二十二話 お姉さんだから
それから数分もしないうちに菊花と入道が戻り、茶を淹れてくれようとしたのだが、異国の急須に二人の手がほぼ同時にかけられた。
「む。私が淹れてあげるんだよー」
「小生が淹れる」
視線を交錯させ、一向に手を引っ込める様子のない二人。
「二人とも、さっきからなにしてるの? 時丸と伊織の分も淹れてあげよう」
優斎が強引に急須を奪取し、湯飲みに茶を注いでいく。飲み慣れたただの紅茶だ。淹れた者だけが味わえる特権、独特な茶葉の香ばしい湯気が鼻を通り抜ける。
「ああっ」
菊花があんぐりと口を開け、その横で入道は微妙な顔をした。
「もたもたしてたら香りが飛んじゃうよ」
「そんなすぐに飛ばないでしょ!」
「ごほん。優斎。これもいるだろう?」
入道は喚く菊花には目もくれず、どこから出したのか角砂糖の入った瓶を優斎に差し出した。
「あ、これ貿易日の。時丸も買ってたんだ」
優斎は瓶を受け取り、無意識に頬を綻ばせる。手慣れた動きで紅茶に角砂糖を落とす優斎の頭上では、入道が菊花に勝ち誇った笑みを向けていた。ぐぬぬ、と悔しそうに菊花は顔をしかめることしかできない。
「むかつく!」
「え、なにが?」
「こっちの話! 優斎は話しかけてこないで!」
「なんで!?」
顔を上げた優斎に理不尽な不機嫌が降りかかる。
「菊花、また優斎を困らせているんですか?」
「あ、伊織! 入道様が意地悪するんだよ!」
「意地悪されたのは俺なんだけど!?」
眉を八の字にして談話室に入ってきた伊織は、先程よりも少し元気を失っているように見える。だが、そんなことはお構いなしに菊花が伊織に泣きついた。
「はいはい。仕方のない子ですね」
「伊織は応接室にいたんだよね? 時丸が向かったはずだけど会わなかった?」
「あ、ええ。僕が応接室にいるときは姿を見せませんでしたから、すれ違ってしまったんでしょう」
ここから応接室までの道順はそう複雑ではないのだが、もしかしたら時丸が寄り道をしたのかもしれない。
「僕は休暇という名目でここへ来たというのに、これでは普段の職務と変わりません」
伊織はため息を零し、肩を落とした。たしかに、ここへ来てから伊織は思い詰めたり躊躇ったりするように顔色が重くなるときがある。時丸たちとは違い、本格的に武士としての務めを任されているため苦労が多いのだろう。
「あれ、すれ違ってたか。おかしいな」
「どこ行ってたの? はい、紅茶淹れたんだよ!」
伊織に縋っていたはずの菊花がにこやかに、戻ってきた時丸へ湯飲みを手渡した。
「紅茶を淹れたのは俺なんだけど」
「用意したのは私だよ!」
「どっちでもいい」
時丸は湯飲みに注がれた紅茶を眺めてから一気に喉奥へ流し込んだ。
「甘い」
「砂糖は小生が入れてやった。おいしいだろう?」
「俺には、甘すぎる」
優斎が火花の散りかける入道と時丸をなんとか離す。無礼というか怖いもの知らずというか。優斎からすれば隔たりなく入道に接してくれるのは嬉しいが、少し不安になるときもある。神様というのは気まぐれで、なにが逆鱗に触れるかわかったものではないのだから。
「伊織、飲まないの?」
菊花の心配そうな声に、優斎は胃が痛くなりながら顔を向ける。
「顔色がよくないね。休んでいたほうがいいんじゃない? 疲れが出たのかも」
「いえ、優斎も顔色がよくないような気がしますが……そう、ですね。少し、休んできます。申し訳ないのですが、夕餉は用意しなくて大丈夫です。優斎たちが淹れてくれた紅茶でさえ、喉を通りませんから」
いつになく顔を白くした伊織がふらりと立ち上がる。支えようとした時丸の手をやんわり拒み、普段の穏やかな笑みを見せた。安心させたいのだろうが、逆効果だ。
「放っておけない。菊花は優斎を部屋に連れて行って」
「わかった!」
「いえ、僕は」
「問答無用」
時丸の圧に負け、伊織は大人しくなった。談話室を出ていく二人を見送り、菊花が「私の番」とでも言いたげな表情で優斎に笑いかける。
部屋までやってくると菊花が優斎に寝台へ上がるように指をさした。戸惑いながらも横になった優斎に布団をかけ、傍らに座る。
「あの、なにしてるの? 菊花」
「んー? 優斎を寝かしつけてるの」
優斎はなすがまま、菊花に撫でられていた。
「俺もう子供じゃないんだけど」
優斎がちらりと視線を飛ばすと、馬鹿にしたように笑いを堪える入道と目が合った。強く出られないのをいいことに、相変わらず憎たらしい態度をしてくれる。
「伊織も優斎も、お仕事しすぎ。少しくらいさぼったって、遊んだって罰は当たらないのに」
「菊花は遊びすぎ。もう少し大人になりなよ」
「それはもう聞き飽きたよ。言われなくたって、わかってるんだから。でも優斎たちと一緒にいるときは、楽しいのが一番でしょ? 私たちだけなら、誰も咎めることはできないから」
優斎はきょとんとし、気まずそうに視線を彷徨わせた。
「昔みたいに、立場関係なしに仲睦まじく。というわけには、いかないよ」
「うん、それもわかってる。けど、まだ大丈夫」
優斎にではなく、まるで自分に言い聞かせているような声音だった。得も言われぬ喪失感が優斎の心を蝕んでいく。
「菊花は女の子だから、宰相になったら」
「嫌がらせとかされちゃうかな? 生意気だ! とかって。でもね、だとしても私は我慢できるの。大丈夫なの! なんでかわかる?」
へらっ、と弱々しく笑った菊花は優斎の瞳を覗き込む。
「優斎がね、私と同じだから。優斎が我慢してるから、私も我慢できるんだよ。酷いと思う?」
「――っ。思うわけ、ないよ」
優斎と菊花の立場はよく似ている。陰陽師というだけで忌み嫌われ、女というだけで見下されてしまうから。避けようのない孤独感に、苛まれるのだ。
「私は優斎の……優斎と時丸のお姉さんだから」
武で対抗できるほど満足な力もなく、誰かに守られなければ生きていけない存在。そんな者の下につきたくないと思う武士は少なからずいる。
「ねえ、優斎。時丸と伊織が、私たちの見てきた大人になっていかなくて、本当によかったね」
どうしてか、言葉は喉につかえて出てこなかった。




