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運星奇譚  作者: 綾呑
17/30

十七話 理由

 北都に滞在してから四日が経った。依然として怪異は起きず、もはやただの旅行となりかけている。使用人たちには「優斎様が来てくださってからは声が聞こえなくなりました!」と満面の笑みで謝意を述べられるのだが、心中は複雑でしかない。


「いっそのこと住む?」

「いやいやいや。南都を放ってはおいたら大変なことになるよ」


 優斎を探して南都から出てくる妖や神様が現れたらとんでもないことになってしまう。国全体が阿鼻叫喚に包まれることになるだろう。


「はい、菊花。これくらいの大きさの雪玉でいい?」

「まだ俺との話が終わってないんだけど」

「今しがた終わったんだよ」

「んー、もっと大きくして! この雪玉の土台にするの!」


 冗談を並べる時丸とともに肥大化させた雪玉を菊花に見せる。菊花は抱えていた雪玉を優斎に差し出した。


「大きいな」

「等身大にするの!」


 楽しそうな笑顔を浮かべる菊花に対し、優斎たちの笑顔が引きつった。あとどれだけ雪をかき集め、いくつ作ればよいというのか。


 手袋越しでも指先は冷えてくるし、優斎に至っては腕の筋肉が悲鳴を上げ始めている。力仕事は時丸や伊織にしてもらいたい。


「これはどうですか?」


 すぐそこで雪玉を丸めていた伊織が颯爽と菊花の関心を奪う。


「合格!」

「ありがとうございます、菊花」


 意外と乗り気な伊織は一人で黙々と作業をしていた。


「よくやるよ、伊織も。入道もなんか作ってるし」


 雪面に髪を垂らしてしゃがむ入道は小さな雪玉をいくつも形成していた。なにを作るでもなく、ただ量産している。


「あ、ちょっと待ってて!」


 優斎が屋敷の中に駆け込み、三分もしないうちに戻ってきた。


「菊花、ちょっといい?」

「なに?」


 優斎がいまだにせっせと雪玉を量産している入道の背後に菊花を呼んだ。


「このままだと入道の美しい銀髪が濡れてしまうから。結んであげるよ、菊花が」

「私とお揃いにする?」


 楽しそうに笑った菊花が三つ編みを両手で掴み、ゆらゆらと揺らす。


「それはやめろ」


 訝しげな瞳が振り返り、優斎と菊花を睨んだ。


「じゃあお団子にしてー、あとは適当!」


 菊花は雪面に接している銀色に輝く髪をすくい上げ、器用にも髪紐で団子のように丸くまとめた。丸めきれなかった残りはそのまま背中に下ろしている。


 出来栄えに優斎は冗談めかして拍手を送り、満足げにしている菊花に最後の仕上げを手渡した。


「あ、すごく綺麗これ。――はい、これで完璧! 入道様きれーい!」


 菊花が叫び、みなの注目を集める。伊織は褒め称え、時丸は入道を一瞥して優斎に視線を移した。


「ふーん。へーえ?」

「な、なんだよ」


 じっと見つめてくる時丸に、優斎は身を引いた。


「まだ渡してなかったとか、乙女か」

「うるさいな! 機会を逃しただけだよ」

「小生の頭上で話すな」


 すっくと立ち上がった入道が優斎たちを見下ろす。


 いつもは手入れをせずに流しているだけだが、髪を結ぶだけでがらりと印象が変わる。どこをとっても傾国の美女に劣らず、怒っていてもやはり美丈夫だ。


 雪遊びを中断して入道の機嫌を直していると、一台の狼車が近づいてくるのが見えた。


「優斎と菊花は後ろに下がってください」


 伊織は優斎と菊花の前に立ち、時丸が少し離れた位置で狼車を止めさせる。


 痩せぎすな体躯に不格好な背広、ぼさぼさ頭に丸眼鏡をかけたいかにも冴えない男が雪上に降り立った。時丸と話しながら腕を騒がしく動かしているため、遠目に眺めている優斎たちにはそれがまた滑稽に映ってしまう。


