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運星奇譚  作者: 綾呑
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二十四話 狼

 内側から叩かれているかのように、頭がずきずきと痛む。朦朧としながらもやがて覚醒してくると、唐突な吐き気に襲われる。


 薄っすらと涙を滲ませ、枕元に置いてあった桶に胃の中のものをぶちまけた。そのせいで食道を胃液に焼かれ、酷くえずいてしまった。


 ぜえぜえと肩で息をし、やっとのことで顔を上げる。寝台に突っ伏していた美丈夫が、半ば放心状態でこちらを見上げていた。


「入道」

「優斎」


 声が重なり、優斎はわけもわからず安堵の吐息を落とした。優斎と目線を合わせた入道が唇を震わせる。


「気分は」

「最悪」

「記憶は」

「ほとんどない」


 覚えているのは、吐き気を催すほどの甘ったるさだけだ。


 入道に注いでもらった水を口に含み、優斎は不快な酸っぱさが残る口内を洗浄した。そして発汗や嘔吐で失われた水分を補い、ようやく落ち着くことができた。


「ここはどこ? なにがあったの?」


 視線を彷徨わせると近くの寝台で伊織と菊花も眠っていた。時丸の姿はない。


「優斎たちに用意された部屋とは別の客室だ。お前たちになにがあったかは、時丸が説明してくれるだろう」


 時機を見計らったかのように扉が開けられる。重苦しい雰囲気をまとった時丸が、優斎を目にするなりほっと胸を撫で下ろしていた。


「よかった。目を覚ましたのか。伊織もまだ目を覚まさなくて、菊花は泣き疲れて寝てる。なにがあったか覚えてる? 気分は?」

「気分は起きたときよりだいぶましになった。なにがあったかは覚えてなくて……入道が、時丸が教えてくれるって言ってたんだけど」

「これ、なにかわかる?」


 羊皮紙に包まれているのは蝋燭だ。


「黄ばんでる?」

「着色されてる……というより、されてしまうと言うほうが正しい」


 蝋が着色された蝋燭はそう珍しくはない。普段から市場に売られているし貿易日にしかない異国の蝋燭も多々ある。


 ただそれらは、飾り気が必要ない優斎には馴染みがないだけだ。


「なにが違うの?」

「植物の成分が配合されているから、花弁の色がつく」

「成分って?」

「毒」


 淡々と言ってのける時丸とは違い、優斎の顔色が変わる。


「様々な植物の毒が混ざってるから、特定はできない」

「これが、なんだっていうの」


 薄々、わかっている。それでも確認せずにはいられない。


「伊織と優斎、菊花、俺の部屋の燭台に、これと同じ蝋燭があった。俺が昨日、集中できなかったのはこれのせいだと思う。毒素をあまり吸わなかった俺と、菊花は三人の部屋よりも紛れ込んでいた本数が少なかったから被害は軽いほう」


 でも、と時丸は優斎、伊織と視線を移していった。


「優斎は目を覚ましてくれたけど、伊織が目を覚まさない」


 仰向けに寝かされている伊織は時折、端正な顔を苦しそうに歪めている。


「全員、極限まで吐かせて効きそうな薬を無理やり飲ませたから多分、大丈夫だと思う」


 昨日の吹雪のせいで薬師や医者が到着したのは今朝方だったという。処置をした時丸は気が気ではないだろう。


 伊織が目を覚ますまで、時丸の不安は拭えない。


「他の人たちは大丈夫だったの?」

「ああ。仕掛けられたのは俺たちの部屋だけだ」

「仕掛けられた、か。犯人はわかってるの?」

「わかった、けど」


 口を濁す時丸。


「けど、なに?」

「死んだ」


 毒の原因が蝋燭だと、それも持ち込まれた蝋燭だと判明してからの時丸は迅速だった。来客問わず屋敷にいる全員を叩き起こし、一人残らず尋問したそうだ。昨夜に調合していた毒をちらつかせ、煮え切らない態度を示す者には容赦なく飲ませたらしい。


 時丸に「飲まされた武士はどうなったのか」と尋ねれば、「致死量くらい心得てる」と返されたときはさすがの優斎も肝を冷やした。


 結局、毒を飲まされた全員が甲斐性もなく親玉を吐いたという。


「主犯にも毒を飲ませたの?」

「飲ませようと思ったけど、春の武士にやめてくれと懇願された」

「春の武士に……」


 優斎は苦い顔をして、時丸がこくりと頷いた。


「そう。主犯は伊織と話してた春芽の筋、だけど春の名も冠していない武士だった。伊織も被害にあったから、向こうで処罰をさせてくれと。春と冬の武士で揉めるわけにもいかなくて、俺はまだ伊織みたいに正式な職務についていないから……了承せざるを得なかった」


 狼車が走れるようになると、屋敷にいた春の武士たちは逃げるように王都へ向かった。そして狼たちに無理をさせて雪上を走り抜ける道中、運悪く崖から滑落したそうだ。


「原因は速度の出しすぎ、安全確保を怠ったこと」

「して、瀕死からどのような最期を迎えたのだ?」


 時丸は催促する入道に僅かな違和感を覚えた。なにがと聞かれても答えられない気のせい程度のことだが。


「……全部で三人乗ってたけど、二人は即死で一人は、主犯は重症のまましばらく生きてた」


 冬枝夫妻の事故とは違い、転がり落ちて崖下で止まる頃にはもう、狼車は大破していたようだ。


「どうして、生きてたってわかるの……?」


 生きながらえ、助からないと自覚しても必死に生きようとしたのだろう。散らばる木片から少し離れた場所に、体を引きずってできた血の道があったそうだ。最後には血だまりがあったため、力尽きたと思われるのだが。


