十話 空き巣
御者が扉を開け、降りようとした菊花を突風が襲う。たじろいだ菊花の背中を優斎が支えると、風はすぐに止んだ。
「あはは。びっくりしたー!」
「ひっくり返らないように気をつけてね。いつも俺が後ろにいるとは限らないんだから」
「大丈夫だって!」
菊花に続いて優斎と入道が牛車を降りると、先程まで舞っていた落ち葉は力尽きたかのように絨毯と化している。それらを踏み鳴らして屋敷の中に入ると、なにやら家政婦たちがばたばたと慌ただしく駆け回っていた。
「あ! 菊花お嬢様!」
一人の家政婦が血相を変えて立ち止まり、なにを焦っているのか説明してくれた。
「その、昨晩……空き巣に入られてしまったようで」
「空き巣!?」
菊花と優斎が目を丸くした。
「なにを盗られたの?」
「かなり荒らされてしまっているので、今確認をしながら片付けているところです。盗まれたものは今のところ確認できていません」
中年の家政婦は下唇を噛み、何度も菊花に頭を下げていた。
「父上は?」
「菊花様が家をお出になられた数時間後に王都に戻られましたので、早馬で知らせてはおります。旦那様も多忙なのでお戻りにはなられないでしょう」
「わかった。もし盗まれたものがわかったら報告してね。大事なものだったら犯人を捜さなくちゃならないから。壊れたものはどこかにまとめてある? まだだったら家政婦長がみんなに声をかけて広間に集めさせて」
家政婦長に指示を出した菊花はくるりと振り返り、申し訳なさそうに笑顔を作った。
「ごめんね、優斎と入道様。大変なときに連れてきちゃったみたい」
空き巣に入られたということもそうだが、菊花がてきぱきと指示を飛ばしていることに優斎は驚きを隠せなかった。
優斎の知る菊花は元気いっぱいで能天気な発言ばかり。だというのに、昨日の今日で目の当たりにした菊花はそれを覆し、まさに当主の跡継ぎに相応しい振る舞いを見せている。
「俺たちも片付け手伝うよ」
「となれば小生は屋敷を歩かせてもらう。なにやら愉快な気配があるのでな」
不敵に口角を上げた入道に優斎は渋面を浮かべた。まさか、てんやわんやしている使用人たちを面白がっているのではないだろうか。
意地の悪さに優斎は腹が立ったが、いくら止めようとしたところで優斎の言など聞いてくれないことはわかりきっている。
「にしても、すごい荒れようだね」
入道が屋敷周りを散策しに行くのを見送り、優斎は改めて惨劇ともいえる光景に愕然とした。
「どこが特に酷いんだろう。私ちょっと聞いてくるね!」
「わかった。じゃあ俺もぐるりと見て回るね」
のちの合流を告げ、二手にわかれる。部屋ごとに壊れたものが集められており、優斎はそれを流し目で確認しながら歩いた。
「空き巣……」
斬りつけられたような跡がついている几帳や障子に目をやり、優斎は眉をひそめた。
金目のものなどすぐにわかりそうなものだが。いまだに盗まれたものが確認できないということは、目的の品でもあったのだろうか。
「優斎! 聞いて!」
「あ、菊花。俺も聞いてほしいことが」
「あの子がいないの!」
取り乱した様子でやってきた菊花が、押し倒さん勢いで優斎の肩を掴んだ。
「みんな今日は見てないって……もしかしたらあの子が連れていかれちゃったんじゃ」
「落ち着いて。今日は慌ただしいから、どこかに隠れているだけかもしれないよ。ちゃんと隅々まで探した? なるべく人が踏み入らないような場所とか」
菊花は力なく首を振り、頷いた。
「……もっと、探してみる。優斎も探してくれる?」
「うん。それらしい子がいないか探してみるね」
優斎が答えると菊花は安堵し、またぱたぱたと走っていってしまった。
「あ。どんな動物か聞き忘れた」
もう菊花の姿は見当たらない。菊花を追うべきか迷ったが、優斎はその辺で片付けをしている家政婦に聞くことにした。
「優斎様! 見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません」
声をかけた家政婦は開口一番に謝罪を述べ、優斎に首を垂れた。酷く疲れた面持ちで、菊花に家政婦長と呼ばれていた中年の女だ。
