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運星奇譚  作者: 綾呑
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二十三話 遠い昔

 夕餉の席で、優斎と入道が帰る日にちが決められた。本当は妖たちが心配だから明日には戻るつもりだったが、菊花がごねて明後日となったのだ。


「今日はすごく吹雪いてるね」

「ああ。お前が時丸に獣狩りのことを伝えたことに加え、冬の神からの最終通告といったところか。北都が雪に埋もれるかは、人間次第だ」

「それはそうと、あのあと寝ちゃったから全然眠くないな」


 横になるも目は冴え、欠伸すら出てこない。


「ちょっと散歩してこようかな。室内だけど。入道も行こう」

「ああ、わかった」

「燭台の蝋燭は、消さなくていいか」


 南都とは違い、いつでも外に出られるわけではないのがもどかしい。分厚い雲と降りしきる雪に月が隠され、廊下は仄暗い。


「また腰を抜かさんようにな」

「あれは! ただ、ちょっと、少し……びっくりしただけだから。怖かったわけじゃない」

「誰も怖かったかは聞いていないが」


 口を滑らせ、優斎は恥ずかしそうに顔を逸らした。もごもごと口の中でなにかを喋っているが、聞き取れない。図星なので堂々と弁明できないのだ。


「外に出たいのなら、出してやれるが」

「この吹雪の中に放り出すって? 風邪ひいちゃうよ」

「そんな弱らすようなことをするわけがないだろう」


 じとっとした瞳と呆れた瞳が交差し、やがて「ははっ」と互いの口から零れ出た。


「入道はさ、いつお師匠と出会ったの?」

「優頼が生まれたときからだ」

「え、そんなに前から!?」


 こういう話はお師匠ともしたことがない。てっきり陰陽師として一人前になった頃に二人は出会ったのだと、勝手に思っていた。


「小生はこの地とともに誕生したのだ。そして代々の陰陽師に仕えている。この地に、最初に生まれた人間とそういう契約を交わしているからな。陰陽師といっても、所詮はお飾りだったが」

「どういうこと?」

「この国に住む妖たちを完全に統率できたのは優頼だけだ。やっとできるようになった、というべきか。それ以前の陰陽師たちは……いついかなるときも小生の後ろにいた」


 入道が悲しそうに目を伏せた。


「だが優頼は常に、小生の前にいた。小生の力がなければ太刀打ちできない堕神や妖にさえ、優頼は真っ先に立ち向かっていった。結局は小生が方を付けていたが」


 思い返してみれば、たしかに記憶の中のお師匠は常に入道の前にいた。一番前にお師匠、その後ろに入道の構図が脳裏に焼きついている。


「俺は?」


 少し考えながら、隣を歩く優斎を見下ろし、


「全部だな」

「全部?」

「ああ。後ろにいるときもあれば前にいるときもある。だが、一番多いのは――」


 入道はそこまで言いかけ、ふ、と口角を上げた。


「え、なに?」

「いいや。口がすぎたな」

「気になるんだけど」


 もやもやとしたものが胸に残り、優斎は訝しげな顔を入道に向けた。隠しきれていない口元の緩みが、なんともむかつく。


「あれ、あそこって談話室だよね」


 滞在期間に散々世話になっている部屋の扉が微妙に開いていた。


「気になるのなら覗いてみてはどうだ?」


 扉の前で立ち往生をし、優斎はやっと手を伸ばした。慎重に扉を押し込むと、椅子に座っていた人物が振り返ってこちらを凝視していた。優斎が後ずさり、息を呑むような悲鳴を上げる。


 暖炉の火によって姿形は影になり、誰かは確認できなかったのに目が合ったような気がして心臓が縮んだ。


「優斎? と、入道様」


 時丸だった。談話室の扉を内から大きく開け、腰の引けた優斎と笑いを堪えている入道を不思議そうに見ている。


「こんな時間に、どうした?」

「それは、こっちの台詞でもあるんだけど……俺は眠れなくて、散歩でもしようかと。時丸はこんな暗がりでなにしてたの」


 拗ねたような声音を時丸は迎え入れた。


 丸机の上には数種類の植物と薬研が置かれている。薬壺と薬包紙もあり、なにかを調合していたのが一目でわかった。


「薬?」

「毒。触るな」


 よく見ようと顔を近づけたが、優斎は時丸の言葉に勢いよく頭を引いた。


「薬包紙は植物をすり潰した毒。薬壺の中は調合済みの毒」


 薬壺の蓋を開けて中を見せてくれたのだが、あまり嬉々として確認する代物でもない。


「なぜ毒を作っている?」


 入道が身を乗り出し、興味津々に尋ねた。


「毒を使ったほうが狩猟は効率的だろ。これは、狩猟には使わないけど」

「じゃあなにに使うの?」

「害獣の駆除って聞いてる。食べられないから、普段の狩猟に使う麻痺系の毒ではなく殺傷能力の高い毒で構わないんだと」


 そう言って面倒くさそうな表情を浮かべた時丸。日頃から時間を費やし、用途に合わせて何種類も毒を調合しているのだろう。


「どうして談話室で? 人も出入りするし危なくない?」

「毒はどこでも危ないだろ。今日は、なぜか自室だと集中できなかったから談話室を借りた。空き部屋でもよかったけど、寒い」


 真顔で「寒いから」と言われ、優斎は素直に「ああ」と納得して頷いた。指先がかじかんで手元が狂うくらいなら、暖かい談話室で作業をしたほうがましなのだろう。優斎が時丸の立場だったら、多分同じ判断をしていた。


「今日は春と冬の武士も泊まっているから、玄関を挟んで優斎たちと逆方向の客室周りには近づくなよ」

「うん、もう部屋へ戻るよ。見せてくれてありがとう」

「あまり人に見せるものでもないけど」


 おやすみ、と優斎が告げると時丸はまた薬研に向き直った。


 廊下はひんやりとした空気が漂っていて、あまりの温度差から身震いをする。


「にしても、時丸が毒を作れるなんて知らなかったよ。近くに本もなかったし、作り方も覚えてるんだよね。俺には、できないな」

「お前は」


 隣を歩いていたはずの入道は立ち止まって、窓の外を眺めていた。


「あんなもの作らなくていい」


 雪はもう、止んでいた。


 姿を現した月に照らされている入道は儚く、このまま月明かりに消え入ってしまうのではないかとさえ優斎は思った。


「廊下は寒いよ。早く、中に入ろう」


 部屋の前に立ち、扉に手をかけた優斎に入道は視線を移す。最愛の子を見守るような眼差しが、はっと見開かれた。


「――待て、入ってはならん!」

「だめって、なに、が」


 優斎が、ぐらりと倒れた。


 角砂糖を入れた紅茶よりも甘い匂い。甘ったるい。鼻腔を突き抜け、脳天を痺れさせるような甘さに、目が霞む。


「……っ」


 誰かに体を引き寄せられ、誰かの腕に抱かれている。誰かが、名前を呼んでいる気がする。

満足に目も開かず、ぼんやりとして遠のいていく意識の中では、その誰かなんて認識できるはずがないのに。


「――」


 ああ。遠い昔にも、こんな温かさに包まれたことがあったような。

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