二十五話 やっと
毒殺未遂から早一ヶ月。事件は内々に処理されようとしていたが、どこから漏れたのか。王都ではしばらくその話でもちきりであった。が、真相を探ろうとする命知らずも現れないため、今では井戸端会議の種くらいに落ち着いている。
それに伴い、優斎も平穏を取り戻しつつあった。
「優斎」
快晴の下、縁側で微睡んでいた優斎が伸びをする。
「出掛けてたんじゃないの?」
「今しがた帰ったところだ」
さかさまの入道の顔がこちらを覗き込んでいた。優斎はふっと起き上がり、入道がなにかを手にしていることに気がつく。
「花?」
「春の神より譲ってもらった。ついてきてほしい場所がある」
「え、今から?」
「忙しそうには見えないが」
はて、と白々しく首を傾ける入道に優斎がむっと顔をしかめた。
「準備する時間もくれないの? せっかちな人は好かれないよ」
「あいにく人ではないのでな。心配無用だ」
花束を優斎の眼前に差し向け、「準備ができたら来い」とだけ残していった。
行先も告げられなかったが、優斎はとりあえず羽織を着て玄関へ足を向ける。上がり框に腰かけていた入道が、すっと優斎に簪を渡した。
入道はあれからずっと、この簪を片時も離していないようだった。
「どこへ行くの?」
「行けばわかる」
「それはそうだろうけど」
髪を結い、簪をつけてやると満足そうに頷いた。鏡もなく髪容など自分ではわからないだろうに、入道は一度たりとも出来を確認したことがない。いまだに優斎の手つきはおぼつかなく、拙いというのに。
「牛車や馬には乗らないの?」
「ああ。歩いていく」
屋敷より南東に歩みを進める入道に肩を並べ、この方向にはなにがあったかと優斎は頭の中で南都の地理を思い出す。
海岸へ出るのならまっすぐ南へ行くのがいい。けれど少し逸れて東となると、たしか森があったはずだ。本来なら陰陽師といえども人間は立ち入れない神聖な場所である。
「小生から離れるな」
森の入り口で立ち止まり、入道は腕に抱えていた花束を優斎に持つよう促した。
一歩足を踏み入れると夏の気候を持つ南都とは思えないほど、空気ががらりと変化する。少しひんやりと、けれど快適な木々の群生は外界とは切り離された別世界のようだ。
ふと辺りを見回すと、真夜中に飛ぶ蛍のような光がそこかしこにふわふわと漂っていた。触れれば散ってしまいそうな儚さがある。
入道曰く、それらは「器をなくした魂」なのだそうだ。
「もうすぐだ」
入道の声に反応して顔を向ける。先に広がる円形の空間は、冬様と出会った空間を彷彿とさせる。
「――」
優斎は言葉を失った。
足元では淡く輝く草が風もないのにそよそよと揺れていた。頭上からは陽光が差し込み、漂う光が幻想的な情景を醸し出している。絶景。まさに、絵にも描けない美しさだ。
「あの……中央にある、あの石は」
ふらりと、優斎が中央に近づいた。
「ああ」
石の前で佇んだ優斎の隣に、入道が立つ。
「優頼の墓だ」
「――やっぱり、お師匠の」
つう、と一筋の涙が頬を伝う。それを皮切りに胸が熱くなり、優斎は崩れ落ちるように膝をついた。ぽたぽたと、地面を濡らしていく。
「この墓は、小生が建てた」
嗚咽を漏らす優斎に、入道が静穏に語りかける。
「ここに眠る人間は優頼だけだ。他の陰陽師は、知らん」
入道は微苦笑を浮かべ、すっと表情を戻した。
「やっと、やっと……お師匠と」
一年と数ヶ月前、お師匠は死んだ。不慮の事故だとか誰かに殺されただとか、そんな物騒なことではない。ただ、寿命でこの世を去った。
しかし、優斎にお師匠との別れを惜しむ時間はなかった。陰陽師は一人しかおらず、それも残ったのは齢十五、六の子供だ。のしかかる重責をそう軽々と払いのけることもできない。
