終話 入道雲
「いーりーみーちー!」
南都はその日、格段に蒸し暑かった。風もなく、朝から巨大な雲がそこら辺に鎮座していた。
けれどもそんな暑さに負けず劣らず、熱気に満ちた大声を張り上げる妙齢の男が一人。
「どーこだあぁ!?」
ばたばたと木の床を踏み鳴らす男は、外から近づいてくる人影に足を止めた。
「入道。お前さん、どこ行ってたんだ?」
断りも入れずに出かけていき、必死こいて探していたやつはあっけらかんと帰ってきた。反省の色など微塵もなく、すんと涼しい顔をしている。ふてぶてしい態度だ。
「なんだ、この餓鬼?」
無精髭の伸びる顎をさすりながら、男は怪訝に尋ねる。
やっと帰ってきたと思えば、あろうことか幼子を腕に抱いていた。まだ産まれて一年か二年くらいだろうに、炎のように赤い瞳はすっかりくすんでしまっている。
「……どこから攫ってきたんだ?」
「失敬な」
入道は心底呆れたような顔をした。
「あまりに惨めに縋るものだから拾ってやっただけだ」
「とてもそうには見えねえが」
男が値踏みするようにまじまじと見ていると、幼子は視線を退けるように入道の服に強くしがみついた。
入道に縋ったというのは本当のことなのかもしれない、と男はにやりと口角を上げる。
「お前さん、その餓鬼どうするつもりだ?」
入道は伏し目になり、腕の中で小刻みに震えている幼子を眺めた。
「育てる」
「はあ? お前さんがか?」
「お前がだ」
「俺かい!」
男が声を荒げ、幼子の体がびくりと跳ねた。
「怖がっているだろう」
「どの口が言ってやがんだ。神が人間育てるなんて聞いたことねえよ。気まぐれならやめとけ。お前さんもその餓鬼も、ついでに俺まで不幸になっちまう」
無表情のまま幼子へと視線を注ぎ、熟考していた入道が鼻を鳴らして尊大に答える。
「小生がいて、不幸になるわけがない」
「その自信はどっからくるんだよ」
「それに、お前だって探していただろう」
「なにをだよ?」
男は腕を組み、不満そうに口をへの字に曲げる。
入道が幼子の両脇に手を入れ、高々と掲げた。その突然の行動に男と幼子は等しく目を見開いた。
「次の、陰陽師」
男が目を丸くした。
「――小生は、お前がいい」
屈託のない微笑みが、幼子に向けられた。
「お前さん……」
入道はまた幼子を腕に抱えると、愛おしそうに抱き締めた。頬ずりをする入道に、「きゃっきゃ」とくすぐったそうに応える幼子。その光景に目の奥がじーんとして、胸を打たれる。
「神が人間育てるなんて、聞いたことねえ」
ぼそりと、男が再度呟いた。
「ねえが、最高じゃねえか」
「ん、なにか言ったか?」
「ああ、言ったが気にするな。そいつの名前は?」
「名前?」
入道はきょとんとし、男と幼子を交互に見る。
「――優斎」
ふっと口元が緩められる。
いつの間にか、幼子――優斎の顔から恐怖は消えていた。炎を焦がすような赤い瞳は輝きを取り戻し、この天邪鬼な神様をも魅了する。
「心優しき人間に。小生が認めた数少ない人間の、優頼――お前の名を継ぐ人間だ」
「そりゃあいい!」
南の空に高く昇る入道雲を吹き飛ばすように、優頼は高らかに笑った。




