第十一章 パンノニアへ 場面二 陣営での夜(九)
「カエサル!」
ドゥルーススは、駆け寄ってきた男の顔を見た。
「ブラエスス」
父親の方のユニウス・ブラエススだ。ブラエススはドゥルーススの前に膝を折った。更に数人の男たちが集まってくる。恐らくは士官たちだろう。
「よく………よくここまで………。まさか、あなたが………」
後は言葉にならない様子で、ブラエススは膝をついたまま、ドゥルーススの両手を取って唇を押し当てた。髪は乱れ、髭は伸び放題だ。ドゥルーススは片膝をつき、ブラエススの顔を見た。
「無事でよかった。脱出してきたのか」
「彼らの方が牢を放棄したのです。自ら鍵を開け、我々に赦しを請いました」
「それは何よりだ」
ドゥルーススが言うと、ブラエススの眼から涙がどっと溢れた。
「申し訳ありません、こんな、前代未聞の不祥事を………カエサル、申し訳ありません………」
ドゥルーススはブラエススの肩を叩いた。
「もう大丈夫だ」
月はゆっくりとその輝きを取り戻してゆく。以前見た時と同じように、軍団ごとに整列した兵たちの前に、月の光を映したような美しい三本の銀鷲旗が掲げられている。ドゥルーススは立ち上がり、彼らを眺めた。
傍らで軽く手を打ち合わせる音がする。いつの間にか隣に立ったアプロニウスが、拍手と共に言った。
「お見事」
「神々が与えてくれた幸運と、それを読み解いた父のおかげだよ。そして勿論、あなた方の協力と」
ドゥルーススは言った。アプロニウスは微笑する。
「彼らに話をなさいますか」
「いや。予定通り明朝にしよう。―――あなた方も休んで下さい。ブラエスス、軍団兵たちに、明朝、カエサルから話があると言って、今夜は解散させてくれ」
「かしこまりました」
ブラエススは敬礼する。ドゥルーススは士官たち一人ひとりに軽く挨拶してから、天幕に戻った。




