第十一章 パンノニアへ 場面二 陣営での夜(七)
見回りの兵たちが、夜第四時(十時頃)を告げる朗々とした声が、夜の闇の中に溶ける。
ドゥルーススは幕僚たちと共に天幕にいた。交わす会話もそろそろ途切れがちになっている。ピソが落ち着かない様子で立ち上がり、幕を細く開けて表を見た。
「………いい月ですね」
ぽつりと呟く。誰も同意する者はいない。ひんやりとした夜気が、幕の隙間から室内に流れ込む。ピソは幕を降ろした。
ドゥルーススもさすがに落ち着かなかった。首都から持参した国力の資料を広げてはいたが、気は漫ろだ。じっとしているのについに耐えられなくなり、表に出ようかと思い始めた頃だった。
軍団兵たちのざわめきが耳に届いた。
バサバサと天幕を捲り上げる音、靴音、そして口々に発せられる声―――
天幕内に緊張と、一種の昂揚が満ちた。ドゥルーススは椅子から立ち上がる。
始まった―――!
ドゥルーススは天幕を出た。宿舎を飛び出した軍団兵たちは、全員が天を仰ぎ、口々に叫んでいた。「あれを見ろ!」と。
ドゥルーススも空を見上げる。秋空にかかる煌々たる満月が、今、ゆっくりと欠け始めていた。
父上………!
心の中で叫んだ。父の言った通りだ。ティベリウスはドゥルーススに書簡を渡す時、こう言ったのだ。「八日後、月が蝕に入る」と。天文学者であるトラシュルスが言ったことだそうだ。父も天文には詳しい。月蝕は神々の呪いでもなんでもなく、月がこの球形の大地の陰に隠れることによって起こる、単純な自然現象なのだと説明してくれた。半信半疑といった態のドゥルーススに、ティベリウスは苦笑して言った。
「細かい話はいい。だが月蝕が起これば、恐らく兵士たちは動揺するだろう。その機会をどう使うか、それはお前次第だ」




