戦略に関する覚書
攻撃の目標とすべき対象は数あれど、それらはすべて四つの抽象的要素に分類しうる。
一、軍事力
一、経済力
一、政治機能
一、敵対意図
土地も一見攻撃の対象たりうるが、それは土地そのものに価値があるからではなく、上記の最初の三つの要素が土地に従属しているからそう見えるだけである。
私の記憶にある戦史からいくつかの例を拾い、説明を加えたいと思う。
一、アレクサンドロス大王の場合
アレクサンドロスが攻撃の目標としたのはペルシアの軍事力だ。彼は向かってくる兵力を撃破していくことで、最終的な勝利を手にした。
大王が軍事力を直接の攻撃の対象としたのは、四つの要素のうち軍事力が最も狙いやすかったからだ。
ペルシアは伝統ある大国だ。政治的には安定していたし、富も豊かだった。これらを殺すにはペルシア帝国中の地方長官を殺し、財ある都市という都市を征服し尽くさねばならない。これは大王が率いていた兵力では届き得ない。
また、敵対意図だが、これも攻撃の対象にはしにくい。ペルシア帝国は広い。広大な帝国に人口が溢れかえっている。大王が征服した土地のひとつにエジプトがある。当時、エジプトはペルシアの一部だった。
征服されたエジプトの民はアレクサンドロスをファラオと仰いだが、より東の、インドに近い地域のペルシア人にとっては対岸の火事でしかない。大王のエジプトでの勝利の効果は波及しない。
広大な帝国全土の民に、大王が勝者であるとの印象を刻むことはできないのだ。
では軍事力についてだ。ペルシアは大国であり、兵数は多かった。しかしペルシア兵は贅沢な暮らしに慣れ、軟弱であった。大王のもとで過酷な実戦を戦い抜いてきた精鋭の前では歯が立たない。ゆえにこそ、勝利を得ることができたのだ。
一、ユリウス・カエサルの場合
カエサルは現在ならば西ヨーロッパの半分にあたる地域を征服した。当時、その地にはガリア人が住んでいた。この戦争はガリア戦役と呼ばれる。
当時、ガリア人はいくつもの部族にわかれていた。ヘルヴェティ族、セクアニ族、レミ族、リンゴネス族などなど。それらの部族は固有の経済基盤、政治機構、軍事力を持っていた。重心となる点が分散していたのである。
重心が分散していたゆえ、全土を一気に征服はできない。その代わり、ひとつひとつは弱い。カエサルは部族をひとつずつ格好撃破していった。
このとき、撃破する優先順位はローマへの敵対意図の強さによった。ローマに対して強く反発している部族から順に叩きていくことで、ガリア人の敵対意図を挫いたのである。
最後にはガリア人は大団結し、ローマ軍5万に対し、ガリア部族連合軍35万の戦いとなる。カエサルはアレシア攻防戦で35万のガリア軍に完全勝利を収めたことで、戦争全体の勝利を得た。もはやガリア人にはローマに強行に反発する意志は残っていなかったのだ。
ガリア戦役はアレシア攻防戦のあとさらに一年続く。これはいってみれば残党処理であったが、やはりローマに対する敵対意図を潰していくという基本戦略は変えなかった。
一、スキピオの場合
ここではスキピオのスペインでの戦いについて書く。
スペインはハンニバルの一族が支配していた。当初はスキピオの叔父二人が派遣され、スペイン軍を翻弄するも、結局は負けてしまう。
後任のスキピオはスペインに入るや不意打ちの一撃で当時のスペインの首都であるカルタヘナを陥落させる。
首都カルタヘナに軍事力はない。あったのは政治機能と経済力だ。
スペイン軍は三つにわかれて、ローマより優勢だった。兵力同士の勝負では部が悪い。しかし首都の守りは手薄だった。スキピオはここをついた。
スキピオは首都を落とすと、ここを拠点として残る敵を格好撃破する。最初に攻撃しやすい首都(政治機能と経済力の集まる場所)を獲得したことにより、戦略的な優位をしめたからこそ、残りの兵力同士の戦いも有利に進めることができた。
一、ハンニバルの場合
ハンニバルは徹底して敵の軍事力を叩いた。しかし、ローマを倒すには首都ローマを落とし、政治機能を奪うしかない。
ハンニバルは新戦術を用いることで、優勢なローマ軍に幾度も勝利を収めた。しかし、ローマはそのたびに軍を再編成して立て直す。いくら軍事的な勝利を収めても無駄であった。
消耗線は続き、最後にはローマが生んだ名将スキピオに敗れる。このとき、スキピオはまたしても敵の政治機能、ハンニバルの故国カルタゴを狙い、ハンニバルを誘き寄せた上で軍事的な勝利を収めた。
戦略上の問題は非常に複雑だ。しかし、視点を変えるだけで明快に組み立て直すことができる。
四つの要素は、現実的にはさらに細かく分かれ、かつ複雑に絡み合っている。敵の軍はどう配備されているか、どこに工場があるか、首都を落とすだけで政治機能は麻痺するのか、都市と都市を結ぶ道路の状態はどうか、森林や川といった自然地形はどうなっているか。
これらはすべて四つのいずれかに分類しうる。首都は政治機能と経済だろう、工場は軍事力と経済、あるいは効果的な宣伝が敵国民の意図を挫くこともある。
個々の要素をどう組み合わせ、どうすれば敵を降伏せざるを得ない状態に追い詰めるか、それを指導するのが戦略の仕事である。