二十八話 荒唐無稽
真っ黒の意識の中で、走馬灯のように時間が場面となって遡っていく。全てを目で追っているはずなのに、ふわふわとした感覚がまとわりつく。
自分が立っているのか座っているのか、目を開けているのか閉じているのか。場面から声が聞こえるような気がするが、なにも聞こえないような気もする。
とどのつまり、優斎にはなにもわからなかった。ただ、意識だけがそこに存在している。
それは終わりがないように思えたのだが、唐突に「あ、終わる」と優斎は直感した。
「――陰陽の家系、夏目優斎」
「っ……!」
唐突な目覚めに視界が荒ぶった。脳は酸素を求めて肺を活性化させる。手足は震え、がくりと膝が折れて優斎はその場に崩れ落ちた。
空気の張りつめていた空間を切り裂くように悲鳴やどよめきが耳をつんざき、ぼやけていた世界が徐々に鮮明さを取り戻していく。
「はっ、はっ――!?」
医者を呼ぶ声に紛れて、後ろのほうでも鈍い音と悲鳴が上がった。また、誰かが倒れたようだ。
「無礼な!」
優斎のすぐ傍に立っていた武士の一人が声を荒げ、前に出る。
「やめなさい」
だが、うずくまる優斎に刀を向けた武士をやんごとなき御方が言葉一つで制した。
「こ、こは」
我に返ったとき、たしかに聞き覚えのある言葉を耳にした。忘れるわけもない。あの口上は、
「たいかん、しき」
満足に理解が追いつかないまま、「戻っても取り乱すな」という入道の言葉がふいに思い起こされる。
「優斎! 優斎! どうしたの!?」
参列から飛び出してきたであろう菊花が優斎を抱き起こす。
「きっか……いきてたん、だね。よか、た」
「死にそうなのは優斎でしょ!? 早く医者を連れてきてよ!」
菊花が周りを睨みながら叫んだ。「大丈夫」とか「落ち着いて」とか声をかける余裕もなく、優斎の口から出てくるのは呻くような声だけだった。
そうしている間も、情報過多で頭の中はぐちゃぐちゃだ。加えて、ずきずきと頭が痛み、吐き気さえ催した。まるで毒を食らったかのような苦しさに、医者がやってくる頃には優斎は意識を失っていた。
それから優斎が目を覚ましたのは二日後だった。どうやら宮廷の医局に寝かされていたようで、しかも個室を用意されていた。身の丈に合わないと思ったが、仮にも南都の長となるのだからこれが真っ当なのだと自分に言い聞かせる。
「お目覚めになられたのですね。優斎様、失礼します」
断りを入れた医者は淡々と優斎の体を診ていった。倒れた原因は「極度の緊張により心に負荷がかかったため」と綺麗な紙に記入されるのが見えた。
さすがは宮廷に仕える医者だ。手際よく、あっという間に診察は終わっていた。
再び一人になり、入道の所在を不安に思っていると扉が静かに叩かれた。
「優斎」
自分の名前を呼ぶ声に、どくんと心臓が波打つ。
「目が覚めたそうですね。大丈夫ですか? 入ってもいいですか? 菊花と時丸はここには入ることができなくて、僕一人なんですが」
「いお、り。あ、その……なにがあったか、覚えてる?」
必死に心を落ち着かせ、扉越しに問いかける。
「ええ、覚えていますよ。優斎が倒れたかと思えば、入道様まで倒れてしまったんですから。いまだにお目覚めになられず、みな不安がっています。皇帝陛下も優斎と入道様から話を聞きたいらしく、少しばかり宮廷には緊張が走っているんです」
「……それだけ?」
「それだけ、とは? あ、菊花と時丸ですか? もちろん二人も優斎のことを心配していますよ。ただ、ここにまでは入ってこられないので、元気になったら顔を見せてあげてください」
入道が倒れたということも気にかかるが、それよりも平然としている伊織に違和感を覚えた。
伊織には、あのときの記憶がないのだろうか。つまり自分だけがあの凄惨な未来を、知っている。
「優斎?」
「あ、ううん! ごめんね、伊織。まだ気分が優れなくて……またあとで来てもらってもいいかな」
