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運星奇譚  作者: 綾呑
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二十七話 運命

 すらりと伊織が抜刀し、刃に反射した炎を映す。切先が優斎に向けられる。


 そうして、屋敷のどこかでがらがらと崩れ落ちる音がした。より一層に炎は勢いを増し、やがて屋敷全体を呑み込んでいく。


「伊織に、俺が殺せるの?」

「はい」

「本当に?」


 友と挨拶を交わすような自然さで、優斎はにこりと微笑んだ。


「俺は伊織が好きだよ。時丸も菊花も好き。ああ、もちろん入道も。それと同じくらいに、みんなも俺のことが好きでしょ?」


 茶会をしたこと、春様の花畑を訪れたこと、できるはずもない刀の稽古をつけてくれたこと。思い出せばきりがない。それでも優斎は一つ一つの思い出を、指を折りながら数えていく。


「まだまだあるよ? 思い返してみればみるほど、俺たちって立場が違うのにすごく仲良しだね」

「そんな思い出……っ! だから、なんだというんですか?」


 苛立った様子の伊織が小さく吠える。


「なんでもない、なんてことないんだよ。それともこれは、俺が自惚れているだけかな?」


 苦虫を噛み潰したような顔をして、伊織は刀を握り締めた。動揺を隠しきれていない。少しでも気を緩めれば、きっと刀は手から抜け落ちてしまう。


「自惚れているだけだ。これ以上は見過ごせん」


 伊織の返答を聞く前に、入道が優斎を引き戻す。


「お前は甘いと何度も言っているだろうが。そいつはお前と小生を殺しに来たとのたまったのだ」


 怒りを含んだ声が、耳に響いた。


 そこにいたのが赤の他人だったなら、優斎も別の選択肢を容易く選んだだろう。優斎は伊織を捨てられない。見捨てられない。


「わかってるよ」

「なにもわかっていない! 春の子は、今そこで死ぬ運命にある!」

「入道様は常々、僕の邪魔をしますね」


 ぼそりと伊織が呟いた。そして激しく咳き込み、膝をついた。燃え盛る炎に身を炙られ、煙を吸いすぎたのだ。


「優斎!」


 入道の制止を振り切り、優斎は伊織の腕を肩に回す。その際、伊織の手から刀がすり落ちた。一瞬、迷う。けれど伊織には悪いが拾うことは断念するしかない。


「僕は、優斎を殺すために」

「それはもう聞いたよ」


 熱が届かない距離まで来たところで、屋敷は炎を高く上げながら崩壊した。先程まで伊織が立っていた場所は炎の下敷きになっている。


「げほ……っ。僕、は……なん、ども」


 ぽた、と地面に染みができた。


「伊織、泣いてるの?」


 出会った頃から一度だって、優斎は伊織が泣いている姿を見たことがなかった。弱音を吐くことも誰かを悪く言うこともない。いつだって優しく穏やかに、笑っていた。


「ふ、う……優斎にも菊花にも、死んでほしくないんです。時丸にだって、こんな思いをさせたくは」

「そうだ、菊花と時丸は!?」


 喉の震えに耐えながら絞り出した告白は遮られた。


「僕はまだ、諦めたなんて言っていませんよ。それなのに、もう菊花と時丸の心配ですか?」


 涙で顔を濡らした伊織が、呆れたようにくしゃりと笑った。


「……菊花は、おそらく無事でしょう。時丸は僕と違い、反乱のことはぎりぎりまで知らされていなかったんです。事態を把握したら、一目散に菊花の元へ向かいました」


 優斎はほっと息をついた。


「僕が刀を手にしていたら、優斎は死んでいましたよ」

「それはないよ。だって、俺には入道がついてるからね」


 死ぬ運命はないと、言ってくれたのだから。どれだけ窮地に追い込まれようと、命だけは落とさない。優斎はそれを心の底から信じている。


「小生を信じて疑わないのは結構だが、いい加減離れろ」


 ぐいっと襟首を引かれた優斎。親猫にくわえられる子猫のようにだらりと四肢が伸びた。


「ねえ、伊織。入道は怒ってるけど、俺は怒ってないよ。いや、やっぱり少し怒ってる。ううん、結構怒ってるかも」


 乱暴ではあるものの優しさの残る入道の手から逃れながら、優斎は気持ちを整理した。実情

を吐露された伊織は地面にへたり込んでいて、俯きがちな顔をさらに逸らしている。


「だって家は燃やされて、本は灰すら燃やし尽くされると思う。最悪、本はいいよ。内容は俺の頭の中に入っているから。でも、お師匠が整えた世界が崩れ落ちていくのを目の当たりにするのは……すごく、辛い。悲しくて、やるせない」


