十四話 一目惚れした絵画
貿易日が終わり、入道とのいざこざもうやむやになった頃のことだ。
「来週……予定を詰めればいけるか? いや、でも後回しにするのも……」
「なにをしている?」
「うわっ……これ、時丸から」
届いた文を入道に渡す。時候の挨拶を手短に終わらせ、本題と呼ぶべき文章が事細かく綴られていた。
その内容を簡潔に述べれば、聞こえるはずのない声が聞こえる。ということらしい。
「それで、お前はなにに悩んでいるのだ」
「石妖についての話だよ。情報もかき集めて、よく王都に出没していることまではわかった。けどそれだけ。対処のしようがない。だから時丸を優先するべきか石妖を優先するべきか」
「なにを言っている。対処のしようなどいくらでもあるだろう」
優斎は石妖についてまとめた羊皮紙から顔を上げた。
「誅殺すればいい」
表情のない入道に、優斎の顔が歪んだ。
「それは、本当に最後の手段で」
「本当に最後とやらは、いつ訪れるのだ? そこらの人間ではなく、優斎の友人が死んだときか?」
顔面蒼白になっていく優斎はわなわなと唇を震わせた。
もう、死者は出ている。迷っている猶予はないに等しいのに踏み切ることができない。一線を越えることが、どうしてもできない。
「優頼とて嬉々として誅殺していたわけではない。が、逃げることは一度たりともなかった。お前はまだ、優頼の後ろに隠れている。いつまで死んだ人間に執着するつもりだ?」
静かで鋭利な声音に感化され、頭が覚めていく。不思議と心は落ち着いて、冷静に脳が働いているように感じた。
「わか、た。……わかった。次に石妖と遭遇した場合は誅殺する。皇帝にもそう報告しておく」
「ああ。今はそれで納得してやろう」
それから一週間、優斎は入道に監視されながら王都へ出向くことになった。市場を歩き、居住区を見回る。だが、一向に石妖が現れる様子はなく、やむなくして優斎は捜索をいったん切り上げた。
陰陽師に存在が露見したことから、表立ったことはしないようにしているのかもしれない。このままずっと、大人しくしていてほしいものだ。
「しばらく南都を離れることになるけど、大丈夫かな。少し心配だ」
「この期に及んでなにを言っている。小生がいればどうということはない」
「入道だって一緒に北都へ行くんだから、南都にはいないでしょ」
「どこにいようが全ては小生の思うままだ」
はいはい、といつもの戯言を優斎は受け流す。そんな優斎を入道は不服そうに見下ろし、牛車へ押し込んだ。
ゆったりとした速度で牛車は南都を抜け、王都を縦断し、北都と繋がる検問所へ到着した。ここからはがらりと気候が変化するため、牛車を乗り換えなければならない。
雪が溶けることのない北都の主な移動手段は『狼車』と呼ばれる乗り物だ。文字通り牛ではなく狼が引いており、その車体はいくらか小型に収まっている。牛が引く車体にそのまま繋げても、狼では馬力が足りないのだ。
事前に用意していた外套を羽織っても、露出している肌には寒さが痛みとなって突き刺さる。幾度と訪れていようとも、南都の暑さに馴染んでいる優斎にはやはりこの寒さは慣れることができない。
だが、今日は運がいいようだ。悪いときは視界が塞がるほど吹雪いて停滞を余儀なくされてしまう。だが今日のように、太陽が顔を覗かせ、殴られるような風もないとなれば幾分かは我慢できる。
それでも震えながら狼車に揺られること数時間、屋敷の前で時丸が待ってくれていた。
「相変わらず寒そうだな」
「うん、すごく」
「歓迎する。中で温まろう」
がちがちと歯を鳴らす優斎に苦笑し、変わらず凛としている入道に時丸は軽く会釈をした。入道は片手を上げることでそれに応え、先導する時丸に続きながら目の前にそびえたつ城を眺めた。
冬柴の屋敷は異国の文化を多く取り入れている。窓には硝子がはめられ、床も木ではなく石だ。冷たさをしのぐ絨毯を敷いているものの、室内でも履物は脱がないのがここでは普通らしい。
北都を除いた都の様式は雪に覆われたこの地では合わず、むしろ異国の様式のほうが利便性は発揮される。
優斎たちが通されたのは薪がぱちぱちと火花を散らす暖炉がある部屋だ。南都のようなじめっとした暑さではなく、からりと乾いた温かさで心地がいい。
動物の皮で作られている椅子に座れば腰が沈み、ふかふかとした感触が疲れを癒してくれる。
「居心地が悪いな」
