八話 ずっと偉くてすごい
「優斎! 大丈夫!?」
流れた血が目に入り、体を起こした優斎はふらついた。
「頭を、噛まれた……けど、大丈夫。ああ、骨が軋む感覚ってこんななのかな」
優斎は菊花に答えながら、餓者髑髏を穴に横たわらせる。
すると、成り行きを見ていた春様が近づいてきて餓者髑髏に土を被せ始めた。あっという間に地面は平らになり、花まで咲いていた。
「優斎、こっち来て! 早く手当てしなきゃ!」
「ありがとうございます。優斎」
静かな声が優斎にだけ聞こえたが、春様の姿はもうどこにもなかった。ずきりと痛む額に手を当て、気づく。入道が投げ捨てたはずの花冠が被せられていた。
「優斎ってば!」
「わかったよ! 今行くから!」
もはや怒っている菊花に歩み寄り、優斎は大人しく手当てされた。その間に彩羽を抱えた伊織も戻ってきて、面々はようやく落ち着きを取り戻していた。
「優斎、彩羽を助けてくださりありがとうございます」
菊花に包帯を巻かれていた優斎に伊織が礼をする。
「大変だったんだから! がしゃどくろ、だっけ? 妖に食べられたんだから!」
「食べられてないよ、菊花。齧られただけ」
「だけ!? 私がどれだけ怖かったかわかる!?」
「彩羽! 目を覚ませ! 彩羽!」
苦笑いをする伊織の後ろで春根が彩羽に叫ぶように声をかけている。肩を叩いて呼びかけていたおかげか、彩羽もすぐに目を覚ました。
「いたっ、痛い!」
起きるなり、彩羽は包帯の巻かれた額を押さえて悲鳴を上げる。それを見て、同じ場所を齧られた優斎も額が痛んだ気がした。
「彩羽!」
「お父様! 私すごく怖かったわ!」
涙を流しながら抱擁する親子に優斎と伊織、菊花は安堵した。
「菊花……その広げた腕はなに?」
「んー? 優斎もしたいかなって」
「しないよ!?」
「えー?」
抱擁の代わりと言わんばかりに菊花は「よしよし」と優斎の頭を撫でた。菊花の心遣いは素直に受け取りたいが、傷を負った付近に触れることはやめてもらいたい。
「菊花、優斎は疲れているんですから。ほどほどにしなさい」
「今はほどほどもいやなんだけど」
「伊織様!?」
父親と感動の再会を果たしていたはずの彩羽が、優斎たちと話していた伊織の腕に縋りついた。優斎と菊花は目を丸くし、伊織は浅くため息を吐く。
「いつも言っているでしょう。僕との距離が近すぎます」
「伊織の、従妹……だよね?」
菊花が引き気味に尋ねる。
「はい。歳は菊花と同じで十七です。そうでしたよね?」
「私のことを覚えてくれているのね!」
優斎は微妙な顔をした。
これは、まるで。
「随分と仲がいいんだね、伊織」
「わかるかしら!? あら、あなたが噂の陰陽師ね? 陰陽師のくせに見る目あるじゃない」
優斎は思わず顔を引きつらせた。菊花はもはや言葉が出てこないようだ。
「彩羽」
「なにかしら!?」
伊織から与えられる一言一句に舞い上がる彩羽。伊織の表情が厳しくなっているのも、「なんて凛々しいお顔なのかしら!」くらいにしか思っていない。
「謝意を述べるのが先ではありませんか?」
「私としていたことが! 伊織様、助けてくださりありがとうございました! 化け物に襲われたときは本当に死んでしまうと思いましたわ」
「僕にではありません。優斎と入道様に、です。二人が偶然居合わせなければ、あなたは今ここにはいませんよ」
「あら、そうでしたの! 感謝いたしますわ、優斎様に入道様。それはそうと伊織様! 私とても怖い思いをしましたの!」
優斎たちは完全に蚊帳の外にされている。あまりにぞんざいな扱いに、菊花相変わらず絶句していた。
「すみません。もっと言い聞かせておきますので」
「伊織は気にしなくていいよ。慣れてるから」
優斎は謝意を口にされるだけましだと考えているし、入道に至っては聞いてもいない。
「ゆうさ」
「優斎こそ! 優斎はあんなの気にしちゃだめ! 私たちはちゃんとわかってるから。優斎がいるからみんなが無事に生きていられるんだから」
「無事だと!?」
優斎を励ます菊花の言葉に、今まで黙っていた春根が目を吊り上げた。
「娘は怪我をしているんだぞ!? お前が怠けているから化け物が暴れ、こんなことになったのではないか!? 今回の件は皇室にきっちり抗議させてもらうからな!」
「この傷、痛いわ。伊織様」
立ち位置的に、武士と陰陽師が敵対するような構図ができあがる。
このように面と向かって武士と対峙することはなかった。いつもは影や傍から嫌味を吐きかけられるだけだったから。
しかも、向かい側に伊織がいるという構図は今までになかったこともあり、優斎は思うように声が出せなかった。
「こんなことになったのは、彩羽様が花畑に入ったからですよね? 春根様がそれを止めなかったからですよね? 東都で育ち、しかも春の名を冠したあなたたちが規則を破ったんですよね? 違いますか?」