「いえ、少し聞きたいことが……と、その前にそれを片付けてしまいましょう。端を結んでしまいますが、大丈夫ですか?」
割れてしまった壺の残骸がまとめられた風呂敷に手を伸ばす。
「わ、私がやりますので!」
最初こそ呆気にとられていた家政婦長だったが、優斎にはさせられまいと畳の上に落ちていた破片を拾い始めた。優斎も膝をつき、大人しく家政婦長が全て拾い終わるのを待つ。
水場仕事が多いのか家政婦長の指先は、あかぎれによって痛々しさが目立っていた。
「ちょっと待ってください」
最後の破片を指先につまんだ家政婦長の手首を掴んで止める。驚く家政婦長から半ば奪い取るように破片を手にした優斎はまじまじとそれを観察した。
「なんか……」
ただの破片に、形容しがたい引っ掛かりを感じた。上や下から、表と裏まで優斎はくまなく違和感の正体を探る。
そして、あ然とした家政婦長からの呼びかけにも気づかないまま、およそ二分が経過した。
「ああ、そうか」
優斎はおもむろにすっくと立ち上がった。
「家政婦長さん。少し聞きたいことがあります」
「な、なんでしょう?」
「菊花が拾ってきた動物についてです。なんの種類かわかりますか?」
優斎の質問の意図がわからず、家政婦長は言葉を喉に詰まらせた。
「種類、ですか。そうですね。穴熊のような……いえ、にしても小さく細かったかしら?」
頬に片手を当てながら家政婦長は記憶を巡らせ、「狸とも違う……」と眉間にしわを寄せた。
「そうですか。ときに家政婦長さんにも菊花と同じ傷がありますね。あかぎれとはまた違う傷、手のひらのそれはいつできた傷でしょうか?」
家政婦長が驚いたように自身の手のひら庇うように引っ込める。けどすぐに、おずおずと差し出された手のひらには横一線に傷ができていた。
「これは……そう、十日ほど前に気がつきました。私と同じように傷ができた者が何名かおりまして、このような傷がある者はみな口を揃えてこう言うのです」
家政婦長の瞳が恐怖に染まり、揺らぐ。
「痛みもなく、気づいたらできていた……と。昨日お帰りになられた旦那様も気味悪がり、呪いだとおっしゃっていました」
「そしてそれは菊花がその動物を拾ってきてから起こったのではないですか? それなら領主様が必要以上にお怒りになり、動物を捨てろとおっしゃったのにも納得がいきます」
「え、ええ! ええ。その通りです。やはり、呪いなのですか」
見透かされていることに目を丸くした家政婦長。縋るような瞳が優斎を見つめる。
「優斎! 入道様が……って家政婦長も一緒だったんだ。優斎を連れてってもいい?」
「は、はい。菊花お嬢様、足元にはくれぐれもお気をつけくださいませ」
「家政婦長さん。それは、呪いではありませんよ。きっとつむじ風にあてられてしまったのでしょう」
優斎はそう言い残し、菊花を追った。菊花は他の部屋と比べてやや頑丈に作られている一室までやってくると、優斎に扉を開けるように促した。
「入道?」
「ね、びっくりしたでしょ! 私もびっくりしちゃった! 私の部屋ももう一度探してみようと思ったら入道様がいたの」
「ここでなにして……なにそれ?」
戸惑う優斎には目もくれず、入道が長椅子にだらりと寝そべりながら片手に小動物をぶら下げていた。首根っこを掴まれたそれはふるふると震えるばかりで、すっかり縮こまってしまっている。
「お前たち、これがなんだかわかるか?」
「私が拾ってきた子!」
「あれが? じゃあ、やっぱり」
優斎は目を細めた。穴熊でも狸でもない。たしかに似てはいるがそれらとは違う。動物とも大きく異なるそれは、菊花を目にするなり助けを求めるようにじたばたと身をよじった。
「活きがいいな。だが、あれに傷をつけることを小生が許すと思うか?」
「ちょっと入道様! その子をいじめないで!」
入道に詰め寄ろうとした菊花の前に手を出し、優斎は近づいてはだめだと制止させる。
「もう! 優斎までなんなの?」
「菊花。あれは動物じゃない。無害で可哀そうな小動物ではないよ」
憤慨する菊花に、首を振る。
「あれは、妖だよ」