第十三章 ゲルマニア戦役(二) 場面一 手紙(二)
ドゥルーススは書き上げた手紙に印章を捺し、傍らに置いた。年の暮れ、ゲルマニクスから、この冬は来春からの戦役の準備のために冬営地に留まることにした、という手紙が届いた。更に、弟の小ティベリウス宛に特に一通を認め、少しまとまった金が必要なので用立てて欲しいと依頼してきた。もしも難しければ、ドゥルーススに相談してみて欲しい、との言葉を添えて。軍団の暴動収拾のために、恐らくかなりの額の金が必要だったのだろう。自分の金のこともあるが、少なくとも幕僚から借りた金は返さなければならない。一部は彼らの生活費や旅費なのだ。小ティベリウスは中々自分で決断を下せない気の弱いところがあり、結婚した今では―――相手はウルグラニアという、これも中々に気の強い女性なのだが―――財布の紐は妻に握られっぱなしという状態だ。今回もゲルマニクスからの手紙を手に、早速ドゥルーススのところへ相談に来た。
ドゥルーススにしてみれば、気持ちの上では全額を自分が用立ててやりたいぐらいのところだったが、残念ながらドゥルーススが自分の自由になる財産はそれほど多くはない。家父長権の強いこのローマでは、一家の財産は基本的には家長一人に属する。たとえ六十歳になっていても、八十五歳の父が生きていれば、法律的には財産はこの八十五歳の所有物なのだ。息子たちはいくつになっても、父から与えられる「小遣い」で生活するというのが一応の建前になっている。実際に財布の紐を握っているのは誰か、ということでは、各家によって違いはあるだろうが。家長であったり、執事であったり、あるいは息子であったりその妻であったり様々だ。
ドゥルーススの場合、アウグストゥスの遺産の一部を分与されたのと、以前から農園付きの別荘の運営をいくつか任されているのが生活の基盤になっている。相当の規模ではあったし、生活していくにはそれで十分すぎるほどなのだが、農園にしろあくまでも管理しているだけで与えられたわけではないから、勝手に売却するわけにもいかない。結局、多額の金をポンと人に与えられるほどの資産はないことになる。父に言えば用立ててはもらえるだろうが、理由を言えば、ゲルマニクスの立場が悪くなってしまう。むしろクラウディウス・ネロ家の筆頭人である小ティベリウスの方が、その点では自由になる財産はよほど多いのだ。ただうまくいかないことに、この若い家長は、それを運用する決断力をやや欠いていたということだ。
ドゥルーススはこの若い家長に、ほとんど使っていないカンパーニア地方の別荘を売るよう勧め、その手配を整えてやった。それに自分の貯金を加え、更に友人からも若干の金を借りて、小ティベリウスの名でまとめてゲルマニアへ送った。恐らく小ティベリウスの別荘の売却もドゥルーススの借金もティベリウスの耳には入るだろうし、その理由も察しはつくことだろうとは思うが、父もそれを細かく尋ねてくる性分ではない。ドゥルーススも敢えて自分からは触れなかった。だがそれから間もなく、ティベリウスは執政官就任祝いという名目で、少しまとまった額の祝儀をくれた。それが恐らく、父からの無言の「回答」であったのだろうと思う。




