第十二章 ゲルマニクス 場面五 ウィプサーニア(一)
ウィプサーニアはゆっくりと中に入ってきた。ドゥルーススは早足に歩み寄る。
「ご無沙汰しています」
ドゥルーススは言った。ウィプサーニアはかすかな頬笑みを浮かべ、ドゥルースス自身とよく似た若草色の眸で、じっとドゥルーススを見つめる。濃い茶色の髪はきっちりと結い上げられており、髪型といい服装といい、どことなく地味な印象を与える。
「元気でいて?」
「はい」
「そう………」
そう言ったきり、しばらく沈黙が降りた。ウィプサーニアは不意に目元を押さえる。ドゥルーススは母の華奢な身体を軽く抱いた。無言の時間があって、ようやくウィプサーニアの眸がドゥルーススを見た。若草色の眸は潤んでいた。
「ごめんなさいね」
ウィプサーニアは心から申し訳なさそうな表情で弁解した。
「今日お会いできるなんて、本当に………夢にも思っていなくて………」
消え入りそうな声に、ドゥルーススの胸には、愛しさとも憐れみともつかないものが溢れた。
約八カ月ぶりになる。前に会ったのは、一年前の三月、アグリッパ将軍の命日だった。場所はやはりここ霊廟で、考えてみれば時刻も同じ頃合だ。父の妻と夫が結婚したという複雑な関係が、この慎ましい女性に、父の墓に詣でるという当然のことをさえ遠慮させていた。もしも当時のまま、アグリッパ将軍の娘、父の妻であったなら、ウィプサーニアも当然のこととしてこの霊廟に葬られることになっただろう。だが、父が死に、ティベリウスと別れた今、この女性のアウグストゥス一家とのつながりは過去のものになっている。
アグリッパの命日にはアウグストゥスを始め、多くの人々が墓参に訪れるのが常だ。ウィプサーニアは人目に触れるのを避けるため、毎年夜明け前に墓参を済ませていた。それを聞いたドゥルーススは、数年前から自分もその時刻にここへ来るようになった。
ようやく言葉が出るようになったウィプサーニアは、息子をじっと見つめて言った。
「一昨日は堂々としていたわ。本当に立派になって」
「お手紙は頂きました。わざわざありがとうございます」
ローマへ帰還した翌日、ドゥルーススはこの母から手紙を受け取った。ウィプサーニアも、ドゥルーススの帰還を祝ってくれた市民たちの中にいたのだという。今日は父アグリッパに、ドゥルーススが無事に戻ったことを報告し、感謝を捧げるために来たのだと言った。