「気にしないでください。こうして声が聞けてだけでも十分ですから。もし辛くなるようなことがあれば人を呼ぶんですよ。遠慮などはしてはいけません。いいですね?」
「うん。わかったよ。時丸と菊花にも大丈夫だって伝えておいて」
まだ、心臓が早鐘を打っている。胸に当てた手のひらに伝わる鼓動が、優斎に教えてくれる。
これから優斎がしなくてはならないことは、きっと伊織や時丸までをも破滅に導くことになってしまう、と。
「俺が傷つくって、そういうことか」
武士のお偉方がいつから反乱を企てていたかはわからない。だが、四季の名を冠する者が反旗を翻したとなれば、分家だろうと傍系だろうと求刑は免れないだろう。
「どうせ、戻すなら」
お師匠が亡くなる前に、と思うのは傲慢だったろうか。
そんな甘ったれた考えを頭から振り払い、優斎は部屋を抜け出して入道を探しにいく。
「夏目殿」
振り返ると、宰相がそこにいた。菊花の父だ。隈が濃く、酷く疲れた面をしている。
「吹春伊織から目覚めたと報告を受けたが、こうもすぐに出歩いているとは。体調はよろしいので?」
「入道を探しているんです」
「入道様は依然、眠りにつかれたままです。皇帝陛下がお呼びですので、来ていただけますね」
まずは入道と合流したかったが、優斎は素直に頷いた。
連れてこられたのは宮廷にある図書館。扉の前で止まり、宰相は優斎に一人で入るように伝えた。
「中でお待ちです」
一礼し、立ち去っていく背中を呆然と見送る。屋敷とともに燃えた本の記憶がある以上、図書室へ入室するのが躊躇われた。
呼吸を整え、扉を開ける。古びた本の匂いの向こうに、尊き御方が泰然として優斎を待っていた。
跪き、言葉を待つ。
「待っていました。夏目優斎。座りなさい」
導かれるままに、優斎は対座した。
「言を許可します」
向こうからそう言ってくれるのは助かると優斎は思った。まだ少し混乱している部分もあるが、それだけでだいぶ話しやすくなる。
「回りくどい話はやめましょう。優斎、あなたはなにを見ましたか?」
優斎は鼻白んだ。戸惑って言葉の出てこない優斎に皇帝は肘をついて指を組み、付言する。
「優頼とは長い付き合いでした。未来を知り、運命を変える力。素晴らしい力ではありますが、同時に恐ろしい力でもあります」
全てわかっている、とでも言うように皇帝は微笑みながら頷いた。
「――荒唐無稽な話と思われるかもしれませんが、今より話すは全て真実にございます」
できる限り言葉を選びながら、優斎はこれから起こる反乱について洗いざらい話した。
四季之国を救うための進言は、友人を見捨てることに繋がる。それでも、話さなければならない。
そう切迫しているせいか、優斎は何度も言葉に詰まってしまった。声が裏返りもした。それらは緊張のせいでもあったが、なにより伊織と時丸のことを考えると胸が痛くなったからだ。
それでも皇帝は遮ることなく、たまに頷きで相槌を打ちながら静かに耳を傾けてくれていた。
「やがて鉄の値段は上がり、市場に出回ることが少なくなりましょう。どこかで買い占め、もしくは横流しが行われているのではないかと。そして鉱山の多くは、人を拒む北都に集中しています」
「それは、密かに武器が作られているということですね」
「私はそう考えます」
最後に大きく頷いた皇帝は、それっきり口を閉ざして考えを巡らせているようだった。優斎が口を出せるのはここまでで、あとは皇帝と大臣たちの判断に任せるしかない。
「なにか、言いたいことがあるのでしょう」
「え」
いつの間にか、皇帝は優斎に微笑みを向けていた。
「言ってみなさい」
「その……伊織と時丸は、どうなるのでしょうか」
手が震え、舌がぴりっと痺れる。吐き出したあとで、軽率で無礼ではないかと悟り、肝が冷えた。
「それは、優斎もわかっているのではないですか?」
優斎は失意に俯きかけたが、
