プロローグ
友達。
そこら辺の愚直な学生たちに大切なものは何かと問うてみれば、まあ三番目ぐらいにはそう答えそうなものだ。しかし不思議なことに、あれだけ仲睦まじく学校生活を共に過ごしてきた「友達」も、その時、その時分が過ぎて一年も経てば疎遠になるのが世の常。これは別に現代の学徒たちが薄情だとかそういった論理ではなく、ただ単に人間関係というものが流動的であるというだけであろう。勿論幼馴染や竹馬の友等と形容される例外も存在しうるが。
そして一端の男子高校生である僕とあいつの関係も、ご多分に漏れず卒業してしまえば自然消滅するような「友達」関係に過ぎなかったはずだ。
しかし。
永遠の友情を信じて疑わぬ高校生活の中で友達が失踪したとなれば話は別なのだ。
人生において最も充実していた時期がいつかと問われて高校時代だと答える社会人はかなりの数に上るだろう。青春だ、恋愛だ、共同作業だと恍惚とした表情で自分の経験を語るのだ。まあ各種メディア作品への露出の多さを鑑みても高校生活を人生の頂点とする風潮が我が国全体に存在することは確かなようだが、それにしたっていささか神格化しすぎじゃないかというのが一般高校生の正直な意見だ。一種の自己陶酔的唯我独尊的な時期が過ぎてなお不安定な未熟者がただ三年間を過ごすというだけであり、そこになぜ憧憬を抱くのか微塵も理解できない……
昼食後、そんな事を後ろの席に座る男に深い考えも巡らさずに語ってみると、
「一理もない、とは言い切れないけどね……」
後ろの男、永田ノブオは些か歯切れの悪い答えを寄越してきた。
「なんだ、こんな中身のない論説、そうだねの一言で終わらせていいんだぞ」
「ふん、熱く語ろうという気は無いよ。ただまあ、振られた話題を四文字で切り上げてまで代わりに進んで話したい物事もないって物さ……」
そうかい?
「僕が言いたいのは、少なくともこの高校生の生活は、希少性という点において価値が失われることはほとんどあり得ないということさ。特に、我らが銘清高校においてはね!」
なるほどね。確かに僕らの経験している生活は他では味わえないものだろう。
私立銘清高校。実に慈善的で博愛的な大企業の会長が建てた高校。生徒数は約4000人と、かなりの大規模である。
最大の特徴は惜しみなく投じられたリソースによって作り上げられた豪華、贅沢、最新鋭の設備。そして、会長兼校長の指針によって定められた『超自由』な校風。服装染髪ピアスその他の服飾、装飾の類の自由は勿論のこと、ゲーム機等娯楽品の持ち込み、使用も制限なし。部活動の設立に関しても申請書一枚書くだけという軽快さ。
それだけならままある「校則の緩い高校」でしかないのだが、更に特筆すべきは「先生の徹底的不干渉」。
授業中にスマホでゲームに興じていたとしよう。厳しい高校なら反省文、慈愛に満ちた高校でも一旦の没収はまのがれないだろう。しかし、銘清高校の教師たちが咎めることは一切ない。では底辺高校のような野放し……というわけでは無く、しっかりスマホは没収される。
自発的に立ち上げられた規律監視部によって。
そう、生徒たちに没収されるのだ。
銘清高校では生徒たちが大人の干渉なしで規律を作り上げる。必要な組織があれば部活動として立ち上げ、メンバーを集め、事を為す。そこに大人たちの姿は、ない。
規律監視部以外にも消防部、提出監視部、取締部から弁当販売部、文房具販売部といった商売系、バトミントン部や美術部などの一般的な物まで数多の部活が立ち上げられ、運営されている。
しかし、簡単に設立できるということは問題のある部が生まれることもあるということ。
或る時、「勉強推進部」が誕生したことがあった。彼らは勉強することを強引に義務とし、強制した。昼食後にゲームをしていた生徒のスマホを破壊するなど、悪辣極まりないものだった。
だが、設立から二週間と経たずに勉強推進部は解散に追い込まれた。
生徒たちの投票によって。
