13.「落ちる」か「巡る」か
魂の選別を行う地獄の『面接室』――結局ミシェルと話せないまま、ここまで来てしまった。
どうして天使になっているのか。
何で男の姿なのか。
そもそも、私のことは記憶にあるのか――。
こちらを一度も見てくれないミシェルに、聞きたいことは山ほどある。
「さて、『面接室』について説明しようか」
「ぜひお願いします。ほら、新人も」
ミカエルに促され、ミシェルは作られたような笑みとともにお辞儀をした。
「……お願いいたしますわ」
ルキは踵の音を高く鳴らして、小部屋の中央にある椅子に向かっていく。
「今のアンフェルは『悪魔皆所属機関』。上級悪魔の軍団を1つの単位として、72の部署を設けている」
珍しく真面目な調子で話す悪魔は、妖しい笑みと共にこちらを振り返った。
「その中でも司法軍は人間の魂に刻まれた罪の重さを計って……って、説明するより、見せた方が早いよね」
面接室の椅子にルキが座った途端、彼の手元に革張りの表紙の本が現れた。
それは地獄に落ちた人間の「履歴書」だという。
「まぁ、最初は誰でもいいかな〜。よし、『面接開始』」
ルキがそう唱えると。ルキの目の前の椅子に、囚人服を着た人間が現れた。
まだ若そうな青年は、怯えた様子で周囲を見回している。
「ここは……」
生前悪魔と契約し、死後悪魔の奴隷になることが決まっていた私は、この部屋へ来たことはない。
それ以外の経緯で地獄へ落とされた魂は、みんなここに来るのだろう。
やがて、泳いでいた男性の視線が、私に留まった。
「め、メイド……?」
もしかすると、メイドを雇うことの珍しい国や時代から来たのだろうか。
いや、そんなことより先に注目すべき存在がいると思うのだが。ツノの生えた男とか、羽の生えた女とか――。
「あぁ、ダメだね」
明るい調子の隣を見上げると。冷気の漂う笑顔で、ルキは私の腕を引き寄せた。
「その格好だと、僕のロミが可愛すぎて被告が集中できないみたいだ」
「はぁ……?」
「では、このような制服デザインはいかがでしょうか」
久々に聞いた甘い声――なんとミシェルが、私の前に進み出た。そしてこちらを振り返り、人差し指でハートを描くような動きをしている。
「わっ……!」
メイドの制服が、瞬きの間に天界風のワンピースへと変わった。ミカエルたちとお揃いの、流れる絹のような美しい衣だ。
この服を着せた当人をチラッと確認するが、やはり目は合わない。
「ロミ、その服」
「分かってます。こんな神々しい服、私には合ってないし。肩と腕が丸出しなのもちょっと……」
「うん、似合わないね」
「ん……」
自分ならまだしも、他人から言われると腹が立つ。
「ロミの髪は死者の灰の色なんだよ? こっちの方が美しく映えるね」
ルキが指を鳴らすと、純白の衣が漆黒に塗り替えられた。ついでに細部のデザインも変化し、露出していた部分が網掛けのレースになっている。
「チッ……勝手に変えやがりましたわね」
笑顔で睨み合う両者が、指を振ったり鳴らしたりを繰り返していると。
「コラ新人!」
低い怒声が響いた。
「論点がずれているではないか。ちなみに私は、最初の純白の衣が良いと思うのだが」
意外とミカエルも天然――そう指摘する前に、ルキが元の制服へと戻してくれた。
「やっぱり、これが1番しっくりくるね」
ついこの間まで、「メイドごっこ」と宣っていたくせに。
「ロミのメイド服に反応したお前は、『第一階層』の地獄行きね」
「はぁ? そんな理不尽……」
突然、椅子の下の闇が開いた。
「わあぁぁぁ!」
椅子が傾き、囚人服の男性は奈落へ落ちていく。
「なっ……」
闇が閉じ、何事もなかったかのように椅子が起き上がった。
さすがに理不尽すぎやしないか――。
「さっきの奴は、罪状を君の耳に入れるのもおぞましい、救いようのないやつなんだ」
悪魔が言うセリフでもない気がするが、実際そうなのだろう。
その証拠に、厳格な反面慈悲深いミカエルが、異議を唱える様子もなくルキの裁量を見守っている。