「けれど困りましたね。新たに領主を決めようにも信頼に足る人物でなければなりません」
じわりと優斎の目尻に涙が滲み、最後まで言葉を聞いてもいないのに心が震えた。
「最終決定は大臣と会議しますが、ぜひ南都の領主にも話を伺いたいですね」
温情に、息を呑む。
「これは優頼の築き上げた信頼であり、優斎が得た功績です。四季之国の未来は、あなたにかかっているのです。精進なさい」
「はい。恩赦に、感謝を申し上げます」
「過去に戻るなんて力、優頼からは聞いたことがありません。その力だけは決して、他言してはなりませんよ」
再三の謝辞を述べて優斎は退室した。緊張の糸が切れて足から力が抜ける。入道が見たら笑われてしまうと、優斎はなんとか膝を折らずに済んだ。
「入道を探さないと」
伊織とはしばらく会えないな、と思ったときだった。
「優斎」
運悪く、と言ってもいいものか優斎は伊織と鉢合わせてしまった。
「ここでなにを? 体調が優れないのではなかったんですか?」
「あのあとすぐ、皇帝陛下に呼ばれたんだ。ほら、いきなり倒れちゃったでしょ? 不可解なことが多くてね。入道がどこにいるか知らない? 目が覚めてなくてもいいから会いたいんだ。正直、不安で怖くてたまらなくて……少しだけでいいんだ。一目だけでも、安心できると思うんだ」
「そう矢継ぎ早に申し立てなくても誰も拒みはしませんよ。きっと入道様でなければ優斎の愁眉を開けないのでしょう。こちらに、案内します」
伊織が案内してくれたのは、優斎が寝かされていた場所よりさほど遠くない場所だった。
「僕は、しばらく離れていますね。優斎もあまり無理をしないように」
医局の端、寝台や机の家具に高級感のある調度品。もしかしなくても皇族が使っている医局だと勘づくには、そう時間はかからなかった。
宮廷の内装はどこも基本的に華やかであるが、さすがに医局は白く簡素な色で落ち着いている。それに窓からは爽やかな風が流れ込んできていて、それなりに心地がいい。
「なんで、入道まで倒れてるの」
寝台の傍へ椅子を寄せる。
寝息などは聞こえず、本当に生きているのかわからなくなる。そもそも人間の定義に当てはめてはいけないのだろうが。
「簪、また買ってやらないとね」
身体ごと戻ってきたわけではないから、もちろん簪を買ったこともなかったことになっている。優斎は優美に輝く銀色の髪をその指にすくった。
「入道がこんなになるなんて、知らないよ。聞いてないよ。ねえ、いつ起きるの? まさかそのままずっと眠ってるつもり?」
どれだけ問いを重ねても、答えは返ってこない。
「あんなに髪結いを練習したのに。それだけは、なかったことになってないんだから……起きてよ。起きてくれなきゃ、結えないよ」
以前なら、声をかけたら鬱陶しそうに目を開けたのに。「まだ眠い」とか「もう少し」とか人間みたくごねることもなく、すっと起きてくれたのに。
「入道がいてくれないと、また独りになっちゃうんだよ」
どれくらい挫けていたのだろう。見回りをしにきた医者見習いに扉を開けられ、焦りながら出ていかれた頃にはもう夕暮れになっていた。
あんなに戦々恐々とした顔をしなくてもいいのに、と優斎は少しもやっとした。北都の屋敷で使用人とともに腰を抜かしたときのような感覚だ。過去に戻ってきた今でもあの顔は覚えている。
「入道を置いては帰れないし、俺が寝ていた部屋もわからないし」
誰かに聞けばいいのだが、先程の医者見習いを思い返すと声がかけづらい。
とりあえず、椅子に座ったまま寝台に突っ伏して寝ることにした。幸い、入道は微動だにしないため、優斎が眠りこけられる空間はある。
「まあ、一日くらい」
と、軽く考えていたのだが、優斎はもう七日はこんな生活を続けていた。別に部屋を用意してもらえれば体を痛めることはないのだが、入道から離れると不安になってしまう。一人にするのもなるのも、なんだか憚られるのだ。