「君たち、時丸くんの友達なんだってね!」


 そんな男が突然話しかけてきたものだから、見た目に反する陽気さに思わず面を食らう三人。入道は品定めするような目をしていた。


「僕は冬枝。冬枝と呼んでくれて構わないよ! あいにく、これ以外に名乗る名を忘れてしまってね」


 不穏にも、明るかった瞳に陰りがさす。


「あの絵なら談話室に飾ってあるから」

「そうかい! 人に囲まれて、彼女もさぞ喜んでいることだろうね!」


 ころころと表情の変わる冬枝に屋敷へ入るように淡々と促す時丸。


「驚かせて悪い。知り合いだからそう警戒しなくていい。優斎には前に話しただろ。あれが談話室にある絵を持ってきた旦那だ」


 軽い足取りで談話室に行く冬枝の背中を見送り、時丸が思い詰めたような息を吐いた。


「前に会ったときはあんなに元気じゃなかった。まあ、立ち直ってくれてるならいいけど」

「あの人、なんか変だよ。空回ってるっていうか、なんか……変」


 冬枝に相当な不信感を覚えたのか、すっかり気力を喪失させた菊花が優斎の外套を掴んでいた。


 菊花がしおらしくなるのもわかる。あの様相に得体のしれない恐怖を植えつけられ、とてもではないがなるべく関わり合いになりたくないと感じた。


「もう、やめやめ! 雪遊びの気分じゃなくなっちゃった」

「そうですね。中に戻りましょうか」


 全員で雪玉を端に寄せ、屋敷に入る。


 ほどなくして談話室の前を通ると声が漏れ出ていた。優斎と時丸が顔を見合わせ、気づかれないように扉を開けて覗いてみる。


 冬枝があの絵画の前で棒立ちになり、一方的にぶつぶつと話しかけていた。その光景を酷くおぞましく感じ、背筋に冷たいものが走る。


 絵画の女が浮かべる微笑みが、冬枝の奇行に対する不気味さをさらに際立たせてもいて、狂っているとしか思えなかった。


「――ああ、美しいと思わないかい?」


 なんの前触れもなく冬枝の頭がこちらを向き、中を覗いていた二人が硬直した。


「そんな遠くで見ていないで、こっちへ来て近くでご覧よ。さ、ほらほら!」


 意を決した二人の服を菊花が掴んで止める。いやいやと首を振る菊花に、優斎たちもまた首を振ることで返事をした。


 伊織に菊花を任せ、入道を連れて優斎と時丸が談話室に足を踏み入れる。


「旦那」

「彼女は美しいだろう?」


 優斎たちが三歩ほど後ろに立つと冬枝は絵画の前から退き、三人にもっと近づくように手招きをした。


「美しいだろう?」


 繰り返される質問に、優斎は頷くことしかできなかった。


「旦那。たしかにこれは美しいが」

「これ、じゃないだろう? 彼女だよ。彼女は生きているんだ」


 遮られ、時丸は閉口した。いや、絶句したと言うほうが正しいだろう。もはや言葉は出てこなかった。


「続けるが」

「うん?」


 優斎の後ろに構えていた入道が、絵画を見上げながら沈黙を破る。


「たしかにこれは美しいが、そこまで誇張するほどか? 小生にはただの人間の絵にしか見えん。質の高い紙に豊富な色彩……ああ、これは美しいとも」


 冬枝はきょとんとして目を見開いた。


「だとして、これがなんだというのだ?」


 入道にとっては率直な疑問だろう。この追い打ちのような付言に冬枝は口を半開きにし、目を瞬かせた。


「妻を、侮辱するのか」


 息を吐くように落とされた言葉。悪寒を通り越した不快感、嫌忌が暴力的に脳を揺らし、眩暈として体が拒絶反応を示す。


「お、おおっ、お前は! つま……妻を!」

「だん、な」


 目を血走らせた冬枝に時丸が声を震わせ、


「奥方は」


 目元を手で覆い、よろつく。


「五年前に亡くなっただろ……っ」


 悲傷に顔を歪ませて訴えかける。こんなにも感情を露わにする時丸は過去に見た覚えがなく、優斎は心を抉られた。


「なにを言っているんだい。ここに生きているじゃないか!」


 不自然に笑う冬枝が、ぽん、と時丸の肩に手を置き、もう一方の手で絵画を指さした。


「それはっ、奥方じゃないだろ!?」


 時丸はぎゅっと下唇を噛み、冬枝の手を振り払う。


 しんと部屋は静まり、時丸の荒い息だけが響いていた。


「はは、ははは! 死んで、いないよ。彼女が僕を残して、死ぬものか」


 元気なわけがなかった。立ち直っているわけがなかった。もうとっくに、壊れてしまっていたのだ。妻を死なせてしまったあの日から。


「悪いけど、帰ってくれないか旦那」


 時丸は涙ぐんでいるような切実な声で告げ、なおも乾いた笑い声を発し続ける冬枝を追い出した。


「時丸、時丸っ」


 様子を窺っていた菊花が駆け寄り、時丸を優しく抱き締める。


「五年前、吹雪の日だ。奥方の誕生日前日、王都から無理をして帰ったその日」


 ぽつり、ぽつりと独白が静かに響いた。


「視界は降りしきる雪に遮られ、通り慣れた道の境目も判別できないほどに雪嵩は増していた。気づかないうちに狼車は、崖から突出して積もった雪に乗り上げてそのまま崩落した。旦那は妻を庇ったが、狼車の中を跳ね、何度も何度も体を打ちつけたそうだ」


 翌日に行われた懸命な捜索の末、御者は雪を被り、狼車は形を留めた状態で雪の下から発見された。


 旦那は一命をとりとめていたが、奥方は首の骨が折れて亡くなっていた。上も下もわからなくなった狼車の中では、旦那だけが強打を請け負うことなど不可能だったのだ。


 そしてその日のうちに目を覚ました旦那は、妻の誕生日に訃報を知らされた。意識が飛ぶ最後まで腕に抱いていたはずの妻が、死んだ。


 なぜ。なぜ妻が、妻だけが死ななくてはならない。吹雪くと知っていながら、誕生日は屋敷で過ごしたいとわがままを通したからか。死ぬのならともに死にたかった。願わくは、ともに生きていきたかった。


「だから旦那は心に空いてしまった穴を貿易品で埋めようとしてる。奥方は異国の絵画が好きだったから。それにあの絵の女は、少しだけ奥方に似てる。重ねてしまってる」


 時丸は鼻をすすって話を終え、菊花はわんわんと泣いていた。精神を病んでしまうには、十分すぎる理由だった。

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