第十章 混乱 場面二 ポストゥムス暗殺(一)
ほとんど丸一日、ドゥルーススは父の傍を離れなかった。入浴を済ませ、二刻(二時間半)ほどの仮眠の後で軽い食事を摂ったティベリウスは、帰宅した時の憔悴ぶりが嘘のように平常に戻っていた。元々病気知らず、疲れ知らずの父のことだ。あの時はよほど疲れきっていたのだろう。ティベリウスは留守にしていた間のローマの話を複数の人間から聞いた。大きな混乱もなく平穏であったことを確認し、都警察長官ピソと親衛隊長官ストラボをねぎらった。ストラボが退出してから、ドゥルーススは父と二人で遅い夕食を摂った。食欲も回復したらしく、アントニアが用意させた魚料理やスープ、ワインといったメニューを、平素と変わらぬ様子で口に運んだ。
神祇官ピソはドゥルーススを随分と褒めてくれて、ドゥルーススは少々面映い思いをした。父も褒めてくれたが、実際、ドゥルーススはほとんど指示の通りに動いただけだったし、後は訪問客の弔問を受けたり、書簡への返書を認めさせたり、当主代理としてごく普通のことをしたに過ぎなかったのだ。
アウグストゥスの遺体の到着は、六日の朝になるだろうとのことだった。
「アウグストゥスが、死に臨んで喝采を求めたという話は本当なんですか?」
ドゥルーススは尋ねた。ティベリウスは銀製のカップを卓上に置く。
「本当だ」
「お芝居のようですね」
「そうだな。アウグストゥスは言った。自分は人生という喜劇で、与えられた役割を見事に演じきったと思わないか、と。確かにその通りだ。「喜劇」とあの方は言ったが、あの方が書き上げたのはローマの再生と繁栄という、むしろ壮大な舞台劇だった。偉大な劇作家であり、演出家でもあった。そして自身、卓越した役者だった」
ティベリウスはその場を思い出そうとするように、視線を僅かに宙に投げた。
「見事な最期だった」
短い沈黙があった。ティベリウスは少し口調を変えた。
「ドゥルースス」
「はい」
「クリスプスが、アウグストゥスの状態を知ったのはいつだ」
「クリスプスですか」
ドゥルーススはちょっと記憶を辿った。アウグストゥスから、表向きのことはピソに、カエサル家内部のことはクリスプスに、と指示を受けたのは、確か日付で言うならアウグストゥスが死ぬ二日前の事だった。
「危篤を知ったのは、アウグストゥスが亡くなる二日前、八月十七日です。アウグストゥスから内々に手紙を頂いたんです。亡くなったことは、ぼくと同じで八月二十日のことだったと思います」
ティベリウスは少し黙りこむ。
「それが何か………?」
ティベリウスは息子を見つめ、静かに言った。
「ポストゥムスが暗殺された」