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運星奇譚  作者: 綾呑
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十六話 くれぐれも

「時丸に聞きました。たまの夜更けに怪異が起きるとか。その後はどうですか?」


 談話室の椅子で舟を漕いでいた優斎に、伊織が紅茶を運んできた。丸机に置いた湯飲みの音に、はっとして辺りを見回せば他の三人の姿がなくなっていた。


「時丸たちは席を外していますよ。ここがうるさくならないように、菊花のわがままに付き合ってくれています」


 丸机を挟んだ椅子に伊織も腰を下ろす。


「そうなんだ。昨日も遅くまで起きていたから、少し気が抜けちゃったな」


 昨日、一昨日と怪異を辿るために優斎は暗がりの屋敷を徘徊していた。昨日は手にしていた燭台の明かりを人魂かなにかと勘違いした使用人に叫ばれ、優斎もそれに絶叫ともいえる返事をしてしまった。


 二人の悲鳴は屋敷中に響き渡り、入道や時丸が筆頭となって駆けつけるとそこには、腰を抜かした二人が崩れ落ちていたという。最初こそ切羽詰まっていた彼らから笑い声が漏れるには、そう時間はかからなかった。


「優斎にも怖いものがあるんですね」

「怖いっていうか、蝋燭の光に照らされた使用人の顔と悲鳴にびっくりしたんだよ。あの顔は当分、忘れられそうにないよ」


 思い出しただけでちくちくと心が痛む。怪異と勘違いしたとはいえ、化け物でも見たような反応にはさすがの優斎も傷ついた。


「――飲まないんですか?」


 沈黙に耐えかねた伊織が、淹れてきた紅茶を勧める。


「いただくよ」


 馴染みのない持ち手のついた湯飲みを、親指と人差し指で持ち上げる。重さに抗う手が微かに震え、それに伴って独特な茶葉の香りが広がった。


「まだ熱いかな?」


 ふう、と息を吹いて熱を飛ばす。その間も伊織は薄っすらと笑みを浮かべ、優斎を眺めていた。


 伊織も早く飲めばいいのに、と伊織をよそ目に思っていると、


「入道様ー?」


 部屋の外から菊花の声が聞こえてきた。入道を呼ぶ声に、優斎は扉のほうへ顔を向ける。


「――っ」


 ひゅっと喉が鳴り、優斎の指からすり抜けるように湯飲みが床へ落ちていた。幸い絨毯が敷かれていたので割れることはなかったが、代償としてその絨毯が紅茶に汚れてしまった。


「い、入道!? いつの間に……っていうか絨毯が! うわー、どうしよう!」


 いつから入道はそこに佇んでいたのか、驚きのあまり持ち手を掴む指から力が抜けてしまった。


 優斎は即座に、入道を探しにやってきた菊花に時丸を連れてくるように伝える。普段なら、慌てふためく優斎を面白がってからかうであろう菊花が、このときばかりは迅速に行動してくれた。


「火傷はしていませんか? 紅茶はまた淹れ直せばいいのですから、気にしないでください。僕は湯飲みを片付けてきますね」

「ごめんね、伊織」

「お気になさらず。紅茶はまだ今度にしましょう」


 伊織と入れ違いで、ばたばたと菊花が時丸を連れてきた。


「優斎、大丈夫? なにがあった?」

「それが、紅茶を零して絨毯を汚しちゃって」

「なんだ、そんなこと。別に洗えばいいだろ。なにをそんなに慌ててるんだ」

「だって、この屋敷にあるのはほぼ異国のものでしょ。高そうだし、もう二度と手に入らないものばかりなんじゃ……」


 優斎が青ざめ、菊花も「たいへーん」と他人事のように心配している。


「たしかにこの国では貴重かもしれないが、異国では貴重でもなんでもないだろ」


 だから心配するな、と時丸は使用人を呼び、絨毯を持っていくように指示を出した。


「掃除がしやすいように外行こー! 優斎も雪遊びしようよ! さっきは急に入道様がいなくなっちゃってさー。どこ行ったんだろうって時丸と探してたんだ。そしたら優斎と一緒にいるし、入道様ってほんとに優斎のこと好きだよね!」


 そう言って菊花が優斎と時丸の手をがっしりと握った。


「あれ? 入道は?」

「さっきまでそこにいたが」


 気がつけば、すでに入道の姿が談話室から消えていた。誰よりも先に雪遊びに戻るなど考えられない。


「んー、まあ優斎がいるところに来るでしょ! だから気にせず雪遊び続行!」


 菊花に翻弄される二人の声を聞きながら、入道は廊下を進んでいた。なにかと危なっかしい主人から離れるのはいささか不安ではあるが、常にべったりというわけにもいかない。突出した感情を表に出さない、それくらいの矜持は持っている。


「――ない」


 入道が足を止めた扉の向こうから、微かに震えた声が漏れ聞こえる。


「なにができないのだ?」


 ばたん、と、わざと扉の音を立てて声の主に問う。驚きを隠せない表情が、入道を振り向いた。


「あ……入道、様。どうなされたのですか?」

「小生が問うている」


 二度はない、と瞳が光る。否、実際に光ったのではなく、そう錯覚させられただけだ。


「僕は、あの子らの兄のような存在だと自負しております。そして、みなが傷つくことのないように守ってやりたいのです」

「それができない、と? たしかに、あれらをまとめるのには苦労する」


 儚げに目を伏せた伊織が入道の推測を肯定するように、胸に手を当てて腰を曲げた。


「年長者の独りよがり故、戯言にすぎません。どうぞお忘れください」

「ふむ」


 入道が尊大な面持ちで伊織を見下げる。


「いやなに、本来聞こえるはずのない声が聞こえてきたものでな。聡明なお前なら、この屋敷で起きている怪異は知っているだろう?」

「はい、存じています」


 伊織は頭を下げたままで、その表情は読み取れない。


「我が主人は誰であろうと手を差し伸べ、救わんとする。それが例え、自身を食らおうとする悪鬼であろうと。不安だろう?」

「ええ。優斎はなんでも抱え込んでしまう質ですので」

「ああ。だから小生もお前と同じように、助けてやりたいのだ。……優斎に限るが。して、優斎たちは雪遊びに興じているようだが、お前は行かないのか?」


 ぴくりと伊織が反応し、ゆっくりと背筋を伸ばした。入道に向けられた伊織の笑顔は、微かに強張っている。


「お時間を取らせてしまい申し訳ありません」

「構わん」


 断りを入れて優斎たちの元へ急ぐ伊織に、入道が声をかけた。


「くれぐれも選択を間違えてくれるな。春の子よ」

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