第十三章 ゲルマニア戦役(二) 場面三 ゲルマニア(一)
軽く扉をノックする音に、ティベリウスは読んでいた書簡から顔を上げた。部屋に控えている若い奴隷がすぐに扉を開けて訪問者を確かめ、深く頭を下げてティベリウスに眼を向ける。
「ネルウァ様です」
ティベリウスは書簡を卓上に置き、立ち上がった。開いた扉から、長衣姿のマルクス・コッケイウス・ネルウァが入ってくる。穏やかな物腰のこの男は、ティベリウスよりも七、八歳年少だが、中々の人物だった。財務官、造営官、法務官と、年齢に合った順当な官職経験を重ねている。非常な読書家として知られ、その教養の幅は広い。とりわけ法には極めて明るく、数年前にはラベオという男が創設した法律学校の長に就任している。歩み寄ろうとしたティベリウスを制するように軽く手を上げ、優雅な所作で頭を下げた。
「どうぞそのまま。退出のご挨拶に伺っただけです」
ティベリウスは構わず歩み寄った。ネルウァの手を取り、軽く頭を下げる。
「こんな時間まで申し訳なかった。相変わらず息子が無理を言って」
謝罪すると、ネルウァはおっとりと頬笑む。
「いつもながら楽しい時間でしたよ。ご子息は熱心だ。ついこちらも熱が入ります」
ネルウァをドゥルーススに引き合わせたのはティベリウス自身だった。元老院入りし、国事に携わるようになったドゥルーススは、しばらくして法律を少し体系的に学びたいとティベリウスに相談してきたのだ。息子の向上心に応え、ティベリウスは友人の一人でもあった、このネルウァに息子を引き合わせた。当時はまだ学長に就任はしていなかったが、ラベオの法律学校でも秀才で知られていた。ネルウァを選んだのは、由緒正しい貴族階級に属する元老院議員であり、人間的にも信頼がおけたからだ。他人を告発し、有罪判決を勝ち取れば、名声と被告人の財産の一部を手に出来る。弁護人になれば、謝礼を期待できる。「法の民」であるローマ人だけに、法学は究めて盛んだったが、法律を学ぶ者の中には、それを手っ取り早い金儲けの手段として考える者が少なくはなかったのだ。一級の教養人であるネルウァは、彼らとは完全に一線を画していたし、法律に関する知識も、実用面だけに留まらず、十二表法に始まるローマ法の歴史から、他国との比較にまで行き届いた深く幅広いものだった。