「運んできたんだ」

「誰が、なにを?」

「……狼が、三人を」


 狼車に繋がれていたはずの狼たちが血濡れた三人をくわえ、屋敷まで運んできたという。


 優斎は耳を疑い、同時に背筋が凍った。


「血だまりの先にも、血が滴っていた。飛び散っていた血がだんだんと細くなっていた。だからもしかしたら、まだ生きてるときに狼に運ばれたんじゃないかって、冬の武士は話してる」

「恐ろしい、ね」


 それ以外の言葉が出てこなかった。


「ふむ、よかろう。その狼たちはどこへ行ったのだ?」

「小屋にいる。死体を出迎えることになった使用人が悲鳴を上げて卒倒し、駆けつけた別の使用人が怯えながら洗ってた。会いたいのなら案内するけど」

「必要ない」


 入道は首を横に振り、ふいに伊織へ目を向けた。


「う、う。ぼく、は……っ」


 直後、大きく呻いた伊織が勢いよく起き上がった。酷く傷ついた様相を浮かべ、肩を上下に激しく揺らしている。


「ああ、よかった。目を覚ましてくれたのか。大丈夫? 吐くなら桶がある」


 伊織に駆け寄り、さっと空の桶を渡そうとする時丸。覚醒しきらない伊織は戸惑いながらも桶を受け取っていた。


「なにがあったか覚えてる?」

「なに、か? えっと、とても苦しかった覚えがあります」


 現状に至るまでの説明をされた伊織はみるみるうちに白くなっていった。激しい動揺を見せ、言葉が出てこない様子だ。


「気分はまだよくないけど、みんなが無事でよかったよ。時丸のおかげだね」

「俺がお前らを死なせるわけないだろ。医者を呼んでくる」


 時丸が部屋を出てしばらく、菊花の寝息だけが響いていた。散々泣いてくれたのだろう。頬には涙の痕が残っている。


「優斎、僕は――」

「武士が聞いて呆れる」


 伊織が口を開いたのと同時に、入道が怒気を孕んだ声を発する。びくりと伊織の肩が跳ね、ばつが悪そうに顔を逸らした。


 その態度が気に食わなかったのか、入道は眉間にしわを寄せる。


「なにか言ったらどうだ」


 やめさせようとする優斎を無視し、入道がつかつかと伊織のすぐ傍まで詰めた。


「二度は言わん」

「なにも、ありません」


 喉を震わす伊織に入道は目を細めた。


「所詮はお前も、武士の家系か」

「入道! なにを怒ってるのか知らないけど、伊織だってさっきまで倒れてたんだ。八つ当たりならやめて」

「八つ当たり、か。ああ、そうだ。八つ当たりだ。だから、お前は傷つかなくていい」

「なに言ってるの。八つ当たりされて傷つくのは俺じゃなくて伊織でしょ。ごめんね、伊織。少し気が立ってるみたい」


 伊織の微かな返事は扉の音でかき消されてしまった。


 ぎすぎすとした空気はお構いなしに、医者と薬師はさっさと容態を診ていった。寝ていた菊花を起こしてまで。医者の前では身分など関係なく、等しくただの患者なのだろう。


「はい。後遺症もなさそうなので、しっかりと療養してもらえれば快方へ向かうでしょう。薬をお渡ししますが、しばらくは続けてください」


 医者と薬師が淡々と帰っていくと、寝起きで放心気味だった菊花が瞳を潤ませた。


「起きてくれたんだ! ほんとに死んじゃうと思ったんだから!」

「時丸の処置が完璧だったってお医者様が言ってたよ。菊花は大丈夫? 辛くない?」

「私は大丈夫だよ! 昨日はちょっと苦しかったけど、今はもう大丈夫」


 全員、命を落とさなくてよかったと優斎はほっとした。もし誰か一人でも落命するようなことがあれば、必ずどこかで血潮が上がっていただろう。


「体にはまだ毒素が残っているから、無理はしないでくれ。明日には帰れるように準備してくる。みんなは大人しく寝ていてくれ。後処理は俺がするから。特に伊織」


 時丸がびしっと指をさして念押しする。


「はい。わかっています」


 苦笑いを浮かべ、伊織は頷いた。どちらにせよ、手伝おうにもしばらく動くことはできない。


「入道」

「あのとき、意識を奪われていた。もう、お前が苦しむことがないようにする。だからお前はなにも、心配しなくていい」


 少し話をしたかった優斎だが、入道に目元を覆われた途端に猛烈な眠気に襲われた。そして、十秒も満たないうちに優斎は眠ってしまっていた。


「お前はなにも、知らなくていい」


 独白じみた入道の声が、静かな客室に響く。


 まるで自身も痛みを負っているかのような顔をする入道から、伊織は後ろめたさの残る瞳をいつまでも逸らしていた。

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