優斎を庇うように、菊花が前に出る。春根と彩羽は口ごもり、優斎と伊織が息を呑んだのを菊花は聞き逃さなかった。
「東都では花畑に入ったら罪人になる? 西都ではね、勝手に木を伐採すると罪人になるんだよ。秋様の遊び場が減っちゃうから。ねえ、伊織。東都では花畑に入ったら、罪人になる?」
菊花は二度、同じ質問を繰り返した。
「は、い……春様を怒らせれば東都の存続が危ぶまれますから、罪になります」
「じゃあ、彩羽様は罪人だよね? 悪い人だ」
「あ、あなた! 無礼にもほどがあるわ!」
「無礼なんだ」
菊花はにこりとしたが、怒気を隠しきれていない。その様子に彩羽がびくりと体を震わせ、伊織の背中に身を引いた。
「でも、彩羽様はおこぼれで春の名を冠しているだけだよね? 私はいずれ西都の領主になって、もっともっと勉強して宰相にもなるの。そして優斎は、南都の領主で四季之国を守れる唯一の陰陽師。彩羽様が慕う伊織や彩羽様の父上より、ずっと偉くてすごいんだよ」
「菊花……?」
優斎と伊織の掠れた声が重なる。
「彩羽様たちが規則を守らなかったから、妖は怒ったの。それと! 妖は得体の知れない化け物なんかじゃない。あなたたちみたいな人が化け物にしてるの。ねえ、本当に無礼なのは……誰かわかった?」
しん、と静寂がこの場を支配する。
この場で一、二を争う弱い立場の娘が、誰よりも圧倒的な威圧感を放っていた。
「――ふ、くく」
だが。
「ふふ、はははっ」
なぜか大笑いの入道が、その張り詰めていた緊張感をぶち壊した。腹を抱えて、溢れた涙を拭うような仕草をしてまで、笑っている。
「ちょっと入道様! どうして笑うの!」
「悪く思うな、秋の子。いやなに、お前のような娘に言い負かされた人間たちが愉快でな。他意はない」
「わ、私だってほんの少しだけ態度に出しちゃったのは悪いと思うけど! そんなに笑わなくたっていいでしょ!?」
菊花が口を尖らせて入道を怒る。もういつもの菊花に戻っていた。
「春の子よ」
「なん、でしょうか」
まだ衝撃から抜け切れていなかった伊織が、弾かれるように我に返る。
「お前は武士だろう? 罪人を野放しにしておく気か? 陰陽師が悪意ある妖を律するように、武士は悪意ある人間を捕らえ、罰するのが仕事だろう?」
やけに挑発的な顔をする入道。伊織はぎゅっと拳を震わせ、春根と彩羽に顔を向けた。
「う、嘘よね? 伊織様……!」
「まさか裏切るのか!? お前はもう計画の中枢に」
「春根殿!」
珍しく、伊織が叫ぶ。
「軽々しくそのようなことは声に出さぬようお願いします。今回のことは、皇室に報告させていただきます。春様の……東都の土地神様に関する事案ですので、僕だけでは決められません」
伊織はそれだけ告げ、牛車に乗るよう促した。
「すみません。僕は春根殿と彩羽を送り届けてから屋敷へ戻ります。ですから三人はあちらの牛車に」
「わかった! 早く帰ってきてね、伊織!」
「できるだけ、早く戻るようにしますね」
菊花に薄く微笑んだ伊織は牛車に乗り、優斎たちもそれを見届けてから別の牛車で帰路についた。
「優斎、頭痛む?」
「ん? ちょっとだけね」
優斎の隣に座る入道とそれに対面するような菊花から同時に視線が注がれる。
「それにしても、菊花って怒ると怖いんだね。俺、びっくりして動けなかったよ」
「もう、その話は忘れて! でも、伊織も庇ってくれたらよかったのに。伊織が優斎のこと庇ってくれなかったから、それも一緒にむかむかしちゃったの」
「まあ、他の武士の手前だからね。仕方がないよ。俺は本当に気にしてないから、菊花も怒りを鎮めてね」
「もう大丈夫だってば!」
菊花は頬を膨らませてそっぽを向く。
「人にかまけている場合ではない。以前にも妖にお前は倒されていた」
優斎はその言葉を受け、「う」と縮こまった。
「今回は小生に助けを求めただけよかったが、いつまでもそう軟弱でいられては困る」
説教をされる優斎を見かね、菊花が横から口を出す。
「優斎、前にも妖に倒されたの?」
「前と同様の境遇に陥れたが、全く成長が感じられない。もっと体を鍛えたらどうだ?」
「そんなこと言ったって、俺は武士じゃないし……待って、今陥れたって言った?」
「優頼は相手が武士でも投げ飛ばしていたぞ」
優斎の追及を無視し、入道は優頼を引き合いに出してきた。
「私それ見たことある! 優斎が武士に意地悪なこと言われてたとき、投げ飛ばしてた! 優斎、覚えてない?」
「え、覚えてないよ。いつの話?」
「んー……忘れた!」
他人の口から語られる記憶は魅力で溢れている。
思い出話に花が咲き、菊花の話に聞き入る優斎はいつの間にか、入道に陥れられたという話はすっかり忘れてしまった。