銘清高校では健全な学校運営のため、毎週金曜日にオンライン生徒総会を行っている。あらゆる議案をフォームから提出することができ、賛成が3分の2を超えたものは即時可決される。勉強推進部は悪政が祟って即時取り潰しを決定された。規律監視部だって毛嫌いしている人はいそうなものだが、それでも存続しているのは学校に秩序を求める人のほうが圧倒的に多数だということだろう。
まあそんな感じで、銘清高校は一介のハイスクールに過ぎないながら一種の社会、広大な敷地も相まって一つの村、町のような体を成している。これを好ましく捉えるか嫌悪するかは人によるだろうが、まあほかの高校生でも体験できない貴重な経験であることに疑念の余地はない。その希少性からか倍率もべらぼうに高く、設立当初と比べて偏差値は20近く向上している。いまや有数の進学校って物だ。
「……そうだな。神格化云々は置いておくにしても、希少性に関しては反論できん」
「人間、もう体験できない出来事は持ち上げがちだしね。懐古厨って奴」
はは、実に厄介な人種じゃないか。やれ、その理論で言うと懐古厨というのは所謂マニアやオタクと呼称される界隈のみならず身近にも普遍的に存在するって訳かい。
「なんとまあ、厄介な社会だ。」
「違いないね…… 」
会話が一段落し、沈黙が流れた。
僕とノブオの関係はそれなりに長く、そこそこ深い。沈黙が気まずいなんてことは全くもってないのだが、それにしたってこの時間はすこし異様な雰囲気を持っていた。ノブオはいつものように話題をそれとなく探すような態度ではなく、明らかに何かを逡巡していた。
そして、ノブオが何をためらっているのか俺もある程度わかっている。奴が自発的に話し出すのを待とうかとも思ったが、時計に目を向けると昼休みの残り時間は五分に満たなく、悠長にしている暇は無さそうだった。
「何をためらっている?……奴のことかい?」
ノブオは虚を突かれたように少しばかり目を見開き、なおもためらうように目線を左下に向けて、再びの沈黙を少しの時間場にもたらしてからからようやく重い口を開いた。
「そう、そうとも。キオのことさ……」
やっぱりな。
細田川キオ。僕とノブオの友人。「普通」な俺とスポーツマンなノブオに比べていろいろな面でおとなしく、控えめな性格の男。成績はそれなりに良いが、天然っけのある奴。
そんな一般男子高校生は、一昨日から失踪している。
「その態度から見るに、そんなに良いことじゃなさそうだな」
「なんと形容すればいいか分からない。直接的な悪い情報というわけじゃないんだ。でも、それが示唆するものがちょっとね……」
「勿体ぶるな、はっきり言ってくれよ。もう時間もない」
「遺書だよ」
何だって?
体温が急速に低下していくのを感じる。背筋が凍るってやつか。
キオが失踪したのは一昨日、月曜日の放課後。俺たちの部室にあいつは、来なかった。
その時は用事があっただとか彼女ができたとかそんなことを冗談めかしに想像しただけだし、翌日、翌々日と学校に来なかったにしてもどうせ熱が出たくらいのオチだとばかり思っていた。
いや、思おうとしていた。
分かっていた。メッセージを送っても既読は付かず、担任すら欠席理由を把握していないことが異常事態だなんていうことは。
それにしったって……
「遺書だ?」おうむ返しをするのが精いっぱいだった。
「そう、そうなんだ。どういう状況なのかはわからないけど、森本から朝聞いた。」
「あいつが持っているってことか?キオの遺書を?」
「わからない、とにかく僕も聞いただけなのさ、それに……」
なじみのある、焦燥感を募らせるメロディが鼓膜を支配した。
チャイム。
万事休す、だ。学生の本分はおろそかにするわけにはいかない。
「話は後だ……放課後、部室で」
「あ、ああ、じゃ、僕はいくよ」
ノブオが自分の教室に戻っていくのを見届け、俺も古典の教科書を取りにマイスペースに向かう。銘清高校では、ロッカーではなく二メートル四方ほどの教室の後方に設置されたマイスペースにすべての物を収納する。
古典の教科書を見つけ出し、文法書を発掘しながら考える。テルはなぜ遺書の話をしたんだ……?
