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聖女を知る者はいない。
徒然に書いた物語です。
感想ありがとうございます。
ご要望のありました別視点を短編で投稿させていただきました。
あわせて読んでいただけたら幸いです。
「なあ、知ってるか?クレメンテの聖女の話」
エール酒を片手に年若い旅の男が声を掛ける。
「あぁ、知ってるに決まってるだろ」
既にほろ酔いの小男が、何を今更と言う感で返した。
帝都、パルミフェリアの酒場で男達が噂話をしている。
噂とは、西の小国クレメンテの事だ。
一年前に滅んだ国。
「って、あれだろ。聖女が現れたって調子にのった国が、民衆の怒りを買って革命を起こされたって。でも、革命の後、すぐに滅んだって話じゃねぇか」
「ああ、そのクレメンテの国の聖女の話だよ」
クレメンテに現れた聖女。
聖女は大地の瘴気を抑え、森からの魔獣の進行を食い止めた。また、民を癒し、兵達に力を与えたという。
「でも、馬鹿だよな、あそこの王様は。聖女を殺しちまったんだろ。それに対して民衆が怒ったって話だろ」
「そうそう」
クレメンテの王は、聖女の力を侵略戦争に利用しようと考えたが、聖女はそれを拒否した。それに怒った王が聖女を火炙りにして殺したとかいう話だ。
「それにしても、勿体ねぇ話だよな。聖女だぜ聖女。絹糸みてえな白銀の髪に、透き通った肌。スレンダーな身体は清楚な雰囲気を纏う、薄青色の瞳の美女。あ〜、勿体ねぇ。別に聖女でなくたっていいじゃねぇか。勿体ねぇよなぁ」
「その聖女の話だけどな……」
旅の男は、間をおいて話し始めた。
◇
「聖女は、ブロンズのカーリーヘアのグラマラスな女だったらしいんだ」
「あっ、聞いた事がある。聞いた事がある。そっちが本当なのか?ボンキュッボンのセクシーな女だったって」
「まさに傾国の美女って感じだな」
「でも、そっちの話だと、聖女ってよりも魔女って感じらしいぞ」
小男が言うには、人心を惑わした聖女(魔女)が瘴気を抑えた後、王族に取り入り、国を乗っ取ろうとした。それが民衆の逆鱗に触れ、革命に繋がったというのだ。
「それで、ギロチンだろ。こっちも、勿体ねぇよなぁ〜」
「あぁ、確かに。で、どっちが正しいと思う?」
「どっちだろうなぁ。9対1くらいで清楚が多いと思うけどな。俺としては、どっちにしても勿体ねぇしかねぇよ」
「そうだな」
旅の男は、手にしたエール酒をクイッと飲み干すと、酒場を後にした。
◇
「大丈夫そうだよ。ネフェルティ」
男は、宿の一室に入ると、旅衣装を緩めながら窓辺に座る女に声をかけた。
ネフェルティと呼ばれた女は、心配そうな顔で男の元に近寄り、手を取る。
小柄で線の細い、黒髪の娘である。
「大丈夫だよ」
男は、もう一度そう言うと、娘の額にキスをした。
やっぱり、本当の聖女を知る者はいない。
男の名は、カールス。クレメンテ国の騎士であった男だ。
娘との出会いは、二年前に遡る。
あの日、カールスは上司からの指示で市井に現れたという聖女を確認に向かっていた。
そこで見たのは、輝くばかりの白銀の髪を風にたなびかせた薄青色の瞳を持つ女性。純白のローブを纏い、毅然たる振る舞いで呪文を詠唱している。女性の前には跪く数多の民衆。手を合わせ、口々に救いを求める。国教会の前の広場。
女性の詠唱が終わる。
眩い光が周囲を包み込み、次第に人々の中に消えていく。
「おお、目が目が見える!」
「動かなかった足が!」
「身体が浄化されたようじゃ」
「おおっ、聖女様の奇跡じゃ!」
「聖女様!」
「聖女様!」
集団治癒。
奇跡の御力。
皆が女性を讃え、聖女と呼ぶ。
その中、カールスは別の女性を見ていた。神々しい奇跡の場に不似合いな、首輪をつけられた女。貫頭衣のような擦り切れた衣服に身を包んだ、痩せぎすの黒髪の娘。
そんな娘が、聖女と呼ばれた女の後ろ、教会の入口付近に立っている。首輪から伸びた鎖を持つのは、修道士だろう。
カールスは、見たままを報告した。
聖女の名前は、リザベスと聞いた。