 何年、何十年かけたと思っている。誰のおかげでこれからの平和が約束されていたのか、人間たちは知りもしない。知ったうえで、目を背け続けるのだろう。


「すみ、ません。ごめんなさい、ごめんなさい――っ」


 伊織だけが悪いわけでもないのに、一身に背負って謝罪を口にした。その弱った姿に、ずきりと心が痛む。


「反乱が成功したとしても、人間に未来はないよ」


 零してしまった水は、盆には返らないのだから。


「未来、ですか」


 ははは、とこの場にそぐわない笑い声を落としたのは伊織だ。


「仮に成功した未来が訪れていたとして、誰よりも傷つくのは……きっと時丸でしょう」


 顔を歪めた伊織が、痛みに耐えるように額を押さえて叫ぶ。


「ああ……僕は、なんて――愚かな選択を!」


 優斎は愕然と王都のほうを見た。


 額から頬に冷や汗が伝い、唇が震える。視界は靄がかかったように白くなり、手足の先が冷えていくような気がした。


 息を吐くように優斎が呟く。


「……害獣の、駆除」


 優斎と入道の視線を一身に受けた伊織は、涙を零しながら微苦笑する。


「なぜ、こうなる未来を変えてくださらなかったんですか」


 感情を表すように青い髪が揺れ、入道を覇気もなく糾弾する。


「もしかしたらと、淡い期待を抱いて……いたんです」


 入道が腕を組み、尊大に伊織を見下ろした。


「入道様なら、始まる前から終わらすことができたでしょうに」

「優斎に関することならば、小生は命を落とす運命しか変えない。お前らがどうなろうと知ったことではない」


 伊織が目を瞬かせ、入道を見上げる。


「つまり、この反乱で優斎が死ぬことはなかったと?」

「でなければお前を、恩知らずの人間どもを悠長に生かしておくわけがないだろう」

「ま、待って! 俺が命を落とす運命って、なに? どういうこと? 二人はなんの話をしてるの!?」

「まさか、優斎はなにも知らないんですか? 入道様の力も契約者が扱える力も、なにも?」

「優斎が未来を知らなくてもいいと言ったから、教えなかっただけのことだ」


 視線を注がれた入道は、心底面倒くさそうに息を吐く。そして優斎にくるりと向き直った。


「以前、真名は教えてやったな? 小生は未来を知ることができ、万物の運命を変えられる。優斎が望むのならば、小生はこの国の辿る運命をなかったことにすらできる」

「え、それって!?」


 ただでさえ信じられないような情報ばかり後出しで渡されているというのに、優斎はもう理解が追いつかない。


 納得していないことだって言いたいことだって、まだたくさん残っている。それでもこの状況を打開できるのなら、優斎がそれに縋らない理由はなかった。


「傷つくことになる」

「え?」

「それをすれば、優斎は傷つくことになる。今よりも、もっと。誅殺すらできないお前に、耐えられるかどうか」


 ちらりと視線をよこした入道がなんとも儚げな表情をした。


「俺が傷つくだけで、この国が……妖や神様を守れるのなら構わないよ」


 入道は本気で躊躇っているようだ。


「入道」


 ぐらぐらと首を回し、なにやら唸っている。


「――」


 優斎の息の抜けるような、吐息のようなそれは顛末を見届けている伊織には聞こえず、入道の耳にしか届かなかった。


「小生の、名を」


 入道は目をぱちくりと瞬かせた。


「はあ、わかった。先程、この国の辿る運命をなかったことにできると言ったが、それは少し語弊がある。小生がなかったことにするのではなく、優斎。お前がするのだ」


 そう言って、入道は優斎の目に手のひらを被せる。


「え、えっ」

「大人しくしていろ」


 慌てる優斎をなだめ、入道は目を閉じた。


「戻っても、取り乱さんようにな」

「は?」


 なにが起こるのか皆目見当もつかずに、疑問が素直に口から零れ落ちる。瞬間、優斎の意識がぐらりと傾いた。

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