第十三章 ゲルマニア戦役(二) 場面二 ローマの運営(七)
初めての執政官職を務め上げた七六七年は、ドゥルーススにとって実り多い年だった。だが、思わぬ悲しみもあった。長男のガイウスが悪性の風邪のため、二歳にも満たない短い命を終えたのだ。夏を迎え、治水対策もようやく一段落した頃だった。急いで作らせた小さな墓碑に生没年だけを刻ませ、霊廟の奥に埋葬した。三歳以下で死んだ幼児は、喪の期間もごく短期間と定められ、公式には追悼も行われない。それが一層淋しかった。
だが、ドゥルーススは自身の悲嘆に暮れてばかりいるわけにはいかなかった。リウィッラの悲しみようが、並大抵のものではなかったからだ。ドゥルーススは妻を慰めようとしたが、嘆きのあまり枕も上がらぬ有様のリウィッラには、どんな言葉も抱擁も無力だった。妻が憐れで、同時に、少し羨ましかった。なりふり構わず涙を流して嘆き悲しむことが許されれば、この悲しみも少しは鎮まるのだろうか………
こんな時に頼りになるのは、やはりリウィッラの実母であるアントニアだった。アントニアはリウィッラに付き添い、辛抱強く話を聞いていた。ドゥルーススはこの時初めて、義叔母が何人もの子供を幼いうちに失っていたことを知った。アントニアは亡夫ドゥルーススとの間に、全部で六人の子供をもうけたのだそうだ。だが成人したのは、半分の三人に過ぎなかった。残りはごく幼いうちにこの世を去り、末っ子の小ティベリウスも何度も死の淵を彷徨っている。ティベリウスとユリアの子供も早世しているし、母ウィプサーニアはティベリウスの子を流産している。子供とはそれだけ脆く儚い、貴重な贈り物であったのだ。幼子を失った今、改めてそう思う。