リザベスは、その後も幾度となく集団治癒を繰り返し、民衆の支持を得ていく。そして、王都周辺の浄化まで行い始めたのだ。正に聖女ブーム。民衆は、リザベスに浮かれ、リザベスを求め、リザベスを拠り所としていた。
その様子を伝え聞いた王は、一つの決断をする。国の脅威となる森の瘴気をリザベスの聖女の力をもって浄化しようとしたのだ。リザベスは嫌がることもなく王の要請を受け、森の浄化を行うべく行動を開始する。
クレメンテ国は、小国ながら豊かな森の恵みと貴重な鉱物を採掘できる山脈に囲まれている為、比較的豊かであった。ただ、森の奥、山脈の果てより湧き上がる瘴気により、獣達が変異した魔獣と呼ばれる存在に脅かされる地でもあったのだ。
リザベスは、教会の聖騎士、修道士と王国の騎士達を伴って森の奥、瘴気の湧き出るポイントへと赴く。
その中に、最近名を挙げ始めた魔道士のエイドラがいた。
エイドラは、ふわふわとカールを巻いたブロンズヘアーの美女であり、炎の魔法を得意とする。
「なあ、やっぱり聖女リザベスだろ」
「はあ?魔女エイドラの魅力が分からないのか?」
騎士と雖も男。騎士達は、リザベス派とエイドラ派に別れて夜の会話に花を咲かせたものだった。
ただ、カールスは、魔獣が闊歩する危険な森を進軍する中に、あの首輪をつけられた黒髪の少女が従軍させられている事に訝しさを感じていた。あの時と同じ擦り切れた衣服に痩せ細った身体。チラと見える服の下には青黒いアザがある。常態的に虐待を受けているのは想像に難くない。
進軍の途中、首輪の娘を何度か見る機会があった。
鎖を引かれ、転びかけながら歩く。布袋のような靴は破れ、ほぼ素足に近くなった足からは血が滲んでいる。
近付き、何故このような娘を連れているのかと聞いてみても、鎖を引く修道士からは返事がない。
そんな時には、そっと近づいてきたリザベスが、あざとい微笑を浮かべながら言ってくる。
「フフ、騎士様は、お優しいのですね」
なぜだか背筋に冷たいものが走った。
夜になり、野営の中、人目を避け声を掛けた。そして、足裏を保護するように包帯を巻き、靴代わりの新しい袋を与える。
娘の足は骨ばり、乾いた血がこびりついていた。
かさついた唇から溢れた『ありがとう』の言葉は、何処となくイントネーションが違う。異民族の娘なのだと思い至ったが、そこに嫌悪感が湧く訳でもなく、ただ、その声がとても心地良く、その瞳がとても綺麗だと思った。
不可思議な程、魔獣の襲撃のない行軍。それでも獣に遭遇する事もあるし、蛇や虫に襲われる事もある。そもそもが道もない森の中を行くのである。体力のない者の疲労はピークをむかえていた。気が付けば隊列はバラけ、カールスは異民族の娘と行動を共にする事が増えていた。いや、カールスが娘から離れたくなかったのかもしれない。
ゆっくりと娘と会話する時間が増えていく。
少しずつ、笑顔が見え始めた。
カールスは、自分の水を娘に分け、時に背負って歩く事もあった。娘の心が自分に開かれていっているのが分かって、何処となく嬉しくなった。
娘にとっても、自分がそうなら嬉しいと思った。
数日前から娘の鎖を持つ者はいない。疲労と喉の乾きから生水を飲んでしまった修道士達が体調不良をおこし、倒れたからだ。
エイドラが、真っ赤な唇を歪めながら言っていた。
「あのいけ好かない聖女モドキが、修道士達の水を独り占めしたからだよ。ほら、今度は聖騎士達の水にも手を出しているよ」
そうなのかもしれない。チラと見たリザベスは、今もあのあざとい微笑を浮かべて、聖騎士達の中にいる。その手には、無骨な水筒。
そういえば、以前、エイドラが言っていた言葉を思い出した。
『あの聖女モドキの呪文、大袈裟に詠唱してるけど、あれ本当に浄化の呪文なの?大体、聖女の力の行使に呪文なんているのかねぇ』
同じ平民出ということもあり、認められない辛さを分かち合った事もあった、俺とエイドラ。彼女は大抵が図書館に籠もり、魔術書を読んでいた。当時から片鱗が見えていたギラギラとした出世欲にはついていけなかったが、魔法に関する貪欲さは認めざるを得ない存在だった。
言われてみれば、そうなのかもしれない。
聖女の力に呪文の詠唱が必要なのだろうか?
呪文自体があるという事は、誰が教えたんだろう?
教会に資料があったのか?
