天界に行けば、ミシェルと話せるんじゃない?」


 ルキの提案に、匙を止めた。


「力の弱い天使は、人間とあまり言葉を交わせないんだ。でも、彼女たちの住む天界でなら」


 それは、つまり――。


「待って。私、天界へ行けるの……?」

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