「落ちる地獄は、1番ぬるい階層にしてあげたから、まだ優しい方でしょ?」
優しい――それも、悪魔が口にすると違和感でしかない。
ルキは再び「履歴書」の束を開くと、椅子に座り直した。
「こうして実際に話をして、落ちる地獄を『選別』するんだ。それが僕の仕事さ」
「元天使のルキフェルト様だからこそ、公平かつ厳正に選別できるのです」
ミカエルは絶賛しているが――研修中だという新任天使は、ずっと同じ笑みを貼り付けたままだ。
「極稀に手違いで地獄に落とされる人間がいるから、念のための確認も兼ねているんだけどね」
「天界のミスを拾っていただいているのだ。本当に、この方には頭が上がらない」
次は――そう呟きながら、ルキが頁をめくっていると。
やがて、青白い口角が持ち上がった。
「あぁ、これは面白い名前だね」
ルキが呼んだ名は――「ルイス」。
「えっ……?」
頭が真っ白になった。
生前、ミシェルと一緒に私を陥れた、第二王子の名。
そして実際椅子に現れたのは、見知った顔だった。当時20代だった、あの頃の彼のまま。
「なんだここは……! お前たち、私を誰だと心得る!?」
「……ルイス王子」
自然と口を滑った名前に、王子がこちらを睨んだた。
「侍女ごときが、私の名を軽々と口にするな!」
「なっ……」
こんなに嫌なやつだっただろうか。
それにしても――。
あの目を見るだけで、胸の中に燻る炎が揺らぐ。
「そもそも誰だ、お前は。なぜ私の名を知っているのだ?」
「は……?」
誰だ――?
言葉が延々と頭を巡る。
まさか、覚えていないというのか――。
ミシェルは男性化しているから、まだ分かる。でも、あんなことをしておいて、覚えていないなんて。
そんなことが許されるの――?
「……ロミ。彼にとって君は、67年の生涯で、星の数ほど出会った女性たちのうちの1人でしかないらしいよ」
私を魔女と告発し、火刑に追いやっておきながら。
「そのうちの1人」だというのか。
「一国の王子でありながら、地獄へ落とされた理由……それは、数多くの女性たちへの酷い仕打ちが原因さ」
ふと、背後の天使を振り返ると。
ミシェルは、ただ静かにルイス王子を見据えている。
私はルキの権能で、ミシェルと王子を引き裂いた――そんなことをしても、誰も救われないと分かっていながら。私の心に燻る憎悪を鎮めるためだけに。
「【愛欲】は、まさに僕の専門分野。落としがいのある魂だなぁ……ところで、ロミはどう思う?」
「え……?」
彼が地獄に落とされた理由として、一番重い罪。それは、私を魔女と告発し、死へ追いやる原因を作ったこと――悪魔はそう言った。
「ロミが許すって言えば、もしかしたら彼の魂は、地獄の責苦を免除されるかもね。魂を次の生へ巡らせることだって、できるかもしれない」
苦しみを免除される――?
魂を次の生へ巡らせる――?
そんなことが、あっても良いのだろうか。
止まっているはずの心臓が、痛い。
無いはずの鼓動を全身に感じる。
『お前を死へ追いやった相手だ。さぁ、どうする?』
ネコの皮を脱いだ悪魔が、私を引き寄せ、耳元で囁いた。
怯えるルイス王子。顔を背けているミシェル――私は生前、牢獄まで会いにきてくれたミシェルを許せなかった。
『奴はあのような仕打ちをしておきながら、お前を忘れていたのだ』
そうだ。彼は許しを乞いに来るどころか、私を忘れていた。
許せない。
許せるはずがない。
「……ロミ」
かすかな呼び名に、顔を上げると。
涙を浮かべた、青く澄んだ瞳と視線がぶつかった。
「ミシェル……?」
きれいな目が、私の瞳を真っ直ぐに貫いている。
つられて涙が出そうになる。
「そっか……」
ミシェルは何も言わない。それでも、分かった。
彼、いや彼女は私に願っている。憎しみに染まり、耳を塞いだまま死んだ私が、変わることを。
私にとって、大切でもなんでもない彼を許せなかったならば。
本当に大切で、憎くて、愛しているミシェルを、きっと許すことはできない――。
だから。
「私は……」