優斎の思っていたことと真逆の感想を述べてくれた入道に、時丸が目を丸くした。入道の不躾な態度に驚いたのではない。入道が向けた視線を辿り、それと目を合わせたからだ。
「異国の女性? の、絵?」
二人の視線の先では、胸元より上、顔に焦点を当てられた女性の絵画が飾られている。気恥ずかしそうに、けれど愛しい人を熱望するような瞳で笑んでいた。
「父上が分家の旦那に貰ってた。俺も、見られてる気がして落ち着かない」
「あれはどこで手に入れた?」
入道に促された時丸は、暖炉の明かりに影を揺らしながら絵画を譲り受けた経緯を話し始めた。
冬柴の分家に、少し変わり者の旦那がいるという。旦那は齢三十ほどの壮年で、五年前に妻を不慮の事故で亡くしてしまったそうだ。
元は生気に満ち満ちていた姿だったのだが、妻を亡くしてからというもの人が変わったように塞ぎ込んで痩せこけていった。そしていつからか異国から渡ってきた骨董品や絵画を買い漁るようになったらしい。
しかし、なにを手元に置こうと満たされず、絵画と見つめ合っても満たされない。
旦那がいつものように市場を歩いて絵画を買い漁っていると、ふと惹かれる絵画に出会ったそうな。一目惚れというべきか、旦那は心を奪われたような衝撃が走った。だから家に持ち帰り、すぐさま飾ったそうだ。
寝る間も惜しんで見つめ合い、語りかけ、食事すらも忘れて熱を上げていたとか。いつしか絵画と妻を重ねてしまうほどに。かつての妻へ愛情を注ぐように。
「とまあ、これは旦那の使用人に聞いた話」
「本人から聞いた話じゃなくて?」
「それが、寝る間も惜しんで食事もしないって言っただろ。体調が悪くなったみたいで、たしかに酷い見た目で結構ぼろぼろだった。これ以上持っていると本当に死んでしまうと思って、かといって捨てられず、それならいっそ父上に貰ってほしかったんだと」
それで人目に触れやすい談話室に飾ったとのことだ。
「それに旦那に会ったときよくわからないこと呟いてた。呼んでるとか泣いてるとか。奥方を忘れられず心が病んだようだ」
「その話はいつまで続く?」
「いや入道が聞いたんでしょ。時丸が話してるんだから遮らないでよ」
長々とした話に興味が失せたようで、入道は頬杖をついていた。
「入道様の言う通りだ。文に書いた話、昼はいいが夜になれば使用人が怖がって仕事にならない」
「時丸がいいなら……じゃあその話も詳しく聞かせて。なるべく入道が飽きないように簡潔にしてくれると助かるんだけど」
時丸は頷き、またも口を開いた。
ある使用人の話では、朝餉の下ごしらえをするために厨房へ向かっていたとき、どこからともなく声が聞こえたという。周りを見回しても誰もいない。それに声はそれきり聞こえなかったため、その使用人は「気のせい」と結論付け、翌日には忘れてしまっていた。
だが、それから二日もしないうちに別の使用人が「声を聞いた」という話が広まり、便乗した数人が同じような証言をしたので、みな怖がってしまったのだと。
「幽霊でも住み着いているのではないかと、優斎を呼んでくれとせがまれた」
「それってどんな声だったの?」
「笑い声とか泣き声とか、証言が錯綜してしまって正直なところわからない」
「声が聞こえるだけ? 他に不思議なことは?」
優斎は人間をからかう妖を一考したが、幽霊とも考えにくく思い当たる節がなかった。
「特にない。言い忘れたが声も毎日じゃなくて不規則らしく、俺は聞いたことがない」
「幻聴ではないんだよね?」
「それも含めて、調べてくれる?」
「そうきたか。うん、わかったよ。それじゃあまず入っちゃいけない部屋教えてくれる? 時丸がいないときにうっかり入らないようにしたいし。あとはそうだな、当事者の使用人にも話を聞いてみたいな」
それから優斎は屋敷の構造や使用人の名前など必要な情報を集めていった。ここへ来る前にめぼしい妖を調べてきてはいたが、あまり参考にはならなそうだ。
「入道様とは部屋をわけたほうがいい? それと食事は食堂で食べるけど、部屋で食べたいなら持っていかせる」
「入道はどうしたい?」
「主に従うだけだ」
優斎は少し悩み、部屋もわけず食事も一緒にとることを伝えた。怪異が起きるとなれば入道と離れ離れになるのは少し面倒だろう。
「ここが二人の部屋。食事の時間になったら使用人が呼びに来るから」
それまでゆっくりしてくれ、と時丸は言い残していった。