森本テル。俺たち三人の友人にして実質的なリーダー格。質実剛健で竹を割ったような性格の男。遺書だなんて物騒なものと結びつきそうなやつではない。
「キオから託されたってことか……?」
遺書を。自分はこれから死ぬといわれて。それをただ見守ることしかできないテル。
無いな。
あいつならまず、止めるだろう。質実剛健なテルは運動部ほどではないにしろわりに屈強な体躯を持っているので、女と見紛うようなキオを物理的に止めるに不足は無いだろう。
無い、そんな訳はない。
きっと情報が伝播する過程で歪んでいった結果だろう。
ノブオが伝えたのは『キオの遺書に関する事をテルが話した』ということだけで、テルが持っているだなんて情報は一つもない。
僕としたことが焦りすぎていたようだ。冷静になろう。
テルも焦って又聞きした情報を拡大解釈したのではという有望な想像が生成されたところで文法書が姿を現したので。一旦このことについて考えるのは辞めて文法テストに注力することにした。
しかしまあ、
集中なんて一ミリたりともできるはずないがね。
空欄の目立つテストを教師に預け、襲い来る睡魔と激戦を繰り広げて木曜午後の授業は終了した。
俺は並び立つ教室群を抜けて、部室へと向かう。
取締部室。
……正確に言うと、第23部活動用教室。
俺、ノブオ、テル、そしてキオの所属する取締部の根城だ。
自分の部屋の数倍は滑らかに開く引き戸を開けて中に入ると、既にノブオがパソコンに向かっていた。取締部で唯一兼部をしているノブオだが、今日はバスケ部の活動はないようだ。いつもの張り付き笑顔が心なしかひきつっている。多分気のせいではないだろう。
「ういーす」
「あ、お疲れー」
テルが来ればキオについての話が始まるのだろうが、その前に仕事を確認しておく。取締部に休みはない。
「どうだ、仕事は?」
「見回りはミヨさんと藤原先輩が行ってくれてる。聞き取りは三件くらいたまっているけど、緊急性のありそうなものはないね。」
取締部。学校の安全を守るため、悪人を取り締まる部活。
部員は僕たち四人含む五人の二年生と三年生が一人で構成されている。そのうち、二年の吉永ミオと三年の藤原チヨミは外に行っているようだ。藤原先輩は引継ぎのために残っているのだから、雑務までやらなくていいのに、とは思う。
そして、とある理由で一年生はまだ募集していない。
実にかっこいい、ヒーローチックな部活。僕はこの仕事を誇りに思っている。僕が英雄だと誉めたてられる時もそう遠くは無いだろう…今はまだ地味だが、この人生もバラ色に色づいていくのだ。
「聞いているかい、イサマ。今日は割に暇な日になりそうだよ!」
ああ、いかん。ヒーロー気取りでいる場合ではないのだ。
「そうか、ま、普通ならね。」
僕は一度言葉を切って、口にするのが憚られる単語を口にする。
「遺書のことがなければな」
ノブオは顔を歪める。その話題には触れたくないといわんばかりに。
しかし、何もしないことにはどうしようもないのだよ、ノブオ。放っておくわけにはいくまい。キオは僕たちのかけがえのない友人なのだから。僕は重ねてノブオから話しを聞こうと、声をかけた。
「それで、本当に他には何も……」
その時だった。
ガラガラガラガラ!
滑りの良い筈の扉をけたたましい音で開け、森本テルが滑り込んできた。あまりの勢いにつんのめって、机ぎりぎりで制止する。
そして存外に早く息を整えた奴は、衝撃的な一言を僕らへ放ったのだった。
「遺書が盗まれた!」