今すぐには答えの出ない疑問が頭を埋めていく。
気の遠くなる程の行軍が続いた。
みな、手持ちの水も食料も無くなり、帰り路に取っておいた、僅かな水にさえ手を出してしまっていた。
それでも行軍は続けられ、やがて森の奥、瘴気の巻き上がる黒い泉に辿りついた。
流石に目に見えるほどの瘴気が渦巻く最奥では、魔獣が行く手を阻む。聖騎士達は聖女リザベスを中心に守りを固め、カールス達騎士はリザベスの進む道をつくる。
じわりじわりと魔獣を倒しながら、黒い泉へと進んでいく。
「聖女様、お願いします!」
聖騎士の一人が言った。黒い泉のほど近い位置。
リザベスは一度後ろを見ると、杖を掲げ、詠唱を開始した。
荘厳な詠唱。
騎士達は、魔獣に剣を振り下ろしながら、詠唱の終わりを待った。
僅かな詠唱時間が永遠に感じる。
カールスが六体目の魔獣を貫いた時、詠唱が終わった。
光が溢れる。
黒い泉を、魔獣達を、聖騎士達を、騎士達を眩い光が包みこんだ。
そして──光が収まった時──
──────全てはそのままだった。
黒い泉は黒い泉のまま。魔獣は魔獣のまま。瘴気は瘴気のままで渦巻いている。
「アッハハハ、やっぱり。可怪しいと思ったんだよ。ただの光の呪文じゃん」
大声で笑い出したのは、エイドラ。
魔獣達が攻撃を再開した。
気が抜けた騎士達、聖騎士達は、魔獣達の牙に、爪に傷付けられ、倒れていく。
当のリザベスは、いつも浮かべているあざとい微笑を歪めながら叫ぶ。
「糞ネフェルティ!」
首輪の異民族の娘に怒りの目を向ける。
ネフェルティと呼ばれた娘は倒れていた。
魔獣に襲われたのではない。過労であろうか、空腹からであろうか、虐待のせいであろうか、その場で力無く倒れ込んでいた。
カールスは、ネフェルティに駆け寄る。
戦闘の最中、騎士として有り得ない行動だ。でも、仕方がなかった。カールスの心はいつの間にか、哀れな娘に絡みついてしまっていたのだから。
魔獣の爪に傷付きながらも走った。
そんな事よりも、ネフェルティから目を離してしまった事が痛かった。
カールスの背後からは、リザベスも駆け寄ってくる。
リザベスの手にはナイフ。
リザベスは、ナイフを振りかざしながら、再び叫んでいる。
「この糞異民が、寝てんじゃねぇぞ!ちゃんとしろや!」
わかった。リザベスの豹変ぶりから理解できた。
本当の聖女は、この首輪をつけられたこの娘だ。
ネフェルティは、リザベスの詠唱に合わせて聖女の力を行使させられていたのだ。
道中、魔獣達が襲ってこなかったのもネフェルティが居たから。
カールスは、凶刃からネフェルティを庇い、疾走った。
いや、逃げたのだ。
後から聞いた話では、エイドラの魔法で魔獣達は焼き尽くされ、何とか退却がなされたが、多くの騎士が死に、殆どの聖騎士が死んだということだ。
刺激した事によるものなのか、黒い泉は活性化され、一層濃い瘴気が森を包み、王都までも黒く包まれた。
連れ帰られたリザベスは幽閉され、その姿は民衆より遠ざけられた。
城内では、エイドラが権勢を振るい、王の立場すら揺らいでいく。
絶頂を迎えたエイドラであったが、その心は安んだものではなかった。
民衆は、瘴気に覆われた王都の中で、聖女リザベスに救いを求めたのだ。
いくら、聖女の力が偽物であったと言っても、リザベスの奇跡を目の当たりにしてきた民衆は信じない。日に日に大きくなる聖女に救いを求める声に、エイドラは最悪の対応を取る。
リザベスの聖女偽装に関わっていた教会関係者諸共、リザベスを火炙りにしてしてしまったのだ。
リザベスを、教会を、心の拠り所を失った民衆は、立ち上がった。武装蜂起。
狂った民衆は、王城の門を破壊し、王族を殺し、エイドラにも迫ってくる。
エイドラがいくら炎で人々を燃やそうとも、人は層をなし、エイドラを捕らえた。
そして、エイドラはギロチンで処刑。
執行される前、エイドラは呪怨めいた言葉を発していたらしい。
『聖女が消え、くそ忌々しい偽聖女が死んだというのに……嗚呼…………』
そして、首だけになったエイドラの瞳は、紅く見開かれたまま天を睨みつけ続けていたと言うことだ。
その後、クレメンテ国は森に沈んだ。
リザベスが処刑されてから七日。
エイドラが処刑されてから二日後の事だった。
逃げたネフェルティとカールスを知る者は居なくなった。
そして、二人は共にいる。
ネフェルティの瞳にはカールスが映り、カールスの瞳にはネフェルティが映っている。
旅の間に、二人の距離は近くなり、かけがえのないものとなっていた。
ネフェルティの身体が次第に元気を取り戻していっても、カールスはネフェルティを慈しむことを止めない。
ネフェルティは、カールスと共にいる事を安らぎに感じている。
帰る場所から逃げた男は、帰る場所を失い、愛する人を得た。
娘は女となり、二人は旅を続ける。
ありがとうございます。