お師匠には生活から仕事に至るまで全てを叩きこまれたが、保護者がいるのといないのとでは環境は大きく異なる。
慣れない書類整理に各都からよこされる妖の退治要請。報告は時間を選ぶが、妖たちは時間など選ばない。だというのに、お師匠が遺してくれた神様は役に立たず、命令は素直に聞かないし小言も零す。そうして翻弄されているうちに疲弊しきり、優斎が体を壊すのには一ヶ月もかからなかった。
床に臥せて三日三晩と寝込んだのだが、意外だったのは入道の姿勢である。起き上がることすらままならない優斎に、献身的に介抱してくれたのだ。
拙い看病ではあったものの、優斎はそれだけで胸がいっぱいになったのを今でも覚えている。
もしかしたらあのときはただ、人肌が恋しかっただけかもしれない。けど、それでも。いつもそっけない入道がいつまでも寄り添っていてくれたことが、なによりも嬉しかった。
それから一年、優斎は馬車馬のごとく身を粉にして働いた。皇帝より陰陽師として認めてもらうために、正式に「夏」の名を継ぐために。
陰陽師が亡くなると「夏」の名は一度、皇室に預けられる。そして次の正式な陰陽師が定められたとき、その名は返還されるのだ。
当時、まだ齢十五だった優斎は名を継げるほど力を示せなかった。一年をかけて実力を示し、ようやく取り戻すことができたのである。
「知らなかったよ。お師匠がここに眠ってるなんて。忙しくて、手も頭も回らなくて、考えたこともなかった。ただどこかで、安らかにしてくれてたらって」
孤独だった頃の記憶はとうに色褪せ、上塗りされている鮮烈な思い出の数々。お師匠と過ごした記憶が鮮やかに、つい昨日のことのように輝いて蘇る。
「言ってないからな。それに教えたところで小生がいなければここには来られないだろう」
「……意地が悪いよ」
慰めようとしてくれているのか、漂う光が優斎を囲む。決して触れることはできないが、どこか温かさを感じた。
「なあ、優斎」
「なに?」
「もし、未来が知れるとしたらどうする?」
「なに?」
はた、と涙は止まり、音は違うが思わず同じ言葉を返してしまった。あいにく感極まりすぎて頭が真っ白なのだ。
「言葉のままだ」
あまりにも入道が儚い表情をするものだから、思わず目を奪われた。
「そう、だね。考えるから、ちょっと待って」
未来を知ることができたら、なにも悩むことはないかもしれない。常に先手が打てるとなれば、有利な人生を進められるだろう。
それこそ死期だってわかるかもしれない。と至り、優斎は考えることやめた。まだその結論に辿り着くには、準備する心の在庫を持ち合わせてはいないから。
「知らなくていいかな」
「……なぜだ?」
「俺に死ぬ運命はないって言ってくれたのは入道でしょ」
いたずらっぽく笑った優斎に、入道は面を食らったような顔をした。
「俺が、もう死ぬかもしれない! ってときは、入道が守ってくれる。俺にはどうしようもないことだって、入道がどうにかしてくれる。俺はそれを知ってるから。違う?」
見開かれた入道の瞳に、信じて疑わない優斎が映る。屈託ないその姿に、入道はふっと息を零した。
「ははっ」
「ちょっと。なんで笑うの。真剣に考えたんだよ」
優斎が優頼を越えることはないだろう。それでも、入道は構わなかった。優頼と同じで、後ろで震えているだけのお飾りの主ではないし、真名を盾に支配しようともしない。
「ああ。違わないとも」
なにより、ともに過ごす時間は退屈しない。それが例え瞬きの間であろうと、入道の心には残り続ける。
だから優斎が天寿を全うするまで、死なす気も離してやる気も毛頭ない。
いつかこの人の子を失っても、思い出とやらに永く浸れるように。




